第25話 告白
衣替えの季節となり、訪れた梅雨も過ぎ去ろうとしている。
もうすぐ夏を迎える教室は項垂れるような暑さと共に、三年生であるがゆえに高校生最後の夏を楽しもうと意気込むクラスメートの熱気に満ち溢れていた。
昼休みともなれば、あれやこれやと楽しげに計画を練る姿をあちこちで目撃できる。
「大樹君は何か予定があるの? 夏休み」
「いや、特にはないな。むしろその前のテストが問題だよ」
「赤点者は補習」
楓との会話中に割り込んできたのは清春だ。最近は学校の内外を問わずにこの三人で過ごす機会が多くなっていた。
楓に生徒会の仕事があっても終われば連絡があったりして、気がつけばほぼ毎日放課後も一緒である。
「それを言ってくれるなよ。満子さんのとこで、頭が良くなる商品でもないかな」
「楽な方に逃げようとするのはいけないわ。勉強なら私が教えてあげる。あとで一緒に図書館へ行きましょう」
万峰骨董店にも行ったりしたが、そこで我が道を突き進む勇者清春の目的を知っても、必要以上に気まずくならずに普通に接してあげられる優しさに心打たれたりもした。
「い、いや、でも、迷惑をかけるわけには……」
「もうっ。迷惑だなんて思ったりしません」
怒ったり拗ねたりすると、無意識に丁寧な言葉遣いになるのも仲良くなってから知った楓の特徴の一つだ。
さらには夏服になって、彼女の魅力は格段にアップした。半袖のブラウスから伸びる腕は華奢で、肌は上質なアンティークを連想させるほど精緻で透き通るように白く、僅かな染みさえ存在しない。
スカートから覗く脚もスラリとしていて、小さな膝頭は愛玩生物を思わせるほどに可愛らしい。純白のソックスは清らかな心の象徴みたいで、夏の日差しに強調されて実に鮮やかかつ眩しい。
「ごめんごめん。先生に見放されたら、赤点一直線なので許してください」
冗談半分ながらに謝ると、ツンと小さく尖っていたピンクパール色の唇が桜の花びらみたいにふわりと広がった。
「素直でよろしい」
僅かに首を傾げて咲き乱れる笑顔は、傍目から見ても美しい。男女問わずにクラスメートの幾人もがポーっとし、直後に嫉妬を全開にして大樹を睨む。そばには清春もいるのだが、生憎と連中のターゲットにはされていないみたいだった。
雑居ビルでの一件以降、本気で大樹を心配してくれた楓との距離がさらに縮まった。自意識過剰でないのは、彼女の態度を見ていれば明らかだ。
その代わりといえばいいのか、なんとか助けたはずの愛美とは関係が疎遠になっていた。大きな問題が発生したのではなく、何故か向こうが距離を置くようになったのだ。最近では話す機会もあまりない。
昼休みが終わり、数学の授業を受けている最中、ズボンのポケットに入れていたスマホが震えた。
着信したのは愛美からのメールだった。放課後に映画に付き合ってほしいとだけ書かれていた。自分の席から彼女を見るも、普段と変わらない態度で授業を受けている。
(一体、何なんだ……)
呆れ気味のため息をつきつつも、どうしてか大樹はそわそわしてしまうのだった。
※
大型スーパーの三階のゲームコーナーの片隅に、小さなシアターがある。それが市内で唯一の映画館であり、上映回数は一日に二回。本数は一本だけだった。少しでも大きな映画館を求めるのであれば、あとは町の外へ出るしかない。
そこで大樹は流行中だという恋愛映画を観ていた。テレビなどで話題になってはいたものの、興味はなかったので内容はさっぱりわからない。実際に観ていても一緒だ。もっとも頭に入ってこない理由は、隣で目元をハンカチでそっと拭っている少女の存在だ。
待ち合わせた場所にやってきたのは、愛美ではなく楓だった。彼女は大樹の姿を見つけるなり満面の笑みを浮かべ、直接誘ってくれてもよかったのにと少しばかり恥じらった。
大樹は戸惑いを必死に体の奥底へ押し戻し、混乱気味の頭脳でなんとか、これが愛美の策略だと結論付けるのに成功する。
放課後に待ち合わせを告げられ、強引に映画のタダ券を持たせられた際、頑張んなよと声をかけられたのも解答を導く一助となった。何のことはない。彼女は大樹と楓のデートをお膳立てしてくれたのである。
(勝手なことしやがって……)
内心でぼやきながらも、隣に座る楓を見る。真っ直ぐにスクリーンを見上げる横顔はとても綺麗で、思わずドキっとしてしまう。
小学校時代からずっと憧れ、少しずつ会話の頻度を増やし、牛歩のごとき速度で仲良くなって高校三年生の今年、念願叶って親密度を上げるのに成功した。
嬉しくないはずがなく、天にも昇る気持ちというのを現在進行形で味わっている最中だった。
不意に楓が大樹を見た。間近で微笑んでくれる幸せに、心の中のもやもやが吹き飛ぶ。
「私の顔に何かついている?」
「いや……可愛いなって……」
「えっ? あっ、その……だ、大樹君ってば……」
「あ、ご、ごめん。つ、つい本心が……」
「も、もう……」
申し合わせたように揃って膝の上の手を丸め、顔を真っ赤にして俯く。せっかくのクライマックスシーンだったのに、上映後に何も覚えていなかった。
映画館を出ると、すぐには帰宅せずに同じ三階にあるファミレスに入った。もうすぐ夏というのもあって日もだいぶ長くなり、午後六時を過ぎても外は全然明るい。
