第22話 強情
「これ以上ここにいたら汚れるな」
裏手側から体育館に入る。授業で使われていないので、妙にガランと広く感じる。靴下で上がり込むと、ぷはっと大きく息を吐いて大の字になる。
「少しはすっきりしたか?」
「ああ。楓が一緒じゃなくて良かったよ。恰好悪すぎだったしな」
自嘲気味の大樹の隣に腰を下ろした親友が、したり顔で甘いなと立てた人差し指を振る。
「母性本能をくすぐられて、一大イベントになっていた可能性がある。何しろ俺の好きなミルクちゃんは困っている男を見ると、豊満な胸の谷間に顔を埋めさせたくなる性質持ちだ。あざといほど狙って作られたキャラのようにも感じられるが、そこを気にさせないほどの魅力がミルクちゃんにはある。なにより――」
「――わかった! もうわかった。お前、本当に好きなキャラのことになると人が変わったように喋るよな」
「それが愛」
真顔の清春に、大樹は思わず吹き出した。
「笑うところと違う」
抗議するような台詞だが、清春も笑っていた。
「ミルクちゃんはいいけど、ミドリちゃんはどうしたんだよ。浮気か?」
「愛は平等に捧げるもの。しかしミドリちゃんは永遠のヒロイン」
大樹はまいったと両手を上げながら上半身を起こす。
「……ありがとうな」
「気にするな、親友」
握手をしてまた寝転がる。一時的なものだったらしく、外から雨音は聞こえなくなっていた。
背中で床のひんやりした感触を味わっていると、清春が顔を覗き込んできた。
「それで、どうする」
このまま学校を早退するかではなく、愛美の件だろう。ここで大樹が手を引いたとしても、楓も含めた二人が責めないのはわかりきっている。だからといって、甘えるわけにもいかない。
「考え方を変えるさ。どうして俺がじゃなくて、俺だけがあいつを救えるんだってな。なら、やるしかねえだろ。愚痴らせてもらって、だいぶ楽になったしな」
「協力する」
「頼りにしてるぜ。けど、どうすればいいんだろうな。愛美の母親に直談判しに行っても、昨日のリプレイになる可能性が高そうだし……やっぱり祖母を頼るしかないか……」
愛美の祖母は、息子にさらなる借金があると知って強権を発動した人物でもある。自分たちの力ではどうにもできず、大人の力を借りなければならないのはもどかしかったが、大切なのはプライドではなく結果だった。
※
「すまないけど、今回は力になれそうもないねえ」
急に訪ねた大樹と清春、それに一緒に着いていくと言い張った楓の三人を快く迎えてくれた愛美の祖母だったが、温かい緑茶を振舞ってくれたちゃぶ台の上で顔を曇らせた。
「どうして……ですか……」
ショックで黙ってしまった男性陣に代わり、居間には楓の壊れそうなほど儚い声が零れた。
「あの子がそれを望んでないからだよ。自分が両親の借金を返すときかないんだ」
強制的に同居を決めた老婆だからこそ、孫娘の身を案じて助力を申し出ていたのだろう。しかしそれを愛美本人が拒否した。
「これ以上、他の人に迷惑をかけたくないから、か……」
大樹の声に、小さく肩をピクンとさせた楓の視線を感じる。
「そんなの……悲しいよ」
「まったくだ。もっと頼ればいいだろうに」
お茶を美味しそうに啜る音を立てた老婆が、両手で持っていた湯呑をちゃぶ台に置く。
「あんたの言った通りさね。警察の厄介になったんだろ? あの子が部屋で泣きながら何度も謝ってたよ。頼ってしまったから迷惑をかけた。そう思ってるんだろうねえ」
大樹はギリ、と音が鳴るくらいに奥歯を噛んだ。愛美の信頼を得ていた時点でもっと上手くやれていれば、事態を悪化させずに済んだ可能性もあった。
「愛美が自分の意思でそれを望むのなら、婆は見守ることしかできないんだよ」
またしても沈黙に支配される中、大樹は意を決して口を開こうとしたが、遮るように玄関の引き戸の開く音が聞こえた。次いでただいまの声がして、やや急ぎ気味に居間へ足音が近づいてくる。
「やっぱり」
