16.お披露目夜会 中編


 見慣れない人々の好奇な目線を浴びるのは、心構えをしていたので平気だ。

 だが、シュヴラン王国王太子マルセルと、その婚約者であるイネスの蔑むような態度は、予想していたとしても――多少は傷つく。私は、人間なのだから。


「我が最愛の妹との再会の機会を、ありがとう」

「遠路、よく来た」


 微妙に噛み合わない返事をするフォルクハルト殿下は、周辺の温度を下げている。牽制か、単純に不機嫌なのかは分からない。けれどその冷たさが、私には心地よかった。


「この度はぁ、ご婚約おめでとうございますぅ」


 イネスの相変わらず舌っ足らずで甘えた口調は、侯爵令嬢としてふさわしくない。以前から何度も苦言を呈してきたが、やはり耳には入っていなかったようだ。

 他国での夜会に、胸元の大きく開いたハート型ビスチェは、目のやり場に困る。上からストールを羽織るでもなく、背中も肩甲骨が見えるぐらいで、ダンスをしたら落ちるのでは? とハラハラする。

 その証拠に、豊かな胸の盛り上がりへは周囲の男性陣の視線が釘付けになっている。一気に会場中の女性を敵に回した、と私は溜息を吐きそうになったのを無理やり飲み込む。


「楽しんでいってくれ」

 

 フォルクハルト殿下がとりあえず無難な回答をし、挨拶を終えた。


 さて、そういう殿下はどう思っているのだろう、と横をチラリと窺うと目が合う。


「……リア。あれが王太子の婚約者か? 愛人ではないのか」

「んぶ」


 吹きそうになったので慌てて両手で口をふさいだ私を、愉快そうに左の口角だけ上げて見てくる。憎たらしいけれど、憎めない。


「なんだあのドレスは。下品すぎるだろう」

「んんっふ」

「しかも、この俺を舐めまわすように見てたぞ。気色が悪い」

「っハルさまは、りりしいですから」


 フォルクハルト殿下は、ようやくぴたりとイヤミを止めてくれた。

 

「凛々しい? 俺がか」

「? はい」

「ふ。ふ」


 それから、ずいぶん上機嫌になって、立ち上がる。

 

「気分がいい」

「えっ」


 フォルクハルト殿下が前へ歩いていくと、ホールで挨拶を交わしていた貴族たちが一斉に壇上へ注目する。

 静かになったのを見計らい、フォルクハルト殿下は声を張った。

 

「皆の者! 今宵は我が婚約者のためによく集まってくれた! 幼き姫をでるもよし。よりよい未来のため、交流するもよし。存分に楽しんでいってくれ」

「殿下! おめでとうございます!」

「ご婚約おめでとうございます!」

「帝国、万歳!」

 

 すかさず呼応した若い貴族たちの声を合図に、楽団が音楽を奏で始めたので、フォルクハルト殿下が私をホールへといざなった。


「さあリア。ダンスをしよう」

「はい、ハルさま」


 小さな王女が背を伸ばし歩く姿は、注目の的である。

 音楽に合わせて、フォルクハルト殿下がステップを開始すると、私はくるりとターンした。それだけで周辺からは「ほう」「かわいらしい」と声が漏れる。

 

 大人と子供のダンスは、滑稽こっけいかもしれない。

 けれども、私は楽しんでいた――今まで、どんな夜会に呼ばれても、誰も踊ってくれなかったから。親族以外とダンスするのは、初めて。私の本当の、ファーストダンスだ。


「上手だ、リア」

「うれしいです」

 

 とはいえ四歳の体では、とても一曲は踊れない。

 疲れの見えてきた私を、フォルクハルト殿下はすぐに抱き上げてくださった。そしてそのまま、ステップを踏んでいる。

 

「きゃ! もうっ」

「いいではないか。可愛いリアを自慢したい」

「か!?」

(可愛い!? 初めて言われたわ!)

 

 幼児に対してのものだとしても、嬉しい。否定ではない言葉が、自分を暖かく包んでくれる気がする。


 私たちがダンスを終えると、今度はシュヴラン王太子と婚約者の番だ。

 袖へ引き返してきた私とすれ違いざま、イネス侯爵令嬢は扇を口元にあて、屈んで耳打ちしてくる。


「幼女好きの変態と結婚だなんてぇ~お気の毒さま~ぁ」


 身構えた私の耳にだけ届いたその言葉は、先ほどまでの暖かさを一瞬でかき消してしまった。

 シュヴラン王国王都から東都までは、馬車で十四日はかかる。それほどの時間をかけてまで、私をさげすみに来たのかと思うと、狂気すら感じた。


 私は、居心地の良い帝国に染まってしまったのかもしれない。

 今まではこれぐらいのことは、日常茶飯事だった。すぐに気持ちを立て直し、態度で反抗したり時にはイヤミで返すこともできた。

 だが今は、悔しい気持ちでいっぱいになり、フォルクハルト殿下の名誉回復すらもできない。言われっぱなしのまま、イネスはダンスホールで踊り始めている。情けない。

 

