18.怖くて可愛い人の、腕の中。


 私たちは、しばらく東都に滞在することになった。

 ここからシュヴラン王都へは馬車で片道十四日。騎馬なら十日かからず、書簡は鷹を使い三日。帝国皇都に戻るよりは、はるかに交渉もしやすい。

 おまけに私自身も熱を出して寝込んでしまい、回復するまでは移動が困難になった。

 

「リア……体調はどうだ」


 用意された客室のベッドから起き上がれなくなっている私を、フォルクハルト殿下が見舞ってくださった。メイドのマゴットと侍従のエンゾは、遠慮して席を外してくれている。

 

 初めて火魔法を使ったからか、時の魔法にさらされたからか。

 どちらでもあるのかもしれない、と私は思う。四歳に巻き戻った体への負担は、きっと計り知れないのだろう。


「ハルさま……もうしわけ、ございま」

「謝るな。謝るのは俺の方だ。まさかあれほどの暴挙に出るとは読めず、危険な目に遭わせてしまった」


 横になったまま見上げると、フォルクハルト殿下のいつもキリリと上がっている眉尻が、盛大に下がっている。

 思わずふふ、と息が漏れた。


「どうした?」

「かわいいなって」

「可愛い? 俺がか」

「ふふふ」

「初めて言われたぞ」


 困惑するフォルクハルト殿下は、脇に置かれた椅子から腰を上げ、ベッドに直接腰かけた。ぎしりとマットが沈んで自然と殿下の方へと体が滑っていき、彼が上体を支えようと突いた手にシーツ越しに触れる。

 帝国皇太子はいたずらっぽい顔をして、人差し指の上に氷塊を作ると、それをフーッと吹く。クルクル回るそれを、私の顔へ近づけてきた。


「頬が赤い。辛そうだが、これなら気が紛れるだろう?」


 子供をあやすようなやり方に、私は不満を感じる。

 

「だいじょうぶです。こどもじゃないんですから」

「ふ。ふっふっふ。くくくく」


 肩を震わせて笑い始めるのを見て、困惑する。

 

「ハルさま!?」

「いや。四歳が、子供じゃない、とは。ククク。ははははは」

 

 言われてみれば確かにそうだ。途端に恥ずかしくなった。


「もー!」


 思わずがばりと起き上がって、フォルクハルト殿下の腕を拳でぽかりと叩いてしまった。

 お腹の中がムズムズするような感覚は生まれて初めてで、やり場がない。この際、近くにいるこの人に、ぶつけてしまおう。

 二の腕をポカポカ叩いてみても、肩を揺すって笑っている。そんなに面白いのだろうか?


「良かった、元気そうだな」

「げんきです!」

「分かった、分かった。まあ、そう怒るな。怒っても可愛いだけだぞ」

 

 細められたアクアマリンの目が、優しく私を見つめている――どんな私も、受け入れてくれていると思えた。


「フン。そうですね、よんしゃいですものね」

「ああ。早くレディのリアと歩きたいが」


 たちまちしくり、と胸が痛む。

 自分で選んだことだが、フォルクハルト殿下は四歳児を婚約者にしているのだ。しかもシュヴランとは政争に突入し始めており、国境は緊張していると聞く。

 国同士の関係が悪化すれば、シュヴラン王女ならまだしも一介の公爵令嬢など不要だろう。

 それに、もしも他に適した女性が現れたなら。


「四歳には四歳の、良いところもあるぞ」

「え?」


 ニヤリと口角を上げたフォルクハルト殿下は、上体を起こしている私の脇の下に素早く両手を差し入れ、抱き上げた。


「きゃ!」


 それから、あっという間に膝の上に乗せられ、ぎゅっと抱きしめられる。

 頭を優しく撫でてくれるので、自然と頬をフォルクハルト殿下の胸に押し当てるようにして、体をゆだねることができた。


「こうして、すぐに抱きしめられる」

「ハルさま……」

 

