第14話 調査
「やれやれ。カルシウムが足りない……っていうか、清春へのフラグだったりしてな」
「……笑えない」
「悪かったから本気で睨まないでくれ」
降参のポーズを取り、腰に手を当てて上半身を軽く反らせる。
「これからどうする?」
「骨董店で新しい話は聞けなかったし、人形を調べるのは手詰まりだな」
「なら瑞原の方」
「しかねえよな。今更見捨てられるわけもねえし」
あまり表情を変えない親友が、やっぱりと言いたげに笑う。「付き合う」
「助かる。俺一人だと、ストーカー扱いされかねないからな」
「今朝の様子なら大丈夫。でも修羅場のフラグが立った」
「修羅場?」大樹は聞き返した。
「瑞原と小山内」
吹き出しそうになったところで危うく堪える。楓を好きなのはとっくにバレてしまっているが、どうしてそこに愛美が加わるのか。
素直に聞くと、清春はニヤリとする。
「下の名前で呼び合うのはフラグ」
大樹にその気がなくとも、周囲が聞けば誤解してもおかしくない。現実に楓と名前で呼び合うようになった際も、周囲の男どもから注がれる視線の険悪度が三段階増したほどだ。
「とどめは女子に瑞原の住所を聞く」
そこでうっと言葉に詰まる。愛美を調べたくとも、住所すら知らない。最近は個人情報保護などで緊急連絡網すらなかったりする。
知りたいのなら清春が言った通り、彼女と仲の良い女子生徒に聞くしかないが、余計な噂を広める原因となるのは明らかだった。
「だからといって、直接聞くのも恥ずかしいしな」
携帯電話の番号すらいまだに聞けていないのだ。住所は難易度が高すぎる。
とりあえずこの間の事故現場まで行ってみるかと、最初に清春の家に立ち寄って自転車で移動を開始する。
修復されていないフェンスが痛々しいが、誰の命も失われなかったことに満足する。しかし、大樹はまた悲惨な夢を見てしまった。
「はあ……本当に何かの呪いとしか思えなくなってきた」
「例の夢? 瑞原にとっては助け」
「だったら親にでも――って、そうだ。夢で見た店に行ってみるか」
大型スーパーのある中心商店街から東に歩けば、入り組んだ場所に出る。迷路みたいに細い路地が交差し、競うように小さな店が並ぶ。
夜になれば人を誘うようにネオンが輝くも、どの店舗もかなりの築年数で外観は薄汚い。
その東通りは昔こそ商店街として人気だったみたいだが、現在は常連のみが通う程度にまで各店の客は減っている。
そのため、中には過激なサービスで生き残りを賭けているみたいだが、所詮は店に入れない高校生の噂話。信憑性などないに等しい。
……とばかり思っていたが、昨夜の夢が現実になるのだとすれば間違っても笑い飛ばせない噂になる。何せ夢の中の愛美は自分を汚れたと言ったのだ。
「どんな店?」
「雑居ビルだ。市内に四階建ての建物なんてそうそうないから、すぐにわかるだろ」
夕方近くで東通りはガランとしている。夜になれば本当に賑わうのかすら怪しいほどだ。寂れた地帯だからこそ、違法な運営をする店もあるのだろうか。勝手な想像が浮かぶ。
「あれだ」
目当てのビルはすぐに見つかった。大樹の読み通り、他はあったとしても二階建ての建物ばかりだったからだ。
大半が各階で店を営業しているが、潰れたようなところも見受けられる。
雑居ビルから旗みたいに横に小さく伸びる正方形の看板が縦に四つ並び、それぞれに店名が書かれている。一番上の四階は明美。名前だけでスナックとわかる。
「いかがわしさ満載だな。エロゲだと頻繁に登場するんじゃないか?」
「大体、主人公が殺される」
「大変だな、清春」
慈愛に満ちた視線を、鼻からの小さな笑いが吹き飛ばす。
「俺は親友ポジション。意外と一番美味しい」
「交換しないか?」
「無理」
軽口を叩きながら、雑居ビルの中に入ってみる。灰色の薄汚れたコンクリートのビルに扉はなく、ぽっかりと穴が開いているような入口があるだけで、誰でも簡単に入れるようになっている。
真っ直ぐ進むと居酒屋じみた店の小さな扉が右側の壁にあり、ビルの出入口からすぐ左には上へと続く階段がある。
「悪夢の感じからすると居酒屋で……って可能性は低いか」
同意を求めるように見た親友が、意外にも顔を左右に振った。
「お座敷に呼ばれるコンパニオン」
「居酒屋にお座敷なんてないだろ」
「警察の目を欺くために、内部に秘密のスペースが」
普段ならエロゲのやりすぎだというツッコミ一つで終わるが、例の夢を見ているので妙な説得力を得てしまう。考えてみれば、違法な経営を堂々とするわけがないのだ。
「まいったな。どんどん現実がエロゲに思えてきた」
「エッチシーンを期待」
「ねえよ!」
荒げた声が虚しさを伴ってビル内に響く。夕暮れ時も近くなれば開店準備に余念がなくなるはずなのに、店の外には誰も出てこない。
二階に上がってみるも、状況は一階と同じ。無機質なコンクリートの壁にドアだけが存在する。ビルとはいえさほど大きくないだけに、一店舗入るだけでやっとなのだろう。
