第一一章 最後のピース
第一一章 最後のピース
原因不明の爆発事件が二度もルナシティで起き、更に殺人事件や自殺が相次いだことに鑑み、ICAMは二日目のセッションを完全オンライン開催に急遽変更した。
もともと、オンライン・オフラインハイブリッド開催がこうした国際会議では一般的だが、せっかく月軌道まで来たのに現地参加できないのは不満なことこの上ない。
とはいえ、こうも事件が連続しては、参加者の安全に気を遣うICAM運営がオンラインに切り替えてもしょうがないと言えた。
私は胆澤氏の事件後、午前中いっぱいはビアンカ刑事、梓紗とともに捜査に協力した後、午後からはICAMに参加した。
ルナシティのホテルの部屋にこもってオンラインセッションを聞くはめになったことを恨む気持ちもあったが、胆澤氏のこと、司畑氏のこと、大生氏のこと――そして、端羽氏のことを思うと、悲しみが胸にあふれ、気軽に文句を言う気分にもなれず、もてあます感情のままに発表を聞いていた。
やっと会議が終わったのが午後五時。それから自分の発表練習をして、時計を見ると午後七時だった。
(さて、地元のレストランにでも行くかな……)
そう思ってのびをした瞬間。
携帯端末のメッセンジャーアプリのアイコンが点灯した。
「柚希。今あなたのホテルのロビーにいるわ。デートに行こう。来れる?」
梓紗だ。
「行く。一五分待って」
短く返事をして、それから化粧をし始めた。ずっとオンラインだからやっていなかったのだ。
やっと準備をした頃には二〇分経過していた。慌ててハンドバッグをつかみ、エレベータで一階のロビーへ向かう。
「あら。慌てなくていいのに」
ゴスロリ調の装飾の目立つ青いワンピースを着た梓紗がそこにいた。ソファから立ち上がり、ネイビーブルーのシックなバッグを肩にかける。比較的広く開いた胸元がまぶしい。ルナシティの気温は常時二〇度程度に設定されているので、厚着の必要はないのだ。
いつもは全身を覆う服装の彼女が珍しい、と思った。筋電スーツは、目立ちはしないが、来ていることは分かる。時折、青緑の光が、肌の表面にきらりと光る。
一方の私はTシャツにジャケット、ジーンズにパンプスというごく平凡な服装だ。
「どう?」
梓紗はワンピースの端をつまみ、広げてみせる。足下にはバッグと同色のハイヒールを履いていた。
「――似合ってる……と、思う」
「ありがとう!」
満面の笑みを浮かべ、私の腕につかまる。うれしいが照れる。
「さあ行くわよ」
「えっと、どこに?」
「まあまあ、いいからいいから」
我々は、私のホテルがある北第三七アゴラに出て、メインストリートの横の歩道を歩き始める。ルナシティの「地上」、内側の空間の半径は一〇〇メートル、周長六二八メートル。エレベータでハブに上がり、それから目的地のアゴラに降りるのが早道だが、一周回っても徒歩で一〇分もかからない。そのうえ重力が〇・五Gなので、足取りも軽い。
月は昨日見たときよりも近づいている。LOPG=ルナシティは、およそ六日間で一周する極端な楕円軌道を描いており、最接近するときは月から一五〇〇キロ、最も遠いときには七万キロになる。七万キロといえば、月―地球の距離の五分の一だ。一方、一五〇〇キロといえば、地球のかなり近傍を回る国際宇宙ステーションのたった四倍、気象衛星ひまわりの二〇分の一の距離。この極端な軌道は、深宇宙探査のプラットフォームとして、出発する宇宙機に速い離脱速度を提供しつつ、月の地表にも容易に到達できるようにとの理由で選ばれている。
「ねえ、月面に行く予定はあるの?」
他愛ない会話を続ける梓紗。どういう意図だろうかといぶかしみつつ、私は彼女に合わせる。
