6.婚約の真相



「リア。おまえは、何者だ?」


 一体私は何を聞かれたのだろうか、と質問の意図を汲みかねていると、フォルクハルト殿下が畳みかける。


「人払いはしてある。危害を加えるつもりもない。正直に言え」


 私の背後で、エンゾが静かに臨戦態勢を整え始めた気配がする。


「エンゾ。の言葉が聞こえなかったのか? 危害を加えるつもりはない」


 だが、フォルクハルト殿下はエンゾを言葉で制し、静かに私を見つめている。確かに、事を荒立てようとはしていないことは見て取れた。


「リア。もう一度問う。おまえは、何者だ?」

「……おこたえします。でしゅがそのまえに」


 せっかく少しずつ滑舌が良くなってきたのに、また噛んでしまった。動揺で舌が言うことを聞かない。

 

「なんだ」

「なぜその、おわかりに」

「四歳にしては、聡すぎる」


 ふう、と大きな溜息を一つ。それは初夏にしては冷たい風となって私まで届いた気がする。


「俺には七歳の弟がいるのだが、あまりにも違いすぎるのだ。リアは理性的で場を読むのが恐ろしく上手い。それは長年積み上げてきた経験から成せるものだ――四歳では、


 わずかの間に、私の視線や態度からそれを悟ったとしたら、恐ろしい観察眼だ。


(ああ。もう絶対に、誤魔化せないわ)


 私は、腹を括った。

 

「はい。わたくしは、リアーヌおうじょでんかではございません」

「リア様っ」

「いいのよ、エンゾ。もとからかくごは、していた。でんか。わたくしは、ユリアーナ・ロジエともうします」


 ぎゅ、とフォルクハルト殿下の眉根が寄った。


「俺の記憶が確かならば、その名はロジエ公爵令嬢で、十八歳のはずだ」

「はい。ときのまじょの、きせきにて」


 ダン! ガシャッ。


 フォルクハルト殿下の拳が、テーブルに叩きつけられた。ソーサーの上でカップが跳ねた衝撃が私の耳を襲い、心臓を跳ねさせる。


「なんということを。シュヴランはそこまで落ちぶれていたか」

「え?」

「海神の血だけではもはや足りぬ状況だ。民を慈しみ海神を崇拝し、儀礼を尊重せねば宝石せんが涸れてしまうと、何度も警告した」

「え!」

「それができぬのなら、海神の血を帝国へ分かち、庇護下に入れと」

「そんな! きいておりません!」


 宝石泉のことは、王族と限られた高位貴族しか知りえない。

 それをなぜ、と思っていると、フォルクハルト殿下はガゼボの天井を仰ぐように顎を上げた。


「……十五年前に併合した森の王国がある」


 メイドのマゴットの母国だ。


「そこには海神と同様、山神信仰があった。だが時が経つにつれ、利益を追求するあまり自然を蔑ろにし、山を粗末に扱い、信仰心も減っていった」


 確かマゴットが『我が国を腐敗させていた一族全部倒してくれちゃって』と言っていたことを思い返す。

 

「結果山から取れる資源が減り、国が傾いたのだ。我が皇帝陛下は力技でそれを防いだに過ぎない。今は宰相下に森の大臣を置き、あの辺りの政治を任せている。残念ながら、シュヴランも同じ道を辿っている」


 す、とフォルクハイト殿下が顎を下ろし私を見据えた。


「ユリアーナ嬢は、確か外交サロンのあるじだったな……なるほど、情報封鎖のためでもあるか。姑息こそくな手を」

 

 今までの発言には、何の証拠もない。甘い言葉で私を騙すこともできる。だが、これらが事実である確信があった。なぜなら、この婚約には帝国側の利益がまるでないからだ。

 

 他国との婚約には、多少なりとも利益を見込むのが外交である。宝石泉を奪うのが目的なら、幼い王女と婚約をしたところで何年かかるか、成功するかも分からない。介入する理由や可能性をこじ開けるためとしても、武力制圧して国王を脅す方が手っ取り早い。穏便すぎる手段に、最初から違和感があった。


「おゆるしくださるのですか」

「許す?」

「わたくしが、だましたこと」

「ふ」


 フォルクハルト殿下の眉間が緩んだのが、不思議だ。

 私は変なことを言っただろうか?


