第一五章 さらなる真相
メタボリズム・ヴェリタ様式の行政府庁舎の前に、我々の乗るパトカーが横付けされる。
庁舎は概ね、直方体の積み木が両側に開いたように置かれ、その上にもう一つの積み木、っして、その背後やや右手に、縦向きに積み木が置かれた、そんな形状をしており、一階建てが基本のルナシティ地上部分で、実に六階建ての高さを誇り、ルナシティで最も高い建造物である。
宇宙港爆破事件の混乱も覚めやらぬ中、庁舎の内外には多くの保安隊隊員、警察官、保安隊ロボ、警官ロボが出入りしている。
その中を突っ切って、ビアンカ刑事を筆頭に、梓紗、私、警察ロボットたち、そして、途中で合流したルイーサ刑事が入っていく。
ビアンカ刑事がIDを見せると、スムーズに市長の執務室が所在する六階まで通された。
「――ご苦労様……といったところかしら。大変な混乱に巻き込んでしまったけれど、事件を無事解決したのは素晴らしいわ。宇宙港の事故もね。市を代表して、ありがとうと言わせて」
イザベル・ククルカンは、既に報告を聞いていたのか、入室した我々――特に梓紗にまっすぐ歩いて行って、両手で堅く握手をする。
重力下で、小柄な梓紗は見上げるようにイザベルの顔を見た。
「……光栄よ、イザベル。でも、あなたの聞いた事件の結果は、まだ半分にすぎないわ」
梓紗は、相変わらずの物怖じしない口調で言い放つ。握手をしたまま、寧ろ、その手を強く握って。
「……どういう意味かしら……?」
イザベル市長が無意識に離そうとする瞬間、ぱっと手を離す。そのせいで、市長は二、三歩後ろによろめく。それを右の横目で見つつ、梓紗は市長の周りをゆっくりと歩き始める。
「あなたは、おそらくNAL社内の誰かが、NAL社施設の外部ハッチに不正な侵入を試みたり、あるいは港湾局に対してNAL社が提出したデータに妙な偏りがあることを、あらかじめ知っていた……。そうよね? ルイーサ?」
「ええ……。NAL社の件については、私はちゃんと報告したはずですから、市長も閲覧していたと思います」
「――そう。にもかかわらず、あなたはNAL社に対してだけ、特に、セキュリティを甘くしていた。理事会メンバー企業に対してのただの弱腰なら、アドアストラや星見重工に同じように対応してもいいのに、特にNAL社にだけ」
「――偶然よ」
イザベル市長は抗弁する。
「でしょうね。自分が語る理想どおりに政治は進まない。企業ごとの偏りがあったとしても、しょうがない。しかし、じゃあなぜ、あのとき、私が『犯人に狙われる』って言ったの? あの、ICAMのレセプションパーティの時」
「え……」
「ビアンカ刑事があなたに事件の詳細を報告していたとしても、『端羽氏犯人だと思われるが、すでに自殺。彼が犯人である証拠を固めている』というような状況だったはずよ。犯人がまだ生きていて、私を狙うかもしれない――なんてことは、想像もつかない。しかしあなたは妙に確信を持って、そう言った。なぜかしらね?」
「――それは……」
イザベル市長はそこで黙り込む。
「状況証拠ならまだあるわ。端羽さんの秘書の佐波さんによると、市長直々に、RFPに関して、アステリ社に個別に発行する用意があると言ってきたそうだけど、それはなぜかしら? 世界中に、アステリ社以外にもRFPを発行するに価する企業はあったはずだけど。それに、乗客などの情報は、「入市管理」のため、ルナシティ当局とも事前に共有する決まりだったと藤堂さんは言っていた。あなたはかなり事件全体の状況を把握できたし、コントロールできたんじゃないかしら?