「うーん。遊覧飛行も予約しようと思ったんだけど、ちょっと時間がかかりそうなんだよね。そもそも、ルナシティには仕事で来てるんだし」
「関係ないわ。予約しちゃいなさいな。何かやるかどうか迷ったら、やるほうを選んだ方がいい。あとで『やらないほうが良かった』と後悔するよりも、『やった方が良かった』って後悔するほうが絶対に多いんだから。私も自分が死ぬかもしれないと思ったとき、後者の後悔の方が多かったわ、圧倒的に」
軽い口調で語っているが、その言葉は重い。
「じゃあ、まあ会社に相談してみるよ。できるなら行く」
「やった! じゃあ月面デートね!」
「……楽しみだね」
私は適当に受け流した。
梓紗とデート、ということ自体は悪い気がしないし、月面デートもできるなら楽しみなのだが、今はそれ以上に心配事が多すぎる。連続殺人事件は本当に終わったのか。端羽氏が本当に犯人だったのか。あるいは、明日に控えた私の発表はうまくいくのか――。
「心配ごと?」
「状況を考えたら、してないほうがおかしいでしょ」
「はっは。まあ柚希はそういう性格だしね」
ゴスロリ系の服装が似合わぬ、多少豪快とも言える笑い方をし、梓紗はいっそう、歩みを早めた。
「性格で解決する問題かな」
「さあ? 私は運命はそのまま受け入れるタイプだから。何が起ころうと『私ってそういう星の下に生まれたのかな』と思うだけよ。感傷的になったりもするけど、運命そのものよりも、ほかならぬこの私に与えられた運命であることを重視するタイプね。だから私とその出来事の巡り合わせは、否定はしない。そこに向けてまっすぐ進むだけ」
「なるほどね」
分かったような、分からないような。
私には明確な将来かなえたいビジョンがあり、それにとって否定的な要素は先回りして片付ける。だから心配事が多いのだと言える。
(もしかすると、梓紗にとって、そういう心配事の役割はオッカムのほうがになっているのかもしれないな)
冷静な私はそう思うが、梓紗の独特な性格を好ましいと思う私もいた。
「さて」
梓紗は北第二〇アゴラの前で止まった。
「月面じゃないけど宇宙遊泳デートでもしましょう。おなかはすいている?」
「いえ……あまりすいてないかな」
一日中ワークショップを見ていたのだ。私の脳は糖分を大量に消費しているはずだったが、緊張のためかあまり空腹は感じない。ある研究によれば、女性はストレスを感じると食欲が減退するのだそうだ。男性は真逆であり、これは進化論的に説明できるという。
「じゃあいいか。これから宇宙遊泳だからね。あとでサンドイッチあげる。手作りよ?」
ネイビーのハンドバックをぽん、とたたく。
「それは楽しみ」
楽しみ、というのは社交辞令であったが、梓紗の手料理というのはうれしい。
「じゃあ行こう。私たち二人分の予約がしてあるわ。途中でちょっと抜ける計画だけど、許してね。ツアーの前に、何を計画しているのか話すわ。柚希にもやってもらいたいことがあるし」
急に物騒なことを言ったかと思うと、手を引いてロビーに向かっていく。よく見ると露出した背中、太もも、腕、ところどころに青緑の発光が見える。私の手を引く、という新しい動作をしているので、オッカムの制御が発動しているのだろう。
「ど、どういう意味?」
梓紗は振り向いた。唇に人差し指を当てる。
「静かに! 言ったでしょ――足りないピースがあるって。それを埋めるのよ」
*
「本日は、ツリスモ・エスパシアールの宇宙旅行ツアーにお申し込みいただき、ありがとうございました」
一時間後、私たちは、二〇人の老若男女とともに、スキンタイト宇宙服を着てルナシティの外壁の外につり下がった「外壁作業プラットフォーム」、略称OWPの上に立っていた。重力は一Gよりもわずかに高い。OWPは外壁で作業するためのプラットフォームで、簡素な工事用の引伸金網(エキスパンドメタル)の床の下からは、バイザーを通じても、まぶしい太陽光が降り注ぎ、月は圧倒的な巨大さになって迫ってくる。