「騙したのは、シュヴラン王国の国王とロジエ公爵だろう。ユリアーナではない」

「ですが」

「そうか、ユリアーナならリアでもおかしくはないな……リア」

「はい」

「国に帰りたいか?」

「いいえ。あっ」

(しまった、即答してしまった!)

 

 正直、愚かな王子も意地の張り合いしかしない令嬢たちとの会話も、腹黒い父との関係も、わずかな商談がやっとの外交サロンにも――なんの未練もない。

 むしろ、フォルクハルト殿下と話す時間の方が、有意義で楽しいと思い始めている。


「ならばよい。恥ずかしい話、俺は周囲に怖がられていて、婚約者選定が難しい。皇太子に婚約者がいないというのは、体面的にも良くない。このままここに居てくれるか」

「わたくしでよろしければ。ですが」

「リアのことはいずれ何とかしなければならないが、国同士のことだ。まずはこのまま様子を見よう」

「えっ! へいかへのほうこくは、なさらないのですか?」

「……リア。十八歳が四歳になった、と誰が信じる?」

「あ」


 くく、とフォルクハルト殿下は肩を揺らした。


「俺は氷の魔法使いだから、信じられるがな。普通の人間からすると夢物語だ。若返られると知れたら、あらゆる人間どもが時の魔女を襲うに違いない」


(その発想はなかったわ!)


 私の背後で、エンゾが心底嫌そうに溜息を吐く。

 ふと、フォルクハルト殿下が、エンゾへ目線を投げた。


「エンゾは、闇魔法使いか。足音が全くしない。影もないとは恐ろしい使い手だ」

「うげえ! 普通気づかんて……っとに恐ろしいお人や~。さっきから足裏凍らすん、止めていただけませんか」

「逃がすまいと思ってだな」

「逃げませんて~! おおぉ~さむさむ、さっぶい!」

 

 どうやら私の知らないところで、見えない攻防があったようだ。

 

「エンゾは、わたくしのいのちのおんじんなのです。どうか、ごじひを」


 私のお願いに、フォルクハルト殿下はわざとらしく肩を竦める。

 

「我が婚約者殿がそう言うのなら、仕方ないな」

「どひー」

「エンゾ。時を戻すのは無理か? 茶が冷めてしまった」


 ニヤニヤとポットを指さす殿下にエンゾは、たちまち口角を下げた。

 

「急にこき使いますやん!」

「婚約者の侍従は俺の侍従だろ」

「うっわー! ほならもう、あるじと同じように接しますからね」

「構わん」

「いきなり首ねるとか、言わんといてください」

「言わん」

「はああああもう、分かりましたよ……」


 エンゾがティーポットに触れると、口から湯気が立った。


「ほな、おいしい~の、淹れますから。我が主を大事にしてつかーさい」


 からかうような侍従の言葉には、本心が含まれていたと思う。

 フォルクハルト殿下は立ち上がり、私の横までつかつかと歩いて来るや、地面に片膝を突いた。


「ハルさま!?」

 

 驚く私の手を取り、殿下はもう片方の手を胸に当てる。

  

「大事にすると、天に誓おう」


 殿下の手が、温かい。私は生まれて初めて、大切にされるという感覚を味わったことに気が付いた。胸の中をじわじわとぬくもりが覆っていくような気がする。


「……ありがたくぞんじます」

「いや。むしろ俺の方が礼を言いたい。縁談や顔合わせの夜会には、ほとほと嫌気が差していた」


 す、と立ち上がってまた席に戻る殿下に、私は問いかけた。


「こわがられるって、いったいどんなことをいわれたのです?」


 むすりとしながら、殿下は答える。

 

「母上から聞いたのは、顔が怖い。魔法が怖い。言葉がきつい。態度が冷たい、だな」

「まぁ……」


 苦言をあけすけに本人へ伝える皇后陛下もどうかと思うが、よほどだったのだろう。

 

「んっふ」


 思わず吹いたエンゾの髪が――パキンと凍った。

 

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