第29話 焦燥

 世間一般の学生が夏休みに突入する七月の後半。終業式の日に万峰骨董店で気合を入れたまではよかったが、今日まで成果はゼロだった。


 ストーカーばりにメールや電話を繰り返したが、決意のほどを示すために楓と別れたと教えたのが逆効果になってしまった。


 責任を感じたらしい愛美は余計に大樹との接触を拒むようになり、泣きながら楓に元の鞘に収まるように説得しているのだという。


 これは楓本人から聞いた話だ。恋人関係は解消したものの、最後の夢も教えてあるので進捗状況を気にしてこまめに連絡が入る。


 愛美が母親と一緒に暮らす祖母の家も訪ねてみたが、朝早くに家を出て夜まで戻って来ず、挙句には二人の説得も聞かずに大樹とは会いたくないの一点張り。


 待ち伏せしても逃げられ、どうにもできないうちに日数ばかりを消費していた。


 こうなればと、最後の手段として人形を枕元に置いて眠ったりもしてみたが、見るのは愛美とはまるで関係のない夢ばかり。目覚めは快適なのに、不安が募るという矛盾極まりない朝を連日迎えるはめになる。


 結局、インターネットで全国各地の海を調べ、記憶に残っている海岸と一致していそうな所を探す作業に一日中没頭する。


 とはいえノイズ混じりだったせいもあり、いまいちはっきりとしない。それが大樹を余計に苛立たせる。


 気分転換の名目で午後から外に出る。今日も三十度を超える真夏日らしく、皮膚が溶けるのではないかと思えてくる。


 猛暑日連発の地域の住人にはその程度でと笑われるかもしれないが、修学旅行以外で県から遠出したことのない大樹には十分すぎる暑さだった。


「清春は……いないのか。ここ最近はずっとだな」


 清春についての夢は見ていないし、そもそもあげた人形も存在しない。メールでは連絡も取れているので、心配することはないだろう。


 そう考えて歩いているうちに、いつの間にやら愛美の祖母の家付近へ来ていた。どうせ門前払いだろうが、せっかく来たのだからと寄ってみる。


「おや、また来たのかね。早いとこ、愛美と仲直りしちゃどうだい」


 愛美の祖母が玄関前で水まきをしていた。怒っているのではなく、からかい半分なのは、しわの目立つ口元をニヤリとさせているのを見ればわかる。


「まあ、原因がアンタじゃなくて、愛美なのは見ていればわかるけどね。きっとつまらないことで意地を張ってるんだろうさ。父親もプライドのせいで苦労したってのにねえ」


「そこらへんは……何て言えばいいか……」


「遠慮しなくていいんだよ。婆はアンタを気に入ってるからねえ。息子のことなら心配ご無用。ああ見えて根は真面目なんだ。その分だけ脆かったってのは予想外だったけどねえ。アンタのおかげで免れたけど、家族といえど意外と簡単に関係が壊れてしまいそうになるんだねえ」


 寂しそうな老婆に、大樹は少し考えてから肯定の返事をした。


「でも、些細なことで元に戻るのも家族じゃないですかね。キツい職場に身を投じるのを些細というと怒られるでしょうけど」


 一瞬だけ目を点にした愛美の祖母が、楽しそうな笑い声を天高く響かせた。


「いいんだよ、あんなのは些細な苦労さ。過去を受け止めて生きていくと決めたんだからね。それに、アンタの言う通りだ。簡単に壊れては修復して、強い絆になっていく。それが家族だ。婆としたことが、こんなに大事なことをすっかり忘れてたよ」


 とても老婆とは思えない力で背中を叩かれ、たまらずむせてしまう。


「ますます気に入った。早いとこ意地っ張りな孫娘を素直にさせて、ものにしちまいな」


「ものにって……過激ですね」


「男女の仲ってのはそれくらいで丁度いいんだよ。またチャンスがあるなどと思ってはだめなんだ。その時が最初で最後かもしれないんだからね」


 青く澄んだ空を見上げながらの台詞には、強い実感がこもっていた。


 何らかの事情がありそうだが、土足で踏み込むのはさすがに躊躇われる。老婆が死ぬ悪夢を毎晩のように見ていれば話は別だが。


「そんなわけだから、アンタも一瞬一瞬に全力で挑みな」


「肝に銘じておきます。それで、その愛美さんは……」


 しまったとばかりに、ピタンと老婆が自分の額を叩いた。


「うっかりしていたよ。あの子、昨日から出かけてるんだ。確か傷心旅行とか恰好をつけてたね。愛美の母親は一人旅なんてと反対してたけど、今年で十八になるんだ。長期ならともかく、数日の旅行なら大丈夫だろうと婆が味方してやったんだよ」


