第四章 犯人
コンパートメントDの客室に、再び私たちは集合させられていた。司畑氏が、二機の人型ロボットを従えて私たちの前に立ち、手元のタブレットに目を落としている。
「……QKDIDの調査結果です。洗面室のトイレ。外部IDの捜査記録なし。展望室の外部ハッチ。QKDIDの外部操作記録あり。IDは、端羽さんのものと確認されました」
淡々と述べたその口調が、逆にすごみになってその場を圧倒した。
「――何かの間違いだ!」
端羽氏がシートベルトを外し、司畑氏に詰め寄ろうとする。
「落ち着いてください」
司畑氏がひきつれていた人型ロボットが無重力下で端羽氏を器用に座席に押しつける。
「これよりルナシティに到着までの間、端羽さんは別室にご滞在いただきます。城井さん、御央見さんはこのままで」
明言はしていないが、第一の容疑者は端羽氏に決まったと言いたげだ。
「待ってくれ。おかしいと思わないのか? 僕がわざわざ痕跡の残るやり方で外部ハッチを操作して大井さんを殺しただと? なぜそんなすぐにばれる方法を使う必要があるんだ?」
梓紗は黙ってモノクルに触れた。青緑色の点灯がぼおっと発光する。司畑氏はそれを黙認するようだ。
「NALの規定によれば、システム上のQKDIDの記録保持期間は一週間。それまで、『手動でハッチを開けた』と当局が信じ続ければ、その間にデータは消去されるので、ばれない。あなたは私が殺したと司畑さんを誘導した」
「だが、僕はやっていない。それだけは事実だ」
「……それも警察が調べるでしょう。現時点で最も可能性の高い推理は、あなたが犯人だということです」
AI「オッカム」は現時点のデータから矛盾のない最適解を導く。私にも、それ以上の可能性は見いだせなかった。
*
目的地であるルナシティを目前にして、「かぐや」は六分間、一Gの逆噴射をかけることになる。このとき、我々乗客はシートに着き、二四時間ぶりの一Gの重力を味わいつつ、近づいてくるルナシティの光景を見ることになる。
コンパートメントDのスクリーンでは、「かぐや」の外部カメラが捉えたルナシティの情景を流していた。
もともとここにあったのは、「月軌道プラットフォームゲートウェイ」、略称LOPGという、国際宇宙拠点だけだった。かつて存在したISS(国際宇宙ステーション)と同様、各国の協力で作られた宇宙ステーションである。ISSと異なるところは、これが地球を集会する軌道ではなく月を周回する軌道にあるということだ。
ただ、LOPGを拠点とした月面資源開発、あるいは、月よりもさらに深宇宙の探索が活発になるにつれ、当初計画されていたLOPGの収容規模は徐々に限界を迎えていった。
この要因は宇宙資源条約の策定にある。
従来、宇宙条約は国家や国際機関による天体や宇宙領域の占有を禁じるが民間企業にはその規定はなかった。その状況下で様々な国が民間企業に宇宙資源の開発を促す法律を制定してきたが、国際的な枠組みは未整備だった。二〇三〇年代になって、LOPG完成による月資源開発の活発化を見越し、各国の民間企業の宇宙資源開発の国際的な枠組みを整備する宇宙資源条約が主要国により合意され、一気に宇宙資源――特に月面資源開発が加速した。
人間は宇宙にロマンを感じるが、ロマンだけでは何事も動かない。しかし、地球と異なり重力が低いためにマントル対流などが不活発で、表面付近に貴重なレアメタルが豊富な月面は、枠組みさえ整備されれば、充分な投資の対象になるのであった。そして、月よりもさらに遠い小惑星帯も、すでに資源探査の対象になっており、その中継基地としてもLOPGは重要だ。
その結果が、今、私と梓紗がスクリーンを通じて見ている光景だ。
LOPGは概ね四枚羽の竹とんぼのような形をしている。天辺にサービスモジュールがあり、一番下には「インターナショナルハビタット」と呼ばれる居住区がある。そして、四枚の羽のうち二つは太陽電池パネル、一つは地球との往還宇宙船の発着ポート、最後の一つは月面との往還宇宙船の発着ポートになっている。
ルナシティは、一番下の「インターナショナルハビタット」に接続された半径四〇〇メートルのドーナツまたはタイヤのような形状だ。タイヤのゴム部分の厚みは一〇〇メートルほどで、そこが居住となる。約二八・三秒で一周することで、最外縁では一Gの重力角度を実現している。重力的には、外縁部は「下」にあり、かつ、居住区が何層にも重なった稠密な空間なので、「地下」とも呼ばれる。
一方、タイヤの内側、スポークの部分は透明な強化ポリマーにより両側が覆われ、気密が保たれつつ外の景色が見える開放的な空間となっており、その部分の半径は一〇〇メートル、重力は〇・五Gとなる。重力的には内縁部は「上」にあり、強化ポリマー越しに外部の宇宙の風景も見える開放的な空間でもあるので「地上」とも呼ばれる。
そして、宇宙港はLOPGの反対側のタイヤの車軸の部分にあった。
「宇宙空間に……こんな巨大なものが存在するなんて……」
私は思わずつぶやいた。
