第11話 人形

「――ってなわけで、夢を見ない睡眠のありがたさを実感したね、俺は」


 事件から数日が経過した平日の放課後、大樹は外の明るさから切り離された薄暗い店内のカウンターに肘を乗せて寄りかかり、身振り手振りで事の顛末を詳細かつ自慢げに報告した。


「そりゃ、よかったね。で、今日は何か買ってくのかい?」


「さあ? その話は清春にしてくれ」


 呼んだかとばかりに、清春が奥からのっそりと顔を出す。


 何でもないと告げると、すぐにまたエロゲの物色を開始する。


「けどよ、いくら十八歳だからって高校生にエロゲ売っていいのかよ」


「アンタらの学校の校則では禁止されてないし、県の条例でも特になかったからいいんじゃないの? 面倒事は嫌いだけどさ、あの男はダメと言っても買おうとするだろ」


 命をかけられそうなくらいエロゲを愛する親友のことである。すでに取得したらしい車の運転免許証を有効活用し、私服姿でそこらの電気店に突撃する程度は確実にやってのける。


「それに清春なら、いちいちどこでエロゲを買ったとか俺以外には言わないしな」


 大事そうに一本のソフトを抱えてきた親友に声をかけると、当たり前だとばかりに頷いた。


「餌場を荒らされる」


「……他人に迷惑をかけたくないとかって理由じゃないのか」


 呆れ気味に呟いたところで、チンと開いたレジから女店主がお釣りを取り出す。


「くれぐれも、制服を着た状態で中身を見られるんじゃないよ」


 先ほどの会話内容を意外と気にしているのか、満子がぎょろりと動かした黒目を清春に向けた。


「ヘマはしない」


 スクールバッグで丁寧にしまうのを後目に、満子は相変わらず剥き出しの肩を竦めた。


「そりゃ、結構。買い物が済んだら、そこの冷やかしを連れて、とっとと他行きな」


「邪魔者扱いするなよ」


「金を落とさない客は邪魔者以外の何者でもないだろ」


「酷いな。俺だって昔は……昔?」


 スクールバッグを背負った清春が、目でどうかしたかと尋ねてくる。首を軽く振って何でもないと否定しようとして、大樹はふと考え込む。


(何か大事なことを思い出そうと……)


 目の前が急速に明るくなったような気がした。無意識に「あ――っ」と大きな声で叫び、近くにいた女店主が隕石でも直撃したかのごとき表情で耳を塞ぐ。


「いきなり何だい、アタシを暗殺しようとしたのかいっ」


「そんな得にならないことしないって。思い出したんだよ。あの人形、この店で買ったんだ」


「はあ? どんな人形だって言ってたっけ」


 人形の詳細を説明すると、満子がカウンターの奥から分厚いリングファイルを持ち出してきた。大樹たちにも見えるようにカウンターの上で広げ、人形類と記された付箋の張ってあるページを中心に探し始める。


 一ページの左側に縦に商品の写真、右側に説明文がある。縦に三枚ずつ収納できるようになっていて、三ページほどめくったところで、大樹は目を剥いた。


「あった、これだ!」


 指差した写真を、どれどれと満子が覗き込む。


「アタシが本格的に店に出る前の商品だね。そりゃ、覚えてないわけだよ」


 皆で顔を寄せ合って商品説明を見る。


「戦争で離れ離れになった恋人が、再会を約束して送り合った人形。約束を果たして人形は一つになったが、男が戦地から戻った時にはもう女には親が決めた結婚相手がいた。せめて再会を果たした人形は一緒にいさせてあげたいと、当店に寄贈された」


 大樹が読み終えると、何とも言えない空気が他に客のいない店に広がった。


「……なんか見るからに大切そうな商品なんだけどさ、売りに出してもよかったのかよ」


「さあね。売ったのはアタシじゃないし、何か理由でもあったんだろ」


 そっけなく答えはしたが内心は動揺しているみたいで、口に煙草を咥えた満子は両手を懸命に動かすも、今もってマッチに火をつけられないでいる。


「互いに惹かれ合う人形が、危機を知らせた。ゲームではよくあるネタ」


「そうなのかいっ!?」やはり動揺しているらしく、いつになく満子が大袈裟に驚いた。


「ゲームに毒された清春の考察を真に受けてどうするんだよ」


 大樹はため息をついて額を押さえる。


 フンと鼻を鳴らす満子が煙草の煙を吐き出す横で、いつになく熱い眼差しの親友が大樹の肩に手を置いた。


「現実はゲームより奇なり」


「またそれかよ」


「現実でも不思議なことは起こりうる」


 腕を組み、何故かドヤ顔の親友。もしかしたらゲームみたいな現実を目の当たりにして、少しどころではなくかなり舞い上がっているのかもしれない。


「もしそうだとしても、俺のとこには男の人形しかないぞ」


 写真を見ながら満子が言う。「それはおかしいね。セットで売ったって記録が残ってるよ」


「そういや、誰かにあげたような気もするな」


 ウンウン唸ってみるものの、さすがにそこまでは思い出せそうもなかった。だが困惑する大樹とは対照的に、ゲーム一筋の親友は奥に星が見えそうなくらい瞳をキラキラさせる。


「女の人形を瑞原が持ってる」


「そんなバカな。大体、あいつは転校生だろ。ありえないって」


 顔の前で手を左右に振る大樹に、満子が「それなら聞いてみな」と声をかけてきた。


 厚めの指でファイルを収納すると、カウンターで頬杖をつく。高級バーで見かけそうなイイ女じみたポーズだが、モデルがモデルなので色気は微塵もない。


「聞ければ手っ取り早いけど、残念ながらちょっと微妙な感じなんでな」


「痴漢したからかい?」


「違う……って、誰から聞いた。俺はそこまで教えてないぞ」


 ゆっくりと上げられる手。それは真顔の親友のものだった。


「大事な部分は言ってない。胸を揉みしだいたところだけ」


「逆に駄目だろ! 経過を知らないと、本当にただの痴漢になっちまうって」


 唇を尖らせた大樹は、数日前の事件以降の愛美の様子を思い浮かべる。チョコレートパフェを奢ったまではよかったが、翌日から距離を取られるようになった。


 人の顔を見ては何か言いたそうにして、結局何も言わずに背中を向ける。おかげでまともに会話もできず、どことなく気まずい雰囲気が愛美との間に漂っていた。


「何にせよ、しっかり謝んな。女ってのはね、好きな男以外には触れられたくないもんさ」


 やはりイイ女ぶるように首を傾けて、頬に髪の毛を流したりしているが色気は皆無だ。


 強調される胸の谷間を恐怖心から見ないようにしつつ、大樹はわかったよと返事をするのだった。

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