最終話 笑顔
なんやかんやで全員揃って楽しく海で遊んだ帰り道。
来た時同様に楓が清春の軽トラックで帰ったのもあり、大樹と愛美は二人で電車に乗っていた。
軽トラは荷物の監視という強引な理由で乗れてもせいぜいが三人。四人で移動するのはとても無理だった。
「意外にあの二人ってお似合いじゃない?」愛美が顔を寄せてきた。
清春は楓にも電車で帰ればと気遣ったのだが、当人が帰り道で一人は寂しいだろうからと同乗を決めたのである。
「……俺に何を言わせたいんだよ」
「あたしを大好きって言わせたいの。何度でも」
あははと悪戯っぽい笑みを咲かせた愛美は、ふと真面目な顔つきに戻って大樹の肩に小さな頭を乗せた。さらりと逃れる黒髪のくすぐったさが、焼けた素肌に広がる。
「ねえ、あたしの水着姿はどうだった?」
「それこそ何を言わせたいんだよ」
反射的に熱くなった顔を覗かれ、フフッと小さな吐息が無意識に吹きかけられる。
伸びた人差し指に頬をつつかれ、そちらを見ると愛美の顔が夕日を浴びて黄金みたいに輝いていた。
「欲情……してもいいけど、二人きりの時にムードを作ってからにしてよね」
それだけ言うと、ふいっと顔を背ける。なんだか気まぐれな猫でも見ているような気がして、たまらず大樹は吹き出してしまう。
「笑うとこじゃないでしょ」
「悪い。けど、電車に全然人がいないな」
夏休みでまだ遊んでいる人間が多いのか、地元へ帰る電車は驚くほど空いていた。複数の車両で編成されているとはいえ、ガラガラと形容してもいいほどだ。
「でも、二人きりじゃないんだから、発情はしないでよ」
そう言いながらも、愛美が体を預けてくる。
柔らかな感触を肩で受け止めると、すぐに隣から心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
うるさかった心音が微笑とともに落ち着きを見せる。穏やかに届く潮の香りを嗅ぎ、愛美の寝顔を見つめているうちに、大樹の瞼も自然と重くなる。
ふわあと欠伸をしたところで、熟睡には至っていなかった愛美が目を覚ます。眠っていたのに気づいたらしく、照れ臭そうにする。
「ごめん。つい……」
「いいさ。俺も役得だったし」
「変なことしてないでしょうね」
「家には連れて帰ろうとしたかな」
「エッチ」
ガタゴトと揺れる電車で、大樹と愛美は無言で寄り添い続けた。
終着の駅で降り、ホームから外へ出るとだいぶ薄暗くなっていた。
「送ってくよ」
「うん」
並んで歩き、どちらからともなく手を繋ぐ。
「同じ学校の生徒に見られたら、噂になっちゃうね」
「構わないだろ。騒がれたら堂々と公表するさ」
ん、と頷く愛美。とりとめのない会話をしているうちに、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
家の前まで送ったところで、大樹はジーンズのポケットから例のハンカチで包んだ女児の人形を差し出す。
「これ、さ。やっぱり愛美に持っててほしいんだ」
海で助けた日に渡そうと思っていたが、色々あって出来ずじまいだった。感慨深そうに見つめた愛美が細い腕を伸ばす。
「そうだね。楓の夢ばかり見せるわけにはいかないし」
照れ隠しの冗談とともに受け取り、ハンカチを解いて大切そうに女児の人形を撫でる。
「これからもよろしくね」
「何がだい」
一瞬だけ人形が喋ったかと思ったがそうではなく、玄関にいたらしい愛美の祖母の声だった。手を取り合うような大樹たちを見てニヤリとし、さらに揶揄するような台詞を続ける。
「乳繰り合うのなら家の中でしな。ご近所さんへの見栄えもあるからねえ」
「そ、そんなんじゃないってば。もう、お祖母ちゃん!」
孫娘の抗議にも、ひっひっと魔女めいた笑い声を上げる老婆だったが、唐突に顔つきに真剣さが戻る。鋭くなった眼光が捉えるのは、愛美の持つ小さな人形だ。
「あんた、それをどこで手に入れたんだい!」
愛美ですら驚くほどの剣幕で、彼女の祖母が詰め寄る。困惑気味にこちらを見た恋人に代わり、大樹は以前に教えた人形だと説明する。
