第17話 叱責
問題が発生したのは夕食の席上だった。かかってきた一本の電話に応対した母親が父親を呼び、必死に謝罪を繰り返して電話を切った直後、大きなため息とともに食卓へ戻ってきた。
「お前は俺の言うことを理解できなかったのか」
呆れ半分、怒り半分。間違っても好意的な感情を宿していない瞳で睨まれ、父親が一生懸命に謝っていた相手が誰なのかを知る。
「瑞原さんのお父さんからだ。どういった教育をしているのかと叱られたよ。幸いにして学校に連絡をするのは許してもらえたが、いい加減にしろ」
怒鳴りこそしないものの、声には明らかな怒気が含まれている。一緒になって責めたりはしないものの、顔つきを見れば母親も同意見なのがわかる。
普段なら素直に謝罪していたかもしれないが、そもそも怒られるのも半ば覚悟の上だった。
「いい加減にはできないだろ。それでもし、取り返しのつかない事態になったらどうするんだよ! 家とは無関係だから不幸になっても構わない。そう言うのかよ!」
「そうは言ってない。だが昨日、母さんも言っただろう。一時的に助けても、当人が努力をしない限りはまた同じ状況に陥るぞ」
「その努力の対象が当人じゃなく、娘だったとしてもかよ」
「……どういうことだ。お前、何か知ってるのか?」
打ち明けるべきか悩んだが、まだ高校生の大樹では一人でどう頑張っても解決するのは難しい。清春にも言われたが、素直に頭を下げて誰かに頼るのも一つの方法だ。だからといって他人任せにしすぎたら、力を貸してはもらえないだろうが。
「借金取りと揉めてるのを見たんだ。返せなきゃ、娘を働かせるってさ」
両目を閉じた父親の座る椅子がギシリと鳴る。数秒ほど考え込んだあとで重たげに瞼を開き、苦しそうな声を出した。
「尚更、私たちが手を出す問題ではない」
「どうしてだよっ」
「その借金取りが暴力組織の関係者かもしれないからだ。酷な言い方になってしまうが、警察に任せるべきだろう。頼れないというのであれば、それはやはり……」
「……よそ様の問題か。わかったよ」
安堵したように両親は揃って息を吐き出したが、生憎と物わかりのいい選択をしたわけではなかった。
「じゃあ俺が勝手に何とかする」
「無理だ。むやみやたらに引っ掻き回して、それこそ他人様の家庭を壊したらどう責任を取るつもりだ。厳しい言い方になるが、自力でなんとかしてもらうしかない。娘さんのことを想っているのなら尚更だ」
「父さんには頼まないと言ってるだろ」
「そういうわけにもいかない。お前は俺の息子だ。自由にさせれば責任は俺にある。正義感に燃えるのは結構だが、人間にはできることとできないことがある。聞き分けろ」
父親の指摘は正しい。反論のしようもないほどに。
しかし、大樹は見てしまった。汚れたと泣いて、屋上から身を躍らせる少女の最期を。
夢でさえあれだけ苦しかったのに、実際に遭遇したら心が壊れてしまうかもしれない。
「俺は子供だよ。だから聞き分けよくなんてなれない。大人になっちまったせいで、そいつが自殺するほど苦しんだりするくらいなら、子供のままで結構だね」
「自殺って……そんなにも追い詰められているのか」
「親思いのいい奴だからね。借金を返すためだと言われれば断らないだろ。心がズタズタになるまで耐えて、最後には砕けるんだ」
「……だったらやはり、第三者の力を借りた方がいい。俺が助けたところで、電話での言動を聞く限り素直には受け入れないだろう。仮に受け入れても、今度はまた助けてもらおうと当たり前のように頼ってくる。あくまでも借金をした本人を変えなければ意味がない」
大樹が悩んで悩んで辿り着いた結論そのままだった。仮に宝くじが当たったとしても、言い訳を並べてパチンコ屋に通っている限り、愛美が救われたとは言えない。
