第一〇章 真空殺人再び

 翌朝の早朝。

 携帯端末のけたたましい呼び出し音で私は不快な目覚めを経験した。

「……はい、城井ですが……」

「柚希! 今日の予定はキャンセルして! すぐに来て!」

 梓紗だ。

「はあ? どうしたの?」

 寝ぼけた頭が徐々に回転し始める。

(梓紗は奇矯な性格に見えてある程度常識はわきまえている。何かあったはずだ……)

「――胆澤さんが死んだ」

「え」

 その瞬間、私は頭が真っ白になった。

「……ビアンカから連絡があったのよ。今朝冷凍装置実験室で発見されたって。最下層の地下三〇階にあって……外部ハッチが開いた形跡があると……」

 真空暴露による殺人。大生氏と同じ手口ということか。

「いったい誰が……」

「ビアンカによると自殺の線も考えられると。というのは、外部ハッチの捜査記録のQKDIDは、胆澤さんのものだけが見つかったらしいわ」

「馬鹿な……。胆澤さんが自殺なんて……!」

「私もそう思う。明らかに殺されてる。でも、方法が分からない」

 しばらく向こうで口ごもる声がした。

「――私が、冷凍機のアンモニアが原因かも、と言った。それで冷凍実験室に彼は行った。それは地下三〇階で、真空暴露の危険のある場所だった……」

「冷静になって。関係ないわ。有るとしても悪いのは犯人よ。自殺でないとしたらね」

 一呼吸おいて、電話口の向こうで微笑むような気配がする。

「やっぱりあなたは優しいね。そういうことが一番好き。それに私の思考の瑕疵を見抜くほどに頭がいい……。絶対に来てね。私の捜査にはあなたが必要だわ。そして、ビアンカ刑事は私が必要と言ってる。ICAMは……録画で見て。お願い」

 抗弁するのは骨が折れることだ、と思った。それに、人が亡くなっているのだ。だが――。

「今日は聞きたい発表と議論したい先生もいて……」

 ついそう言ってしまう。言ってから後悔した。胆澤さんの姿を思い浮かべて。

「瓜生先生に頼んで誰にでもコンタクトさせてあげる。あの人この業界では有名なのよ? それ以外にも何でもしてあげるわ。明日発表だってことも知っている。でも来て。お願い」

「――分かった。行く」

「ありがとう。ルナシティ警察の車がホテルの前に待ってるはずよ」

 決めたらあとは早かった。

 私は必要最小限の化粧をしてスーツとパンプスを着、ハンドバックをひっつかみ、電話のあとものの一〇分ほどでホテルの前に出ている。 

 タイミング良く、ルナシティ警察のパトカーがホテルの前に止まった。

「こちらです!」

 女性警官――たしかルシーアといった――が、窓から身を乗り出している。

「NAL社まですぐですが、歩いてきていただくのも失礼かと思いまして」

 後部座席に乗り込む私にそう告げ、車を加速させる。ルナシティの「地上」部分は、半径一〇〇メートル、周長六〇〇メートルあまりなので、確かに車は大げさかもしれない。だが、いくら〇・五Gといっても、パンプスを履いて最長三〇〇メートルも全力疾走するのは御免被りたい。ルナシティのメインストリートを車が行き来しているのは、そういうニーズだろう。

(あるいは――『街』としての体裁のためか)

 昨日のビアンカの言葉が脳裏に浮かぶ。

 コミュニティ。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

「着きました」

 ほぼ一瞬でNAL社のあるアゴラに着き、そのまま二人でロビーに入り、受付もそこそこにエレベータに飛び乗る。

「――大変なことになりましたね――ルシーアさん……でしたっけ?」

 女性警官――ルシーアに声をかける。

「……失礼、まだ名乗っていませんでしたね。ルシーア・トラロックです」

 一瞬、警察手帳を見せてくれる。

「……行政府の動きが遅いのが悪いんです」

 彼女は、ぽつりと漏らすように言った。

「――動きが遅い?」

「ドクター・イザワ――つまり、NAL社のIDで外部ハッチが動かせるのがおかしいんですよ、本来は。市の外壁ハッチなんですから、市の権限がなければ動かせないようにすればいいんです。私はセキュリティ担当部署の人間だったから分かりますが、この市のシステムは、理事会メンバーの企業には特に甘い。甘すぎるんです! 市の統制で動いていない。これではまるで、理事会メンバー企業の私有施設のパッチワークのようなモノです」