一階と二階が居酒屋じみた店名だったのに異なり、三階はセクシーというあからさまに怪しい店名だった。ドアの前の小さな看板もピンク色でいかにもな雰囲気を醸し出している。
四階にも行ってみたが、どうにも営業している感じがしない。テレビなどでよく見る都会の歓楽街とは大違いだった。
「怪しいのは三階のセクシーか。とはいえ、俺らじゃ入れないしな」
私服に着替えたところで未成年は未成年。知らないふりをすれば入店できそうな雰囲気もあるが、ぼったくられて借金を背負わされ、学校に知られたくなければと脅されて川に沈められるような展開になったら、愛美を救うどころの話ではなくなる。
「作戦を練り直すしかないな」
事件の発生が今夜でないのを祈りつつ、階段を降りる。
すると、三階のセクシーからタイミングよく従業員らしき男が出てきた。
「あれは……」
大樹は反射的にしゃがんで隠れる。同じ体勢になった親友が、背後から知り合いかと目で尋ねる。
「夢で見た顔だよ」
昨夜の今日なので間違えようもない。いかがわしい服装をさせられた愛美に、鬼のような形相で文句を言っていた黒服の男だ。
夢ではそこまで気にしていなかったが、一メートル八十はありそうな長身で、ベストを押し上げる胸板の感じからして体格もよさそうだ。そこらのチンピラではなさそうな雰囲気で、間違っても真正面から喧嘩をしたくないタイプである。
「瑞原とも関係が」
「さあな。夢だと男だ女だって単語もあったから、どっちかというと両親とじゃないか」
つい最近、愛美の家は貧乏だと昔話の一部で知ったばかりだ。幼少時に夜逃げも経験しているのなら、両親が金銭問題で怖い人と知り合っている可能性も低くはない。
「直接聞くわけにもいかないしな。とりあえず店がわかっただけでもよしとするか」
男が店に戻るのを待って、大樹は清春とビルを出た。
緊張で喉が渇いていたのもあり、大型スーパーの近くにあるコンビニへ立ち寄る。チェーンではなく個人で経営している珍しいタイプだが、目の前のスーパーや田舎にも次々と進出する大手コンビニに押されて、いつ潰れてもおかしくないくらい店はガラガラだった。
かくいう大樹もわりと近くに自宅があるにもかかわらず、ここ何年も利用していなかった。
声の小さな女性店員のか細い「いらっしゃいませ」を背中で聞きながら、冷えたジュースコーナーでお茶のペットボトルを掴む。
あとはレジの前の適当な安菓子でもと思って振り返った瞬間、どこか見覚えのある制服にエプロン姿の女性店員と目が合った。
「げ……」癖になっているのか、無意識にそんな呟きを漏らしたのは、なんと愛美だった。
「お前……まさか、ここでバイトしてるのか?」
「いいでしょ、別に。校則で禁止されてるわけじゃないし」
ふんとでも言いそうに顎を斜めに上げた愛美が、商品をさっさと寄越せと手を伸ばす。
お茶を受け取ると、慣れた動作でバーコードをスキャンしてレジを打つ。
「おい……まだ菓子とか買うつもりだったんだけど」
「えっ……ならさっさとしなさいよ。他のお客さんの迷惑になるでしょ!」
唾が飛んできそうな勢いで怒鳴られた大樹は、店内を見渡して一言。「他に客はいないぞ」
「う、うるさいわね。コンビニの仕事って意外と忙しいのよ。商品の補充とか!」
「……減ってるようには見えないぞ」
奥行だけはそこそこある狭い店内は、大手のコンビニに比べると半分程度のスペースで、品揃えもいいとはいえない。スナック菓子も古いものが多く、和菓子などの袋は聞いたことのないメーカーのものばかりだ。
甘いものが食べたかったので、大樹はレジ前にあった小さな羊羹をカウンターに乗せる。
唇を尖らせた愛美がレジを打ち、大樹は代金を支払いながら尋ねる。
「いつからバイトしてるんだ?」
「転校してきてすぐよ」
「……学費のたしか?」
思い切って聞いてみた直後、キリリとした少女の眉が吊り上がった。
だがすぐに怒りを鎮めるように息を吐くと、少しだけ肩を落として、大樹の言葉を認めた。
「そうよ。お祖母ちゃんに援助してもらえてるけど、余裕はないからね。昔からよく言うでしょ、働かざる者食うべからずってさ」
屈託なく笑っているようでいて、寂しさを隠しきれていない。幼少時からの積み重ねなのだろうが、そこには哀れなほどの諦観が滲んでいた。
「どうして言わなかったんだよ、そうすれば――」
「――協力した? バカ言わないで。そう簡単になんとかできるものじゃないし、周りに言うことじゃないでしょ。それに憐れみなんてまっぴらよ」
「悪かったな」
大樹は素直に謝った。人には人の事情があり、勝手に踏み込むべきではないと思ったからだ。
「殊勝な態度ね。でも、おまけはしないわよ」
「割引したら店が潰れるだろ。クラスメートからアルバイト先を奪うほど悪人じゃねえよ」
大樹は愛美に手を振り、炭酸飲料を購入した清春とコンビニを出る。外はすっかり夕暮れに染まっていた。
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