「私はグアダルーペ・トナンツィン。気軽にルペと呼んで下さい」
スキンタイト宇宙服の上に「TE」のロゴの付いた腕章をつけたガイドが説明している。
「さて、今私たちは直径四〇〇メートル、周長一二五六メートルの巨大な構造物の外壁にいるわけですが、この構造物の初期の直径が三〇メートルにすぎなかったことをご存じでしょうか。ルナシティはたった一〇個のモジュールから始まり、月面から毎日二つずつ送られてくるモジュールによって二年後には直径六二八メートルとなり、回転を開始し重力を獲得、更にモジュール送達頻度を上げて四年後には現在の姿になりました。新たな拡張計画――アストラン計画が発動されれば、更に「ルナシティ」の成長は継続し、収容人口も拡大していくことでしょう」
「その場合、回転速度は現在の速度が維持されるのでしょうか?」
とある男性ツアー客が聞く。
「いいえ、最外縁が一Gになるよう、徐々に落とされていきます」
「残念! トレーニングにいいかと思ったのですが」
「木星に行ってください!」
別の観客が口を挟む。
「トイレにいきたいのですが」
「トイレはあなたが着ていますわ。どうぞご自由に!」
これもジョークだったらしい。どっと観客が沸いた。
「さて、これから、ここ第二〇アゴラの地点を出発し、第二五アゴラまでの五〇〇メートルをご案内します。エクスパンションメタルの床と手すりがありますので、落下することはないと思いますが、念のためつけていただいている命綱は絶対に外さないように。一Gの重力加速度を持つ皆さんは、ここから『落ちる』と、宇宙へ真っ逆さまです。ルナシティ警察と保安隊に救助要請を出しますが、助からない可能性もありますので、くれぐれも気をつけて」
命綱は、ルナシティ外壁についているレールにひっかけるような構造になっており、容易には外れそうにない、頼もしい構造だ。
「では、こちらへ! 皆さんと我々の間には共通無線があります! 大気圏内と違って、どんなに距離が離れてもダイレクトに全員に聞こえますので、他人の陰口はほどほどに! 褒め言葉は大歓迎です!」
「ルペ! 美人だ!」
「クール」
「頭がいい」
「ありがとう!」
ノリのいいツアー客たちとともに、我々は第二五アゴラ付近を目指して歩き始める。重力は少し一Gより強いが、たった五〇〇メートルの距離だ。数分もあれば到達する。
「さて、この部分の外壁をご覧ください! 銘板が見えるかと思います」
ガイド――ルペが上を指さす。
観光客が次々に上を見上げた。宇宙服の手首に装着した携帯端末で写真を撮る人もいる。
「我ら国際宇宙探査協働グループは、LOPGの居住問題を解決するため、ここに『LOPG付加的居住モジュール群』、通称『ルナシティ』を設立する。深宇宙探査と月面開発の更なる発展を願い、『シティ』の名が、我らの夢想ではなく現実にふさわしいものとなる日が早期に訪れることを願う。人類種の未来に幸あれ(Godspeed to human species)」
「それでは、実際のルナシティの『成長』をスクリーンでご覧いただきましょう!」
ツアーガイドのルペは、銘板の近くに設置された観光客用のスクリーンを操作すると、ルナシティの成長過程がスクリーンに映じられ始める。最初は一〇個程度のモジュールだったルナシティが、らせん状に徐々にモジュールを増やしていき、あるときらせんをほどくような動きをして、中央部に半径一〇〇メートルの空洞を作った。そこに両側から巨大な透明ポリマーをはめ込んで「地上」とし、残りの居住区は「地下」と呼ばれるようになった。更に、「地上」部分には、メインストリートやアゴラが形成されていった――というプロセスだ。
