第十七話 文化祭

 本番十分前。糸井と平川は舞台袖に立って、自分たちの出番の前の演劇部の様子を見ていた。文化祭でありがちなロミオとジュリエットを改変した芝居は佳境も佳境で、原作ならそろそろジュリエットが仮死する毒を飲む頃だろうか。


「なんか緊張してきた」


 ポツリと平川は呟いた。


「え?吹奏楽のステージじゃ、いつもソロ吹いてるのに?」


 何か喋ったほうが平川の気も紛れるだろうと、糸井もヒソヒソ声で返す。


「うん……。吹奏楽部じゃなくて自分の名前でステージに立つのは最初で最後だから」

「なるほどね。今回の方が自分だけの評価になるから、気楽だと思うんだけど」

「ちょっと、それ言われると逆に足が震えそう」

「しゃがむ?それならサックス預かろうか?」

「いや、大丈夫。そこまでじゃない」


 平川が首にかけた赤いストラップの先にはアルトサックスがぶら下がっている。その隣の2つのパイプ椅子にはそれぞれテナーサックスとバリトンサックスが横たえられていて、これが糸井と平川が立ったまま芝居を見ている原因だった。


「糸井さんは緊張しないの?」

「演奏に関しては、ね。合唱コンの伴奏と同じようなものだから。どちらかというと、こればっかりはもうどうしようもないけど曲への反応が心配。別に元は頭の中で流れた曲だから大衆ウケを狙っては書いてないけど、しょぼいと思われるのは嫌」

「良い曲ばかりだから大丈夫だよ。あとはどれだけ楽器を鳴らせるかにかかってるから……がんばります」

「ううん、曲に対する責任を負うのは、私だから。平川くんはのびのび吹いてよ、いつもみたいに」

「うん」


 糸井の言葉に平川は頷く。元々完成度が高いのにサックスと合わせるために改良して、さらにディテールを詰めた珠玉の三曲。きちんと演奏できれば、観客はついてくるはずだ。


 ロミオが死んだ。これからジュリエットも死ぬ。


「そろそろだね」

「そうだね。武者震いは終わり」


ふう、と平川は深呼吸する。それにつられて糸井も伸びをしながら深呼吸した。


「うん、大丈夫、ちゃんと吹ける」

「うん。これからの二十分を、精一杯楽しまないとね」

「これが、最後。最初で、最後。思う存分味わわないと、もったいない」

「まぁ、ステージに出たら何もかも吹っ飛ぶんだろうけどね」

「わかる。絶対気がついたら終わってる」

「でも、未練がないようにしなきゃ」

「うん。えいえいおー」

「ふふっ、おー」


 平川と糸井はグータッチをする。糸井は、あの好戦的な笑みを浮かべる。平川もそれに釣られてニッと笑った。


 ジュリエットが死んだ。緞帳が下がる。時間の都合上、文化祭一日目の公演ではカーテンコールはしないと聞いているから、すぐにサックス&ピアノDUOの出番だ。演劇部が去ったステージの上に、実行委員会の生徒と先生が反対の舞台袖からグランドピアノを引っ張り出し、テナーサックスとバリトンサックスを運ぶ。演説台セットの、本来なら花を置くのであろう台に厚手の毛布がかけられ、その上に丁寧にサックスたちとMC用のマイクが置かれた。準備完了だ。


「それでは、プログラム六番。サックス&ピアノDUOの登場です。拍手でお迎えください」


 緞帳が上がる。最初にMCとして喋る平川が先に一歩を踏み出す。糸井も後に続いて、観客の前に姿を現した。放送部の司会に律儀に従う生徒たちの拍手に包まれる。糸井がピアノの横に立ったタイミングで、平川は振り返って台の上のマイクを手に取る。


 平川と糸井の視線が交錯した。


(本当は非凡かもしれない俺たちを)

(これから先も平凡であるために)

((今、ここで、葬る))


 二人は小さく頷いた。平川は正面に向き直るとマイクのスイッチを入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢に菊花 キトリ @kitori_quitterie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画