第一二章 真相
「藤堂さん、お願いするわ」
梓紗が手首の携帯端末でNAL社――「かぐや」船長の藤堂氏に通信する。その瞬間、外部ハッチが開く。展望室のようになっているハッチから、わずかに大気が漏れる。ハシゴが降りてくる。するするとのぼる梓紗。私も続く。
私とのデートの前から、藤堂氏ら関係者に、あらかじめ梓紗は、時間と場所を指定し、集まるように指示していたのだ。
ハッチを閉める。
与圧されるのを待たず、宇宙服のまま駆け出す。もう犯人の姿は見えないが、梓紗には犯人の行き先について確信があるようだ。
南第一八アゴラのこの地区はNAL社内だ。
昨日爆破されたQKDサーバのあったモジュールもすぐ近くだ。
そのモジュールの隣、ちょうど先日事情聴取が行われた会議室のすぐ隣の倉庫。胆澤氏の事件が起きたのもこの近くだ。
そこに梓紗は押し入った。犯人が倉庫の扉をロックしようとする直前、強引に押し開け、倉庫にその細い身をすべりこませたのだ。私もそれに続く。
私たちは、宇宙服を着たままの犯人に対峙する。
梓紗はヘルメットを外し、犯人をにらんだ。右目も、青緑に光るモノクルも、犯人をにらみつけている。
「……観念したほうがよさそうよ、犯人さん」
その倉庫に、ビアンカ刑事と、彼女率いる人間の刑事、ロボット警官らが流れ込み、レーエルガン・ピストルを宇宙服姿の彼につきつける。
そのあと、藤堂氏もゆっくりと入ってきて、倉庫の明かりをつけた。続いて、瓜生博士も入ってくる。
サングラスとマスクに阻まれ、相変わらずバイザーの中は見えない。
「さて、関係者はそろったようね」
梓紗は倉庫に置かれていたコンテナの一つに座り、細長い脚を組んだ。
「これから、犯人の手口について説明するわ」
*
「まず、私たちが決定的に誤解していたこと。それは犯人が真空への暴露によって大生氏を殺したということよ」
「しかし、展望室の気温は下がり、圧力も下がっていたと聞いています。あれは真空への暴露に特有の現象ではないでしょうか?」
ビアンカ刑事が指摘する。
「真空への暴露に従って起こる現象ではあるけれど、特有ではないわね。一般に、気体は四つの物理過程で変化すると言われている。等温、等圧、等積、そして断熱。皆さんも高校の物理で習う内容ね」
「ああ、なるほど……」
私はつぶやいた。
「私たちは、てっきり真空への暴露、つまり断熱過程が起こったものだと思っていた。私の趣味としては断熱過程ではなく等エントロピー過程と呼びたいところだけど教科書的には断熱と書いてあるのでここではそれに統一する」
彼女は立ち上がり、倉庫に置いてあったホワイトボードにある方程式を書いた。
PV=nRT
「Pは圧力、Vは体積、nはモル数、Rは気体定数、としてTは温度。これを見ると、Pが下がってもTは下がるし、Tが下がってもPが下がることが分かる。過程は違うけれどね。さて、あそこ――つまり大生氏の事件現場には、外部に通じるハッチ、つまりPを下げる道具の他に、Tを下げる道具もあったことを覚えてる?」
「あっ」
私は思わず小さくうめいた。
「はい、柚希。何か気づいたことがあるんでしょ?」
まるで教師のように、そういう。
「――起こったのは断熱過程じゃなかった。等積過程だった。つまり、P、圧力が急激に下がると同時に、Vがわずかに膨張し、結果としてTが下がる過程じゃなくて、Tが下がりつつVが一定に保たれることによってPが下がる過程だった。いずれにせよ結果としてPとTが下がるから見分けが付かなかっただけ」
そして、と口を突いて答えが出るに任せる。
「それ――PとTを同時に下げることができるのは外部ハッチだけじゃなかった。冷凍カプセルでも、それができた」
私がそこまで言うと、梓紗がにっこりと笑った。
「ご名答」
その瞬間、ヘルメットを被った犯人が少し身じろぎしたが、一斉に警官たちがピストルをつきつけたので、そのまま動けなくなる。
「大生氏が亡くなった現場では間違いなくそれが起こった。そして、私たちは外部ハッチの操作記録には注目していたけど、冷凍カプセルの操作記録には無頓着だった。犯人はそこを突いた。一週間程度、だれも注目しなければ、記録は抹消される。故に、端羽氏が犯人である必然性は全くない」
「じゃあ、なぜ端羽氏は外部ハッチを操作したんです」
ビアンカ刑事の疑問は尤もだった。
「ライバル企業のシステムに対する違法な動作テスト。あるいは、押しつけがましいホワイトハッキング。そんなところではないかしら、藤堂さん」
