第5話 謎のクラスメイト、糸井さん

「ねぇ、浅山」

「何、平川」


 翌日、月曜日の2限目。化学基礎の教室に移動する時、俺は話を切り出した。なんとなく、本人がいるかもしれない教室で話をするのは憚られた。いくらかわいい柴犬と一緒でも、家の前に20分も立っていたら不審者だ。警察が通らなくて本当によかったと思う。


「合唱コンの自由曲、伴奏誰だっけ?」

「いきなり何?糸井さんだけど」

「イトイさん?」

「うちのクラスに糸井は1人だけど……糸井万里子さん」

「糸に井戸の井だよね」

「そうだけど。え、なに?」


 浅山が器用に怪訝な顔と揶揄うニヤニヤした顔を混ぜた表情をする。


「いや、ハナちゃんがさ」

「えーっと、ハナちゃんって、お前のばあちゃんの犬だっけ?」

「そう。黒柴のハナちゃん。で、ハナちゃんがね……」


 俺は昨日あったことを話す。尾山駅から10分ほどの住宅街で自由曲の伴奏が聞こえたこと。その後は今まで聞いたことのない曲が聞こえて、ハナちゃんが座り込んで熱心に聞いていたこと。その家の表札が糸井だったこと。


「一応、いくらかメロディは覚えてさ、鼻歌で歌ってアプリで検索はしたんだけど全然ヒットしなくて」

「お前、絶対音感あるもんな。それで見つからないって……」

「うん。だから糸井さんが、あの家に住んでいる糸井さんなら何の曲なのか聞きたいんだけどさ、ハナちゃんも気に入ってたし。糸井さんって尾山駅が最寄りなのかなって」

「いや、そこまでは知らねーわ……。あんまり喋ったことないんだよな」

「なんの話してるの?」


 声をかけてきたのは笹野さんだ。俺たちの少し前を歩いていた女子のグループからこちらに移ってくる。


「笹野さんは糸井さんってどこに住んでるか知ってる?」

「糸井さん?知らないけど、中学は尾山第二中学だったと思うからその辺りじゃない?」

「中学校は知ってるんだ」

「去年も同じクラスだったし、従兄弟が尾山第二だったから記憶に残ってるの。この高校、尾山駅からは近いけど尾山の中学校の人って少ないんだよね」

「そうなの?2駅しか離れてないのに」

「むしろ2駅しか離れてないからだよ。この高校に来るまでの乗車時間は10分。反対方面で市街地のターミナル駅に着くまでの乗車時間は15分。5分しか変わらないの。だから中学受験する人も多いし、高校受験でも大体市街地の高校に流れる。うちの従兄弟もそうで、公立も私立も市街地の高校を受けた」

「へぇ、なるほど」

「まぁ、私はもっと田舎に住んでるから、通学時間を1時間以内に収めるにはこの高校が限界だったんだけどね。でもなんで糸井さんの住所を知りたいの?」

「いや、昨日ばあちゃん家の犬の散歩で、もしかしたら糸井さんの家の前を通ったかもしれなくて。すごくピアノ上手くて、犬がお座りして熱心に聞いてたから」

「コイツはね、柴犬のハナちゃんをめちゃくちゃ可愛がってるの。まるで妹みたいに」

「ふーん?っていうか、平川くんのおばあちゃん家、尾山なんだ」

「ニュータウンだから山の上なんだけど。中学校なら第三になるんじゃないかな」

「ニュータウンだとそうね。しかし、糸井さんか……」


 笹野さんが視線を下に落としながら微妙な顔をする。


「なに?女子の間で何かあるの?」

「ちょっ、浅山」

「ううん。そういうことじゃなくって、本当に、あんまり喋ったことないなぁって思って。別に話しかければ無口ってわけでもないし、そこそこ会話も続くんだけど、普段はなんとなく話しかけづらくて。誰かとつるんでいるのも見たことないし」

「確かに」

「いつも本を読んでるか、英語ノートに何か書いてるか……。英語部だし、英語が好きなんだろうけど」

「そういや、スピーチコンテストの司会してたよな。めっちゃ流暢で、司会の人こそ1位だろって思ったけど、その司会が糸井さんだったよね」

「そんなことあったっけ?」

「平川くん、覚えてないの?去年といい今年といい、上手すぎるから出してもらえなかったんじゃないかって話題になったのに。まぁ、本人は苦笑いして『司会は部活での仕事だから』って言ってたけど。だから理系なのにびっくりしたんだよね」

「文理問わず英語は必要だと思うけど」

「それはそうなんだけど、英語ができるだけじゃなくて喋るのが上手いなら文系かなぁ、みたいなイメージ、あるでしょ?私だけ?」

「いや、ある。ピアノが弾けて英語ができて……ってなるとなんとなく文系だろうなって思う」

「……文系と文化系が混ざってないかな、それ」

「平川くん、冷静ね?言われてみればそうなんだけど」

「ってか時間やばくね!?」


 浅山に言われて腕時計を見れば、休み時間は残り1分。第4棟の目の前にはいるものの、化学教室があるのは2階だ。


「「ヤバい!」」


 3人で階段を駆け上がった。化学教室に入った瞬間チャイムが鳴った。準備室からおじいちゃん先生が出てくるまでの数秒の猶予の間に席に着いて、なんとか遅刻を回避した。

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