13.皇后陛下の憂鬱
皇城内にある一室。
東都で行われる交流夜会に備えて、私はダンスの練習をはじめた。
「ハルさま」
「なんだ」
「こんなダンス……その、ハルさまにもうしわけなく」
「楽しいぞ?」
私の頭頂がフォルクハルト殿下の足の付け根ぐらいだから、当然一緒にダンスするとなるとかなり屈まれるし、小さな足ではターンどころかステップも覚束無い。かなり不格好なものになってしまう。
「ならば、こうしよう」
言い終える前に、抱き上げられた。
「きゃ!」
左腕に腰掛けるような姿勢で抱き上げられた私は、右手を持たれ、フォルクハルト殿下は一人でステップを踏んでいる。まるで幼児をあやすようにも見えて、恥ずかしい。
「でんか!」
「ハルだぞ、リア」
むすっとされ、頬におでこを擦り付けられた。
仕方ないので、空いている方の手で襟元を握りながら、慰めることにする。
「ごめんなさい、すねないで」
「んぐ。上から見られるのもいいな……」
「え?」
「なんでもない」
背後で私の侍従が、なんだかグネグネ暴れているけど見なかったことにしよう。あれに触れたら面倒なことになるに違いない。
「もー、兄上! 次は、僕です」
足元に近寄ってきたエトガル殿下が、腰に両手を当てて呆れたような顔で見上げた。
「ちっ」
「皇太子が舌打ちなんて、ダメじゃないですか」
「ガル、生意気な口を。大体貴様は東都へは行かないだろう」
「はいはい。凍らすのはナシです! リアの練習なんですから」
こうして私を挟んで兄弟が小競り合いをするのも、日常の光景になりつつあった。
「ふふ。なかよしですね」
「リア……」
眉尻を下げながら私を下ろすフォルクハルト殿下は、相変わらず無表情ではあるが、初対面の時とは違ってやわらかな印象を受ける。
床に足を着け、エトガル殿下の手を取ったところで、侍従のミヘルが緊張した面持ちで部屋へ入って来た。
「どうした」
「はっ」
ミヘルは足早にフォルクハルト殿下へ近づくと、耳元で何事かを囁く。
私はそれを横目で気にしつつも、エトガル殿下のエスコートでダンスを開始していた。無駄のないフォルクハルト殿下とは違う、元気の良いステップに
「母上が?」
ぴりりと空気を切り裂くような、冷たいフォルクハルト殿下の呟きは、確かにそう聞こえた。
――母上とはすなわち、皇后陛下のことである。
(とっても嫌な予感がするわ)
「ガル。すまないが、練習はまた後日だ」
「え!?」
ぴたりと足を止めたエトガル殿下は、不服そうな顔で私の手を離さないまま、背後のフォルクハルト殿下を首だけで振り返る。
「なんでですか!?」
「母上が、リアに会いたいと」
「えぇ~! それなら、僕も行っちゃダメ?」
「ダメだ」
「ちぇ~」
ぷくりと膨れた頬が、あまりにもまん丸で、私は思わずふふっと息を漏らしてしまった。
「なんだよリアまで」
「ガルさま。こうごうへいかは、わたくしとおはなしがあるごようす」
「母上は、その、ちょっと怖いから。僕、ついてってあげたいなって」
玉座の間で謁見した際は言葉を交わしていないので、迫力美人であるということしか分からない。大帝国の皇后陛下であるからして、すんなりと私の存在を受け入れる訳はないと覚悟はしていた。ついに来たか、というのが本心だ。
「おきもち、うれしくぞんじます」
エトガル殿下に、相手を気遣うという感覚が育ったことが、何よりも嬉しい。
「もし、こわくてないちゃったら、なぐさめてくださいませね?」
「うん! いつでも呼んで! ね!」
――がばりと私に抱き着いたエトガル殿下の背後で、また吹雪が渦巻き始めましたけれど。うん、私は今それどころじゃないのです。
◆
「エトガルめ、気安くリアに触りすぎだ」
私を抱き上げ、離宮の廊下を歩きながら、フォルクハルト殿下が唸っている。抱っこ移動にすっかり慣れてしまった。足が
「わたくし、みためがよんさいですから。おたわむれになっていらっしゃるだけですよ」
「そうだとしてもだな。俺以外の異性に触れられるというのは」
婚約者として、
「もうしわけご
「……はあ」
「ハルさま?」
対応を間違えただろうか? と不安になると、至近距離で苦笑された。
「いや。俺が大人げなかった。今まで通りで良い。実際、エトガルには良い影響があるしな……先ほどの発言といい、寂しかったのかもしれん」
「あ」
