第一三章 真犯人

 私は息をのんだ。

 梓紗の推理の途中から――正確に言うとNAL社のQKDサーバの爆破の手口の説明のあたりから、真犯人については検討がついていた。

 だが、改めて梓紗の口からその名が語られると、背筋がざわつく感覚を味わう。

「ミスター・シバタケ? 死んだはずでは……」

 ビアンカ刑事が呆然として、言う。瓜生博士、藤堂氏は驚いた様子がない。

「死んだとされているけれど、遺体が存在しない。連続殺人事件の犯人がよく使う手よ」

 梓紗は奇妙な微笑み方をした。犯人を追い詰めることに高揚はしているが、起ったこと自体は苦々しく思っている、そんな感情が同居しているようだ。

「どうやってやったのかは私とこの『オッカム』には分かった。けど、なぜやったのかは分からない。そこは、まだ謎のままね」

「やれやれ。困りましたね」

 冷静な声が響く。

 間違いもしない。

 司畑氏のものだ。

 彼はゆっくりと宇宙服のヘルメットを外し、マスクとサングラスも取った。

「ミスター・シバタケ! なぜです!」

 ビアンカ刑事の叫びは、彼には何の感慨ももたらさなかったようだ。表情をピクリとも動かさず、梓紗だけをまっすぐに見ている。

「『オッカム』か。厄介なものだな、全く。想定外だった」

「いずれ誰かがこういう可能性にも気づいたでしょう。けれど多分、その頃にはあなたは全ての証拠を抹消し、逃げおおせていたでしょう。だから、この『オッカム』があったことは、我々全員にとって幸いだったわ。あなたにとってもね。これ以上罪を重ねたり、罪の意識にさいなまれながら逃げ続ける必要はなくなったのだから」

「罪だと?」

 語調ががらりと変わる。

「罪はどっちだ。罪は君の方ではないか、御央見梓紗」

 その言葉は梓紗には心外だったようだ。

「……聞き捨てならないわね。どういうことよ」

「事故に遭った君は、極めて優遇された治療を施された。それは普通ならば与えられない恩恵であった。君のような治療を施される子供は世界でも稀だろう。それもすべて、その博士やJAABIRとの特別のコネクションがあったからだったはずだ」

「それが何か? 私は実験台よ。巧くいけばやがて全ての子供がこの恩恵を受けることになるわ」

「そうかな。私は昨今の国際情勢はそのような方向に進んでいないように感じる。例えばこのルナシティだ。素晴らしい宇宙基地だが、このような予算の使い方が本当に正しいのか? あの地球では、未だに貧困も紛争も環境問題も解決していない。前へ進むことだけが正しい道ではない」

「それで事故を起こしたと?」

「そう受け取ってもらってかまわない。――ルナシティのシステムはNAL社に甘く、事故を起こす方法はいろいろと検討していた。だが、ちょうど『かぐや』にアステリ社の幹部が乗り込んできたのでな、しかも馬鹿げたことに『ホワイトハッキング』を行うらしいという情報も入ってきた。これを利用して事故を起こし、ルナシティ自体に人々が向かわなくなるように仕向けようとした」

 倉庫はしんと静まりかえった。

「――やれやれ。確信犯というわけだ。だが、梓紗に対してそこまで言われては、私としても黙っているわけにはいかないな」

 瓜生博士が一歩進み出た。

「司畑さん。あなたは元刑事だが、ある事件を元に警察を退職しているね。七年前。梓紗が巻き込まれた自動運転タクシーの事故。あなたはそこで、『自動運転車の暴走』だと断定して捜査していたが、実際には違った。自動運転車はうまく動いていた。うまく回避動作をしていた。本来のプロトコルに従ってね。あのとき、あの車ははるか五〇メートル先の登校中の小学生たちを救おうとしていたんだ。路面が凍っていたこと、風が強かったこと、それらを勘案すると、梓紗の乗ったタクシーは、山道のあそこで急激にハンドルを切り、擁壁に激突するしかなかった。別の方向にハンドルを切っていたら、車は落下し、万に一つも梓紗は助からなかったからね。その因果関係を立証したのが、設立間もないアステリ・アスフェライアス社だった……。あなたは自動車会社の責任だと断定して幹部を含めて書類送検したが、結果的に全面的に間違いだったことが後に判明し、職を追われた。もともとAIというものに懐疑的だったから、こんな理不尽な事故でも起こすに違いない、という先入観があったんだろうね。そこから妙な正義感にとりつかれたかどうかは私は知らないが、間違いなくアステリ社や梓紗を逆恨みする一つのきっかけではあっただろうね。NAL社の安全本部に務めていたあなたは、アステリ社が善意の『ホワイトハッキング』を行うことを事前に察知し、同時に『配慮』が必要な梓紗が同じ便に乗り込むことを知って、これを仕組んだんだろう。違うかい?」