帰ってきたのは愛美だった。怒り、悲しみ、喜び、戸惑い、幾多もの感情が複雑に彼女の中で絡み合っているのがわかる。
「大樹には関係ないって言ったでしょ!」
「まあな。だが俺には関係あるんだよ。望む望まないにかかわらず、夢を見ちまうからな」
「放っておきなさいよ。そうすればいずれ、夢だって見なくなるわよ!」
愛美が両目を閉じて感情を爆発させる。心の声を読み取れるエスパーでなくとも、彼女がどうしようもなさから自棄気味になっているのがわかる。
だからこそ、大樹は告げる。
「放っておけるかよ! お前はそうやってあとで泣くんだろうが!」
「わかった風に言わないで!」
「わかるんだよ! 毎晩、お前の夢を見てるんだからな!」
緊迫する空気を和らげようとしたのではないだろうが、お茶を飲んで状況を見守っていた老婆が楽しそうに笑った。
「熱烈な愛の告白だねえ。婆も昔はあったんだけど、最近はとんとご無沙汰でねえ。ああ、もちろん死んだ爺さんとは別の男の人だよ」
まさかのドヤ顔に、怒っていた愛美の肩が萎れるように下がっていく。脱力しきってへたり込むも、だからといって大樹に助力を求めるつもりはさらさらないみたいだった。
楓や清春に心配をかけてごめんと謝りながらも、続けた言葉はでも大丈夫だった。
「これはあたしの問題なの。井出君や楓も自分の事を心配して。三年生なんだから進路の対策だってあるでしょ」
大樹もとひと睨みして、愛美は三人を強引に家から追い出そうとする。
「で、でも……もし大樹君の夢がこれから訪れる現実を示唆しているのだとしたら、とても放ってはおけないわ」
「楓は心配性すぎ。騙されて働くわけじゃないし、借金なんてぱぱっと返しちゃうからさ」
無理に作られた笑顔がとても痛々しかった。健気とは違うが、覚悟を決めた一人の女のプレッシャーに抗いきれず、攻防の末に外へ出されてしまう。
仕方ない風を装って立ち去るそぶりを見せたあと、音を立てないよう慎重に引き戸のそばで聞き耳を立てる。連結列車のごとく、大樹の横には清春と楓が並ぶ。
閉められたドアに何かがぶつかったようにがしゃりと鳴った。半透明なガラスの部分に見えるのは紺色の背中。玄関で座り込んだと思われる愛美が、うっうっと小さく肩を上下させる。
「……少しは素直になれってんだ」
玄関横を離れ、帰り道の途中で立ち止まる。
「愛美ちゃん、本当は助けてほしいんだよね」楓も涙ぐんでいた。
「どうすれば……それに働く日付」
清春の言葉が重く圧し掛かる。ずっと先であってくれればいいが、父親のみならず母親の借金もある。速やかな全額返済のために、借金取りはすぐにでも愛美を働かせたがるだろう。
「弁護士って手段もあるけど、愛美があれじゃ首を縦に振らないだろうな」
「すでに自己破産済みな可能性も」
「それはないかもな。愛美の父親は落ちぶれるってのを異常に恐れてるような感じだったし。だからこそ、ここまでになってしまったんだろうけどな」
大樹と清春の会話を横で聞いていた楓が、小声で「どうしよう」と呟く。
「学校で優秀な成績だからって、こんな時には何の役にも立たないのね。自分で自分の無力さが嫌になるわ」
「だからって勉強が無駄かっていえばそうでもないし、修羅場みたいな状況下で望み通りに動き回れる人間なんて少数派だろ。俺だってつい昨日、やらかしたばかりだしな」
悲しみに暮れる楓をなんとか慰めてあげたいという気持ちが、何の意識もさせずに大樹に楓の頭を撫でさせていた。驚きながらもくすぐったそうな、それでいてどこか嬉しそうに鼻を鳴らす姿が印象的だった。
才色兼備に見えても実は人見知りで、慣れると意外に人懐っこい。楓だって色々な内面を持っている。愛美も例外ではない。なら他の人物は――。
そこに思い至った時、大樹は勢いよく顔を上げた。
「もしかしたら、突破口を見つけたかもしれない」
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