「これが!? そんな不可思議な現象を起こしたってのかい? 信じられないね」
呆然とする祖母の反応に、今度は愛美や大樹が驚く番だった。
「お祖母ちゃん、その人形を知ってるの?」
「知ってるも何も、これは婆がこしらえた人形さね」
「ええ――っ!?」
愛美の丸っこい瞳がさらにまん丸になり、大樹も間抜けなほどにポカンと口を開けて立ち尽くす。予知夢のような能力を与えたとおぼしき人形の製作者が、まさかこれほど身近にいるとは想像もしていなかった。
「ちょいとお待ち。あんた、前に祖父の話をしていたね」
奪い取るように人形を持った老婆が、確認するように大樹へ問うた。
「ええ。子供の頃に買ってもらったんです。近所の公園でイベントがある時に、プレゼントがないって言ったら考え込んで、いい物があると」
そして連れていかれたのが万峰骨董店であり、仲良くなった子にプレゼントするといいと手渡されたのがこの人形だったのである。
「そういや祖父さんは、これを渡せば縁が続くと言ってたような……」
「そ、その祖父の名前は!?」
「大介です。土屋大介」
「だ、大介さん……し、しかし、土屋? もし婆の知ってる人なら松山というんだけどねえ」
「そういえば祖父さんは婿養子だったはず……」
松山かどうかは不明だが、婿養子なのは以前に本人から教えてもらったので間違いはない。
その情報を知った老婆は興奮を隠そうともせずに、大樹の祖父と会わせてほしいと懇願する。
「今すぐ! 今すぐに!」
「さすがにそれは迷惑だよ、お祖母ちゃん!」
必死になって愛美がなだめようとするも、聞く耳を持たないというより持てないというレベルで老婆は大樹に頭を下げ続ける。
あまりにも一生懸命なのでスマホを取り出し、アドレス帳を開く。その時にようやく思い出す。万峰骨董店で見た商品の説明を。
「まさか……戦争で離れ離れになった男女って……」
「え? 何それ」
そこまで詳しく説明していなかっただけに、愛美は不思議そうにするが、祖母の方は妙にもじもじして小さく頷いた。どうやら可能性が高いと知り、祖父宅の電話番号を呼び出す大樹の指にまで変な力が入る。
「そ、その、名前を聞いても……?」
「町子だよ。瑞原……いや、旧姓の佐々木の方を教えておくよ」
佐々木町子と口の中で繰り返しつつ、祖父が電話に出るのを待つ。比較的早く眠る生活をしているはずだが、時刻はまだ八時前なので大丈夫だろう。
もしもしと眠そうな声で電話に出た祖父に、佐々木町子さんが会いたがっていると要件を告げる。
その直後、先ほどの老婆同様に祖父のテンションは一変したのだった。
※
「はっはっは。そうかそうか。そういった事情であれば仕方がないのう」
瑞原宅のリビングで、仕事から帰宅した愛美の母親が出してくれた緑茶を口に運び、朗らかに笑うのはスーツで身を固めた大樹の祖父だ。
ちゃぶ台を挟んだ向こう側には着物姿の町子がいて、隣にいまだ目をパチクリとさせる孫娘が座っている。
連絡を取ってから準備が必要と言い張る二人の老人により、一時間後に出会いの場が設定されたのである。
再会するなり人目も憚らずに抱擁する熱烈ぶりに、大樹も愛美もどうしたものかと顔を見合わせたほどだ。
「大介さんが戦地へ旅立ったあの日、婆は親に無理矢理結婚させられたんだよ。当時は食糧不足でね。農家へ嫁げば生活も楽になるだろうとね」
「ワシも似たような理由じゃ。戦地から帰還し、帰りを待ってくれてる人もおらず、両親に頼まれるままこの地へ婿養子に来た。思えば、これもその人形の導きだったのかもしれんなあ」
簡単な料理と一緒にちゃぶ台に置かれているのは、愛美の祖母が大樹の祖父との再会を祈って手縫いした女児の人形。帰還した祖父の実家に、せめて人形だけは一緒にという置手紙とともに預けられていたらしい。戦火を免れたこと自体が奇跡だと祖父は笑う。
「長い月日を経て、互いの孫同士がこの人形を縁として繋がるとはのう。じゃが、町子さんには不思議な力などなかった。これも想いの力というやつかのう」
「婆も不思議じゃて。けれど孫たちに役立ってくれたようで何よりさね」
「うむうむ。おかげでワシらも再会できた。妻に先立たれた身なれど、生きていた意味があったというものじゃ」