「お前はその子に寄り添い、悩み事を打ち明けてもらえる関係になることだ。そうすれば自殺は思い止まらせることができるだろうし、変な店での勤務を頼まれた時も相談してもらえる」
「……わかった」
自身の想いはすべてぶつけた。両親には両親の守るべきものがある。それを犠牲にしてまで、絶対とはいえない大樹の我儘に協力してもらうのは不可能だった。
※
眩しい光線に閉じた瞼が赤く染まる。高い日差しは照らす髪の毛を焼きそうなくらいに激しい。まだ夏も前だというのに、気温だけは今年初めての真夏日になるとテレビで言っていた。
昨日に打った背中がまだ鈍く痛む中、昼休みに大樹は中庭へ連れ出された。人気が少なくなった途端に、何を考えてるのよと顔を真っ赤にして怒ったのは愛美だ。
「お父さんに絡んだって意味不明なんだけど!」
「最初に絡んでたのは借金取りだ。俺はその後に声をかけただけだ。隠していたお金でまたパチンコに行こうとしてたからな」
愛美がパチンコという単語を聞いて、露骨に不機嫌そうにする。
「嘘はやめて。パチンコは辞めたって言ってたし、毎日きちんと仕事に行ってるんだから!」
「確かめたのか?」
言葉に詰まる愛美。しかし父親を信じたい心が彼女に口を開かせる。
「そ、それは……だ、だけど、お母さんと私の前で本当に辞めるって誓ったの!」
「俺もできれば肯定してやりたい。嫌われたって何の得もないしさ。人の心も傷つけないで済む。でもよ、それを恐れてたら救えないんだよ!」
必死の剣幕が伝わったのか、愛美が一歩後退りする。中庭で昼食をとるような習慣はないため、多少大きな声を出しても周りから人がぞろぞろと集まってきたりはしない。
「こ、この前のは感謝してるけど……で、でも、あたしは別に救ってって頼んでないし……」
拗ねたように顔を背ける愛美の両肩を掴む。驚いた少女と目が合うなり、大樹は心の底からの想いをぶつける。昨夜、父親にもしたみたいに。
「俺が救いたいんだよ! せっかく仲良くなった奴が死ぬのを黙って見ていられるか!」
「大樹……」頬を赤くし、瞳に涙を湛えた愛美は斜め下に視線を逸らす。「嬉しい……よ。だけど、その夢って絶対に当たるかはわからないんでしょ……」
「それを言われると辛い。けど俺が信じるようになったのは事故の夢だけじゃない。それ以外にも些細な内容だったけど、すべてが現実になったからだ。放っておければ、波風を立てなければ楽だ。けど、それで手遅れになったらどうする!」
「どうにもならないわよ!」
対抗したわけではないだろうが、愛美も声を荒げた。
「さっきから聞いてれば救いたい救いたいって、結局は苦しみたくないっていう自分のためでしょ! 自己満足なんでしょ!」
「その通りだよ! 俺が俺のために愛美を助けたいんだ! どこが悪い!」
「全部悪いわよっ。あたしだってわかってるわよ! 大樹が適当なこと言ってないって! でも簡単には信じられないし、助けてなんて言えないわよ、バカァ!」
大樹の胸に、愛美の頭が体当たりするように寄せられた。強い衝撃とふわりと流れる黒髪が首筋をくすぐる。微かに鼻をすする音が聞こえ、服をギュッと掴まれる。愛美は泣いていた。
「俺は単なる高校生でさ、何の力もないかもしれないけど、相談に乗ってやることくらいはできると思うんだ。俺だけじゃない、楓や清春だって。それに愛美には友達も多いだろ」
「……話す子は何人もいるけど、それだけよ。どこかで一線を引いちゃう。大樹と出会って、友達を作るには自分から飛び込まないとだめとわかってそうしてきたけど、家の事情を知られたくなくて、どこかよそよそしくなっちゃうんだ」
愛美の声が震えた。辛かった過去の思い出が頭をよぎっているのかもしれない。
