二章 幼女な王女
5.皇太子との不穏なお茶会
「ひま、ね」
「ですねえ」
私は与えられた部屋で、ただただぼうっと過ごしていた。今日で三日目。
さすがに飽きるので、帝国の歴史書や地理の本を借りている。四歳で読めるものではないので、あくまでエンゾが勉強するためという建前でだ。
「リア様が暇を持て余してますよ~って、殿下にお伝えいただくよう、執事長へ頼んでおきました!」
「マゴット……ありがと」
「いえいえ!」
マゴットの言葉は直接的すぎる。高位貴族間では婉曲表現が好まれるのだが、逆に素直で良いと思った。
そしてそれには、早速効果があったらしい。
離宮の従僕のうちのひとりが、私の部屋へ一通の手紙を携えてやってきたのだ。
「リアーヌ殿下。フォルクハルト殿下のお手紙をお持ちいたしました」
「ありがとう。エンゾ」
「は」
手紙を受け取ったエンゾは、早速胸元からペーパーナイフを取り出して開封し、中身を
「……フォルクハルト殿下より、お茶会のお誘いです。いかがされますか」
「もちろん、おうかがいするわ。おへんじをかきます。ちょっとまっていて?」
私の言葉を聞いた従僕が、息を呑んだ。まさか四歳が字を書けるとは思っていなかったのだろう。
「マゴット」
「はい、こちらに」
私に促されたメイドは、すぐさまローテーブルの上に紙とペンを置いた。なぜか得意げな顔をしている。
今のうちに小さな手に慣れておこうと、毎日字の練習をしていたのを側で見ていたからだろう。傍から見れば『必死に勉強している、他国へ嫁いできた
「ええと。『おさそいありがとうございます。よろこんでおうかがいいたします』と。……できた」
「きゃああ、お上手ですぅ~!」
従僕が驚きを隠さず、エンゾへ話しかけている。
「王女殿下は、字をお書きになるのですか」
「ええ。書きますし読みますよ」
「そ、れは驚きです」
「勤勉なお方ですので」
エンゾは、私の子どもらしくない言動への言い訳ができるよう、フォローしてくれたのだろう。
「大変お綺麗な字で感動いたしました。確かに、殿下へお渡しさせていただきます」
――たかが数行で感動した様子の従僕に、多少私の良心は痛むけれど。
◆
「おまねきいただき、ありがたくぞんじます」
「……ああ」
離宮の中庭は、初夏の風が吹いている。
石造りの白いガゼボの下には、凝った彫り細工のテーブルセットが置いてあり、三段重ねのティースタンドにはサンドイッチ・スコーン・ケーキがそれぞれ並べられていた。
ダリアやポピー、ラベンダーが寄せ植えされた花壇には、ナナホシテントウが飛んでいる。フォルクハルト殿下が、歩いてきた私をガゼボ手前で出迎えたので、カーテシーを行う。
今日の殿下は、淡いブルーのアスコットタイにベストを白シャツとコーディネートしていて、茶色のトラウザとニーハイブーツというラフな姿だ。腰には、護身用のレイピアを帯剣している。
一方の私は、こんなこともあろうかと用意しておいたドレスのうち、ラベンダー色を選んだ。
「すてきなおにわ、ですこと」
テーブルに着く前に庭を褒めるのがマナーではあるものの、目に映る鮮やかな自然の色の数々に、私は目が覚める思いだった。
「気に入ったか」
「はい」
フォルクハルト殿下の、アクアマリンの目が細められた。
少し腰をかがめて手を差し伸べられたので、素直にエスコートに従う。
背後のエンゾが、さっと椅子を引いてくれたが――当然座るには高すぎる。
「エンゾ」
「は」
いつものように両腕を高く上げると、フォルクハルト殿下が何かを言いたそうにこちらを見ていた。
「でんか?」
何事かと一旦手を下ろしてから呼びかけると、むすりと一言。
「ハルだ、リア」
なんだか拗ねているようにも見えて、微笑みそうになる。
「ハルさま。なんでしょうか」
「……私がそれをしてもいいだろうか」
(それ、とは?)
小首を傾げる私を正面で抱き上げる寸前だったエンゾが、すぐさま右手を胸に左手を腰に当てる侍従の礼を
「リア様。恐縮にございますが、エンゾはこのお役目をフォルクハルト殿下へお譲りしたく」
(あ! わたくしを、抱き上げるってこと!?)
「えと。あの」
見た目は四歳だが、中身は十八歳のれっきとした淑女であるはずの私は、殿方に抱き上げられることなどもちろん経験がない。
エンゾはそういった対象ではないので、この行為の異常性を認識していなかったことに動揺する。
私の返事がないことで、フォルクハルト殿下が眉根を寄せた。
「……だめか」
(ここでダメって言ったら、ダメな気がするわ! 婚約者ですもの、侍従とはいえ他の殿方に持ち上げられるのは、良い気がしないのかも)
ぐるぐると一通り思考を巡らせてから、ぷるぷると顔を横に振った。
「いいえ。ハルさま。おねがいいたします」
思い切って、もう一度両腕を上げた。今度は殿下の正面で。
「ん……軽い」
想定よりも私が軽かったのだろう。勢いよく持ち上げすぎたフォルクハルト殿下は、片足を一歩後ろへ引いた。
一方の私は、目の前の銀糸のようなサラサラとした髪の毛が頬に触れたので、くしゅんとクシャミをひとつしてしまった。
「寒いか?」
丁寧に椅子へ座らせてくれながら、フォルクハルト殿下が心配そうに声を掛ける。
「いえ。ハルさまのおぐしが、おはなに……くしゅん。
「ふ。はは」
(笑ったわ!)
無表情で無愛想だった顔がくしゃりとなったのを、私はまじまじと見つめてしまう。
サッとエンゾが私の口の周りをハンカチーフで拭いてくれ、我に返った。
ペースを乱されて無礼な行いをしてしまった、と反省する。
「……」
向かいの席に腰かけたフォルクハルト殿下も、笑ったのが気まずいのか、口元に拳を当てて黙ってしまった。
「……あの。メイドや
私が空気を動かさなければ、と気になったことを聞いてみると、フォルクハルト殿下は姿勢を直して口を開く。
「ああ。そこの侍従」
「エンゾ、ですわ」
「エンゾが、茶を淹れてくれ」
「! は」
エンゾが一瞬息を呑んだのが分かる。私も同様に、息を止めた。
皇太子が、他者の侍従の名を直接呼びかけるなど、通常ならあり得ない。
フォルクハルト殿下は、態度を変えず怫然としている。
「リアの侍従であれば、名を覚えねばならぬと思ったまでだ」
「うれしいです」
本心だ。これは、私を尊重してくれたことと同意である。侍従は、主人の格に属するのだから。
「……今日茶会へ呼んだのは、他でもない」
エンゾの淹れたお茶をためらいなく口に含んでから、フォルクハルト殿下は私を目線で射抜いた。
「リア。おまえは、何者だ?」
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