「楽しかったね。実はあの映画観たくて、よく愛美ちゃんとも話してたの。まさか大樹君が興味があるなんて知らなかったな。フフ、趣味が同じなんて嬉しい」
「喜んでもらえたみたいでよかったよ」
たいして覚えていなくとも、かろうじて記憶に残っている情報をフル活用し、映画の話でひとしきり盛り上がってから、次第に愛美のことへと話題は移っていた。
「お父さんが帰ってくるまで、お祖母さんの家でお世話になっているみたい。お母さんも飲み屋通いを辞めて、一生懸命頑張っていると愛美ちゃんが言っていたわ」
「そっか……良かったなあ」
実感を込めてしみじみ言うと、向かいに座っている楓が表情を和らげた。
「大樹君、本当に頑張ったものね」
「頑張ったというか空回ってただけだけどな。実際に解決したのは過酷な環境での労働を決意した愛美の親父さんだし。むしろそれを勧めた俺を死神みたいに思ってたりしてな」
「そんなことないわ」
意識してか無意識か、テーブルの上に置いていた大樹の右手が暖かな感触にふわりと包まれた。宝物へ触れるみたいに、楓はそっと両の掌を滑らせる。
「大樹君がいなければ、もっと大変なことになっていたわ。守ったのよ、この手で」
愛しげに撫でられるのがくすぐったく、そして嬉しかった。誰かに認められる。しかもそれが好意を抱いていた女性なら尚更だ。
緊張と照れのせいでぎこちなくなってしまったが、大樹がありがとうと言うと、楓はどういたしましてとばかりに微笑んでくれた。
「少しだけ愛美ちゃんが羨ましいな……」
「え?」
「ねえ、もし……私の夢を見たとしたら、大樹君はあんなに一生懸命守ってくれるかな」
微かな日差しが楓の目元を輝かせ、金色の煌めきが瞳の奥に宿る。まるで女神みたいな神々しさに息を呑みつつ、大樹は壊れた機械のごとく何度も顔を上下させた。
「当たり前だろ。嫌われたって助けるさ」
「……嬉しい。そんな大樹君だから私は……」
恥ずかしそうに俯き、チラリとこちらを見る楓。特段に洞察力が鋭くなくとも、友情以外の何かが含まれているのではないかと容易に推測できる態度だ。
水滴の浮かぶコップを持つ手が震える。せっかく頼んだ冷えたコーヒーの味すらよくわからない。どうするのが正解なのか、夢で教えてくれたらいいのにと思わずにはいられなかった。
「私ね、最初は大樹君を気軽に話せる数少ない男の子の友達だって思ってたの」
ドギマギしている大樹に業を煮やしたわけではないだろうが、楓が窓の外を眺めながらポツリとそんなことを言った。
そうだろうなとは大樹も思う。自然と会話ができるようになったのも、長年同じクラスだったという偶然のおかげだし、二人の間に特別な関係などはなにもなかった。
もっとも、校内に知れ渡るほどの人見知りな美少女なので、それだけでも周囲には羨ましがられたが。
「そんな時に他校の男の子達に絡まれているのを助けてもらったのよ。あの時の大樹君、恰好良かった」
「そ、そうかな……」
「うん。でもね、愛美ちゃんを助けようと必死になって走り回る大樹君はもっと恰好良かった。夢の話だし、放っておいても誰も文句を言わないのに、それでも頑張る横顔を見ているうちに、私ね……素敵だなって。もっと隣で見ていたいな……って、そんなふうに思ったの」
季節外れの桜みたいに透き通るようなピンク色が、楓の頬に咲き誇る。
今が絶好のチャンスだと訴えるかのごとく、体の内側から心臓が胸を叩いているみたいだった。
大樹は唾液が失われ、カサカサになった唇を懸命に動かす。
「お、俺……さ、ずっと、その……楓が……」
「う、うん……」
何を言われようとしているのかを察したのか、見る見るうちに楓の顔が赤く染まっていく。
きっと大樹も似た状況になっているだろう。顔面が活火山にでもなったみたいに顔面が火照り、汗が噴き出し続ける。
いよいよ破裂せんほどに鼓動が激しくなり、危うく過呼吸へ陥りかける。深呼吸をしてみたところで息苦しさは変わらず、こうなればもういってしまえの精神で後先考えずに突っ走るしかない。
覚悟を決めた大樹は、両手をテーブルに置き、身を乗り出して楓の目を見つめた。
「か、楓のことが……その、ずっと……す、好き……だったんだ……」
「は、はい……あの、ええと……す、すごく……嬉しい、です……」
ミニトマトみたいに小さな顔を真っ赤にした楓が、所在なさげに太腿の上に置かれている両手へ視線を落とす。腕をもじもじさせ、可愛らしい唇を開きかけては閉じる。
沈黙の時間が妙な焦りを生み、何か言わなければと半ばパニクる大樹は、さらに楓の顔を凝視して無意識に声を大きくする。
「だ、だから、俺と……つ、付き合って、ください!」
何故かは不明だが、勢いよくテーブルの上で頭を下げていた。初めての告白だ。スマートに行うなど不可能だった。
下げたままの後頭部に、耳を澄ませていないと聞こえないくらいの小さな声が降り注いだのは、それから数秒後のことだった。
「……はい」
ガバッと顔を上げた大樹に驚きながらも、はにかんだような笑みを見せてくれた楓は、改めて小さな顔を上下に動かした。
「私も……大樹君が……好き、です……」
ここがファミレスでなければ間違いなく抱きしめていただろう。それほどまでに、人見知りで恥ずかしがり屋な少女が見せてくれた反応は愛らしかった。
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