「直径四〇〇メートル、確かに巨大ね。でも静止衛星軌道上にはもっと巨大なものもある。宇宙は無重力なので、逆に重い者を持ち上げる必要がなく、建造物を作るには容易という意見もあるわ。作った後の回転重力による荷重にしっかり準備していれば、建築中に荷重を気にする必要はないと」
私の隣の梓紗は、くるくるした右目でじっとスクリーンを見ていた。
「……大生氏には残念なことだったわ」
「どうしたの、急に」
「彼があなたと話しているのを聞いていた。投資家だけあって知識が幅広く、AIによって医療が進展していることもよく知っていて、期待していた。惜しい人物だった。家族や親しい友人ではないけれど、人が亡くなるのは残念なものよ。もっと生きたかったでしょうに」
私は梓紗の妙な同情に首をかしげた。端羽氏の言うように殺意を持っていたなどというのは馬鹿馬鹿しいとは思っていたが、あのときの大生氏は私とは話したが、梓紗とは話していない。敢えて無視したわけではないだろうが、興味深い話ができる対象とは認識していなかったのだろう。その意味ではどちらかというと悪い気はしていたのではないかと思っていた。
「……不思議?」
「いや、そういうわけでは」
「不思議なら不思議と言いなさいな。でも本心よ。私も死にかけていたからね……。人の命というのは大切にしなければならないものよ」
梓紗は自分の身体に触れた。
それは筋電スーツに覆われている。
そういえば、とふと疑問に思った。
「洗面室にいたとき、スーツは脱いだの?」
スーツを着ていたらトイレはできないし、スーツを脱いだら動けないのでは、と思ったのだ。
梓紗は一瞬、ぽかんと口をあけていたが、やがてはっきりとした笑みを浮かべた。
「……ああ、まあ、スーツは首から下の全身を覆っているわけではないの。そうでないといろいろ困るでしょ?」
「それは、まあそうね」
私は深く後悔した。深入りしすぎた。しかも疑ってしまった。
「ごめん」
「謝ることじゃないって。でも、私だってトイレは行くし、――それに人生を楽しみたいし子供も産みたいしね。そうでしょ?」
おかしそうに私を見る右目には、疲れ切った諦観のようなものも見える。
私は顔を赤らめ、頷いた。
*
「かぐや」ドッキングの後、我々乗客は、小型のポッドに乗せられ、直接ルナシティの「地表」まで移送されることになる。そこで入国審査を受けるのだ。宇宙港は充分に広く、乗客を収容するスペースはあるが、無重力は――特に広い無重力空間は慣れていない人間には危険だ。そのための措置だろう。
ポッドは一〇人乗りで五人ずつ向かいになる構造だったが、私と梓紗、そして端羽氏と司畑氏しか乗っていなかった。関係者以外乗せないのはNAL社の配慮の結果だろう。端羽氏には手錠などはかけられていなかったが、NAL社の人型ロボットがぴったりと両側についており、その横に司畑氏もいた。事実上被疑者として扱われていた。
(ほんとうにそうなのだろうか。梓紗を疑うわけではないが、確かにQKDIDというあからさまに証拠を残す方法で殺すというのは……)
端羽氏の顔は血の気がなく、人間と言うより大理石の彫像に近くも見えた。題をつけるとしたら「憔悴」あるいは「困憊」。
「端羽さん」
急に梓紗が話しかける。彫像が動き、人間に戻った。但し、題を変えるほどではない。そういう題の人間が陳列された作品であるかのようだ。
「――どう思う? あなたは『IDが分かっているのだから、わざわざばれるような方法で大生さんを殺すことはない』、と言った。それに、私が犯人でもないと分かっているでしょう。どう思う?」
モノクルは光っていない。司畑氏の手前、勝手に動かすとも思えないが。とすれば梓紗の意図はなんだろう?
「君と僕が犯人でなければ、城井さんがやったとでもいうのか?」
やがて端羽氏は言った。
司畑氏がぴくりと眉を動かした。私をちらりとみるが、すぐに視線を梓紗に戻す。
「さあね。そこまでは分からない」
梓紗は簡単に受け流す。
「僕はやっていない。大生さんには恩もあるんだ。殺すなんてこと、考えもしない。彼がいなければそもそも会社は立ちゆかないのに、なぜ殺さなければならない」
一瞬、彫像のようだった光のない目に、怒りの色が浮かんだ。
「ではIDは?」
「――僕は誰かにはめられたんだよ。それ以外に言えないな」
彼は再び力を失ったようにそこで、うつむき、口を閉じた。梓紗は身を乗り出す。
「もっと言いたいことがあるんじゃないの? 私を犯人だとも、ほんとうは思ってないでしょう? QKDIDは変えられない。つまりあなたが外部ハッチにアクセスしたのは確か……そして大生さんは真空に暴露されたと思われる状況で死んでいた。それに対してもっと言うことはないの? あなたが何をしたかはっきり言わないと、あなた、確実に殺人犯よ」
だが、彼は血の気がひいたまま。人間から彫像に戻ったようにも見えた。
(なぜ……? 彼が自分は無実だと思っているなら、なぜ逆に血の気が引くの)
「――僕は恩知らずじゃない。それだけは確かだ」
彫像はやがて言った。
「そう。ありがとう」
梓紗はそこで口を閉じ、腕を組んだ。モノクルは光らせないまま。
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