14.いざ、東都へ


 エンゾのお陰で、動揺していた私は冷静さを取り戻した。

 

「……わたくしのそんざいが、ハルさまのごめいわくに」

「口さがない周囲の声なぞ、放っておけばよい。ただわれは本当に幼子にしか興味がないのか、確かめたかっただけよ……これほど他人に執着したのを見たことがなかったゆえ」


 抱き上げて移動しているのを見れば、執着と受け取られてもおかしくはない。安直な行動で迷惑をかけてしまった、と反省する。

 すると皇后陛下は、扇の中から辛辣しんらつな一言を放った。

 

「シュヴランは帝国との約定やくじょうを破ったに等しい。宝石の輸入は停止され、国は傾くであろう。つまりそなたは『火種そのもの』だと自覚せよ。安易に。よいな」

「は、はいっ」


 背を伸ばし返事をすると、満足そうに頷かれた。


「フォルクハルト」

「はっ」

「われは、何も知らぬぞ」

「! はっ」

「ならば、もう席を外せ。そこの侍従もだ」

「……っそれは」

「わが娘との茶会ぐらい、自由にさせよ」

 

 す、と扇を下ろした皇后陛下は、口角をゆるく上げている。


「なあ、リアよ」

「はい、へいか」

「エトガルを気にかけてくれたようだな」


 このお方は、やはり情報通だ。離宮内のことは全て網羅されているに違いない。


「わたくしは、なにも」

「フォルクハルトと違い、出来が悪いと思い込んだ。われが厳しくしすぎた分、周囲に甘えたようだな……態度を改めねばなるまい」

 

 自分の非を即座に認め、改めることができる。それはまさに――


「ふふふ」

「なんだ?」

「あっ! も、もうしわけごじゃいましぇん」

「よい。なぜ笑った。言うてみよ」

「はい、へいか。ハルさまとそっくりだとおもいました」


 フォルクハルト殿下の在りようそのものだ。なんだか、感動してしまった。

 

「陛下……母と呼ぶが良い」

「おかあさま?」


 ぎゅん、と皇后陛下の眉間にしわが寄った。

 やはりご機嫌を損ねてしまっただろうか、と不安になると、突然皇后陛下がぶるぶると身悶えをし始めた。

 

「ああもう! かわいいっ! もうだめっ、我慢できないっ! 娘が欲しかったのっ! われにも、抱っこさせてちょうだいっ」

「は、はいっ」

 

 慌てて椅子から飛び降りると――背後で心配そうだったフォルクハルト殿下が目をまん丸くしていて、私は思わず笑ってしまった。エトガル殿下とそっくりだ。


「うれしいです」


 とと、と座っている皇后陛下の横に近寄ると、すぐにぎゅううと抱きしめられた。

 耳元で「あなたは頑張りすぎよ。心細かったでしょう。もう、大丈夫よ」とささやかれる。


 ああこれが母の温もりというものなのだと、初めて知った――


 ◆


「まったく、俺の婚約者だというのに、母上は」


 私は、東都へ向かう馬車の中で、フォルクハルト殿下の愚痴を聞かされていた。

 

 結局あのお茶会以降、皇太子妃教育という名目で、一日に一度は皇后陛下の部屋を訪れることになった。お茶やお菓子だけでなく、様々なドレスやアクセサリーを作らせたり、レディとしての教育を受けたり。

 帝国内での女貴族の横繋がりや縦繋がりまでみっちりと、本格的な教育をしてもらえたのが非常に嬉しい。


 その分、フォルクハルト殿下の執務室で一緒に執務をすることや、エトガル殿下と会う時間が減ってしまったのだ。


 皇都から東都までは、二頭立て四輪馬車コーチで整備の行き届いた街道を進む、片道十日ほどの日程である。フォルクハルト殿下と相談し、この移動時間に魔法の勉強をすることにした。

