第30話 沈溺
解決への糸口を掴んだ。確かにそう思っていた。
けれど夜になって自室に戻った大樹に届けられる連絡は、どれも無情な内容ばかりだった。
懸命に頭を下げて愛美の祖母にも頼み込み、何かわかったらと連絡先も教えたが、いくら尋ねても傷心旅行だからという意味不明な理由で教えてくれないというのだ。
人見知りなのに頑張ってクラスの女子に片っ端から連絡を取ってくれた楓も、好結果を得られなかった。
たまに一緒に遊ぶくらいの友達は多いが、互いの家を行き来したりなどの親密な関係にまでは至っていなかったらしく、愛美の家も知らない友人ばかりだったそうだ。
そんな彼女だからこそ、家の惨状を知られても仲良くしてくれる楓は貴重な存在だったに違いない。実際に愛美も親友だと呼んでいた。
「それなのに自分で台無しにするのかよ……! くそったれ!」
愛美自身が強く拒絶しているせいで、どう頑張っても連絡が取れない。とことんまで孤独になって気持ちを整理するつもりなのだろうか。
せめて大樹が送ったメールを見てくれていれば救いもあるが、もしそうでなかったら悲劇でしかない結末が訪れるはめになる。
「どうすれば……どうすればいいんだよっ!」
勉強机を叩く。座っていた椅子が軋み、コトンと何かが床に落ちた。着物を着た男女の子供の人形だった。
思えば男児の方を押入れの奥で発見してから、愛美との奇妙な関係が始まった。それまでは苦手意識はあっても、さほど気にしていなかったのにである。
「お前らが再び出会いたくて俺に夢を見せたってのか? それで出会ったからあとは満足だってのか? 引き離した俺への意趣返しだとしても、あんまりだろう!」
もちろん返事はない。これでいきなり口を動かして言葉を発したら、完全なホラーだ。女児に寄り添う男児は、微笑ましげな表情を浮かべるだけだった。
「何でこんなに気になるんだよ。もう知るかって放っておければ楽なのに……!」
夢の通りに死なれると寝覚めが悪い。それだけの理由で愛美の窮地を救った。それで終わりのはずだった。
なのに愛美は次々と新しい死の運命を呼び込み、回避させるべく一生懸命になっているうちに、いつしか目が離せなくなった。
せっかく小学生の頃から好きだった楓と両想いになっても気にかけてしまい、あえなく破局を迎えてしまったほどに。
「くそっ! くそ、くそ! どうすればいいんだ! どうしたらいいんだ!」
何度も机を叩き、暴れたところで脳裏に蘇るのは日中に万峰骨董店の女店主に言われた忠告。
落ち着くんだ。必死で自分に言い聞かせ、立ち上がって深呼吸をする。各方面を頼って、旅行中だという愛美と連絡を取ろうとしたが駄目だった。
「何が傷心旅行だよ。傷ついても黙って見てるだけがいいってか。それじゃ、ガキの頃に羨ましそうに公園を見てた時と同じだろうが。クソッ、何が何でも文句を言ってやらないとな」
いっそインターネットなどのツールを駆使して、情報を求めてみようか。勝手に顔を晒して有名人になっても、死ぬよりはマシだろう。
問題はその死に確実性がない点だ。これまでも事前に救えたので夢の通りにはならなかったが、あのまま放置しておいた場合の展開は見られなかったことになる。本当に死んでいたのかと問われても、わからない以外の答えがないのだ。
さらに事故るとしても、それがいつなのか不明なのも厄介だ。いくら昔と違って情報を集めやすい世の中になったとはいえ、一時間や二時間で十分な量が集まるとは思えない。頑張って居場所を探し当てても、すでに手遅れなんて事態も考えられる。
「打つ手なしか……いや、一つだけ……あるのか……」
大樹の視線の先には男女の人形。不思議な夢を見せ、子供の頃に縁があった少女を幾度となく救わせた。
「だったら……もう一度、俺に夢を見せてくれ。お前に……本当に力があるというのなら! 俺にあいつの夢を見せてくれ! お願いだ!」