 老婆は朗らかな表情を浮かべているが、以前に笑えない夢を見ている大樹にはそれどころではなかった。


「旅行ってまさか遠出……?」


「県外にいるみたいだね。昨夜の電話ではどことは言ってなかったけど、こまめに連絡もくれてるから心配しなくても大丈夫さね」


 大樹もそう思いたいが、例の夢の通りになってしまえば全然大丈夫ではなくなる。


 改めて愛美の居場所を聞いても、困惑よりかは楽しげに老婆は知らないと首を振るばかり。どうやら大樹が慕情を抱いて孫娘と会いたがっていると勘違いしているみたいだった。


 このままでは埒が明かない。老婆にお礼を言って立ち去ると、歩きながら何度も愛美の番号を呼び出す。


 けれど、着信拒否をされているのか繋がらない。挙句に出したメールの返事もない。注意喚起も含めて海には入るなと送っているが、読んでくれたかは怪しい。


 多少の躊躇いはあったが、楓に連絡して彼女からも呼びかけてくれるようにお願いする。清春にもメールで助力を頼んだ。


 勢いよく駆け込んだのは、夏休みでも午前中から営業している万峰骨董店。


「何か特殊な骨董品を売ってくれ!」


「……何だい藪から棒に」


 手短に事情を説明し、


「遠くにいる人間に物事を伝えられるとか、一瞬でそいつのもとにいけるとか!」


「落ち着きな。焦る気持ちはよくわかるけど、そんな便利アイテムがこの世にあってたまるものかい。ましてやウチは骨董店だよ。それにアンタが持っていた人形にだって、他人の危機を夢で知るような力があるなんて初耳だったんだ」


「じゃあ、どうすればいいんだよ!」


 掴みかからんばかりな剣幕の大樹の脳天に、太いチョップがお見舞いされる。たまらず両手で押さえて、涙に濡れた目を女店主に向ける。


「さっきも言ったけど、まずは落ち着きな。冷静さを失っていたら、解決方法なんて思い浮かばないよ」


 一日に何本吸っているのか、新しく火をつけた煙草の煙を吹きかけられる。嫌がらせじみてはいても、湯気が立ちそうな頭を少しでも冷やすには最適だと思っているのかもしれない。


「冷静になっても何もできそうにないから焦ってるんだよ。夢を見られたのは一度きり。本当に現実になるのかどうかもわからない。時間も場所も不明。なのに着々と悲劇の結末へ舵を取っているように思える。一体何なんだ!」


「アタシにはアンタの説明の方が意味不明だよ。その時点で普通の精神状態ではなくなってる証拠さ。慌てる前によく考えな。一番手っ取り早いのはどんな方法だい」


 促されて三度ほど深呼吸をしてから、腰に手を立てて目を瞑る。夢で見た出来事が現実にも起きると想定し、防ぐために重要なのは現場がどこか判明させること。闇雲に探しても見つかるわけがないのだから、知る方法は一つしかない。


「愛美に場所を教えてもらうことだ。でも、俺だけじゃなく、楓でもだめなんだ」


「楓? もしかしてアンタが振られたって女の子かい。ははあ。その分だと三角関係みたいになってんだね。青春だねえ。アタシにもそんな時代があったよ」


 毒舌ツッコミ役の親友がいないので、あえてというか触れるのが恐ろしいのでスルーしていると、今日は紫色のキャミソール姿の満子がつまらなさそうに舌打ちした。


「まったく張り合いがないね。一生懸命なのはいいけど、大事な時ほどほんの少しの遊びを覚えな。それが心の余裕を生むんだ。小憎らしいけど、アンタの親友はそれがよくわかってるよ。……まあ、アイツの場合は天然の可能性もあるけどね」


 満子が自分で作った紫煙のドーナツに、息を吹きかけて崩しては面白そうに口角を歪める。


「さて、話を戻そうか。三角関係だとすれば、女の子同士の仲は微妙になるもんさ。その証拠が連絡を取れないという状況になってるわけだ。けど、他の女の子ならどうかね。助けたい女の子が孤独を愛する性格でなければ、学校で仲の良い子もいるだろ」


「そ、それだ! さすが年の功」


「……次、年齢のことを口にしたら、店の天井から吊るすよ」


「……すみません」


 光明が見えてきたことでアホな会話をする余裕も生まれたのか、ひとまず大樹は楓にメールで、愛美と仲の良さそうな子がいたら連絡を取ってもらえるように頼んでほしいとお願いする。


「そうだよな。愛美と連絡を取るのが、事情を知ってる人間じゃないといけないって縛りはないんだ。そうなると……あ――っ!」


「ずいぶんとデカい声を出すねえ」


「愛美の母親やお祖母さんに聞いてもらえばいいんだよ! 家族なんだからそれが一番手っ取り早いじゃないか!」


 ようやく気がついたかいと言わんばかりに、脂肪の乗った顔で得意げな笑みを作る満子。


「回り道のように思えて、実はそれが一番の近道だってこともあるんだ。一心不乱に目的を達しようとする志も大事だけど、迷ったら周りをよく見渡してみな。四面楚歌に思えても、意外とそこらに解決方法ってのは転がってるもんさ」


「ああ! 助かったよ!」


「……で、今日は何を買ってってくれるんだい?」


「これもアフターサービスの一つだろ。満子さんは気前がいいからな」


「ハッ! 言うようになったじゃないか。冷やかしはさっさと帰んな!」


 背を向けてカウンター内の椅子にドスっと座った満子に改めて挨拶し、来た時よりも勢いよく外へ出る。不意にチラリと見えた女店主の横顔は、いつになく楽しそうに笑っていた。

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