藤堂氏はしぶしぶ頷いた。
「……おそらく、状況証拠としてはそんなところでしょう。社内調査の結果では、星見重工からシステムを受注していたのは、星見重工でしたが、事情聴取でも言いましたように、FQMSを持っているアステリ社がハッキング――いえ、『ホワイトハッキング』ですか――を仕掛けることは容易だったでしょう。IDが残るので、もし事故が起こったら不祥事になることは間違いないですが、無事故ならばシステムの安全性を確認するための善意のホワイトハッキングだったと主張できる余地はある。当人たちもシステムにアクセスしたものの、外部ハッチを本当に開くつもりはなかったでしょう。大生氏が展望室にいたのは、端羽氏が外部からシステムにハッチのロック開放操作を仕掛けても、開放条件――この場合は展望室に宇宙服を着ていない、普通の衣服の人がいないこと――が満たされていない限りハッチのロックが開かないことを確認したかったに違いない。しかし本当に、FQMSを悪用したハッキングで外部操作を行えば、ハッチが開いてしまうことも、端羽氏は期待していたのでしょう。それを大生氏に見せつけることが目的だったのだから。その場合でも、ロックが『開く』側に回り始めたら、すぐに手動で『閉まる』側に回せば問題ないと思っていたのでしょう。こういうシステムは、必ず手動で上書きすればその通りに動くものですから。大生氏は端羽氏の『ホワイトハッキング』の実演により、確かにライバル社星見社のシステムには問題があると納得しつつ、『開く』に回りつつあった外部ハッチのロックを、手動で『閉じる』にもどした。急いでね。しかし、それでも気圧が下がり、温度も下がり始めた。彼はこうした状況から、ロックが実はできておらず、空気が急速に漏れていて、展望室が真空に暴露したに違いないと早合点したのです。それで、端羽氏にロックを戻してくれと電話しようとしたが、急速に冷えていくなかで手が動かなくなり、どうしようもなくなってしまった……。そして、端羽氏は自分のミスで大生氏を殺してしまったと思いこんだ」
梓紗は頷いた。
「彼の事故後の言動、自分に責任はないと主張しつつ、事故の詳細、なぜQKDIDがシステムに残るのに敢えて操作したかということについて全く話さなかったことの理由がこれよ。後ろめたいことがあったから、自分から話さなかったのよ」
ビアンカが口の端を曲げる。
「それならなぜQKDサーバを爆破し、ミスター・シバタケを殺したんですか? ミスター・オオイを間違えて殺してしまったのなら、ミスター・タンバが犯行を重ねることには疑問が残る」
「それは興味深い謎ね。そうでしょう、犯人さん」
犯人は無言だ。
「さて、犯人さんがしゃべらないので、私がこの犯人さんがなにをやったのかを教えましょう。ここでも冷凍カプセルが使われたわ。今度は、その冷媒、アンモニアがね。アンモニアは空気と反応して爆発性を示す。十分な濃度があれば、ちょっとした火花でも散ればすぐに爆発が起こるわ。犯人はOKDサーバの冷凍機を操作して冷媒であるアンモニアを空気中に放出し、その後自分は避難しつつ、簡単な時限装置によって爆破した。簡単なことよ。時限装置は何でもいい。携帯端末に簡単な回路をくっつけて火花を散らせるだけで充分なので、爆発物を探して監視カメラをいくら分析しても見つかりっこない」
「興味深い推理ですね。そして、端羽氏も、今度は大生氏と同じ方法で殺した訳ですか」
ビアンカの問いに梓紗は首を振る。
「いいえ。今度はその手段は使えなかった。なぜなら、犯人には、ルナシティの留置所の冷凍カプセルを操作する権限はなかったからよ」
「なかった……」
ビアンカは呆然としてつぶやく。
「ミスター・タンバはFQMSを使って自由に操っていたわけでしょう?」
モノクルの少女は頷く。
「端羽氏は犯人じゃないって言ってるんだから」
そう言って、宇宙服の人物をじろりとにらむ。
「そう、この真犯人には手段がなかったのよ」
「だからどうしたか。強引に外から開けた。外に爆発物を仕掛け、小さく爆発させてロックを破壊し、真空に暴露して殺した。爆発物は――あらかじめQKDサーバの冷媒から採取したアンモニアと時限装置かしらね。システムへのハッキングはこちらでは行われていない」
「しかし、端羽氏はシステムにログインして操作している」