 司畑氏は黙り込んだ。やがて言う。

「……良く調べたものだ」

「――あの事件は私にとっても無関係とは言えなくてね。……私のかわいい姪が、あれで救われたんだよ。私はアステリ社の事故分析AIによってその結論が出されたと聞き、すぐに梓紗の両親に連絡を取った。――私の全てを賭けて、この少女を救おう、とね。それが、君の言う『コネクション』ってやつさ。私と梓紗をつないだのは純粋な感謝の念さ」

 瓜生博士は梓紗の肩を抱き、自分の胸に引き寄せた。

「今じゃ、この子は私の娘も同然だと思っている。私も奇矯な性格だし、あなたの言うように妙な技術にばかり予算をつぎ込む悪者の一味かもしれないが、少なくとも私の誠意と良心に従い人を救うことに人生を賭けている。深宇宙探査も月面開発も、取り組む人間の思いは同じさ。資源開発は全ての人を豊かにし、結果的には、遠回りにだが、あなたの言ったような問題の解決にもつながるかもしれない。あなたの建前としての主張は、そういった間接的な効果は認めないらしいけどね」

「司畑さん」

 藤堂氏が腕を組んだまま、低い声で言う。

「あなたは誠実な人だと思っていた。今でも誠実な人であろうとは思っている。あなたの語った動機は建前かもしれないが、それでも本音の一部ではあるでしょう。それは一面では『誠実』と評価してもかまわない類いのものかもしれない。しかしあなたは一つだけ間違いを犯している。ロマンというのは子供っぽい探究心だけではない。それで『ルナシティ』のような巨大なものに予算を使うことは、確かに優先順位として間違っているように見えるかも知れない。しかし、それに携わる人間にとっては、ロマンだけでなく、人類の問題を解決したいという善意も巨大な動機の一部なのよ。少なくともエゴだけでこうしたことはできないわ。宇宙開発というのは挫折の連続よ。楽しい部分なんてごく一部。自分の楽しみだけでは、とても続けられない。楽しみもあるが、みんなのためになる、という動機も大きいのよ。そういう善意は、テロや事件では折れない。あなたの望んだように世界を作るには、これはまったくの悪手だと、言わざるを得ない……」

 彼女はため息を一つ、つく。

「そういうことも、分かっていたとは思うんだけど、あなたも。けれど、あなたの根本的な部分が、人間の善意よりも、何か外部の力で人間の行動を変える、強制することの方が有効だと信じていたんでしょうね……。全く残念なことに」

 司畑氏は抱えていたヘルメットを取り落とした。手を後ろに組む。

「……ふん、藤堂さん。あんたも何も分かってないな……。だが、好きにしろ」

 それが、彼の降伏宣言のようでもあった。


 

だが、その瞬間、梓紗が動いた。司畑氏の後ろに回り込み、組んだ手を蹴り上げる。あらゆる意味で唐突な動作で、司畑氏を含め我々は唖然としたまま、何も反応できない。

 そして、司畑氏以外の我々は、彼女が蹴り上げた何か――何らかの装置のリモートコントローラに見えるデバイスにも唖然とするしかない。

「気づいたか! 流石だな」

 司畑氏は蹴り上げられたデバイスに手を伸ばそうと駆け出すが、それを梓紗がタックルして止める。

 しかし、手を伸ばそうとする動作そのものがフェイクであった。

「爆破!」

 彼は叫ぶ。

 その瞬間、デバイスのランプが赤く輝いた。ボタン操作ではなく音声操作のデバイスだったのだ。

 我々は周囲を見回す。

 三秒。五秒。何も起らない。

 緊張の中、司畑氏だけが落ち着いて何かが起るのを待っている。

 そして、おそらく一〇秒以上経ったころ。

 ずん、という鈍い衝撃が我々を襲う。

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