人形に頭を下げるなんて、我ながらどうかしている。理解はしているが、もはや大樹に頼れるのはここまで導いたも同然な不可思議な力しかなかった。
「俺は……愛美を救いたい。それで一言、ガツンと言ってやりたい……!」
大樹の声以外に部屋へ響く音はない。言い終えれば夜へ同調するような静けさが戻る。
見つめる人形の男女は黙してその場に佇むだけ。勝手に涙が零れた。
己の無力さが嫌になる。周りから変に思われようとも、叫びながらそこら中を走りたい気分だった。
「ちくしょう……」
漏らした呟きは誰にも届かず、無機質な天井へぶつかり、弾けて消えた。
※
知らずにウトウトしていたらしく、目を開けた大樹はもう朝になったのかと思った。けれど、寝惚け眼はすぐに大きく開かれ、混乱と動揺にまみれる。
気がついたら自分の部屋ではなく、屋外にいたのだ。それも海に。
白い星を敷き詰めたような砂が太陽に反射して煌めき、透き通った水面の青さはまさに宝石のごとく。絵葉書にしたら売れそうな風景だというのに、周りに海水浴客は誰もいない。どうやらここは穴場のようだった。
そう考えて大樹はハッとする。あまりにも現実感があって勘違いしてしまったが、明らかに異質すぎる。部屋にワープ機能なんてものがない以上、起きたら別の場所にいたなんて現象がひとりでに起きるはずがないのだ。
これは夢だ。
理解した途端にノイズが走る。光景が破かれそうな白い亀裂がそこかしこに走り、視界が歪む。
待ってくれ。もしこれが例の夢だとするなら、手がかりがあるはずなんだ。
「……良い天気。すべてを忘れてスッキリするにはピッタリね」
水色の水着が眩しい。ビキニではないが魅惑的な肢体のラインがはっきりわかる。夏空を満喫するように両手を伸ばせば、薄い生地に包まれた二つのふくらみが強調された。
いつだったか楓を羨ましがっていたが、愛美のも決して小さいわけではなかった。
間近で見るクラスメートの水着姿に感嘆のため息を漏らしたあとで、大樹はようやく我に帰る。好色な中年親父よろしく、いつまでも鼻の下を伸ばしている場合ではなかった。
例の人形が大樹の望みを叶えてくれたのかどうかは不明だが、とにもかくにもまた例の夢の中にいる。ゾッとするほどのリアリティで、それがわかった。
だが、その内容というか印象は以前とまったく違う。
それは何故かと考え、大樹は顔を上げる。愛美との距離が近いのだ。
前回はかなり遠くから覗くような感じで、声も聞こえなかった。それが今回は手を伸ばせば届く距離にいる。よく観察できたのもそのせいだ。
「こんな名所があったなんてね。たまたま道を聞いた地元のおじさんに感謝しなきゃ」
はしゃぐように言った愛美は、海の向こうまで見てやろうとばかりに額へ手を当てた。
荷物は砂浜から少し離れた草が密集している場所へ、隠すように置いてある。
もしかしたら着替えも、などと邪な妄想に囚われている暇はない。この夢がどんなに辛い結末を迎えようとも、目を逸らさずに最後まで見続けなければならないのだ。
そうしなくては、些細な手がかりすら得られない。ノイズに負けないよう目を皿にして風景の特徴を探すも、やはりここがどこかという決定的な確証は得られなかった。
だが、愛美との距離が縮まったおかげで砂浜の感じは大体わかった。そして彼女の言葉で、地元のおじさんが知っているような穴場の海水浴場とも。
「冷たくて気持ちいい。海を独り占めなんて贅沢。できれば家族と来たかったな。それと……あいつとも……」
声が段々と小さくなったせいで語尾が聞き取れなかったが、どうやら愛美は誰かと一緒にこの海で遊びたかったみたいだった。寄せる波をえいと蹴り上げ、弾ける飛沫で顔を濡らして面白そうに笑う。
