第六章 第二の殺人

ルナシティはあらゆる国家から独立した組織、「ルナシティ統治理事会」により統治されている。あらゆる国家は宇宙の領有権を主張してはならない、との宇宙条約の規定に基づき、ルナシティは地球上の国家に所属してはならないし、自身が主権国家になってはならない、という事情による。

ルナシティ統治理事会は、国連のオブザーバーでありつつ、ルナシティに投資している国家、企業の利益を最大化すべく統治方針を策定するのが任務だ。実際の統治は「ルナシティ行政府」が担う。

 といってもルナシティの人口は三万人、小さな自治体の市役所とおなじようなものだ。

 その行政府の一機構として、ルナシティ警察は存在する。

 北第二五アゴラ。

 昨日ククルカン刑事に出会ったその場所の地下、下層階三〇メートル分がまるまるルナシティ警察のオフィスとなっていた。

「――ミスター・タンバは犯人ではない可能性がある?」

 翌朝。

ルナシティ警察オフィス内の会議室。面会に現れたククルカン刑事は、我々の話に耳を傾け、やがて言った。無論、ここに向かうためにアゴラを移動するときも、警察に報告はしてある。

「ご協力ありがとうございます。ドクター・ウリュウのご指摘は尤もかと思います。そして、ドクター・シロイ」

 私のことだ。まだまだ新人だが、博士課程を出ているので、英語圏では「ドクター」と呼ばれることが多い。ただ、今はそう呼ばれることに恥ずかしさしかない。

「以降は正直な証言をされることを勧めます。ミスター・シバタケは司法職員ではありませんが、船員としてその代理を務めていました。彼に正直な証言をしないことは、司法職員にそうしないことと同じと見做されます。捜査にご協力いただいていることもあり、私の職権で偽証そのものについては今のところ不問としますが、あなたも、そして、ミズ・ミナカミも、容疑者であることに変わりはありません」

 厳しい目で我々二人を見る。なまじ顔が整っているだけに、真顔で見つめられると見惚れてしまいそうになるが、同時に怖い。

「とはいえ」

 そう言って立ち上がり、両手を細い腰に当てる。

「後からでも、正直に証言くださる姿勢は大変けっこう。その点は評価しますよ。捜査への同行も許可しましょう。その機械、オッカムといいましたか、未熟とは言えうまく使えば良い推理ができそうです」

「これからどうするの?」

「とりあえずもう一度ミスター・シバタケに連絡を取ります。タイミングが重要、というご指摘はごもっとも。『かぐや』の記録をもう一度精査しなければ」

 言って、携帯端末を取りだす。

「ハロー? ミスター・シバタケ?」

 司畑氏に電話をかけているのだ。

 だが、その瞬間。

 ルナシティ全体がずん、と鈍く揺れた。

 同時に、電話口からは、激しい轟音が一瞬聞こえ、次の瞬間には、通話は切れてしまった。

 ツー・ツー、という音が、会議室に響き続ける。

「ミスター・シバタケ? どうしました? 答えてください!」

 顔に緊張をたたえ、ビアンカ刑事は強い口調で聞くが、電話口は応ずるはずもない。

「……無駄よ、ビアンカ」

 梓紗がつぶやいた。

「あれは明らかに爆発音だわ。その後電話が切れた。何が起こったのか、蓋然性の高い推理は一つだわ」

 


 NALルナシティ事務所。

 それが事件現場の名前だった。

 南第一八アゴラの地下一〇〇メートル、つまり最外縁部に位置するその事務所の一角が、まるごと吹き飛んでいた。幸い、といってはならないだろうが、当時そこにいたのは司畑氏一人であり、その他の区画に被害はなかった。

 ビアンカ刑事とともに、隣の与圧された区画の透明強化ポリマーの窓から爆破された区画を見ると、「まるごと」の意味がよく分かった。

 ルナシティは縦横一〇メートル、奥行き二〇メートルの基本構成モジュールが組み合わさった構造になっているが、そのうち一つがまるまる吹き飛んだ形だ。そこには、三層に及ぶ事務室と会議室、そして高さ一〇メートルの吹き抜けのQKDサーバ室が存在していた。サーバ室は「かぐや」のシステムともQKDネットワークで接続されており、当時司畑氏はシステムの記録を精査していたところだったという。

 犯行時間は昼頃。偶然にも他のNAL社員は全員、当該モジュールの上に設けられた社員食堂に出かけており、司畑氏だけがひとりサーバ室で「かぐや」の記録のチェックをしていた。