 火魔法はもっとも想像しやすく、行使しやすいものらしい。その分扱いを誤ると人に危害を加えてしまう。慣れるまでは人前で使わないようにしようと決めた。


「こうたいしひ、としてみとめていただき、ありがたくおもっております」

「それはリアの努力の賜物たまものだぞ。母上が他人を褒めるところなど、見たことがなかった」

「え! そうなのですか!?」


 可愛い、よくできてる、よく覚えたわね! と毎日褒められていたが、それは特別なことだったのか。


「ああ。それだけ娘が欲しかったのかもしれんがな」

「そうかもしれませんわ。たくさんドレスをつくっていただきましたもの」


 私の荷物のほとんどがドレスなんじゃないかと思うぐらいに、あれもこれもと詰め込まれていて、メイドのマゴットが着付け方法やヘアセットを学ぶのに四苦八苦していた。

 そんなマゴットとエンゾは、馬車前面の御者台で、何やら仲睦まじく会話をしている。


「エンもたのしんでいるみたいで、よかったです」

「そんな寂しそうな顔をするな。俺がいるだろう」

「さみしそう……わたくしが?」


 ふう、とフォルクハルト殿下が、深い息を吐く。


「無自覚か。八年寄り添ってきたんだものな。だが負けぬぞ」

「なんのしょうぶなのです?」

「何でもない」

 

 ぶすりとした横顔がなんだか可愛らしく思える。

 ぽぽ、と頬が熱くなってきて、フォルクハルト殿下に冷気をねだった。


「すこし、あついですわ」

「そうだな。すっかり夏だ」


 隣に座った殿下が手のひらを上に向けると、小さな氷の塊が生まれた。

 それをくるくると人差し指の上で回転させるようにすると、馬車内に冷気が広がる。


「はああ。すずしいです!」

「俺をこのように使うのは、リアだけだぞ」

「もしかして、不敬でしょうか?」

「いやいや。皆が皆恐ろしいと立ちすくむのに、リアは恐れ知らずだな」

「おそれるだなんて。すずしいだけでなく、とってもきれいですのに」


 白い氷塊がしなやかな指の上でくるくる回る様は、とても綺麗だ。馬車の窓から差す日光を反射して、様々な光をもたらしてくれる。ずっと見ていても、飽きない。

 

「ああ……綺麗だ」


 甘く微笑む氷の皇太子の目線は、氷塊でなく私にある気がしたけれど、なんだか恥ずかしくて気づかないフリをした。


 ◆


 大貿易都市である東都とうとは、異国情緒溢れる街並みである。

 張り巡らされた水路上を、たくさんの果物や野菜を乗せた小舟が行き交い、レンガが敷き詰められたメインストリートには、様々な店がのきを連ねている。

 荷馬車や人混みで賑わう街の景色を窓から眺めながら、私たちの馬車は、東宮とうぐうと呼ばれる東都に構えられた皇帝の居城へと向かっていた。


 飽きることなくずっと窓の外を眺めていた私の背後から、低く優しい声がする。

 

「街を散策したいか?」


 私は、驚きと共に振り返った。

 

「よいのですか!?」

「ああ。せっかく来たのだから、見て回ろう」

「ハルさまも、あるいたことが?」

「当然だ。さすがに危ないから、身分を隠してだがな。市井しせいを知らずして、国を治めることはできないだろう」


 その言葉を聞いた私の胸は、たちまちきゅううと絞られるように、痛んだ。


「リア? どうした」


 かつてエンゾと出会ったきっかけは、シュヴラン王太子マルセルに同じような言葉でそそのかされてのことだった。全くの嘘であったが。


(わたくしは、本物と出会えたのだ)


 この感動を胸に秘めたなら、どんな逆境に遭っても前へ進めると思えた。


「わたくしも、そうおもいます。ハルさま」

「ならば、食べ歩きをしよう」

「たべあるき!」

「ふ。行儀が悪いなどとは言わぬぞ。庶民のやり方を、教えよう」

「はいっ!」


 後で護衛を頼んだら、エンゾは「それ、お忍びデートってやつですやんっ! っくー!」ってまたぴょんぴょん飛び跳ねていたけれど、見ないフリをしておいた。

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