具体的には、まずルナシティで事故を起こそうとしてるNAL社の誰かがいることを突き止め、次に彼の素性を洗った。そして、彼がアステリ社に恨みを持っていることを確認して、アステリ社のRFPを出した。彼等をおびき寄せ、司畑さんに殺させるために」
「全て状況証拠ね。妄想がたくましいこと」
「けっこう」
梓紗はそこでふう、と大きな息を漏らした。
「――では決定的な証拠を言うわ。バハ・クラン社。あれを作り、アステリ社に『ホワイトハッキング』を勧めたのは、あなたでしょう、イザベル」
「――なっ……!」
イザベル・ククルカンはその瞬間、よろめいたように動いた。
「なぜその名を」
「……私は端羽氏の秘書佐波さんから、その会社の名前を聞いた。かなり強引なことを言う政策コンサルだと言っていたけれど、状況から見て何を強引に勧めていたかは明らかだったわ。つまり、例のホワイトハッキングを唆したのよ。――ホワイトハッキングについては、ビアンカから報告を受けてるでしょう? おおかた、それぐらい強引に技術を『デモンストレーション』しないと、市長からRFPはとれないぞ、といってね。『市長は発行する用意があると言っただけなんだから』とも言ったかもしれない。さらに、それを大生さんに見せつければ、オーロラ社も増資なんて言い出さないだろう、ともね。端羽さんが、しきりに『はめられた』と言っていたのも頷けるわ。ルナシティ行政府に近い政策コンサルに勧められた方法をそのまま実行したら、同僚が死ぬという形で殺人事件が起きたんだもの。彼にとっては、ルナシティそのものが彼を罠にはめた敵に見えていたに違いない。ルナシティ警察もね。そんな状態で真相なんて話せないわ」
「そんなのは言いがかりよ」
「……余裕がなくなってきたわよ。市長閣下。そして、ルシーアがこんなことも言っていた。『アストラン計画』に関わる市長特命事項をアルフォンソに引き継いだけど、彼が、『標準特許を活用したデモンストレーション』を勧めることになって嫌気がさしたと。端羽さんの『ホワイトハッキング』のことを、彼は『デモンストレーション』とよんでいたそうね? そして、『かぐや』の藤堂船長によれば、あの外部ハッチの操作は、アステリ社が持つFQMSという標準特許によって行われた。私は、司畑さんが端羽さんや大生さんに殺意を持っていたとしても、端羽さんが例のホワイトハッキングのような墓穴を掘らない限り罪を端羽さんになすりつけるようなうまい状況は作れない……状況は彼にうまくできすぎていた、とずっと思っていた。何者か、さらに黒幕がいて、この状況を演出したと。ルシーアや佐波さん、藤堂さんの話を聞いているうちに、その黒幕が、イザベル、あなたに違いないと確信を固めていった……。ついでに言いましょう。司畑さんともあなたはつながっていた可能性があるわ。司畑さんは『アステリ社がホワイトハッキングをするという情報が入ってきた』、という妙な言い方をした。彼に聞けば分かることだけれど、おおかた反宇宙開発組織でも装って、司畑さんに情報を提供したのもあなたじゃないの? あなたなら、明確に分かるはずよね、端羽さんらの計画のことは。なぜなら、自分で勧めたんだから。バハ・クラン社を通じて」
「――証拠でもあるっていうの?」
なおも食い下がるイザベル市長。梓紗は市長に臆することなく対峙し彼女の顔を見上げた。そして、指をパチンと鳴らす。
「アルフォンソ・ディアス刑事――入ってきて」
そこに入ってきたのはアルフォンソ刑事――ビアンカ刑事の部下だ。
「あなたが引き受けた特命事項について話してもらいましょう」
彼はためらいながら、市長を、そして次にビアンカ刑事を、それから梓紗を見た。
「――説明しなさい、アルフォンソ」
ビアンカ刑事が鋭い口調で言う。
「……全ては、ルナシティのためだと思っていました……」
アルフォンソは静かに話し始めた。
曰く。
ルシーアから特命事項を引き継ぎ、NAL社を含む理事会メンバー企業まわりの内偵を行うことになった。その過程で、多くのことを調べ上げた。例えば、NAL社の司畑氏がシステムへの侵入を試みていること。彼がかつて警官であり、AIをはじめルナシティのような技術開発に疑念を持っていること。
そして、そのきっかけになったアステリ社が、ルナシティの「アストラン計画」への入札を試みていること。
そこまでを市長に報告し、何らかの対処を進言したが、NAL社に対しては理事会であり融和的に振る舞う必要があるとして、特に手を打たず、むしろアステリ社にRFPを出したこと。さらに、理事会対策用に作った政策コンサルティング会社を使って、『標準特許を使ったデモンストレーションが必要』などといって、アステリ社の違法まがいの行動を誘導しようとし始めたこと。そして一方で、司畑氏とは、反宇宙開発組織を装って、それとは別に連絡を取り始めたこと。それらがあまりにも非合法的な活動に思えたので、それを抗議していたら、連続殺人事件の直前の時期に、特命事項については、市長独自に進めるので「引き継ぎ」を命じられ、特命事項に関わる全ては口外禁止を厳命されたたこと――。
梓紗はそこで話を引き取った。
「……私は、あなたの『アストラン計画』、理事会との対立については否定も肯定もしない。ただし、人の命を奪うことを計画に含めるのなら、そのときは別よ」
「……ふふ……まさか、ここまでの推理をしてしまうとはね。AI『オッカム』……もっと警戒しておくべきだったわ」
それは、事実上、犯行を認めた宣言でもあった。
