✳︎

「いや、このままIPOで問題ないでしょう。シリーズCは今更感があります」

 私と梓紗が、AからXまで二四に分かれた客室の一つ、「コンパートメントD」に入った瞬間、そんな声が聞こえてきた。

「しかしだね、更に市場シェアを拡大してからIPOをしたほうがより高い市場価値となる。顧問としてはそう助言するのが妥当だと判断している」

 少壮の男性と、やや年かさの男性――いずれもぴしりと体型にあったスーツを着こなし、清潔感のある髪型をしていた――が、口論をしていた。

 どうやら投資に関することらしい。

 私たちの入室に気づき、年かさの男性の方ははっとして口を閉じたが、少壮の男性はまだ話を続けている。

「まあ、立場というなら、あなたの『オーロラキャピタル』としてのあなたの立場ならそうでしょうがね。出資割合が少ないことを気にしているわけだ。シリーズCで増資できたらあなた方も利益が得られて満足でしょう。しかしシェアということなら今でも充分です。IPOの後も我々は伸びますから、市場シェアの心配はいりませんよ。あの星見重工を抜いてトップになってやりますよ」

「静かに。端羽君!」

 年かさの男性が注意を促す。少壮の男性は慌てて振り向いた。

「いや、これは失礼……」

 私と梓紗は互いに顔を見合わせる。

「あたしたちは何も聞かなかったわ。どうぞお気になさらず」

 梓紗は淡々と言う。我々はコンパートメントDの、二人の男性の横に座った。それが我々の席だったからだ。「かぐや」の各コンパートメントは、気密的にも独立したモジュールになっていて、各モジュールには横並びの四人席がそれぞれ設置されている。

 そして、私と梓紗の席が隣同士なのは偶然ではない。

 原因は梓紗だ。

 彼女が急にNALのカウンターで私と席同士の隣になりたいと言いだし、たまたま二人席が空いていたのでそちらの席に変わったのだ。

 ずいぶん好かれたものだな、と思いながら少女のつんとした横顔を眺めていると、後ろから声をかけられた。

「すみません――」

端羽、と呼ばれた少壮の男性が、気まずそうに我々を見ていた。

「――さきほどは失礼しました。私はこういう者です。ついお騒がせを」

 自らの騒ぎをとりなすようにやや微笑みながら、名刺を差し出してくる。真珠のような白い歯がまぶしい。近くで見ても肌質もよく、よく手入れしてあることが分かる。人前に出て印象を良くする職業だからだろう。

 そう思いつつ名刺を見た。

 株式会社アステリ・アスフェライアス CEO兼取締役社長 端羽巡

 今日はよく押しの強い人間に会う日だ。あのまま放っておいても特に問題にはならなかったと思うが、こういうとき声をかけずにはいられない人間もいるらしい。

「これはどうもご丁寧に」

 私はしぶしぶ、名刺を二枚取り出し、その少壮の男性、そしてその向こうに座る年かさの男性に差し出した。

相手から差し出してきた以上、自己紹介をする流れになってしまった。別に応ずる義務はないはずだが、梓紗に出会ったことで私の精神的なガードが下がっているのかもしれない。

 それに、アステリ・アスフェライアスといえば私でもその名を知るようなスタートアップだ。この「かぐや」のような宇宙旅客機の製造設計を手がけている。「かぐや」自身は、星見重工という、大手企業の手になるものであるが。

 とにかく、その関係者――しかもCEOに出会ったのである。多少の野次馬根性もあった。この端羽氏の顔にもメディアなどで見覚えがあった。

 年かさの男性の方は見覚えがないが、二つ渡された名刺にはそれぞれこう書かれていた。

 株式会社アステリ・アスフェライアス 顧問 大生翔太

 株式会社オーロラキャピタル パートナー 大生翔太

 つまり、彼はアステリ社に出資をする側なのだ、と理解した。それならば先ほどの口論の意味も分かる。端羽氏はもう出資は必要ないと断っているのに、大生氏はもっと出資させてくれと言っているのだ。

出資すればするほど、資金繰りは楽になるが、同時に出資者の言うことを聞かなくてはならなくなる。ビジネスが軌道にのったのなら、もう断りたいと思っても仕方がないだろう。逆に出資者の側から見れば、成長が確実な企業にもっと投資したいと思うものだ。そちらのほうが圧倒的に効率がいい。

 私の研究領域も、成長著しい分野ということもあって、大学院の仲間が何人もベンチャーを立ち上げ、その九割はあえなく失敗した。だからこういう話はよく聞くのである。

 私の名刺への反応は、端羽氏の方はそっけないものだった。だが大生氏は興味深げに眉を上げた。

「NAMCAといえば最近は第四世代AIやその先に力を入れているとか。投資家の間でも注目株ですよ」

「応用領域でもそういったものが必要となってきたとの判断です」

 私はいい気になってそう返事する。自分の会社の名前が知られていると分かるのはうれしいものだ。

 その横で、梓紗が会話には入れず、むすっとした雰囲気を出しているのがそろそろ気になってきた頃。

 アナウンスが我々のコンパートメントに響いた。

「ご搭乗の皆様。これより本機は打ち上げ体制に入ります。皆様シートベルトをしめて、待機してください。加速のGにより、事故が発生する可能性があります。くれぐれも、口をしっかり閉じ、加速に備えてください」



 宇宙旅客機「かぐや」本体は、約三トンのコンパートメント一六個を連ねた構造となっており、その全重量は六〇トンを超える。その下には、一基あたり推力六〇〇キロニュートンの「ひねずみ」エンジンを一六個連ねた推力部があり、全体の打ち上げ時の総重量は、燃料を含め一八〇トンになる。

 我々は、分厚い座席の背もたれに、身体が沈み込むような重いGの感覚を抱きながら、地球から徐々に離れていく。

 コンパートメントの正面のスクリーンでは、親切に打ち上がっていく我々の映像をいろいろな角度から映じてくれている。全長三〇〇メートルにも成るロケットが徐々に上がっていく様は圧巻だった。既存の航空路に重ならないよう巧妙に選択された打ち上げ地点らしいが、その周囲を行き来する航空機を含めた遠景を見ると、我々が飛行機よりも遙かに高いところを目指していることが一目瞭然になる。

(……これは楽しいなあ……ただの旅行だと良かったのに……)

 打ち上がっていく「かぐや」の地球側カメラからの映像で、宇宙港第一打ち上げ場、羽田沖宇宙港全体、羽田空港を含めた多摩川河口付近一帯、東京湾全体――と、徐々に地球から離れ、より広い地域が視界に入ってくるのが分かる。

 つんつん、と肩をつつかれた。

 見ると、梓紗だ。

 右目がきらきらと輝き、微笑みかけている。

 しゃべれないが、感動を分かち合いたいらしい。

(――かわいいじゃん)

 初対面では、つんとすましたシャム猫のような印象があったが、今は愛らしい三毛猫のように思えた。

 私はちょっと吹き出しそうになったが、我慢した。

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