ビアンカ刑事の反駁に、梓紗は瓜生博士を見た。
「どう思う、瓜生さん?」
「これも簡単な話で、操作したことと、最終的に外部ハッチを開けたことは必ずしも結びつかないんだ。話を聞くに、端羽氏はまず閉めて、それから開けて、それから閉めて、それから開けた。我々が日常的にこういう操作をするのはどういうときだろうか?」
「それは……」
私は自然に口が動いている。
「ドアが思い通りに動かないとき。開けて、閉めて、また開けて、閉めて、を繰り返す」
梓紗は頷く。
「そうよ。爆発はロックを壊す程度で、極めて小さく、内部にはあまり響かなかった。外は真空だから、ハッチを通じて音が伝わらなければ、それで音は響かない。だから端羽氏はシステムの故障でそれが起ったと思い込んだ。普通なら看守を呼ぶところだけど、彼は自分ならマスターコードがいじれると思い、一生懸命閉じようとしたが、閉じることができなかった」
「途中で遺書を書いたのは?」
ビアンカ刑事が尋ねる。
「あれは遺書じゃないわ。マスターコードを操作してハッチを閉めた後、責任感が高じて書いたんだと思う。少なくとも自社のシステムがこんなに壊れやすいことが分かったからには、責任を持って補修しよう、と。それまでは、ホワイトハッキングまがいの行為で大生氏を死なせてしまったことをどうしても打ち明けられなかったけど、ルナシティのシステム――自社のシステムが安全ではないと分かったから。端羽氏は責任感の強いタイプだと思ったわ。自社の成長という責任、安全を保証するという責任、場合によってどちらが強くなるかというところね」
梓紗は犯人を見返した。
「そのときの爆発に使われたのが、さっきも言ったけどQKDサーバを爆破した冷媒であるアンモニアの残りよ。私の推理を完成させるには、想定している犯人でも手に入れられる爆発物が実際に使われているか、確かめる必要があった。だから観光ツアーに参加したのよ。爆発にアンモニアが使われた痕跡――つまり、窒素酸化物や水などが特定の割合で含まれているかどうかを確かめるためにね。あなたは、私の意図を察して、私たちが真相に近づかないよう監視するつもりだったみたいだけど、それが罠だったことには気づかなかったみたいね」
更に犯人は身じろぎする。
「――犯人はここで終わらせるつもりだった。端羽さんが犯人であり、罪の意識を感じて自殺――これで筋書きはきれいにおさまる。ただ、それですまない事情ができてしまった」
「それが、胆澤さんの事件」
梓紗は頷く。
「……そう。彼は、QKDサーバの爆発事件を調べようとしていた。アンモニアを放出させ、火花を散らせば爆発が起る。それを確認した。しかし、無理に爆破させた影響か、装置が暴走し、気温の低下が止まらなくなった。凍てついていく空気。低下していく気圧。致命的になる前に修理が完了し、気温と気圧を元に戻したけれど、そこでふと胆澤氏は気づいた。――これが真相なのではないかと」
そこで、じっと、梓紗は犯人を見る。
「……犯人は、何らかの方法――おそらく、NAL社の監視カメラを通じて、この状況を見ていた。そして、彼が危険なほどに真相に近づいていることに気づいた。――だから、今度も外部ハッチの物理ロックを破壊した。端羽氏の時と同じように、少量のアンモニアで」
犯人はもはや身じろぎもしない。
「胆澤氏は、再び冷凍機を調べた。いろいろと実験していたんだから、そっちにまず意識が向かうのは当然ね。気圧の低下。温度の低下。それらの異変の原因として、冷凍機を疑っても当然よ。でもどこをどう調べてももう動いてない。そこでやっと、彼は外部ハッチに思い至る。そして閉めようとするが、実は物理的にロックが破壊されているので閉まらない……。気づいたときにはもう遅い。でも、自分が見いだした真相だけは伝えなければ。その使命感で、彼が書いたのが、あのダイイングメッセージ――a・d・i・a・b――アディアブ。全部書くなら、adiabatic transition――断熱過程。でも、バツをつけているのだから、それを否定したかったのよ。断熱過程じゃないって。でも、これは犯人にとっては痛恨の殺人だったわ。端羽さん犯人という結論で終わらせたかったのに、そうならなくなってしまったんだから」
梓紗はにっこりと、凄惨に、微笑んだ。
「そうでしょ? 司畑さん」
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