 トトト、と少しだけ速い心臓の音が、耳心地良い。仕立ての良いチュニック越しにたくましい胸板を感じて、私の胸の鼓動もだんだん速まってきた。

 執務室で一緒に書類を見ていた時とは状況が違う。今は寝室で、婚約者とはいえ、ふたりきりで密着するのは――


「いやか?」


 ぐるぐると考えていたら、両頬を手で挟まれ、覗き込まれた。ひんやりとした大きな手が、火照った頬に気持ちいい。

 

「いいえ。あんしんいたします」

「っ! リアは、いつも俺の欲しい言葉をくれる」

「そうでしょうか?」


 コツン、とおでこにおでこをくっつけられた。


「ああ。人から恐ろしいと距離を置かれる俺に、寄り添ってくれる」

「ハルさまは、かわいいですよ」


 本心だ。

 拗ねたり、エンゾ相手にムキになったり。今は、声を出して笑ったり、いたずらっぽく魔法を使ったり。

 そんなこの人は、とても可愛いと思う。


「そんなことを言うのは、リアだけだ」

「わたくし、だけ?」

「ああ。さて、これまで頑張ってきたリアを、ねぎらいたい。ワガママでもなんでもいい。望みを言ってくれないか」


 私の頬を挟むようにして持ったまま、フォルクハルト殿下は私の目を覗き込む。

 まるで嘘を吐くな、遠慮するな、と言われているかのようだ。


(望み。わたくしの、望みは……)

 

「このままずっとハルさまの、そばにいたいです」


 息を呑むフォルクハルト殿下の目を、まっすぐに見つめ返す。

 仲間として寄り添えるエンゾとは違う。初めて、この身を丸ごと委ねたいと思えた人。

 国同士がどうあれ、身分がどうあれ、私はこの人の隣に居たい。立場を省みない、最大級のワガママだ。


 沈黙を続けるフォルクハルト殿下に、不安になった私は問いかける。

 

「……ダメでしょうか」

「いや。それはリアではなく俺の望みだと思ってな」

「え?」


 とろけるような笑みを浮かべたフォルクハルト殿下が、さらに近づいてきて――私の額にキスを落とした。

 柔らかい唇の感触は、暖かくて優しい。


「リア。俺の腕の中に、ずっといてくれ。俺は……いつまでも待つぞ」

「っハルさま!」


 みるみる視界がにじむ。熱い何かが頬を伝う。

 喉がぎゅううと引き絞られるようで、息苦しい。


「泣くなリア。大丈夫だ、これからも側にいる」


 フォルクハルト殿下は、私の両眼から流れる涙をそっと拭いながら、ちゅ、ちゅ、と頬やまぶた、額にたくさんのキスをする。

 ひとつひとつ丁寧に、気持ちを伝えられているようだ。


「唇は、レディになった時に取っておこうか」

「っ! はい……うう、こどもでごめなしゃ」

「謝るな。リアが四歳になることを決意したからこそ、俺たちは出会えたのだぞ。ならば俺も、共に運命という試練に耐える。それだけのことだ」

「うっ、うっ」

「共に乗り越えてゆこう」

 

 優しく背を撫でられ感極まった私は、涙と鼻水まみれの口で、フォルクハルト殿下の頬や首にキスを返す。首元にしがみついて、トワレと体臭の混ざった香りに頬をすり寄せる。

 そうしているうちに、やがて安心して、眠りに落ちた。


 ◆

 

 どうやら私は、フォルクハルト殿下の服を掴んで離さなかったらしい。

 気づけばシャツの袖を握ったままの状態で腕枕されていて、隣には寝ているフォルクハルト殿下が居て――


「うぎゃあああ! ままままさかこここここ婚前交渉!? あかんあかん! 犯罪やで殿下ぁ!」

「……黙れエンゾ」


 

 ――枕元で叫んだ侍従と、それに起こされた皇太子殿下との、黒霧と吹雪がドロドロに交じり合う戦いが始まったのはまた、別のお話。



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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

中編コンテスト向け作品のため、いったんこちらで完結となります。


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見た目幼女な悪役令嬢は、コワカワ皇太子の腕の中。 卯崎瑛珠@初書籍発売中 @Ei_ju

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