10.氷の皇太子の、心の中。 ~フォルクハルトside~


「全部吐け」

「ひええ~! 堪忍、堪忍~」


 俺は、婚約者の専属侍従であるエンゾを、問答無用で皇城内にある近衛騎士訓練場まで呼び出していた。

 今は巡回の時間であり、人けは見当たらない。ここならば、多少暴れても問題ないというのが理由だ。


 護身用に帯剣しているレイピアの剣先を、エンゾと言う男の鼻先に突き付けて見たものの――残念ながら全く動揺されないことに溜息を吐きそうになる。やはり生半可な男ではない。


「ふざけるな」


 先日の告白から、ユリアーナ・ロジエは、時の魔女の魔法で肉体年齢を四歳に変えられ、王女の代わりに嫁いで来たことが分かった。

 皇帝陛下の耳に入れば、シュヴラン王国との国交は断絶し、ユリアーナは投獄されるだろう。

 帝国を敵に回すほどの賭けを、宝石王国が単独で行うとは考えづらい。後ろ盾は皇族に恨みを持つ勢力か、はたまた併合したばかりで反発の強い国か。思い当たるものはたくさんあり、探りを入れているところだ。


 陛下への報告は、背景が分かってからで問題ない。


 それはそれとして、俺はこの侍従のことが気になって仕方がなかった。


「闇魔法などという、ものを扱うおまえは、いったい何者だ」


 魔法体系として成り立っているのは、火水風土の四属性魔法だけだ。だがこの男は、いにしえの魔法書にしか存在しない闇魔法を、行使している。人嫌いで居場所すら判然としない『時の魔女』の弟子というのも、常識的に考えれば有り得ない。


「迂闊やったわぁ~。まさか殿下が魔法体系に精通してらっしゃるとは」

「答えろ。おまえは、か」


 油断なく殺気を高める俺の数歩先で、何も見えていないような細い目が弧を描き、不気味さが増す。


「ん~……正直、わからんのです」

「わからん、だと?」

「気づいたら、別の世界からこの世界に来ててん。ひょっとしたら殿下の言う通り、死んだんかもしらん。けど、こうしてここにおる」

「別世界の住人……ならば魔法体系が異なっても不思議ではない、か……しかし闇とは」


 エンゾの言葉には、魔力なのか魅力なのか、不思議な説得力がある。

 ユリアーナは信頼しているようだが、俺は警戒心を抱く一方だ。その心の動きすら察知した侍従は、口の端をわざとらしいぐらいに持ち上げた。


「心を操ったりなんかは、せんよ」

「っ言葉では、どうとでも」

「そんなんしたら、あるじが悲しむから、やらん。ワイの忠誠心くらいは、信じて欲しいもんやね……これでも、内心ビビり散らかしとる小心者なんやで。元はただのサラリーマンやもん」

「さらり?」


 目の弧が直線に変わったかと思うと、突然エンゾは腰を直角に折り、頭を差し出すように下げた。このような無防備な姿勢は、どれだけ手練てだれだろうと、俺が剣を振ればただでは済まない。


「殿下。どうか、ユリアーナ様をお頼み申します」

「……頼む、とは」


 俺が問うと、エンゾは頭を上げふっと全身の力をゆるめる。


「あのお方は、気高くて一生懸命で。けれど、ずっと報われんかったんです」


 有能すぎる彼女が、小国では排除されてきただろうことは容易に想像がつく。

 時の権力というものは、根回しを徹底すればひっくり返すことができるからだ。もちろん貴族社会ではある程度の地位は必要だが、ユリアーナにはそれがあった。


「賢すぎる存在を、許容できるような者はいなかったのだな。不幸なことだ」

「一瞬で把握するとは、ほんにおっそろしいお人やなあ。……リア様が殿下をも上回る賢さと強さなら、どないしはるやろか?」


 どないしはる、がどうするのかという意味ならば、答えはひとつしかない。


「歓迎する。良い人材は、いくらいても足りぬからな」

「うひー!」

「皇帝が、すべての人間より優れている必要はない。使えばいいだけだ。俺を上回ったと思ったなら、またそれを上回るべく努力を重ねる」


 俺の言葉を聞いたエンゾは、心底嬉しそうに首を小刻みに縦に振った。おかしな男だ。

 

「おまえも含めて」

「ふご!?」


 チャキンとレイピアを鞘に納めた俺に、エンゾの目が見開かれた。

 

「ほう。目の色も黒なのだな」

「いや、はい、そうやねんけど……ワイも!?」

類稀たぐいまれな闇魔法使いだからではない。ユリアーナほどの人物が、全面的に信頼する男だからだ。所作も能力も知識も申し分ない。俺の執務室に欲しいぐらいだ」

間諜かんちょうとしてではなく?」

「無論、欲しくはあるが、貴様の働きに俺が満足するとは思えん。貴様が動くのは、あくまでユリアーナのため。帝国のためではないからな」


 うひー! とエンゾは、ぴょんぴょん飛び跳ねる謎のステップで、その場を一周した――正直に言おう。気持ちが悪い。


「……なんだそれは」

「いやあ興奮してもうて! ワイがやってきたことが、やっとやっと報われそうやって思いましてん!」

「報われ?」


 この侍従がユリアーナと出会ったのは十年前、共に過ごしたのは八年間と聞いた。

 並々ならぬ緊張の日々であっただろう。一度、大陸東側諸国が交流する夜会で挨拶を交わした宝石王国の王子は、薄っぺらなプライドを誇示するような、安っぽい男だった。優秀なユリアーナが排除される危機にあったであろうことは、想像にかたくない。


