12.悪役の素質


「いま、わたくし……な、なにを……」

 

 とんでもないことをしてしまったに違いない。

 私は、フォルクハルト殿下に抱きかかえられたまま、心も体も硬直してしまった。不敬か無礼ならまだ良い。暗殺未遂と見做されたなら――とにかく謝罪をせねばと心を奮い立たせる。


「たいへん、もうしわけ、ございませ……」

「謝るな、リア」


 動揺する私の背を撫でながら、フォルクハルト殿下は、呆然と突っ立っているエトガル殿下を見下ろした。

 

「エトガル。今見たことは、決して誰にも言うな。陛下にも、だ」

「えっ!?」

「リアを守るためだ。皇子ならば、できるな?」


 皇太子に危害を加える寸前であったとなれば、罪に問われる。私は、まだ七歳の皇子が無邪気にこのことを話したらと想像し、今更ながらゾッとした。

 

「リアを、守るため……はい!」


 ぎゅっと両拳を握ったエトガル殿下は、言葉に出しながら気持ちを切り替えた様子で、私を見上げる。


「リア、けがはないか?」

「は、はい」

「良かった……」


 腕を引っ張って転ばされた時は傲慢だった彼が、気遣ってくれている。

 著しい成長を嬉しく思う一方で、やはり胸の動悸が収まらない。ぞわぞわとした不安感が、振り払おうとしてもせり上がってきてしまう。


「あは~ん。なるほどやでえ」


 どこかのんびりとした、エンゾの声がした。

 

 それを聞いた私は、深呼吸をしなければ、と心を持ち直す。困難に遭った時はいつも救ってくれた声だから、何よりも安心できる。

 

 彼は壁際の本棚の前で、フォルクハルト殿下が以前解説してくれた、黒革表紙の魔法入門書を開いていた。ページから顔を上げ、私を見て大袈裟なぐらいの笑顔を作った。


「リア様。魔法の原理を理解されたんとちゃうかな?」

「え? ええ」


 フォルクハルト殿下の説明が分かりやすかったおかげで、基礎は大体頭に入ったと思っている。

 

「ふむ。ワイの認識では、魔法の基礎や原理を理解したとしても、使えるのとは別の話。才能と努力が必要やし、修行したかて必ず使えるようになるもんでもない」


 エンゾの言葉に、フォルクハルト殿下が同意する。

 

「エンゾの言う通りだ。帝国においても、魔法を使える人材は貴重。たとえ使えたとしても、役に立つとは限らない。弱かったり、思うように御せなかったり、使い道のないものだったり色々だ。しかも教えられるような腕の者は、皆偏屈で、他人に教えるのには向いていないしな」

「殿下のそれって、自己紹介やん~」

「何か言ったか?」

「なんもないっ!」


 闇魔法使いのエンゾは、魔法を披露しただけで公爵家の侍従になることを認められた。それぐらいに、魔法とは希少な技術である。

 フォルクハルト殿下は、皇太子という地位だけでなく、氷魔法の使い手でもある。存在だけで脅威を感じている人間も、たくさんいるのだ。


「てなわけで、さ~すが、我があるじや! 学んだだけで、使えるようになったっちゅうこっちゃな」

「エン……」

「だいじょーぶ! 心配するこたないですよ。また、んや。ワイがおりますさかい」

 

 エンゾは、私に悪役としての素質があるせいだ、と暗に示している。知識も教養も、外見すらも、全てはこの物語で最も強い『悪役』として位置づけるため備わったもの、と私たちは考えていた。

 今回はそれに魔法が加わったにすぎない。ならば、今まで通り『役目』に逆らって、良い方向へと舵を切ればいいのだ。


「ええ。いろいろおしえてね」


 方向性が見えれば、頑張れる。私はようやく顔を上げることができた。すると、目の前に水色の瞳が現れる。

 

「俺もいるぞ、リア」

「ハルさま」

「魔法のことは、まず俺に聞け。奴のは、この世界の魔法体系とは異なる性質のもの」

 

 今の私にはエンゾだけでなく、フォルクハルト殿下もいる。これほど心強いことはない。

 

「基礎は大事だ。俺ならば、正しく教えることができる。あとできちんと練習をしよう」 

「はい!」

「ぐほ~! 侍従にすらマウントしよる~! 溺愛ルート確信んんんんキタコレッ!!」


 エンゾがまた意味の分からないことを叫びながら、ぴょんぴょんその場で飛び跳ね回っているのを見たエトガル殿下が、冷えた目で一言

「変な奴」

 と呟いたので、私は思わず吹いてしまい――その息がフォルクハルト殿下の首筋にかかってしまった。


「はは。くすぐったいぞ」

「あらやだっ、あの! もう、だいじょうぶです。おろしてくださいませ」


 ところがフォルクハルト殿下は、私を下す気配が全くないまま、自室へ歩いて戻り始めた。


「ハルさま!?」

「いや、心配だから今日はこのまま一緒にいよう。また火魔法を使ってしまったとしても、俺ならばすぐさま氷で鎮めることができるからな」

「このま……はい!?」


(わたくしを抱えたままってこと!?)

 

「ああ。ついでに報告書類を見て、何か気づいたことがあれば教えてくれないか」


 スタスタと執務机に戻る彼の横顔は、いつもの無表情とは様子が異なり、口角が少し上がっている。

 

(もしかして、執務を手伝えって言ってる!?)

 

「きみつじょうほう! でしょう!」


 動揺して叫ぶと、部屋の隅に立っていたミヘルが、目をまん丸くした。ひどく驚いた様子なのは、四歳の口から出る言葉ではないことか、それともフォルクハルト殿下に逆らっていることか。もしくはその両方かもしれない。

 にやり、とさらに口角を上げたフォルクハルト殿下は、有無を言わさぬ声音で言い切る。

 

「問題ない。俺の婚約者だろう」


 私の返事を待たず、膝の上に座らされる形で椅子に着いてしまった。腰には腕が回されて、とてもじゃないが逃げられない。

 ミヘルが、複雑そうな顔をしている。心配と微笑ましい、の半々だろう。


「うわ……兄上って、あんなお顔するのですね……」

「うひょおおお! お膝で執務イベント萌え! っくぅ~、目に焼き付けるでぇ」

「……やっぱ変な奴」


 書斎の扉口から、ふたりそろって覗き込んでこられたのがまた、落ち着かない。


「あのあの、ハルさま」

「なんだ」

「せめておろしてくだしゃいませんか」


 動揺してまた舌を噛みそうになる。

 

「おろしたら、書類が見られないだろう」

「うっ」


 痛いところをつかれた、と机の上に載った書類へ何気なく目を走らせると、何かが目に留まった。

 

(なんだろう?)


 視野に引っ掛かったものの正体を確かめるべく、目を凝らすと――

 

「これ、は」

「やはり来たか」

「ハルさまっ」

「ああ。そろそろ来るだろうと思っていた。だから、何も手を加えていない状態を、リアに見せたかった」

「っおきづかい、ありがたく」


 フォルクハルト殿下が手に取った封筒には、盾と鍵のデザインである封蝋ふうろうが押してある。シュヴラン王家のその紋章は、宝石泉を守る一族を表したものだ。

 

「開けるぞ」


 ペーパーナイフを差し入れ、一気に封筒の上部を裂いていく手つきを、私はただただ見つめている。心の中が、再びざわめき始めた。一体何を言ってくるのだろうか、と。

 先に一通り目を通したフォルクハルト殿下が、眼前に紙を広げて置いてくれた。


「ふ。読んでみろ」

「はい」


 差出人は、シュヴラン王国王太子マルセル・シュヴラン。中身は、いかにも貴族が好む婉曲表現でこう書かれていた。


『西の暴風が収まらないのは、になにか気になるところでもおありか。いかにして収めるかを語り合いたい。宝石王国次代の王たる私と、今こそ杯を交わそう』

 

(つまり、シュヴランから見て西の国境での帝国騎士団配備は、ゆるめていらっしゃらない。それを気にするシュヴランは、王太子とハル様の交流を通じて緊張状態を脱却しようとしている……あの王子にそれほどの手腕はないのに、ずいぶんご自身を高く買っていらっしゃるのね)


「ちょうどいい。リアのお披露目はまだかと周りがうるさくてな」

「さようですか」

東都とうとは、良い街だぞ」


 東都というのは、帝国の東側国境近くにある大都市だ。シュヴランの宝石もその街へ輸出されている、交通と貿易の要所である。

 

「おうじられるのですか」


 意外だ。突っぱねるかと思った。


「リアを傷つけてきた奴らの面の皮を、この手で直接いでやりたくてな」


 フォルクハルト殿下は無表情だが、身の内から何かが溢れ出ている。

 

「いきいきしてますね」

「そうか?」

 

 この人にも、悪役の素質があるかもしれない――私の背筋に、ぞくぞくとした寒気が走ったのは、氷魔法のせいではないだろう。

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