「相変わらずゲスいやっちゃ」


 震える私の肩を、ぽんぽんと慰めるように叩くのは、エンゾだ。

 

「エン……きこえたの?」

「ワイ、地獄耳やから。ま、言いたいだけ言わせといたらええねん。どうせ破滅フラグ立っとるさかい」


 にししといたずらっぽく笑う侍従が、私を明るく励ます。


「はめつ?」 

「遠慮するこたないってこっちゃ。悪役令嬢の本領、発揮しちゃいましょ」

「そうね」


 ダンスを終えたイネス侯爵令嬢を、次から次へと若い男性貴族たちが誘い、王太子マルセルだけがこちらへ戻って来た。

 エンゾはあえて私の姿を隠すように立っている。


「フォルクハルト殿。乾杯をしよう」

「……ああ」


 シャンパングラスを持ったふたりは、軽く飲み口をぶつけ合った。カチンという乾いた音は、交流よりも舌戦開始の合図のようだ。

 ふたりとも、口角をわざとらしく上げ『にこやか』を装っているものの、空気は尖っている。

 

「ところで。騎士団配備がゆるまないのは、なぜなのだろうか? 要望通り我が妹を嫁がせただろう」

「祝いの場でそれを直接聞くか。……まあいい。我が帝国の要望は『民を慈しみ海神を崇拝し、儀礼を尊重せよ。それができぬのなら、海神の血を帝国へ分かち、庇護下に入れ』だ。妹を嫁がせよなどと言った覚えはない」

「海神の血を分けただろう。にも関わらず庇護どころか」

「それがまことならな?」


 発言をフォルクハルト殿下に遮られ、二の句が継げなくなった王太子マルセルは、私の姿を探す。近くにいないとみるや、鼻白んだ。

 

「なにを疑うことがある」

「帝国の情報網をなめてもらっては困るな。シュヴラン王宮に出入りする商人職人などは、溢れるほど抱えているぞ。無邪気に遊ぶ幼女が、離れでは殿下と呼ばれているらしいな。――王女は双子だったか?」

「うぐ」

「陛下の耳にはまだ入れていない」

 

 フォルクハルト殿下の言うことは、本当だ。皇后陛下は知らないフリをすると言った。皇帝陛下へは、背景が明確になるまで報告しないと言われた。全ては、平和裏に解決するためだ。

 だからこれは、マルセルへの温情と等しい。ここで対応を誤れば、帝国と王国との関係にはひびが入り、取り返しがつかなくなるだろう。

 

「ふん。まことでないとしたら、その者が騙したということだ」


 残念ながら、事態を把握できるような脳みそは、マルセルにはなかった。

 

「ほう。貴殿も騙されたと」

「ああ」

「妹君の輿入こしいれだろう? きちんと調査しなかったのか? ……まあ、どうでもいいが」

「どうでも、とはどういうっ」


 たちまち激高しそうになったマルセルを、フォルクハルト殿下は手で押さえるような仕草だけで留める。

 

「帝国も、慈善事業ではない。宝石泉に価値があるから庇護しようと思った。ここ数ヶ月の採掘量は把握しているか?」

「ふ。そんなもの、帝国が分かるわけ」

「東都は、宝石泉から採れるサファイヤの主要輸入都市だ。最近、流通量が激減している」

「ほかへ! 売った!」

「ほう。ということは、我が帝国との貿易を見限ったということだな? 高く買い上げる代わりに年間輸入量確保の約定を交わしているのに、守られていない。違約金を払ってもらおう」

「いや、いやくきん!?」


 馬鹿な王太子は、貿易協定の知識も入れずこの場へ来たのか、と呆れ果てる。

 東都でのサファイヤの価格は高い。その代わりに契約により安定供給を確約する。供給に満たない場合は、買い取り価格に上乗せした違約金を支払う。理に適った契約だ。


 私は、フォルクハルト殿下の執務室で、サファイヤの流通量の変遷も確認していた。当然公爵令嬢という立場では、国家間に貿易協定があることは知らなかったが、フォルクハルト殿下がかいつまんで説明をしてくれたのだ。

 母国が衰退していくのを数値化されているようで、心苦しかった――明らかに、採掘できていない。滅びの一途を辿っている、と。


「そんな、でたらめな」

「でたらめではない。本国に戻ったら、契約書のサインを確かめるがよい。シュヴラン国王の玉璽ぎょくじも押されているはずだ」

 

 サファイヤが採れていないならば、国庫に入るお金もない。過去にさかのぼって帝国から請求される違約金は莫大な金額になるだろう。

 未払いとなれば、帝国騎士団は他国への見せしめもあって、宝石王国を攻めざるを得ない。

 例え無知な王太子も、それぐらいのことは想像がつくはず。ならば今後どうするかをここで交渉すれば良いわけだが――


「すべては、ロジエの策略! 我が王国とは、無関係である!」


 ――うん。なんて?

 

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