夢に菊花

キトリ

第1話 平凡の枷

 平凡な生活は、何ものにも代え難い。


 誰も大っぴらには口にしないものの、そんな雰囲気が蔓延する片田舎に現在進行形で育つ私は気づけば、それを価値観として内面化していた。自分の好きな道を選べば良い、と言う両親も、自分の人生なんだからやりたいようにすれば良い、と言う親戚たちも、少年よ大志を抱け、が口癖の担任も、夢は大きく持ちましょう、と全校集会の度に言う校長も、可能性の塊なんだから挑戦すれば良い、と言う仲の良いご近所さんも、皆本音では「平凡な生活が1番尊い」と思っていることを私は知っている。


 勿論、周囲が私に対して人生を失敗して欲しいと思っているわけではない。が、大成功して欲しいというわけではない。ほどほどに成功してくれれば良い。遠くに行ってほしくはない。遠くても年に数回は会える程度の距離に近くにいて欲しい。今のご時世、絶対とは言わないが、できれば結婚して子どもを授かって孫の顔を見せて欲しい。口でなんと言おうと、内心ではそういう「平凡な人生」を送ってほしいと思っている人しか、私の周りにはいない。


 だからだろうか。私は「平凡な人生」の枠からはみ出るのをずっと躊躇い続けている。周囲の人間全員から「平凡な人生」を望まれているこの状況下で、平凡から外れる決断をするのはかなり難しい。実現させるのはさらに難しい。どれだけの準備が、労力が必要か、考えるだけで気が遠くなる。


 わざわざ茨の道を通るべきか否かの判断は、3年前より成長した今でも難問として立ちはだかっている。3年前は、平凡から外れる決断ができなくて、市街地にある高校ではなく、家から近い高校を選んだ。別に後悔するほど悪い選択ではなかった。ごくごく普通の、どちらかというと保守的で堅い校風の、親が納得する程度に偏差値が高い公立高校。地元の優等生が集まる高校生活は穏やかで、楽だ。ただ、倦怠感が蔓延っている。似たもの同士が集まる刺激のない学校生活は、面白いかと問われるとそうではない。


 高校2年生の2学期。進路指導が本格化し始める今日この頃、私はさほど興味があるわけでもない、自宅から通える範囲の薬学部を進路志望調査の第一志望として書いている。第二志望も、第三志望も、自宅から通える範囲の医療職の学部を書く。別に病院勤めをしたいわけではない。将来的に充分な収入を得られる職として手っ取り早い、と親がしつこいくらいに勧めてくるから書いている。そもそも理系に進みたかったのかも定かではない。文理で成績に優劣がないなら潰しが効く方が良いだろうという、単純な理由で理系を選んだ。たまに黒板に残っている板書を見ると文系の方が面白そうだなと思うことはあるが、だからといって後悔している選択ではない。


 そう、結局私は、周囲の勧めで選んだ道に後悔していない。何せ彼らは私の人生の失敗は望んでいない。失敗してほしくないから、彼らの知る範囲内で私の身の丈にあった失敗の少ない道を勧めてくる。失敗する可能性が低い道を選び続けた結果が「平凡な人生」で、私においては「医療職に就き親元の近くで生活をする」ことが身の丈にあった「平凡な人生」なのだ。それがわかっているから、私はわざわざ抵抗しない。


 キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴る。退屈な1日が今日も終わった。さっさと荷物をまとめて、進路指導調査票を教卓に提出して教室から出る。向かう先は第4棟の3階奥にある視聴覚室。所属する英語部の活動場所だ。


 第4棟は他の校舎3棟とは離れていて渡り廊下で繋がっていないから、私の教室、2年3組がある第2棟2階からは行くには一度外に出て敷地を突っ切り、再度3階まで階段を登らなければならない。校舎の外は部活や帰宅する生徒で賑わっているのに、特別教室が集まる第4棟には人気がない。3階の廊下も誰1人見当たらない。


 これは職員室に鍵を借りに行かないといけないパターンだろうか、と思ったが、視聴覚室のドアに手をかけるとカラリ、と開いた。人の姿はないが机の上に部長のリュックサックが置かれているから鍵を開けた後、購買か自販機を目指して外出したのだろう。購買があるのは第1棟のさらに向こうにある食堂、カップの飲み物が出てくる自販機は第2棟のエントランスだから、そう早くは帰ってこないと思われる。