「……亡くなった胆澤さんも、同じことを言っていました。セキュリティガイドラインがないので会社にセキュリティ強化を訴えるのに苦労していると」

「ビアンカ刑事の手前あまり悪く言えませんが、イザベル・ククルカンは言葉だけは威勢がいいが、実体は理事会のいいなり、操り人形のようなものです。政治家とはそういうものかもしれませんが、口ではきれい事の建前を言いながら、その建前と実際にやってくることが乖離しすぎている……。特に最近、NAL社に対して甘いんですよね。これも市長権限でやっていると聞いています。私がせっかく、あそこの企業のデータの動きは不信だと報告したばかりなのに、それを機に部署異動させられてしまった。刑事課も働きがいはありますけどね」

 ルシーアはひとしきり愚痴めいたことを早口の英語でつぶやく。

「それは大変でしたね……。引き継ぎも苦労したでしょう」

「――ええ、あなたもご存じのアルフォンソが引き継いだんですが、最初は順調にはやっているようでしたがね……市長の特命事項とかで。理事会に対抗するために、『アストラン計画』のRFPまわりで市長の権限で政策コンサルまで立ち上げていたようですね。意味はよく分からないのですが、『標準特許を生かしたデモンストレーション』を指示したりと、妙なことに首を突っ込まされかけたので、支庁に抗議して普通の業務に戻ったと言ってました」

それから真面目な顔にもどる。

「――ドクター・イザワはあなたの話通りなら、正常な感覚を持つ人物だったようですね。……亡くなったのは全く残念です。平和な街だったのに、なぜこんなにも殺人が起るのか……。必ず解決してくださいね」

「私などは……」

 私は遠慮がちに言う。

「アズサは鋭い感覚を持ってますけれどね。彼女とAI『オッカム』というか……」

「――ビアンカ刑事は、あなたは卓越した女闘牛士(マタドーラ)のようだ、と言ってましたよ。アズサの推理は確かに勢いがあり力強いが、あなたがいてこそ推理が整う、と」

「……妙な評価ね。でもありがとう……」

 私はつぶやいた。そんな自覚は一切ない。貢献できているかどうかも全く分からない。だが、私自身が意識していないような細かい突っ込みや考察、助言などをちょくちょく梓紗に言っているような自覚もあり、それが客観的にはよく見えているのかもしれない。

(――とにかく、そんなことを今は考えている場合ではない)

 私は唇を引き締めた。

 それにしても……と思う。 

 胆澤氏は技術者らしく実直で真面目な性格で、同じ技術者、研究者として親近感を覚えていた。その彼が亡くなった場所に立ち会わなければならないとは、なんと悲しく、残念なことか。


 

 事件現場は、既に多くの刑事、警官、警官ロボが出入りし、また再び大気が満たされていた。

 胆澤氏が倒れていた位置には白いチョークで人型が描かれている。胆澤氏の遺体は冷凍カプセルに収容済みとのことだった。

 指紋採取をする警察ロボットたちと、口をへの字に曲げたビアンカ刑事、そして、ビアンカ刑事よりもロボたちについてまわり、丹念に事件現場の痕跡を探っている梓紗の姿がそこにあった。