そのスクリーンの最後に、もう一度、銘板の最後の一文が映じられる。
「人類種の未来に幸あれ(Godspeed to human species)」
「こういう言葉、ベタだけど私は好きよ」
梓紗が私にささやく。
それは、スキンタイト宇宙服ではなく、あらかじめ梓紗に渡されていたイヤホンタイプの無線機から聞こえていた。私はごくりと息をのみ、宇宙服の無線を切る。
「……やるんだね――分かった」
(――いよいよ、単独行動を始めるのか)
梓紗がガイド――ルペに向けて手を振る。再び無線をつけたようだ。
「ルペ! ちょっとあっちも見てみたいわ! いいかしら?」
指さしたのは、北第二五アゴラの外壁の中の一部。そこは局所的に立ち入り禁止の表示がされており、急遽備え付けたような鉄柵で囲まれていた。
「そこはだめ! ついこの前爆発事故があったのよ! それに、そこまでは命綱はとどかないわ。危ないからだめよ」
ルペは朗らかな口調のまま渋い顔をする。
そこは、ルナシティ警察の独房があった場所の外壁だった。
「そうなの……。何があるか見たかったのに……」
そう行った瞬間、梓紗は急に腹を押さえてうずくまる。
「あいたたたたた……」
「あら、大丈夫?」
ルペや観客たちの注意が梓紗に向いた瞬間、私は動いた。
命綱を外し、鉄柵を乗り越え、独房の中でも、特に端羽氏の留置所の外部ハッチの、特に手すり付近を見る。一見、何も損傷はないように見える。寧ろ周囲よりも、新しいようにも見えた。
周囲を注意深く見ると、わずかに黒ずんでいるようにも見える。
(これだ……最後のピース……!)
私は梓紗に渡されていたサンプル回収用のカプセルを近づけ、刷毛を使って、その黒ずんだ被覆された信号線の残骸をカプセルの中に入れ、カプセルを素早く宇宙服のベルトに付いたポシェットに入れる。
そのとき。
私は強烈なタックルを受けた。
ツアー客の一人が、いきなり私にぶつかってきたのだ。体型は男性に見えるが、顔は分からない。バイザーの中の顔は、マスクとサングラスをしている。
ここにきたということは、彼も私と同じく命綱を外しているのだ。
「な、何をするの!」
宇宙服の無線機のスイッチを入れ、英語で叫ぶ。それで一斉にツアー客が私と彼の方を向いた。宇宙服の無線機は両耳に付いているが、その音の方向と左右差により仮想的に発言者の方向と距離が伝わるようになっているのだ。
男は尚も私に襲いかかろうとする。
「やめなさい!」
ルペが叫ぶが、聞き入れる様子はない。
そのとき、小さな影が動いた。
男の脇腹に強烈な蹴りを浴びせ、エクスパンションメタルの床に倒す。それでも勢いは収まらず男はごろごろと転がっていく。
だが、男はすぐさま起き上がり、そのままエクスパンションメタルの上を、命綱もつけずに逃げ出していく。
「待ちなさい!」
蹴りを浴びせたのは梓紗だった。そのまま追いかけていく。私も追いかけ始める。
(真犯人だ!)
私は確信していた。
*
燦々とした陽光が足下から降り注ぐなか、犯人と思われる男を追って梓紗と私はルナシティ外壁を第二五アゴラから第一八アゴラまで、ほぼ一キロメートルも走っていた。第一八アゴラの地点で犯人は外壁に触れ、ハッチを開く。
そのままするすると中に入っていった。
そこに追いつく梓紗。軽く舌打ちする。
「――開かないわね……」
彼女はじっとハッチを見つめていたが、その表情は残念、というより得心の笑みであった。モノクルが青緑に光っている。
「……やっと尻尾を出したわね……犯人さん……」
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