 そこを吹き飛ばされたわけだ。

「さて、みなさん。私はビアンカ・ククルカン刑事。本事件を担当することになりました」

 そのとなり、爆発したモジュールのあとが窓から見える社員食堂。そこに関係者を集め、とどめおく措置をしたのち、ビアンカ刑事は全員を前に説明を始めた。警察の人型ロボットのほかに、応援の刑事も呼び、社員食堂のみならず、周辺のモジュールの立ち入りも禁止している。

社員食堂にNAL社員たち関係者を集合させたのは、そこが、事件当時、彼等の大半が食事していた場所だからだ。

「まず皆さん全員に聞きますが、爆発の原因に心当たりはありますか?」

 英語で問う。ルナシティの公用語は英語だ。

「いえ……」

「わかりません……技術者ではないもので」

NAL社員たちは、普段は日本語で会話しているのかもしれないが、英語でそつなく応答していた。ただ、そつないのは文法と発音だけで、中身はおぼつかない。

その中で、一人だけ明晰な返答をする社員がいた。

「全く不明です。少なくともモジュール内には爆発物はありません。QKDサーバも――そう、特別におかしな操作をしないかぎり、爆発する要因はないと思われます。そして、事件当時、そうした操作はしていませんでした。外部からの攻撃かも知れません」

 そう応じたのは、NAL技術部、のバッジをつけた社員であった。

皆が食堂の椅子に座り、不安げにビアンカを見つめる中、立ち上がって話しかけてくる。人型ロボットが警戒するようにビアンカの左右に位置した。ちなみに、私と梓紗は警察のバッジをつけ、いかにも警察関係者という顔をしてその場にいる。

 話しかけてきたNAL社員は四〇代ぐらいだろうか。若々しく精悍な顔つきであった。ただ口調は丁寧で紳士的だ。

「失礼、その前にお名前を」

 彼はビアンカ刑事の言葉に苦笑し、名刺を差し出した。ビアンカ刑事だけでなく、我々二人にも。

 日本宇宙航路 技術本部 主任研究員 工学博士 胆澤亮

 裏表両面になっており、裏に英語でも同じことが書かれていた。

「リョウ・イザワと申します」

「情報に感謝します。ドクター。外部からの攻撃とは」

「そのままの意味です。爆発したのは最外縁です。あそこなら攻撃の可能性もあるかと考えたのです」

「NAL――いや、ルナシティを攻撃する動機のある者はありますか?」

「いえ――それは思い当たりません」

「では動機の面でその推理には穴がありますね。また、爆発物が持ち込まれた可能性は排除できません」

 そのとき、ガン、という妙な衝撃音が起こった。

 驚いて私が窓を見ると、四角く巨大な物体が事故現場に接触しようとしていた。事故現場の残骸――破壊された壁やジョイントの残骸、といったものがなければ、そのまま壊れた部分に入り込んだかもしれない――そういった位置だった。

「……厄介な」

 ビアンカ刑事はつぶやいた。

「なに? あれは?」

 梓紗が無遠慮に聞く。

「ルナシティのモジュールですよ。欠けたところができたので自動で跳んできたんでしょう。捜査の邪魔です。――アルフォンソ」

 人間の刑事に一声かけると、アルフォンソと呼ばれた刑事は強い口調でどこかに連絡を入れはじめた。ルナシティのとある部局に連絡を入れているように聞こえた。モジュールを飛ばすなと言っているのだろう。

「そうだ、アドアストラの担当者に伝えるんだ。あの破孔は現場保存のために必要だ」

 そう言っている声が聞こえる。

 ルナシティのモジュールは完全自動で送られてくると聞いたことがある、月面の鉱山に自動工場があって、モジュールを製造し、ルナシティ、あるいはLOPGが存在する場所に向けて自動的に打ち上げ来るのだ。そのモジュールはある程度自動的に位置が調整できるが、最終段階ではルナシティが管制を担い、所定の場所に接続させていく。そのようにして、ルナシティは「成長」することもできるし、傷を塞ぐこともできる。今は成長がとまっているが、おそらく次の成長の機会が、端羽氏が話していた「アストラン計画」というやつなのだ。

 今回はモジュールが欠けたので、ルナシティの自動システムがそこに新たなモジュールをくっつけようとしたのだろう。まるで人間がけがをしたら、そこに血小板が向かい、治癒するように。