「……柚希」

 私を見るや、梓紗が駆け寄ってくる。

「現場は、急激に気圧と温度が低下した、という以外は大きな特徴はないわ。胆澤さんはここに倒れていた」

 そう言って、白いチョークの場所を指さす。

「冷凍装置は?」

「そっちよ」

 見ると、一部が目立つ黒焦げになった装置が存在した。よく見ると全体がうっすらと黒ずんでおり、何らかの爆発が起ったものと思われる。

「……実験で何かやったのかな? それで爆発?」

 私が問うと、梓紗は首をかしげながら言う。

「遠隔操作だけでアンモニアを出させるところまでを再現しようとしていたみたい。それで実際にアンモニアが出て、止めようとしたけど小さな爆発が起きてしまった、と」

「いや、爆発したのなら『成功』じゃない? それを再現しようとしていたんだろうし。そもそも、その実験と、胆澤さんが亡くなったこととの関係は?」

「不明よ。ただ、外部ハッチにはQKDIDで胆澤さんの操作記録がある、というだけ」

 それから、と言って、彼女は携帯端末上で、有る映像を見せ始めた。

「ここには監視カメラがあった。その映像よ」

 それは、冷凍機が小さな爆発を起こすところから始まっていた。胆澤氏は外にいたらしく、爆発のあと、部屋に入ってくる。そして、冷凍機をあちこち調べていたが、やがて、何らかの異変が起ったのか、慌てて冷凍機を操作しようとし始める。だが、はっと何かに気づいたように、自身の端末の操作に切り替える。

 しかし、徐々に力尽き、床に倒れる。

 そして、指で何かをひっかくように描き、力尽きた。

 やがて、彼の身体には霜が降りていく。

 映像は、そこで終わっていた。

(……胆澤さん)

 涙があふれそうになる。

 だが、それと同時に、彼が何かを書いていた、ということに気づき、私は、白いチョークの、胆澤氏の指のあたりに注目する。なにか、爪でけずったような後があったのだ。実験室の、おそらくは塩化ビニル製の床に、爪で強くひっかいたような傷がある。曲線が描けなかったのか、まるでルーン文字のように直線ばかりだが、アルファベットに見える。

 そして、最後に上から×印がかかれ、その単語が否定されているように見えることも特徴的だ。

「a・d・i・a・p」

 私は×印の下のアルファベットをそう読み取り、メモ帳に書いた。最後は自信がない。pにも見えるしbにも見える。ただ、書かれたものを忠実に書きとるならpだ。しかし最後に力尽きて手前に指が引き寄せられ、それで下の棒が長くひっぱられた、ようにも見える。

後ろに気配を感じ、振り向くと、私の肩から梓紗ものぞき込んでいる。彼女のモノクルがぼおっと光った。

「記録したわ。アディアプ……? それを否定? 何かしらね? 犯人の名前かしら?」

「しかし、一番の被疑者である端羽さんは既に自殺している……」

「……よね。とすると、可能性としては自殺もあるか……。adiapなら、adiaphorism、つまり無関心主義、寛容主義、みたいな単語が思いつくけど」

「無関心主義……。つまり遺書だとすると自分の無関心で事件を起こしてしまったと?」

 言いながら私は自分の言葉を全く信じていない。そんなことはあり得ないはずだ。

「あるいは寛容主義ね。システムセキュリティが甘すぎた、と生前彼は言っていた」

 梓紗も懐疑的な口調でそう応じ、更に続ける。

「それに対して自分が何もできなかった、冷凍装置を調べても結局何も分からなかった。何もできない自分を恥じて自殺? ということ? そんな馬鹿な」

 私は目頭を押さえた。

 泣きたいのではない。考え込むときのクセだ。

(……そもそも、技術者であり研究者である彼が、死の間際にadiaphorismのようなまわりくどく抽象的な英単語を思いつき、書き残すだろうか? ――もっと実際的な意味のある単語だったのではないか?)

 そもそも、自殺でないとしたら誰に殺されたというのだ? 犯人と目されている端羽氏はもう亡くなっているというのに。

 私は事件が迷宮入りする音を聞いた気がした。

 梓紗もぶつぶつとつぶやいている。

「最後のピースが足りないのよ。そのピースがはまれば、事件は解決するのに……」

 最後のピース。

 その言葉が胸の奥にしこりのように残った。

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