「リア様にふさわしい相手を見つけて、溺愛ルート作って、ハピエンに導くねん」

「意味がわからん」


 別世界の言葉だろうか。語尾やイントネーションだけでなく単語まで意味不明とは、ややこしい。

 

「ええねん。ワイの自己満足や。殿下のおっしゃる通り、もうワイは死んでるかもわからん。これは夢やと思ても、あきらめきれんくって。せめてリア様が幸せになるのを、この目で見たいねん」

「何を言う。貴様は今、俺の目の前で生きているぞ」

「せやろか」

 

 たちまち眉尻を下げるエンゾは、さきほどまでの毒々しい自信をすっかり失っているように見えた。なるほど、自分が死んでいるかもしれないならばと、常識を超える事象を受け入れてきたということか。

 こいつもまたややこしい男なのだと悟った俺は、右手を差し出す。手袋をしていない、素手でだ。当然エンゾは、盛大に戸惑った。


「んあ!? うおおおお恐れ多いっ」

「そうだな。貴様の身分で皇族に触れるなどありえんが。よいだろう」

 

 ごきゅん、とここまで聞こえるぐらいに大きく喉を鳴らしてから、エンゾは俺の手を握り返した。熱く、剣だこまみれな手のひらは、努力と研鑽けんさんの証だ。


「俺の本心で言おう――これからもよろしく頼む」


 恐る恐る俺の手を握り返したエンゾは、照れ隠しなのか、からかってきた。

 

「いや~、極悪非道で冷酷な氷の皇太子と握手するなんて、光栄すぎますわ~」

「ほう」

 

 俺が目を細めると、空中にパキパキと乾いた音が鳴り響いた。


「げ!」

「極悪非道で冷酷とは、これのことか?」


 みるみるエンゾの右手から二の腕までが、凍っていく。


「こらあかん!」


 言葉と裏腹に楽しそうなエンゾが、この魔法にどう対処するのかを見たかったが――


「殿下っ」

「殿下!?」


 巡回から戻って来たと思われる近衛騎士たちに、見つかってしまった。焦った様子で駆け寄ってくる。


「ち」

「クヒヒ。命拾いしたでぇ」

「……」

 

(命拾いしたのは、俺の方かもしれん)

 

 足裏をぞくぞくと通り過ぎる不気味なナニカを振り切るように、一度だけ頭をぷるりと振りながら手を離す。

 

「なんでもない。さがれ」

「……はっ」「は」


 顔を青くするふたりの騎士らは、即座に足を止めた。俺がパチンと指をはじくと、エンゾの腕は何もなかったかのように、元へと戻る。

 今日の昼過ぎ、俺の執務室ではいつものユリアーナとエトガルとの勉強会がある予定だ。それまでに、周辺地域から上がって来た報告書を読んでおかなければならない。


「……時間に遅れるなよ」

「は!」


 返事をするエンゾと、すかさずビシリと騎士礼を執るふたりへ背を向け、歩き出す。

 礼を解き駆け寄る騎士たちへ、エンゾが大げさに言い訳するのが聞こえた。


「いやあ、ワイが悪いんですわ。氷魔法見たことないって言ったら、わざわざ見せてくれはって~」

「殿下が!?」


 だがそれも虚しく、『婚約者の侍従をも容赦なく凍らせる極悪非道』という噂が駆け巡った。まあ、その方が都合良いだろう。

 

 俺たちの周囲に渦巻く欲には、牽制すればするほど良い。せめてユリアーナに害が及ばぬよう、敵意はこちらへ向けるに越したことはない。


 気丈で賢いだけならば、他にもいるだろう。だが命の危険もいとわず困難に飛び込む勇気を併せ持つ、芯のまっすぐな公爵令嬢は、稀有けうだ。

 誰もが恐れて目を逸らすこの俺を、まっすぐに見つめ返す彼女には、人とのしての矜持きょうじや魅力を感じた。アメジストのような美しい紫の瞳に、ずっと俺を見ていて欲しい。なんとしてでも手に入れたい、という欲が俺の中に渦巻いている。


「くく。この俺が、こんなにも欲しいと思える女がいるとはな」


 四歳に巻き戻った体でも、年は取っていくものらしい。ならば、あと十二年ほど待てばデビュタントになる。


「十二年、か」


 身分や地位だけでなく、彼女の全てを手に入れるには、十分過ぎる時間だ。

 

 ――久々に心が躍った俺の歩いた後には、氷の足跡ができていた。

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