7.怖い人は、怒るともっと怖い


「あ。見つけた! リアっておまえか」


 ある日の昼下がり。

 ダイニングルームでの食事を終えて、離宮の廊下をエンゾと歩いていたら、少年にいきなり声をかけられた。

 当然私は、無視をする。あいにく無礼な輩に対応するような心のゆとりは、持ち合わせていない。

 

「おいこら! 無視すんな!」


 たた、と軽やかに私たちを追い越し立ちふさがったその少年は、癖のあるプラチナブロンドの髪色で、目の色は水色だ。


「リア!」

「……どなたかぞんじあげませんが、わたくしをリアとおよびになれるのは、ハルさまだけです」

「なんでだよ、リアだろ!?」


 なぜか背後のエンゾが、ワクワクしている。

 きっとこの無礼者はフォルクハルト殿下の弟君に違いない。七歳と言っていた、年も合う――確かに私とは違いすぎる。

 はあと大きく息を吐いてから、私は彼の目を見た。


りきゅう離宮にいらっしゃるということは、こうぞく皇族のどなたかとぞんじますが」

 

 皇城の奥に位置する離宮は、皇帝陛下の寝室もある建物だ。限られた人間しか入ることが許されていない。

 

「ふんっ、そのとおり」


 私の言葉にこの少年が胸を張るのはなぜなのか、理解したくもない。権威を示したい気持ちというのも、全く分からない。


「まずしんしてき紳士的なの名乗られるのが、れいぎのきほんではと。では、しつれいいたします」


 軽く膝を折り曲げて簡易の礼をした私は、ポカンとする少年を置き去りにさっさと廊下を歩きだす。

 時間がもったいない。部屋に戻って、フォルクハルト殿下にお借りした帝国政治史の本の続きを読みたい。他国を併合しつつも尊厳を失わさせず統治する、素晴らしい記録なのだ。


「あ! 無礼な!」

(無視、無視)

「っ罰するぞ!」

(あ?)


 びた、と足を止めて振り返ると、目線の先には傲慢な笑みを浮かべる少年が腰に手を当てて立っている。

 ごう、と私の怒りが漏れ出した。

 背後のエンゾが、楽しそうに「ひいっ」と声を漏らす。

 

「なんのつみで、ばっするのです?」

「ふけいざいだ!」


 ふん! とまた胸を張る皇子に、私は頭を抱えたくなった。

 相手が誰だかも知らないのに不敬罪とは、これ如何いかに、だ。


「……ふけいざい。こうたいしでんかのこんやくしゃを、ですか」

「え?」

「ハルさまに、こうぎをさせていただきます。ごきげんよう」


 きびすを返す。話をしても無駄だ。

 年のせいだけではない。フォルクハルト殿下と違って、素養がないとしか思えない。


「まてってば!」 

「きゃ!」


 いきなり背後から腕を掴まれ、私は足首を捻り転んでしまった。

 小さな身体には、筋力がまるでない。踏ん張りが利かなかったのだ。

 

「リア様!」


 エンゾが慌てて抱え上げる。さすがの侍従も、七歳の皇子相手に護衛するのは困難だろう。穏便に済まさなければ、と私は咄嗟に思った。


「いたっ」

「!? どこかお怪我を!?」


 だが怪我をしてしまっては、大事おおごとになってしまう。


「とにかく、お部屋へ!」


 エンゾが私を抱えながら、足早に歩きだした。


「まて! まてってば!」


 侍従にまで無視される形になった皇子が、悔し気に下唇を噛んでいるのがエンゾの肩越しに見えたが、同情心は全く起きなかった。


 ◆


「リア、大丈夫か」

「はい。すこしひねっただけですわ」


 離宮に与えられている私の部屋を訪れたフォルクハルト殿下が、ベッドに横たわる私の足首をそっと魔法で冷やしてくれている。


「こおりまほう。べんりですね」


 話しかけた私の言葉に、フォルクハルト殿下は眉尻を下げた。

 

「……エトガルが、すまなかった」

「ハルさまのしゃざいは、うけとりません」

 

 透き通ったアクアマリンの目が、パシパシと瞬きをする。


「ごほんにんが、にんしきしなければ」

「はあ。そうだな。十三も離れた弟だ。甘やかされすぎている」

「はい」

「俺と違って愛嬌があるから」

「ちやほやされているのですね。『おうじ』のおたちばを、かんちがいされているごようす」


 言葉に詰まったフォルクハルト殿下に、私は遠慮なく愚痴を放った。


「なのりもせず、いきなりリアとよんできて。むしをしたら『ふけいざいだ!』ってうでをつかんできて。ふけいざいをうったえるなら、わたくしのほうでしょう?」

「なんだと?」

「え?」

「エトガルは、リアにそんなことをしたのか?」

「え? ええ」

 

 戸惑いつつ頷くと、部屋の気温がぐんっと下がった気がした。

 しかも、またエンゾがワクワクしている気配がする。


「ハルさま?」

「あいつ、うっかり廊下でぶつかっただのと適当なことを」

「なんですって!?」


 これにはさすがに飛び起きた。

 嘘にも程がある。

 

「はいごから、うでをつかまれたから、ころんだのです」

「……殺すか」

 

 フォルクハルト殿下のアクアマリンの瞳から、ギラギラと怒りの光が放たれる。

 私の背筋がぞくぞくしてしまうのは、氷魔法のせいだけではないだろう。

 

「あの。いままで、こういうことがあったのではないでしょうか」

「リア?」

「まわりが、こうぎしないのをよいことに。じぶんにつごうのよいようにいえば、ことなきをえる」

「そうかもしれん」

「ころすのは、いっしゅんです。まだ七さいならば、さとすほうがよいのでは」


 ふわりと微笑むフォルクハルト殿下は、もう怖くなくなっていた。部屋の気温も、元に戻った気がする。


「リアは優しいな」

「そうでしょうか」

「やり直せる機会は、与えてやることにする。殺すのはそれからだ」


 ――うん、嘘。やっぱり怖い。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る