2.時戻りの魔法


 次の満月の夜は、満天の星空の下、海も風もいでいた。

 

 岬の上に建てられた海王神殿に入ることを許されたのは、儀式を受ける私と魔女だけ。

 白い大理石でできた太い柱が何本も囲む大広間の中央に、ふたりは並んで立ち、壁に掛けられた海神のモチーフである三叉の槍トライデントを眺めている。

 

 時の魔女カステヘルミは、推定二百歳と言われている王国に住む魔女だ。

 その名の通り時を操る魔法を得意としており、いつも黒いローブのフードを深くかぶり、顔の下半分には面布を着けていて、私も含めて誰も素顔を見たことがない。


 そしてカステヘルミは、エンゾの師匠でもある。彼女もまた、見えている世界が常人とは異なっているらしい。

 弟子を取らない彼女がエンゾを鍛えたのも、未来を見据えてこそと言う。

 

「ユリアーナがこの王国に生きる道はない、という神託なのかもしれないね」


 魔女の静かな声音が、大きな空間に吸い込まれていく。ここには、波の音しか聞こえない。

 死の呪いにまみれたような私を、彼女なりに気にしてくれているのが嬉しい。

 

「そうかもしれません」

「なに、心配はいらない。エンゾは百回殺しても死なないように鍛えてある」

「ふふ。わたくしといることに嫌気が差さなければよいのですが」

「心配ない。ああ見えて戦闘狂なのさ」

「あら、そうなんですの? いつも飄々ひょうひょうとしていますわ」


 私は、開いていない目でいつも何か別のものを見ているような侍従の顔を思い浮かべる。

 侍従としても護衛としても能力の高い彼は、このような小国では退屈だろう。帝国へ連れていくのは、エンゾにとっても良い機会だと思えた。様々な土地を武力で併合してきた帝国には、様々な人材がいるはずだ。少なくとも、退屈はしないだろう。

 

「あやつは困難を打破することに楽しみを覚える性質だからね。内心ワクワクしてるだろう」

「まあ!」


 クスクス笑う私を見たカステヘルミが、さてと促す先は――大理石の床に描かれた巨大な魔法陣の中心だ。

 天窓から差す月光が、陣の真ん中を照らしている。


 私が緊張で震えていると、カステへルミは慰めるように言う。


「肉体年齢を四歳に戻すだけの魔法さ。あとはまた歳を取っていくし、心配はいらない」

「だけ、て……魔法が解けることはありますの?」

「解いて欲しいと強く願ったら、ね」

(強く願う、だけ?)

「そんな簡単な」

「簡単ではないよ。人の強き願いに敵う魔法なんてないさ。それに、戻ろうとは思っていないだろ?」

「……ええ」


 さすが魔女だ。全てを見透かしている。

 私は、この王国に戻ろうとは思っていない。

 自分を悪役として殺そうとする場所に、未練などないのだ。幸い、ロジエ公爵家には弟がいて、両親ともに彼を溺愛している。


「四歳に戻るなら、人生そのものをやり直せる。だろう。これからの人生に、幸あれ」


 予言のような応援のような静かな声に、私は素直に従うことができた。

 

「ありがたく存じます」


 カステへルミが静かに魔法を唱え始めると、眼前に色とりどりの光が生まれた。ぐるぐると私の全身を囲むように光の渦ができ、やがて私の手も身長も、みるみる小さくなっていく。


「おやすみ、ユリアーナ。目覚めた時はもう……」


 カステへルミの言葉を聞き終わらないうちに、私は眠りについた。


 ◆


 見慣れた自分のベッドの天蓋が、いつもより高く感じる。枕も大きい。自分の部屋であるはずなのに違和感があるのは、体が小さくなってしまったからだろう。

 冷静に考えていたら、

「目が覚めたようです」

 というメイドの声に促された父が、私を覗きこみ目尻を下げた。

 

「ユリ。成功したよ」

「はい、おとうしゃま」

(!?)


 普通に話したつもりが、滑舌かつぜつが悪い。

 

「はっは! 喋り方まで四歳に戻るのだな」

「っあの、かがみを」


 メイドがしずしずと手渡してきた手鏡は、持ち慣れたものであるはずなのに重い。

 上体を起こし、ぼすんと膝の上に置いてから覗きこんで見ると――紫の大きな目を持つ幼女と目が合った。


「わた、くし?」

「うん。懐かしいなあ」


 輝く金色の髪に、バラ色の頬。桃色の唇は、まだ何の苦言も発したことがないだろうというぐらいに、柔らかそうだ。


「……よんしゃい……」


 四歳、と言いたかった。けれどもう言えない。そのことに、慣れなければならない。


「体調は問題ないか」

「はい」

「ならば、帝国へ出立する準備を」


 す、とベッドサイドから立ち上がった父は、もう私の顔を見なかった――その十日後、私は馬車の中でエンゾと共に座っている。

 

「お嬢、でなかったリアさま、でしたね」


 王国王女は『リアーヌ』という名前だ。ユリアーナの真ん中を愛称として取った、と自分の中で納得させ、呼ばれ慣れるよう訓練している。

 

「なあに? エンジョ

「ぶっふ」


 口を押えるのが間に合わなかった侍従が、顔をそらし肩を揺らしている。王女に対して気安すぎる態度かもしれないが、今は馬車内だ。許しておこう。

 

「いわせたくてよんでいるのでしょ」

「バレましたか」

「まだ、くちのかたちになれないの」


 口の動きはままならないし、舌も短い気がして、要領を得ない。慣れるまでは苦労しそうだ。

 

「んんっふぅ。なら、エンでどないですか」

「エン」

「はい、リアさま。メイドの帯同をお断りして、本当に良かったのです?」

「うん。しんじられるひと、いなかった」


 帝国の情報を安易に本国へ渡すような間諜を側におけば、しくじった際に私にも影響が及ぶ。懸念はできるだけ排除したかった。

 

「せやけどやな、王女殿下のお輿こし入れとは思えん。簡素すぎるお引越しやで」

ですもの。これでよいの」

「……お嬢がええんやったら、ええんやけどな」

「おじょう、きんし」

「はは、せやった。すんまへん」


 家財道具は最低限、連れて行くのもエンゾ一人。

 少なくとも一国の王女が皇太子の婚約者として帝国入りするようなものではない。

 でも私にはエンゾ一人で十分だ。身の回りの世話も護衛も、気心が知れている彼さえいれば、良い。


「ふむ。わたくしのおあいては、ほるくはると・ばりゅりんぐ、でんか。よね?」

「フォルクハルト・バルリング殿下ですよ、リア様」

「……そういってるつもり」

「ふっふ」

「ぎんいろのかみのけと、みずいろのめ、ね?」

「はい。その見た目と性質から、氷の皇太子って呼ばれてますねん~。こっわいでえ~!」

 

 帝国皇帝は力でねじ伏せる圧政を敷いており、皇太子はその性質を濃く継いでいて、しかも氷魔法と剣術に秀でていると父から聞いている。


「おどすの、やめて」

「まずはお命を大事に過ごさなあかんですから」

「おくちは、とじておくわ」

 

 舌禍ぜっかの悪役令嬢であることには、自覚がある。

 エンゾが、それを肯定するように目尻を盛大に下げた。

 

「たのんます。ワイが探り終わるまで、我慢してつかーさい」

「はあい」

 

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