「はあ……。あたし、何やってんだろ。身を引くって決めたのに、余計に気を遣わせて、あの二人を別れさせちゃうなんてさ。それに……嫌になる。どっちも大切な人なのに……破局したって聞いて……少しだけど、喜んだ。あたしにもまだチャンスあるって……最悪だよね。こんな性格の腐った女に、親友とか彼氏とか……相応しくないよ……」
何を言ってるんだ、お前は。怒鳴りつけてやりたいのに、相変わらず声が出てくれない。
「やめやめ! せっかく心をリフレッシュさせて、帰ったら笑顔で二人と会うって決めたんだから! 雑念を打ち払うじゃないけど、泳ぎまくってさっぱりしよう!」
周りに誰もいないからか、愛美は大声で独り言をぶちまけ、猛然と海の中をダッシュする。
海水に顔をつけ、優雅に泳ぐ姿はまるで人魚みたいに美しかった。見惚れてもおかしくない光景なのに、大樹の心臓は締めつけられるようだった。
待て。すぐに海から上がるんだ。奥へ行こうとするんじゃない。
伸ばしたくとも手は動かない。苦しさだけが増し、今にも号泣しそうになる。
「ぷはっ……ああ、気持ちいい。ようし、あそこに見えるテトラポットまで泳いでみようかな」
泳ぎは得意なのか、お手本のようなクロールで水面を掻き分ける愛美。大樹から猛烈に離れていくみたいで、胸を掻きむしりたい焦燥感が爆発する。
――行かないでくれ!
内心の叫びは届くはずもなく、快適に泳いでいた愛美の愛嬌のある顔立ちが歪む。
「あっ、ぐ、足……が、んあっ、あっ、ぐうっ」
狂ったように両手が水面を叩く。目指していたテトラポットにはまだ距離がある。捕まるものは何もなく、戻ろうにも砂浜からは離れすぎてしまった。
どうやら足をつったらしい愛美のいる場所はすでに足がつかないみたいで、水上へ顔を出すのにも苦労していた。
今すぐにでも助けに行きたい。なのに大樹の肉体は金縛りにでもあったみたいに動かない。顔の位置を変えるだけでやっとの有様だった。
「い、嫌っ! 助けて……誰か! あぶっ」
口を大きく開いたせいで海水が入り込み、余計に愛美はパニック状態に陥る。それでも懸命に生へしがみつこうとするが、どこまでも無慈悲な運命が彼女のもう一本の足までもつらせた。
「死に、たくない……いや……んぶっ、ああっ」
水中の様子が見えないのに、つった両足が痙攣して絶望しきった少女の心がわかる。以心伝心ではないが、まるで愛美の感情が大樹の心へ直接入り込んでくるみたいだった。
「もっと……生き、たい……せっかく、助けて……んぶっ。もらった、のに……」
水面から顔を出していられる時間が短くなっていく。
突然に両足をつるという予期せぬアクシデント。しかも危機を知らせられる友人や知人はそばにいない。
足音を立てて迫りくる死への恐怖が、愛美の冷静さを奪っていた。
波もあり、暴れるに等しい手の動きだけでは状況を好転させるには至らない。おまけに助けを求めて口を開くので、海水を飲む頻度が多くなって、必要以上に体力を消費する。
その結果、血を吐くような苦しみの中でも、叫び声一つ上げられない大樹が見ている前で、愛美の顔が海水へと沈んでいく。
「……たす……て……だい……き……」
最後に見えた口の動きで、愛美が自分に助けを求めたのだとわかった。けれど夢の中にいる大樹には、どう頑張っても手出しができなかった。
程なくして、少し前までは楽しそうにはしゃいでいた少女の髪の毛すらも見えなくなる。
穏やかで優しい海は表情一つ変えずに人間を呑み込む。それはとても雄大で神秘的で、とてつもなく残酷で無慈悲だった。
そのまま時間だけが過ぎていく。いつかの夢と同じように誰にも発見されず、残った荷物だけが愛美の生きていた証明のように、大樹の視界の隅で佇んでいた。
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