自身の母親を「ちょっと怖い」と形容するだなんて、と私も今気が付いた。七歳の皇子にすら畏怖を与える母親であれば、人肌恋しいのも納得だ。
「俺は執務に没頭していて、弟の変化に気づかなかった。リアのおかげだ。皇太子として、まだまだだな」
「いいえ! それは、ちがいますわ!」
「ん?」
「そうして、まちがいや、たりないところをみとめるゆうき。かんぷくいたしました」
大帝国皇太子などという立場は、傲慢でも許される。けれどこの方は勤勉で、自分に非常に厳しい。だからこそ、周囲にはこれでもかと恐れられているのだ。
わずかな滞在期間でも、それが分かって来た。才能と覇気に溢れ、より高みへと昇ろうとするこの方についていけないから『極悪非道』だと
「そんけいいたします」
「はは。ありがとう。尊敬だけでは、足りぬがな」
「たりないとは?」
ふ、と肩から力を抜いたフォルクハルト殿下の吐息が、耳にかかった。シトラスの香りがする。
「ああ。いずれ、手に入れるから。今は良い」
意味を問い
こうなったら侍従に助けを求めようと、フォルクハルト殿下の肩越しに後ろを見やると――またグネグネしている。とりあえず、舌をべーっと出しておいた。
「かんわええ! 八つ当たりも尊すぎるやんか~!」
「おい、あれはどういう意味だ?」
「わかりませんっ」
「尊すぎてしんどい! っくー!」
そんなエンゾを、廊下ですれ違う近衛騎士たちが残念そうな顔で見ている。
彼なりに周囲の警戒心を解こうとしてくれているのかな、と前向きに捉えておく。
「さて。先にいらっしゃっているようだな」
渡り廊下から外へ出て、中庭のガゼボへ続く石畳の上を歩いていたフォルクハルト殿下が、立ち止まり私をそっと地面に下ろす。
石造りの白いガゼボで、私の正体を見抜いたフォルクハルト殿下のことを思い出した。
(運命の分かれ道を、選ぶ場所なのかも)
エンゾいわく、ルート選択というやつだろうか。私の態度や言葉で、未来が変えられていく。そんな場所に思えてならない。
「よく来た、リアーヌ王女」
「おまねきいただき、ありがたくぞんじます。こうごうへいか」
豊かなプラチナブロンドに翠の目の迫力美人は、淡いグリーンに金糸の刺繍が美しいアフタヌーンドレス姿でテーブルに着いている。
渾身のカーテシーを披露して反応を待っていると、頭上から穏やかな声が降って来た。
「楽にせよ。これへ」
とりあえず、挨拶は大丈夫だったようだ。
「はい」
向かいの席を促され、エンゾが椅子を引き、フォルクハルト殿下が抱き上げて座らせてくれる。
私が座ったのを見計らうと、皇后陛下は軽く右手を振って、メイドや近衛騎士を下がらせた。
「今日呼んだのは他でもない」
す、とエメラルドグリーンの目が細められた。
「そなた、リアーヌ王女ではないな?」
(親子そろって全く同じことを!)
「なに、責めるつもりはない。われには懇意にしている者共があらゆる国の中枢におる。シュヴランの幼い王女は、あちらの王宮内にいると小耳に挟んだまでよ」
さすが帝国の情報網である。
完全に
「皇后陛下。その件につきましては」
私を庇おうとフォルクハルト殿下が口を挟むと、皇后陛下は「そなたに聞いてはおらぬ」と鋭い声を発し止めた。
「リアーヌ王女もどき。目的はなんだ?」
目的――改めて聞かれると、なんだろうと思う。
父であるロジエ公爵の
「わたくしのうんめいを、かえたいのです」
「運命とは」
「わたくしは、ユリアーナ・ロジエこうしゃくれいじょうにございます。くにでは
「ほう。自身の命を長らえるため、自身の命を危険にさらす。矛盾しておるが」
「むじゅんでは、ございません。きけんをおかさずして、えるものは、ございません」
皇后陛下は目を見開き、それからゆっくりと扇を開いて口元を隠した。
見開かれた目は、いつの間にか面白そうに細められている。扇の中に、どんな本心を隠しているのだろうか。
「ハルの執着も納得がいった」
「っ母上」
背後では、珍しくフォルクハルト殿下が焦っている。
「だが、皇后として憂鬱でもある」
「ゆううつ?」
はああ、と大きな溜息を吐かれる。
「皇太子は、幼い女にしか興味がないのだと噂されればな」
「クヒヒッ。あ、失礼いたしました」
侍従の甲高い笑い声が、中庭のさわやかな空気を切り裂いた。
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