 無人の視聴覚室に入り、私も机の上にリュックサックを置いた。教室の椅子とは違う、座面にも背もたれにもクッションのついた椅子に腰掛ける。今日は何をするのだろう。英語部といっても大した活動はしていない。活動日はALT(外国語指導助手)が来る火曜日と木曜日だけ。校内の英語スピーチコンテストで司会をする、という役割さえ果たせば、顧問を務める英語の先生から文句を言われることはないので、普段の活動はジェンガをしながらALTのアンバー先生と駄弁るか、英語音声日本語字幕で映画見るかの2択である。時々ジェンガ同好会か洋画同好会に名前を変えた方が良いのではないか、と思う。


 趣味用のノートを取り出してカリカリとペンを走らせていると、カラカラ、とドアの開く音がした。見えたのは後輩の顔で、手には菓子パンを持っている。


「あ、先輩」

「こんにちは」

「こんにちは。それ、ここで食べるの?」

「はい。ちゃんとクズを落とさないように気をつけますから」

「うん、そうして」

「今日は何するんですか?」

「さぁ?鍵だけ開けて部長はどこかに行ったみたいで、まだ顔も見てない」

「そうなんですか。今日アンバー先生はお休みなので、どうするのかなと」

「それなら映画になるのかな。スクリーンだけ出しておこうか。いいよ、食べてて」

「はーい」


 私はホワイトボード横に引っ掛けられているフックの付いた棒を手に取る。ホワイトボードの上端よりさらに上、スクリーンの金具にフックを引っ掛けて下に引っ張る。ついでにパソコンとプロジェクターも作動させて、投影の位置を調整する。ガラガラッと勢いよくドアが開く音がした。


「あ、もう2人来てる」

「部長どこ行ってたの?」

「え?お腹減ったから購買で唐揚げ買って食べて、自販機でジュース飲んで、あと視聴覚室開けた後キャビネットのDVDを見てみたんだけど、いいのなかったから職員室から借りてきた。アンバーが休みなら映画見るしかないけど、後輩はともかく私たちはキャビネットの中のやつは大分見終わってるからさ。今度部費で何か買ってもらう?」

「その方が良いかもね。私もさっきアンバー休みって教えてもらったからこの通り準備しておいた。パソコンにDVDをセットして電気消したらいけるよ」

「ありがとー!さすがにあと2、3人来るの待とうか。借りてきたの、1時間半もないからさ」


 10分ほど待って、2人部員がやってきたところでDVDをセットし視聴覚室の電気を消す。部長が借りてきた映画はディズニー映画『ムーラン』で、そういえば英語の先生が推していたなぁ、などと思う。このDVDの出所はそこだろう。名前は知っているものの、地上波テレビで放送されることはほとんどないし、英語部所有の映画にアニメはほとんどないから初めて見るものだった。


 とはいえ、英語の先生がおおよそのあらすじを授業中に喋ってしまっているものだから話の中身は頭に入っていて、視界の端で映像を見ながらノートにペンで書き込んでいく。英語罫15段のノートに向かって手を動かしているから、部員は私が真面目に単語かフレーズかを書き取っていると思っている。実際は違うのだが。ノートのそれぞれの段にはもう一本、線が付け足されている。


(……へぇ、そう終わるの)


『ムーラン』の最後、都に戻ってきたあたりから私のペンは止まっていた。特に英語の先生もラストには触れていなかったから映画を見て初めて結末を知ったが、なんともいえない苦い気持ちが広がる。


 もちろんムーランが戦に参加した経緯や、舞台となる時代的な理由もあるとは思うが、結局は実家に帰り、平凡な一市民としての生活に戻る。そして、恋人を得て結婚というハッピーエンドを仄めかす。もちろん、男女が結ばれて終わるのはディズニーあるあるだし、ムーランに待ち受ける次のライフステージが結婚であることは最初から提示されている。


 とはいえ、どうにも釈然としない。一時の帰省ではなく、再び実家で暮らしている。わざわざ実家に帰らなくても、都に残ったとしても将軍と結ばれただろうに。「身の丈」を考えて側近にはならず「平凡な市民」に戻ったように見える。作品内の時代だけでなく、制作されてからも20年以上経っているからジェネレーションギャップなのかもしれないけれど、特別よりも平凡が良いと言われているような気がしてならない。


「結構面白かったね」

「思っていたよりハラハラしました」

「一言でも良いから感想を書いてくれって紙を渡されたから、皆で一言書いておいて」

「英語で?」

「当たり前でしょ、英語部だよ」


 他の部員がわいわいと喋るのを聞きながら、私はDVDとスクリーンを片付ける。このモヤモヤとした感じを言語化しても良いのだが、言語化したところで何にもならないのはわかっている。数分後の私はきっと当たり障りのない感想を書くのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る