第6話 謎の視線と平川くん

(またか……)


 ここ数日、時々視線を感じる。文庫本から顔を上げたら、視線は消えた。この調子なら、話しかけられるとしてもまだ先だろうなと思い、読書に戻る。


 視線を感じるのはこれまでにも何度かあったことなので、今さらパニックになったりはしない。ピアノの伴奏者やスピーチコンテストの司会など、人前で名前を呼ばれる機会は多い。私が相手を知らなくても、相手が私のことを知っていることは多々あるし、そこから関心を持たれることは何度かあった。実際に話しかけられて相手を振ったのも1回や2回ではない。とはいえ、これからは模試と文化祭の準備が忙しくなるし、興味を持つ暇はなくなるだろうから2、3日もすれば視線は消えるだろう。


 そう思っていたのに、何日経っても視線は消えない。視線を感じるのは1日2回もあるかどうかといったところで、頻度は上がらないから恋愛的なものではないのだろうが、こうも続くと気になる。何か言いたいことがあるならさっさと言いに来れば良いのに。視線を向けてくるのが誰なのかがわかれば聞きに行っても良いが、あまりにも散発的、かつ、ほんの数秒なので視線の主を見つけるのは難しい。


「どうかしたの?」


 帰りのホームルームも終わった後の掃除時間。箒で教室の床を掃き始めた時に視線を感じて、あまり頭を動かさず視線だけで教室の中を探っていたつもりだったのに、どうやら目立ってしまったらしい。声をかけてきたのは去年も同じクラスだった笹野さんだ。私と同じく手には箒を持っている。


「ううん、なんでもないよ」

「そう?あ、そういや、糸井さんは伴奏ってどれくらい仕上がった?」

「本番という意味では暗譜かな。練習のためにという意味では、パート別にメロディーを弾きながら伴奏できた方が良さそうだとは思ってて、そこは練習しようかなと。多分あの曲、皆が思ってるよりは音を取るのが難しいと思うから」

「わーお、めちゃくちゃ仕上がってる。私やっと両手で止まらず弾けるようになったかなって感じなのに……」

「練習が始まるまであと2週間あるし、大丈夫じゃないかな。冬休み中に伴奏を仕上げるクラスもあるくらいだし」

「まぁ、そうだよね。去年みたいに優勝狙いに行くようなガチ勢クラスな感じもないし」


 笹野さんの言葉に私も頷く。去年は行事の度に優勝狙うぞ、という意気込みのあるクラスだったが、今年は体育祭といい、文化祭の出店といい、楽しくやれれば良いという人が集まったクラスで、その状況を担任も容認しているので合唱コンクールに関してもそこまでプレッシャーはない。恥はかきたくないが、かといって優勝を目指すほどのバイタリティはないといったところだ。伴奏をする側としてはやりやすいクラスである。


「練習期間を長めに取れるようにって、伴奏者は9月下旬に楽譜を貰えているだけだからね。課題曲は中学校の合唱コンクールで歌ったことがある人もいるみたいだから、そこまで心配しなくて良いと思う」

「誰かが音程取れてればどうにかなるもんね。自由曲は転調が多いからそうはいかないのかもしれないけど」

「転調もそうだし、1番、2番という形式ではない、繰り返しがほとんどない曲だから覚えるメロディーの量が普通の曲の倍だしね。まぁ、みんな覚えてくれるとは思うけど」

「伴奏的にはどうなの?去年と比べて。私は課題曲だから大体同じ、まぁ、若干難しくなったかもなぁって感じなんだけど」

「難易度はそこまで違わないけど、去年の方が大変だった気がする。テンポが速かったし、全体的にフォルテ多めだったから」

「あー、体力が削られる曲ではあったよね。あと前奏とか間奏のオクターヴの音を鐘の音に似せて響くように弾くの、すごいなーって思ったもん。文句なしの最優秀伴奏者賞だった」

「ふふ、ありがとう。音にこだわるという点ではやっぱり去年の方が大変だったかも。テンポもメトロノーム通りに弾いたのじゃ一体感が出なくて残念な感じになっちゃうし…….って今年は転調する度にテンポ変わるからメトロノーム使ってる場合じゃないけど」

「だよね〜。曲選びで聞いた時から、この曲が選ばれたら糸井さんに投げようと思ってたもん。その通りになったけど」

「笹野さんも弾けると思うけどな」

「無理です……譜読みが嫌いなんだ……あんな長い楽譜を読みたくない……」


 勘弁して、と笹野さんがギュッと目を瞑る。そういえば去年、耳コピ派だと言っていたことを思い出した。


「あ、もう一つ、糸井さんに聞こうと思ってたことがあるんだった」

「何?」


 一度会話が途切れた後、再び笹野さんに話しかけられる。私は手早く掃いていたところのゴミを集めて笹野さんのところに向かう。


「平川くんから何か声かけられた?」

「吹奏楽部の人だっけ?ほとんど喋ったことないけど」

「そっか」

「何か私に用があるの?」

「うん?いや、なんだったけ……数週間前の話だったからな……おばあちゃん家が近い……犬……そうそう犬だ。なんか犬と散歩してて、糸井さんの家の前を通ったかもしれなくて、犬がお座りして熱心にピアノ聞いてて……みたいな?」

「うん?わかるようなわからないような……というかなんで平川くんが私の家を知ってるの?」

「ごめん、あんまりちゃんと覚えてないや。でも日曜日の夕方に、平川くんはおばあちゃんの犬、名前はハナちゃんだったかな?まぁ、とにかく犬と散歩しているらしいから、外で待ってれば遭遇するかもよ?」

「そう、だね……」


 私は釈然としないまま頷いて会話を終わらせると、ちりとりをゴミ箱へと持って行った。


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