第15話 借金

 清春と別れ、お茶を飲みながら夜になるのを待つこと少し。完全に辺りが暗くなった頃に、アルバイトを終えたらしい愛美が店から出てきた。


 軽く手を上げて「よう」と声をかけると、愛美は口元に手を当てて驚きを露わにする。


「いたの? なんかストーカーっぽいよ」


「うるせえよ。それより少し話があるんだ」


 向かったのは先日も訪れた公園だ。近くに街灯がないので夜に利用するのは野良猫ばかりで、遊び場の乏しい田舎の高校生でも逢引の場所には選ばない。したがって話はゆっくりできる。


「何よ。こんな場所に連れ込んで」


 例の夢についての情報を得たいのだが、質問したい内容はどれも相手のプライベートに土足で踏み込むようなものばかりだ。口にしたが最後、転校初日の強烈な平手打ちをまたしても喰らう結果になりかねない。


 だが痛い思いを嫌がれば悪夢が現実になるかもしれない。避けるために覚悟を決めたはずが口は重く、なかなか頭の中にある質問を言葉にできなかった。


 口を開きかけては閉じる。プログラムでもされたように繰り返していれば、愛美でなくとも怪しむ。怪訝そうに顔を歪めた少女は、ジャングルジムに背中を預ける。


 数呼吸ほど交わした視線を、最初に逸らしたのは大樹だった。それで確信を得たとばかりに、愛美が切り込んでくる。


「もしかして……前にあたしを助けてくれたっていう夢絡み?」


「……っ! どうして……」


「それだけ言い難そうにしてればわかるわよ。まさかまた事故にあうわけ?」


 当人に教えてはいけないという、いかにもゲームじみた制約はなさそうなので問題はないだろうが、さすがに本人を前にして言うのは憚られる。


「いいから言ってよ。そんな態度だと余計に気になるじゃない」


「……怒らないで聞いてくれ。お前の……親父さん、借金……あるか?」


「はあ? 何よ、それ。あったら何だって言うのよ。大樹が肩代わりしてくれんの?」


 やっぱり不機嫌にさせてしまったとため息をつき、大樹は両手を軽く前に出して落ち着いてくれとジェスチャーする。


「見たのは、お前が雑居ビルの屋上から飛び降りる夢だ。理由は借金苦」


「なっ――! たちの悪い冗談はやめてよね!」


「冗談だったらどれだけいいだろうな。俺だって前の事故が笑い話に終わってりゃ、こんな話してねえよ。せっかく仲良くなりかけてる奴に、嫌われるような真似するかよ!」


 ぶつかりあった感情が夜空に舞い上がり、沈黙を降らせる。


 互いに相手を見られず、押し黙った気まずい時間を最初に打ち破ったのは愛美だった。


「本当に……夢が現実になると思う?」


「わからない。ただ、夢で見た通りの場所で、見た通りのトラックが、見た通りにお前を轢こうとしたのは事実だ。放っておけば結果も分かっただろうが、そんなことできないだろ」


「……そうだね。大樹は優しいものね」


 数歩前に出た愛美が、月明かりだけが頼りの公園で嬉しそうに笑う。


「お父さんは……借金してると思う。この町に戻ってきたのだって、小さい頃と同じ理由だろうし。心配させたくないのか、あたしには言わないけどね」


 真顔に戻り、愛美は大樹を真正面から見つめる。


「でも、あたしは両親を信じてる。貧乏で生活はキツキツだったけど、愛情は貰えてたもの。アルバイトだって強制じゃなくて、自主的にしてるの。だから大丈夫。自殺なんてしないわ」


 愛美はウインクして、力こぶを作って見せる。健気な仕草に心を打たれ、それきり大樹は何も言えなくなった。


 恐らくはその父親の作った借金返済のために、いかがわしい店で働かされてしまったであろう夢の一部を。


 愛美を自宅近くまで送って帰宅した大樹は、清春に部屋で電話をかけ、公園でのやりとりを伝えた。


「やっぱり借金」


「愛美の奴、家族思いっぽいからな」


「どうする」


「決まってるさ」大樹は腹に力を入れて告げる。「助けるしかないだろ」


 相談という名目で親友に相談をしたのも、決意を固めるためだった。


 電話を切り、ベッドから天井を見上げた大樹はポツリと呟く。絶対に助けてやるからな、と。


     ※


 父親の帰宅が午後七時を過ぎる土屋家では他の家に比べて夕食が遅く、家族三人揃って午後八時に居間で食べるのが恒例になっていた。


 祖父はまだ存命だが、昔ながらの木造家屋で祖母が亡くなった今も一人で暮らしている。一軒家ではあるが間取りもさほどではなく、何よりいつ崩れてもおかしくないほどオンボロなので、実家での同居はほぼ不可能だった。


 息子の嫁となる大樹の母親との仲も悪くはなく、よく一緒に住もうという話になるのだが、本人が頑なに首を振らない。人生も残り僅かなので、慣れ親しんだ家を出たくないというのが理由だった。