大介が言い、町子が頷く。
「婆も同じ気持ちさね。未亡人となってしまったが、まだ女ではある」
見つめ合う老人と老婆。独特すぎる雰囲気に、口を開くのが躊躇われる。
「孫同士も好きあってるようじゃし、いっそワシらも縁を繋ごうか」
「ああ……そう言ってくれるのを待っていましたよ、大介さん」
ちゃぶ台の上でひしっと抱き合う二人は、もはや止められそうもない。
急転直下とはこのことで、僅か一時間程度で大樹の祖父と愛美の祖母の結婚が決定したのである。
「これで大樹も遠慮の必要はない。愛美ちゃんと仲良くするんじゃぞ。お、そうじゃ! せっかくじゃから許嫁になってもらうのはどうじゃろう」
「い――!?」
見事に大樹と愛美の声がハモる中、積極的に老婆が賛成する。
大樹と愛美が慌てて見たのは愛美の母親だ。止めるものとばかり思っていたが、結果は違った。
「いいじゃない。お母さんも大樹君なら安心よ。どれだけ愛美のために一生懸命になれるかは、もう十分に見せてもらったもの。お父さんも反対はしないわ」
着々と決められる話に、愛美がどうしようとばかりに大樹の服を引っ張った。
「こうなったら突き進めばいいだろ。人形の導きであろうとなかろうと、俺が愛美のことを好きなのに変わりはないんだ」
「……そうだね。フフッ。いいよ。じゃあ、あたしは今から大樹の婚約者だ」
「そうと決まればお祝いじゃ!」
両手を上げて大喜びの祖父が息子夫婦――大樹の両親も呼び出せと言い出し、まだ高校生の身でありながら、大輔と愛美は口頭とはいえ婚約することになった。
※
降り注ぐ温かな日差し。
町の隅にある小さな教会。
互いの両親や祖父母の笑顔。
そして――
――ウェディングドレスを身に纏い、大樹の正面で微笑む愛美。
自然と頬が緩み、互いの愛を誓って唇を重ねる。
そんな世界で一番幸せな瞬間に――
※
――鳥の鳴き声が聞こえる。
教会で神父の言葉を聞いていたはずが、何故か大樹は自室のベッドで天井を見上げていた。
「一体、何が……って、まさか……」
むくりと上半身を起こす。寝汗はかいておらず、パジャマが肌に張りつく気持ち悪さはない。
夢だと理解して苦笑する。考えてみれば今朝まで愛美の家で、呑めや歌えやの大騒ぎをしていたのだ。
「いくら許嫁になったからって急に結婚……そうだ。俺、愛美と婚約したんだよ」
今更ながらに思い出して照れ臭くなる。加えて、清春や楓にどう説明したものかと悩む。
ちなみに楓が大樹へ渡そうとした人形は、そんなに誰かの夢に出たいならあたしが協力してあげるわと吠えた愛美が没収した。
「大樹ーっ。まだ寝てるの? 愛美ちゃんが来てるわよーっ!」
玄関で応対していると思われる母親の声でベッドから降り、慌ててパジャマを脱いで着替える。婚約者の性格上、好んで部屋へ上がり込んで大樹を起こそうとするからだ。
「今、行くよ」
大きな声で返事をし、まずは挨拶をしてから洗顔をすることに決める。
「……さっきの夢、まさかお前らが見せたのか?」
問いかけたのは机の上。今もなお隅に座している人形の男児。彼の後ろには、昨夜に皆で撮影した写真がある。スマホで撮影したのをプリントアウトしたものだ。中央に座らせられた大樹と愛美が、並んではにかんだ笑みを浮かべている。
人形は何も答えない。
けれど、その表情は普段にも増して、悪戯っぽい笑顔にも見えた。
「とりあえず、お礼を言っとくよ。それじゃ、いってきます」
後ろ手にドアを閉めると、リビングに通されたらしい少女の朗らかな声が聞こえてくる。それだけで大樹の足取りも軽くなった。
歩く先にあるのは彼女の笑顔。命の危険を警告するような悪夢はもう見ていない。
けれどまた見たとしても、大樹は必ず愛美を守るだろう。
彼女のために。
そして。
自分のために。
夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように 桐条 京介 @narusawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます