三章 悪役らしく

11.才能は、開花する


 エトガル殿下に会うのは、皇城二階奥に位置する皇太子執務室の続き部屋である、書斎でと決まった。

 

 腰高のマホガニー製ロングテーブルと、片側に三脚ずつ青いベルベットの椅子が置かれた書斎(恐らく会議室も兼ねている)は、壁沿いにある本棚に囲まれている。奥の壁の大きな掃き出しの窓からバルコニーへ出るとテーブルセットがあり、お茶をしながら裏庭を眺めることができる。部屋の隅には、仮眠もできそうなカウチソファと、円形カフェテーブルが置かれていた。


 エトガル殿下が訪れるよりだいぶ前に、私はその書斎に来ている。

 フォルクハルト殿下の蔵書数は、図書室並み。学術書や魔法書まで並んでいて、背表紙を見るだけでわくわくする。


「すごい! これぜんぶ、よんだのですか?」


 執務の合間、休憩がてら書斎へ私の様子を見に入ってきたフォルクハルト殿下は、本棚を夢中で見ている私に、自嘲気味に笑って見せる。


「ああ。他国の人間ともここで会うからな。牽制けんせいだ……読みたいものはあるか」

「はい。あの、うえからにばんめ、いちばんみぎの」

「魔法書に興味があるのか。なら入門書はこっちだ」


 黒革の分厚い本を手に取ると、フォルクハルト殿下は私を反対の手で抱き上げた。

 

「ひゃ!?」

 

 流れる動作でそのままカウチソファに腰かけると、私を膝に乗せる。

 

「え、あの」


 戸惑う私を後ろから抱くようにして、本のページをめくり始めるフォルクハルト殿下の吐息が、頭頂に当たる。

 

「解説しながらのが良いだろう」

「おひざ、いたくならないですか」

「ならない。ミヘル、茶を」

「は」


 フォルクハルト殿下の侍従であるミヘルは、二十五歳の伯爵位だ。明るい茶髪に琥珀色の目をした優しい雰囲気の男性で、男の子の父親になったばかりだと聞いた。

 ちなみにミヘルを選んだ理由は「欲がないから」らしい。他の候補は出世欲がすさまじくギラギラしていたのだとか。私にはその選んだ理由が、分かりすぎるほど分かる。


 やがて、爽やかな茶葉の香りが鼻をくすぐった。


「あら。ハーブティーですの?」

「ああ。俺がイライラしすぎると、ミヘルが勝手に淹れる」

「まあ! うふふふ」


 笑ってしまった私へ向かって、ミヘルが口角を上げ肩をすくめた。主人のイライラには困らされていますよ、を無言で訴えるその仕草に、私はまた笑ってしまう。

 

「中庭で取れたラベンダーを、丁寧に乾燥させたものでございます」


 ミヘルのお茶を淹れる手つきは、エンゾの『無駄が一切ない実務』に対して、優雅な様式美を感じさせるものだ。どちらも、美しい。

 

「たしかに、イライラにはこうかありですわね」

「リアは、茶も詳しいのか」

「はい。すきなのです」

「好きな種類を言え。全部取り寄せておく」


 私は、驚きで思わず振り返る。至近距離に、輝くアクアマリンがあった。ほのかに、柑橘系と花の香りが混ざったトワレの香りがする。それから吐息に混ざって、今飲んだばかりのラベンダーが漂う。


(ちかい!)


 ばくんと一気に心臓が跳ね、頬が熱くなり、慌ててまた前を向いた。意識をすればするほど、フォルクハルト殿下の腕の力強さや膝の硬さ、体温の暖かさに意識が向いてしまう。これではいけない。


「リア?」

「ありがたくぞんじますっ。あっあの、このまほうは、どんな?」


 とにかく早くこのドキドキを、収めなければ。

 フォルクハルト殿下は、私の様子に少し首を傾げつつも、丁寧に文字を指でなぞりながら、解説してくれた。非常に分かりやすく、やはり賢い人なのだと再認識する。

 

「っくぅ~! 尊いでえええええ!」


 その間、背後でクネクネ悶えているであろう私の侍従を、ミヘルがとても残念そうな目で見ていて、非常に心苦しかった。


 ◆

 

「ていこくは、ひろいですね」


 隣の執務室で書類仕事をこなすフォルクハルト殿下を邪魔しないよう、私とエトガル殿下は書斎のカウチソファに並んで座っていた。ふたりの間に、帝国地理の本を広げている。

 七歳にも分かりやすいものを、とお願いしたら「それほど正確ではないが、おおざっぱな理解であればこれで十分だろう」と大きな絵本のようなものを手渡された。見開きに、地図のようなものが描いてある。地形を学べば、誰がどこから来たかを具体的に把握することができる。気候や、特産が分かってくる。そうなれば、帝国内外問わず誰とでも会話が成り立つだろうという私の考えを、フォルクハルト殿下は汲んでくださった。


「リアの国は、どこだ?」

「このあたりでしょうか」


 帝国の東側にある領土の、さらに先にあると思われる空中を、指さす。

 するとエトガル殿下は、私の指先と自分の指先を見比べた。


「皇都がこことすると……?」

 

 エトガル殿下は、皇都から出たことがないらしい。それでも近郊の町へすら、馬か馬車でも数日かかることは知識として知っている。

 絵を見ながら話すことで、広大な領土を具体的に想像できたようで、眉根をきゅっと寄せられた。

 

「ものすごく、遠いな」

「はい。しかもていこくにくらべたら、とてもちいさいくに、です」

「たったひとりで、来たんだよな」

「さようです」

「……そうか」


 エトガル殿下が、また下唇を噛みしめている。今度は何を葛藤しているのだろうか。


「リアは、すごいな」

「すごい?」

「僕が四歳の時は、母様や乳母にべったりだった」


 それが普通だ、という言葉はゴクンと呑み込んでおく。

 

「さみしくないのか」


 ――改めて問われると、答えに困る。どう振り返ってみても、あの国に居場所はなかったとしか思えない。命の危機が何度かあり、それを回避するため必死になっていた記憶しかない。エンゾの言う通り、さすが『死亡不可避の悪役』と他人事のように思っている。

 あえて言うなら、寂しくないことが、寂しい。


「そうですね……ハルさまが、いらっしゃいますから」


 今はこの回答が正しいだろう、と思って言ったことだが、私の本心の一部でもある。冷たい色の瞳の婚約者の心の内は、決して冷たくはないと感じているから。


「ねえ、リア」

「はい」

「僕もいる」


 横から、ぎゅっと手を握られた。子ども体温のせいか、熱い。


「僕もいるからな」


 目が合うと、念押しのようにまた言われた。

 最初の態度とは大違いだ。教育が行き届きすぎてしまったかしら、と横目でエンゾを見やると、なにやら感極まった様子でぷるぷる震えている。全然役に立たない護衛だ。放っておこう。

 

「ありがたくぞんじます、ガルさま」

 

 とりあえずにっこり口角を上げたら、エトガル殿下の頬が真っ赤に染まり、同時に執務室から顔を出したフォルクハルト殿下の顔は、みるみる青白くなった。

 

「ハルさま。きゅうけいですか?」


 心配になって声を掛けると、「その手を離せ」と唸るように吐きながらズカズカ近寄ってくる。

 

「いいじゃないですか、ちょっとぐらい」


 頬を膨らませたエトガル殿下が抗議すると、フォルクハルト殿下は大人げなく「ちょっと? 一切許さん」と有無を言わさず私を抱き上げた。


「きゃ」


 あっという間に床が遠のき、高身長なフォルクハルト殿下と同じ目の高さになると、視野も広がる。そうして、目の端に映ったのは――


「あ! あれは!」


 執務机の脇机に積み上げられた、茶葉のラベルの数々だ。


「リア。あらゆる産地から取り寄せたぞ」

「しゅごい! ハルさま!」


 感激のあまりぎゅっと横顔に抱き着いてしまった私は、頬と頬が直接くっついた感触に動揺して、慌ててまた離れる。

 

「ふは。なんだ、褒美はもう終わりか?」

「ほほほうびって」

「もっとぎゅっとしてくれていいぞ」

「もう!」

「はは」


 至近距離にある氷の皇太子のとろけたような笑みに、私は肩をぽかぽか殴って羞恥心を誤魔化す。その手の甲を――突然炎が覆った。

 

「!?」

「リア!」


 すかさずフォルクハルト殿下が氷魔法で冷やしてくれたので、大事には至らなかった。が、愕然とした私の脳内には、時の魔女カステヘルミの穏やかな声が鳴り響いている。


『四歳に戻るなら、人生そのものをやり直せる。だろう』

 

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