「ルシーア。監視カメラを警察のAIで分析させて。何かが当該モジュールに持ち込まれたか確認するように」

「アイ・マム」

「アルフォンソ。ルナシティの航路局と引き続きコンタクトを。外部から不審な物体が着弾した形跡があったら報告しなさい」

「了解です」

 それから社員たちを睥睨するように眺めた。

「……皆さんは順番に事情聴取します。人手がないのでロボットが担当することもありますが、誠実にお答えくださることを期待しています。ロボットは全てを記録しています」

 ビアンカ刑事の言うことはほんとうだろう。こうしたロボットに搭載される標準的なAIシステムは、証言の内容だけでなく、口調も心拍数も含めて、「全て」記録しているはずだ。そして、例えば心拍数の周波数パターンを調べれば、当人が証言においてどのぐらい緊張しているかどうかすらすぐにわかる。

 ビアンカ刑事は我々に振り返った。

「――私は重要参考人を聴取します」

 


 ビアンカ刑事は事故現場に向かうまでの間に、ルナシティのシステムにNAL社内の監視カメラへのアクセス許可を得させ、問題のモジュールに出入りした人間はピックアップしていた。およそ二〇名が該当したが、その中でも事故の直前まで司畑氏と一緒に仕事をしていたのが、さきほど立ち上がった胆澤氏だった。

「ドクター・リョウ・イザワ。ご協力に感謝します。ご自身に不利な発言を強要はいたしませんが、発言の有無の情報も含めて捜査に使用されることをあらかじめお伝えしておきます」

 社員食堂のとなりの会議室。ビアンカは特に威圧する口調でもなかったが、謹厳な彼女の態度そのものがその場で威圧的な方向に空気を変えることに作用していた。

「この二人は警察の協力者です。お気になさらず」

 そう付け加える。

「まず、事故当時何が起こったのか、最初から話してくださいませんか?」

 胆澤氏は威圧的な空気も特に気にすることはなく、淡々とした、しかし沈痛な面持ちでビアンカ刑事の瞳を見つめていた。

「……いいでしょう。司畑さんは私の同僚であり、友人でもありました。彼が巻き込まれた事件の真相を明らかにすることは私にとっても重要なことです。できるだけ知っていることを思い出してみましょう」

 


 その日は朝から、司畑氏の要請で「かぐや」のQKDIDの調査をすることになったという。司畑氏は「事件の捜査に必要」といっていたが、ルナシティ警察は昼に電話をするまでそのような要請はしていない。司畑氏が自発的に調査をしていたのだと思われる。

「あるいは、ドクター・ウリュウが気づいたことを、司畑氏も自発的に気づいていたのかも知れませんね」

 それを聞いたとき、ビアンカ刑事は、こそっと私たちに言った。

 司畑氏の所属はNAL社の安全本部で、胆澤氏は技術本部だ。部署の違う人間を動かすには外部からの圧力を匂わすのが有効と思ったのかもしれない、と胆澤氏は述べた。

「司畑――と呼ばせてもらいますが――とは古い友人で、彼の動機も納得できるものだったので、そんな理由がなくても協力したとは思います」

「司畑氏は人間の自発的な善意よりもルールで従わせるような傾向があったと?」

 ビアンカ刑事が問うと、胆澤氏は慌てて首を振った。

「いや……そうまではいいませんが、何か焦っていたのかも知れませんね。何しろNALでこんな事件が起こるのは初めてです。宇宙旅行も、当初は事故が危ぶまれていましたが、これまで無事故でやってきたのに、殺人とは」

「殺人とは限りません。未だ事故の可能性も考えて捜査しています」

 ビアンカ刑事は言い添える。

「センセーショナルに報道しがちなメディアには我々も困っています。それで、朝からQKDサーバで作業をされていたと」

 ビアンカ刑事に促され、胆澤氏は経緯の説明を始めた。

 NAL社内では報道に前後して「かぐや」の事故について周知され、安全管理規則に従ってQKDサーバやシステム関連のセキュリティチェックを行うように促されていた。特に、報道はされていないが、司畑氏からの報告としてQKDシステムへの侵入が行われていた点は問題視され、セキュリティ強化策が採られる方針となった。

 が、即日行うよう指示されたのはセキュリティチェックだけで、セキュリティ強化策は今後「かぐや」を含む宇宙機全体のシステム更新に合わせて行われることとされ、技術本部ではセキュリティチェックの協力を行うだけにとどまった。