「アストラン計画は――」
と、市長は話し始める。
「そもそも、コミュニティ拡充策であり、ルナシティネイティブ――つまりは宇宙生まれの人口増大を促進し、同時に食料モジュールを多く作ることで、持続可能で独立したコミュニティを創り出すこと、月面開発利権を理事会から市に移管し、市の独立性を高めることが目的だった……」
それは、レセプションパーティで語っていた内容であった。彼女は言葉を続ける。
「しかし、ルナシティ理事会はこの計画を月面開発の投資促進策として推進することに決定、NAL社、アドアストラ社を始めとしてルナシティの管理権限を強める方向に動いた……。そうした方向性について懸念していた私は、同時にNAL社社員、シバタケが不審なシステム侵入を繰り返しているのも把握していた」
そしてにやりと笑う。
「その後の推理は、あなたの行った通りよ、アズサ。これらの事件によって、NAL社の権威を失墜、宇宙旅行を危険なものと認識させることで、地球の人間がルナシティに流入する機会を減らし、ルナシティの独立性を高めようとした――これが私の目的」
彼女は語を継ぐ。
「宇宙港爆破事故ですら、宇宙生まれにとってはどうということはない。我々は普段から宇宙服を着るほどに慎重だから。それに、ルナシティの全ては気密されたモジュールで独立して安全を確保できる。モジュール内にいれば安全だわ」
私は、ビアンカがエレベータ内ですばやく手袋をはめ、ヘルメットを取り出して気密を確保したことを思い出す。そういえば、梓紗はルナシティに来てからは、肌が露出する服装を遠慮なく着ていたが、それも、よく思い出してみれば、ルナシティの住民たちがみんな、筋電スーツのような肌にぴったりしたスーツを着ていたから目立たなかったのだ。
「――だからといって!」
梓紗が反論しようとする。
が、それよりも前にビアンカ刑事が口を開いていた。
「それでは、あなたは地球と宇宙に壁を作っているのと同じではないですか。コミュニティを護ろうとする行為は、それそのものが排他性を生むとなぜわからないのです?!」
ビアンカ刑事は、目に涙を浮かべ、最後につぶやいた。
「見損ないましたよ、母さん……」
イザベル市長はそこで、言葉を失ったように黙り込んだ。
*
行政府での推理から一日後。
ルナシティ。JAABIRの展望室。
梓紗は、あれからまた倒れてしまった。調整が必要とのことで、JAABIRに運び込まれていた。
心配になった私は、彼女の見舞いに来たのだが、まだ面会はできないとのことで、所在なくここで待っているのだった。
「あら、柚希」
声がする。
梓紗だった。
「梓紗!」
私ははじかれたように駆け寄り、抱きしめる。
「大丈夫だった……?」
「まあね。慣れてるからね」
彼女は言い、展望室の窓を、そこにうつる巨大な月を見上げる。
「……イザベルは逮捕され、辞任させられたそうよ。副市長が職務を代行するって」
私が言うと、梓紗はそう、と静かに頷いた。
「……結局、イザベルは変わっていくことが怖かったのかもね」
「……変わること?」
「そう。小さなコミュニティとしてのルナシティの良さ。それは開発初期の少人数のコミュニティだからこそのもので、理事会の横やりがあろうとなかろうと、いずれ変わる。変わっていくことの怖さは誰にでもある、その怖さは動物としての人間が持つ本質的なものだけど、人間にとっての本質とはしたくないわ、私は」
彼女は言葉を続ける。
「私は科学技術が発展しなければ死んでいた。両親すら私の命を諦め、私が生き返ると信じていたのは瓜生先生だけだった。結局、司畑さんもイザベルも、変化を恐れたのね……。その気持ちはたぶんわかる。見知っていた世界がどんどん変わる……自分の常識が信じられなくなる。そして、その変化の中で恩恵を受けている者もいるように見える……。それが許せない……。でも皮肉ね。司畑さんは分からないけど、イザベルは間違いなく、『変化』をもたらす側だったのよ、かつては」
それから大きな息をついた。
「変化の最たるものが科学技術の発展。それ『だけ』では何も解決しない。それは確か。でも、科学と人間の幸福は互いに排他的なものではなく、両方が必要なだけよ。そして、そうではない、と思い込むのは、『観察』が足りない……でも、多くの人にとっては、私のような存在は排除したくてたまらないものなのでしょうね。今まで住んでいた、居心地の良い世界が壊される、その象徴のようなものなんだもの……」
梓紗はじっと右目で私を見た。
左目でも私を見たような気がした。
「あのとき、『半分ロボットみたいな友達はきらい』って聞いたわよね? そのときはちゃんと言葉で聞いていなかった。今聞かせて?」
「いいえ――よ。むしろ好きかな」
梓紗は微笑んだ。
私は科学者だ。むしろ変化は好きだ。
だが、それだけではない。好ましい変化が、この少女によってもたらされるのを感じていた。かつて勇気を振り絞って自白した事故のこと。梓紗といると、そんな勇気がさらにわいてくる、少し変わった自分に慣れる気がしていた。
私は人間関係が、特に人間関係を長く続けるのが苦手な人間だ。
けれど、彼女のとの付き合いは長くなるだろう。もしかすると一生かもしれない。
初対面の時に感じたその予感が、確信に変わった。
了
コード・オッカム 山口優 @yu_yamaguchi_
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