 その代わりではないが、昔からちょくちょく遊びには来ていた。もっとも、大樹が高校に入る頃には頻度も少なくなっていたが。


 テレビもつけず、黙々と食事をする。それが普段の土屋家の夕食なのだが、今日ばかりは事情が違った。父親が席に着くなり、大樹が切り出した話題のせいである。


「よそ様の家庭事情に首を突っ込んでどうする。余計に事態を悪化させたら、お前は責任を取れるのか」


 五十も間近に迫りつつある父親が、白いのが混じり始めた短髪を掻く。どちらかといえば声を荒げる性格ではないのだが、同じやりとりが続いているのでさすがに苛ついているようだ。


「けど万が一、借金返済のために娘を変な店で働かせようとしたらどうするんだよ」


「そんな親はいない」腕を組み、椅子に反り返るようにして父親は断言した。


「常識で考えればその通りだよ。でも切羽詰まった状況ってのがあるだろ」


 場の空気がヒリつくような緊張感。いつもはここまで険悪になる口論をしたりはしない。勝気だと思っていた母親が、戸惑いを隠せないでいることからもわかる。


「二人とも少し落ち着いて」窘めたあとで、母親は大樹を見る。「大樹が心配するのもわかるけれど、助けてあげたとしてそれからどうするの。永遠に面倒は見られないのよ」


 まったくの正論に、己の感情を振りかざしていただけと思い知らされる。


 自分の家庭を守るので精一杯なのに、いくら窮しているからといって他人の懐を温かくさせようなんて考える人間はいない。


 大樹が貯金をはたいたところで、夜逃げを繰り返さなければならないような借金を代わりに返済できるとは思えなかった。


 母親の言う通り、一時的にどうにかしてあげたところで、結局は愛美の両親――主に父親が経済状況を好転させない限り元に戻ってしまう。


「そもそも、どうして借金をしたのかもよくわかってないのだろう。手を差し伸べても、人によっては不愉快だと憤ることだってある。お前が考えるほど、大人の世界は甘くないんだ」


 話は終わりだとばかりに立ち上がった父親は短く風呂と告げ、食器を台所に置いて居間を後にする。


 残された大樹がため息をつき、母親は後片付けのために台所へ向かった。


     ※


 携帯の番号とメールアドレスは夜の公園で教えてもらえたものの、親父さんは何で借金を作ったのかと聞ける仲ではない。勇気を振り絞ってメールしたとしても、返事はないだろう。


 昼休みの教室で家でのやりとりもすべて報告した大樹は、清春の前で食べかけの焼きそばパンを片手に天井へ大きな息を噴き上げた。


「だいぶまいってる」


「今回は単純に事故を防げばいいってものじゃないからな」


 毎晩のように雑居ビルの屋上へ行き、力ずくで飛び降りを食い止めたとしても、夢の通りであれば愛美は汚れてしまったあとになる。加えて借金問題も解決したわけではないため、遅かれ早かれ必ずまた同様の状況に直面する。


「借金ごとどうにかしないとだめなんだけど、高校生じゃどうにもできないしな。こんな時、エロゲではどうなるんだ?」


「偶然アラブの石油王が友達に」


「あればいいな」


 まさしくゲームな展開を祈るだけなら楽だが、現実でそれをやるとバッドエンドに直行してしまう。回避するための重要な方法は一に努力、二に努力だ。


「せめて借金の理由だけでもわかればいいけどな」


「瑞原の家は」


「もしかしてあいつの父親を見張るってのか? それはいくら何でも……いや、もしかしたら現実でとれる最良の手段かもしれないな」


 借金で苦しむ両親を見かねていかがしい店で働きだしたのであれば、汚れるのも覚悟の上だったはずだ。恐らくは心の準備ができていないうちに、店へ連れて行かれたのではないか。


 だとすれば今回の悪夢の鍵となるのは父親だ。あくまでも夢の内容がそのまま現実の出来事であればの話だが、夢の中の黒服は真っ先に男――つまりは愛美の父親を示唆していた。


「そうと決まれば即行動だな。幸いにして出席日数も足りてるし、一日かそこらサボっても単位には影響ないだろ」


 バッグを肩に担ぎ、清春にあとは頼むと言い残して廊下へ出る。


 急いだせいで誰かとぶつかりそうになり、映画のアクションスターよろしく身体を捻ってなんとか回避する。


「悪いっ」


「は、はい……って、大樹君?」


 教室に戻ろうとしていたのは楓だった。流れるように綺麗なライトブラウンの髪を揺らし、浮かべた笑顔が天使のごとく美しい。あくまでも大樹の主観ではあるが、異議を唱える男子はいないだろう。


「バッグを持ってどうしたの? これから午後の授業が始まるけれど……」


「あ、ああ……ちょっと用事ができてな、それじゃ!」


 追及される前に足早に逃げ去る大樹を、愛美がつまらなさそうに教室から見ていた。

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