「だから、表面上だけ仲良くしてきた。最初はそれでも満足してたけど、中学校の頃から笑ってても妙に寂しくなっちゃって。高校生になっても短い期間での転校を繰り返して、あたしはずっとこんな感じなんだなって諦めちゃって。でもこの町に戻るって聞いて、もしかしたら大樹とまた会えるかもしれないって……」
懐かしむような口調に変わり、そして何故か小さな拳が、大樹の胸元を締め上げるように力を入れられる。
「期待してた分だけ、感動の再会にならなかった失望と怒りは凄かったけどね」
「ちょ、ちょっと待て。あれはチャラになったはずだろ! く、首が締まる……!」
べーっと舌を出して、愛美が茶目っ気たっぷりに笑う。少し離れ、表情を戻して寂しげに目を伏せる。
「でも、劇的に現実が変わるわけじゃない。本当はさ、なんとなくわかってたんだ。お父さんが仕事って嘘をついてパチンコに行ってること」
だったらと大樹が口を挟む前に、愛美は言葉を続ける。
「信じられる? 最初にこの町へ引っ越して来る前はね、全然貧乏じゃなかったんだよ。お父さん、立派なスーツを着てね、毎日仕事へ行ってた。当時は何の仕事かわからなかったんだけど、銀行の社員だったんだって。しかもエリートだよ」
我が事のように声を弾ませ、そしてまた生来の瞳の輝きを曇らせる。
「でも、あたしが小さい時に上司のミスを被らされたんだって。それでクビ。他を探したけど、余計なことを言われたくない銀行から圧力をかけられて大手は全滅。家族を養うためにって中小企業に就職したみたいだけど、自分には合わないってすぐに辞めちゃったみたい。そんな時かな、苦しむお父さんを見かねて、少し息抜きでもしたらってお母さんが言ったんだって」
そこまで聞けば、たいして頭の良くない大樹でも容易に推測できる。もやもやした気分を紛らわすために始めたパチンコにはまり、現実を認めたくないがゆえにズルズルと堕落していってしまった。
どこぞのドラマみたいな展開だが、そもそも正夢みたいな現象にあっている大樹が笑えるはずもない。
「だからお母さんも何も言えないみたい。でもね、あたしは信じてる。いつか元の立派なお父さんに戻ってくれるって!」
「……そのせいで自分が不幸になってもか」
「そっか。大樹の夢だとあたし、自殺しちゃうんだっけ。でも、何で?」
「それは……」
愛美が逃げるのを許さない強い口調で「言って」と詰め寄る。
大樹はため息をつき、覚悟を決めて愛美の目を見ながら理由を伝える。
「お前がいかがわしい店で働かされて……ビルの屋上から……」
「あたしが!? そんなの……あ、あはは……さすがにありえないって!」
これまでは現実になっているとはいえ、何の根拠もない夢の話。しかも好意的な内容ではない。素直に認められる人間の方がどうかしている。
「俺もそう思う。あんな夢、当たらなければそれでいいんだ。アホな夢ばかり見る奴って、笑い者にされた方がずっとマシだからな」
「……大樹も辛いんだ。そうだよね、もし当たったらなんて考えると、あたしも気が狂っちゃいそうになるかも。……いっそ放置してみたら?」
フッと鼻から息を吐く。苦笑にも似た笑みを浮かべ、大樹は肩を竦める。
「清春にも言われたけど、性格的に俺にはできそうもない。そういうことだから覚悟しとけ。ストーカーって言われても愛美を助けるぞ」
「――プッ、アハハ! 大樹って本当にアホね」
いきなり噴き出し、お腹を抱える少女に大樹は顔をしかめる。
「ここは感動するとこだろ。抱き着いて熱烈なキスをするとかな」
「うわ、セクハラ。中年親父っぽいよ」
「ほっとけ」
空へ消えていく笑い声に潜ませるように、そっと聞こえたありがとう。愛美の頬はすでに散った桜よりも鮮やかな桃色に染まっていた。
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