第24話 覚悟
ぞろぞろと店を出た直後、震えていた愛美は父親ではなく、大樹に抱き着いてきた。非常に薄いワンピースなのに加え、下着もつけていないらしく柔らかな感触が二の腕に伝わる。
「怖かった! 接客するだけだって言ってたのにこんな店に連れてこられて、恥ずかしい服着させられて、ステージで脱げって。客取れって。両親のためだって! あたし……あたし、うわあァァン!」
胸に顔を埋めてボロボロと涙を零す愛美を、どうしたものかと見つめたあとで、大樹は何も思いつかずに条件反射的に頭を撫でた。
「悪かったな、愛美。全部、父さんのせいだ。もっと早く、現実を受け入れられていれば違った人生を歩めていたのにな。店で愛美を守ってくれた君が言った通りだ」
愛美の父親は娘の背中をさすりつつ、大樹に頭を下げた。
「プライドよりも大切な家族だったはずなのに、私はそれを見失っていた。父親失格だよ。だが君のおかげで目が覚めた。ありがとう」
「いや……結局は辛い職場に……」
「君が気にする必要はない。愛する娘や妻が辱められて稼いだお金で自由になっても、罪の意識を深めてまたパチンコに逃げていただけだろうからね。これでよかったんだよ」
最後にポンと娘の背中を軽く叩いて、愛美の父親は俯いている自身の妻の肩に手を置いた。
「君にもこれまで色々と苦労をかけた」
「あ、あなた……わ、私……」
「わかってる。私が寂しい思いをさせたのが原因だ。とはいえ、褒められた行動ではない。だからお互いにやり直そう」
「お互いに……」
「ああ。出発前に離婚届に名前を書いていくよ。だけど、きちんと借金を返して戻ってこられたら……君と愛美がいいと言ってくれるのであれば……改めて、私と結婚してほしい」
噴き零れるように涙が落ち、愛美の母親はしゃくり上げて床に膝をついた。土下座するように上半身を曲げ、何度もごめんなさいを繰り返す。
しゃがんだ父親が、大樹が愛美へしているように優しく頭を撫で、上げさせた顔を真っ直ぐに見つめて曇り一つない笑みを見せた。
「罪滅ぼしではないけれど、これが私の君への愛だ。今更かもしれないけどね」
「いいえ! 私……私……待ってます。あなたに許してもらえるように、一生懸命生きて……待ってます。だから……必ず帰って来てください……」
「ああ……ああ……!」
抱き合う両親に愛美も混ざる。
大樹が両腕から温もりが失われてぼんやりしていると、感動的な場面にもかかわらず、清春が横でからかってくる。
「名残惜しい」
「もう少し堪能して……って、そんなことあるか」
ぞろぞろと階段を下り、雑居ビルの前で家族との別れを済ませた愛美の父親が、借金取りが呼んだタクシーに乗り込む直前に大樹を見た。
「君のおかげで私たちはまた家族になれたような気がする。本当にありがとう。君のような男が愛美のそばにいてくれるのなら、心から安心できる。娘を頼んだよ」
突然のお願いに、反射的に大樹は「はい」と頷く。横で赤らめた顔を伏せる愛美を微笑ましげに見つめ、男の顔になった父親は堂々とタクシーへ乗り込んだ。きっとこれからマグロ船へと向かうのだろう。
借金取りたちも乗せたタクシーが走り去るのを見送ったあと、今度は愛美の母親が深々と頭を下げた。
「この間はごめんなさい。秘密が家族にバレてしまうのが怖かったの」
「……だからって大樹を犯罪者扱いするのはやりすぎよ」
大樹が許す前に、愛美が母親に食ってかかる。
「反省しているわ。娘にもこれよりもっと激しく怒られて……」
「それは……ご愁傷様です、と言いますか……」
口元に手を当てて悲しむ母親に、大樹が同情するそぶりを見せると、どうして自分が悪者みたいになってるのかと愛美が怒りだした。
「いや、ほら。思い出を忘れてたって理由で、愛美が転校してきた初日に強烈なビンタを喰らった経験があるからさ」
「まあ、そんなことをしていたの。娘がご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、それほどでも」
「ちょっと! どうして二人が和んでるのよ!」
全員で笑っていると、ビルの前に新たなタクシーが止まった。愛美の祖母が迎えに来てくれたのである。
家が近くだったのもあって大樹は遠慮したのだが、すると何故か愛美までもが歩いて帰ると言い出した。
「仕方ないわね。迷惑ばかりかけてしまうけれど、愛美を送ってくれるかしら」
「わかりました」
「それと……本当にごめんなさい。あとでご両親にもきちんとお詫びをさせていただきます」
愛美の母親と祖母が乗り込んだタクシーを見送る。数分前までの喧騒が嘘みたいに、夜の町は静かだった。
「イベントの邪魔はできない」
少しだけニヤリとした清春が片手を上げ、こちらが何か言うより先に両脚を素早く動かしていた。
ポカンとする間に走り去った親友に心の中でお礼を言い、大樹は愛美を見る。
「じゃあ、行くか」
「うん……あ、その前に……行きたい所、あるんだけど」
愛美が寄りたいといったのは例の公園だった。深夜に近いのもあって、不気味さがさらに増している。それでも少し前まで曇っていたのが嘘みたいに夜空には月が輝き、星が煌めていた。
「まさかお店に乗り込んできちゃうなんてね」
「愛美の親父さんが来るまで時間を稼がないといけなかったからな」
大樹が問題解決の手段として選んだのは愛美の父親だった。
自身を守りたいがために逆ギレ状態の母親よりも、夢の中でマグロ船でも何でも乗るといった秘められた心に賭けた。
言葉を尽くして説得し、最終的には娘や妻への愛情が、彼の中にあるプライドに勝ったのである。
「お父さんを説得するなんて、本当によくやるよ……」
「言ったろ。何がなんでも助けるって」
「うん……ありがとう」
自然のライトに照らされ、真夜中の公園というステージでダンサーのごとく振り向いた笑顔の少女はとても綺麗で、とても輝いて見えた。
店を出たままのワンピース姿が、少女に妖艶さを纏わせる。心臓が飛び跳ねるみたいな鼓動を抑えられず、大樹の喉が異様に渇いていく。
「あたし、本当にバカだった。あれだけ大樹が忠告してくれてたのにね。それでも自分で選んだ道だからって我慢しようとしたけど、怖くて、泣きたくて、心の中で何度も助けてって叫んでた。そんな時にドアを開けて入ってくるんだもん。あたしじゃなくても、恰好良いって思っちゃうよね」
「それは光栄だが、一応……清春もその場にはいたぞ」
「アハハ。知ってるよ。井出君にもあとでお礼をしないとね」
組んだ手を上に伸ばし、背伸びをした愛美が「あーあ」と大きなため息をついた。
「これであたしも問題児だ。狭い町だから噂なんてすぐに広がっちゃうし」
「気にすることはないだろ。俺だって警察に逮捕された悪党扱いだからな」
「そうだった! 仲間だね。でも……大樹も結構なおバカさんだよね」
クスクス笑う愛美は意地の悪そうな顔をして、
「だってボロボロになってまで、あたしを助けてくれるんだもん……恋人でもないのにね」
頬を赤らめて瞳を潤ませる。
間近に寄せられた愛美の顔を直視できず、無意識に大樹は視線を逸らしてしまう。
その時だった。自転車のライトがこちらを照らした。
「大樹君っ!」
自転車から降りて走ってきたのは楓だった。タックルするような抱き着きに驚くも、華奢な肢体を両手で捕まえる。
「心配したんだよ。井出君から電話は貰ったけど、いつまでも大樹君は連絡をくれないし。心配で家まで様子を見に行くところだったんだから!」
泣き喚くようにまくしたてて、すっきりしたらしい楓が顔を離す。
そこでようやく愛美の存在に気づき、耳たぶまで真っ赤に染めた。
「愛美ちゃん、その……ぶ、無事でよかった。ちょっと恥ずかしいところを見せてしまったけれど……」
にっこり笑った二人の少女が抱擁する。最初に楓が泣き、つられた愛美も涙を流す。
「本当に心配したのよ」
「うん。事故の時もだけど、ありがとう。楓はあたしの親友だよ」
泣いていたと思ったら、今度は楽しそうに笑いだす。目まぐるしく変わる表情に驚きながらも、大樹は感慨深く見守っていた。
「安心したら力が抜けちゃった。私、家に帰るね」
「送ってくよ」
大樹が言うも、サドルにお尻を乗せた楓は大丈夫と笑う。
「大樹君は愛美ちゃんを送ってあげて。その……過激な恰好をしてるし……」
今更ながら恥ずかしくなったのか、顔を赤くした楓の前で、愛美は照れ笑いを浮かべた。
「でも……意外と似合ってると思わない?」
「愛美ちゃん、スタイルいいから」
「お尻が大きいだけよ。あたし的には清楚っぽい外見なのに、おっぱいが大きい楓の方が羨ましいけどな」
中年親父じみた愛美の発言に、ますます楓は赤面する。
「もう、愛美ちゃんってば!」
「アハハ。大樹だって実は見てみたいでしょ? この服装の楓を」
突然に話を振られた大樹は冷静に対処できず、言葉に詰まって慌て気味に視線を愛美と楓で行き来させてしまう。
「うわ。想像してるよ、この人」
「も、もう、大樹君ってば。恥ずかしいよ……」
からかう愛美とは対照的に、まさしく乙女な反応をする楓。やっぱり可愛いと思っているのは秘密だが、横で見ていた愛美は何かに気づいたように小さくふうんと唇を少しだけ尖らせた。
「わ、私、帰るね。それじゃ、また学校で」
楓がいなくなった公園はなんだか寂しく感じられ、しばらく黙って立っていた大樹だが、突然に背中を叩かれて後ろを振り返った。
「なーんだ、そういうことか」
「何がだよ」
フフッと愛美が小さく笑う。「あたしさ、大樹の恋を応援するよ」
「な、何言ってんだよ、お前」
「いいから、いいから。ほら、早く送ってよ」
逃げるように走り出した愛美を、慌てて追いかける。ほんの一瞬だったので確証はなかったが、彼女の目元にキラリと光る一粒を見たような気がした。
(まさかな……)
大樹は一瞬だけ浮かんだ考えを破棄する。愛美とはそんな関係ではないし、大樹が好きなのは今も昔も楓だ。
けれど。
それなのに。
小骨でも刺さっているかのように、大樹の胸はチクチクとずっと痛み続けていた。
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