 警察の捜査の進展を待って対応を行うというのが会社の方針であり、即日動くことはできなかったものと思われる。

 が、司畑氏はQKDサーバを調査しなければ真相は分からないと言い、胆澤氏に協力を求めて今日の朝からサーバの調査を行っていた。

 そして、「かぐや」の侵入の形跡と、そのタイミングの情報を整理したところで昼休みとなり、司畑氏を残して胆澤氏は一人で社員食堂に行った。

「何か更に調べ物があると言ってましたね……」

「それで。タイミングはどうだったんです」

 ビアンカ刑事が身を乗り出し、詰め寄る。普段冷静な彼女には珍しい。

「そうですね……。いや、タイミングを記録したうえで、報告書を社内のサーバ内のファイルにまとめることにしていたんですが……。その作業をする前に爆発しましてね。『かぐや』のデータは『かぐや』自体には残っていると思いますが、整理したのはこっちだからな……。もしかしたら、犯人がいるとすれば、QKDサーバの仕組みがよく分かってなかったのかもしれない」

 胆澤氏は言い、うつむいた。

「――司畑さんも残念でしょう。こんなことで……」

 ビアンカ刑事はうつむく胆澤氏にためらいつつも、質問は続ける。

「ミスター・シバタケの経歴を、ご存じの範囲でお教えいただけますか」

「……彼は、もともとあなたと同じ刑事だったと聞いています。日本で警官をしていたと話していました。NALには中途入社ということになります」

 やはり。私は思った。

 捜査に手慣れていたわけだ。

「なぜ警察を辞めたのか聞いておられますか?」

 胆澤氏は戸惑うような、複雑な表情を浮かべた。

「一応、聞いていますが。これは……言っていいものかどうか」

「――故人のためにも、できるだけ詳細な背景情報が必要です。後日、ルナシティ理事会を通じて日本国にデータを照会することもできますので、ここであなたが話しても同じです」

 そこまで言われて、胆澤氏はやっと重たい口を開く。

「……実は、彼は自らの意思で転職したというわけでもないようです。懲戒免職というわけではないのですが、仕事で大きな失敗をして、警察に居づらくなったとか」

「どんなミスです?」

「……自動運転車が関わる事故でしてね。レベル5の――完全自動運転車が、乗客に大けがを負わせてしまった。彼はその事故の捜査責任者でした。レベル5の完全自動運転車は、事故を起こせば自動車会社の罪になる。彼は会社の幹部の捜査を進めていた。検察も彼の捜査結果を信じて起訴した。ところが、弁護側から、当時の自動車のデータが出てきたんです。その事故では、自動車は崖に落ち、完全に爆発燃焼してしまっていました。つまり、出てくるはずのないデータだったんです。それが、完全に破壊されたシステムからでもデータを復元できるシステムをある会社が開発していたとかで」

「それで、責任を取ったと」

「そのようです」

 胆澤氏はため息をついた。

「――くれぐれも、捜査にしか使わないと約束してください。これは私が彼の採用に関わっていたために知った事実です。そうでなければ知り得なかったことなんですから」

 ビアンカ刑事は口をへの字に曲げた。

「他には、彼の人となりなどは教えてもらえますか」

 胆澤氏はテーブルを見つめた。

「一言で言えば正義感の強い人物でした。私は技術本部の人間ですが、保安本部とはよく一緒に仕事をしていた。宇宙旅客機におけるセキュリティシステムの整備は保安本部の仕事でもありますからね。融通の利かないところはありましたが、それも含めて良い人物のように思っていましたよ。ただ……」

 胆澤氏はそこで口を濁した。

「……ただ、何です?」

「技術の進歩自体には、かなり無理解というか、反対の立場でしたね」

「反対……というと?」

「議論のタンバしにそういう意見が見え隠れしていた……ということです。AIにも……例の経緯があって反感を持っていたようですし、NALという会社に勤めながら、宇宙開発にもあまり良い印象は持っていないようでした。所詮は金持ちの道楽ではないかと。それでも職務はしっかりやっていましたが、それも『宇宙旅行をするような人間は厳しく取り締まってやる』というような態度が見えていました」

 そこまで話して、胆澤氏ははっと慌てたような顔をする。

「いや、失礼。あくまでも個人的な印象です。故人をおとしめる意図はない」

「そういう人は多くいます。彼もその一人だったということでしょう」 

 ビアンカ刑事は簡単に受け流した。

「……どのような意見を持っていたにせよ、彼が職務には忠実であったのは確かでしょう。わざわざサーバを調べようとしていたんですから。話を戻しますが、事故のときのタイミングのデータは、今はどこにあることになりますか?」

「ああ……今は『かぐや』だけです。地球と月の距離――三八万キロメートルの量子鍵配送は、実験はされてますが商用化はしていない。月におけるNALの拠点はここだけですから」

「――『かぐや』に行くべきね」

 梓紗は急に言った。

「犯人は証拠を消したがってるんでしょ。そっちが残っているなら、そっちも消したがっているはず」

 そのとき、二度目の爆発音が、会議室に響いた。

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