愛おしい真実(1)
《少し長めの一話になりますが、お付き合いくださいますように》
「あなたの婚約者のことだけれど」
そろそろ来るだろうと思っていたが、やはり来た——ユフィリアの予想通りである。今日はどんな泥水を浴びせられるのだろうと身構えた。
媚びるように首をかしげながら、イザベラは言葉を続ける。
「彼って……本当にあなたにふさわしいのかしら? 私にはそう思えないのだけれど。《きれい》で《優しく》て《勤勉》で《優秀》で。それに《誰からも愛されている》あなただもの。あのような無粋で身体が大きいだけの男性の手に余るのでは? もっと言えば、あなたの『真面目さ』があの黒騎士には重すぎるかもしれないわね。ねぇ、皆さんもそう思わない? ユフィリアに彼はふさわしくないって」
イザベラが取り巻きに同意を求めると、案の定ニヤニヤしながら揃って首を縦に振る。
「誰の話をしてるんだか。よくそこまで思っていることを真逆に言えるものね」
「あら、誰って、あなたとあの黒騎士のことよ。決まってるじゃない。素直に褒めているのよ? そっか、あなた褒められ慣れていないから、そう言うふうにひねくれた考え方になってしまうのね……可哀想に」
イザベラは軽く肩をすくめ、ため息をつくように嘲笑する。
「もう、さっさとあの黒騎士とはお別れしちゃえば?」
「別れさせてどうする気?」
「いやだわ、あなたの幸せを思えばこそよ。そもそもユフィリアが好意を持っていたのはルグラン様ですものね。そういえばルグラン様が、もう一度あなたと真剣に話したいって言って聞かないの。もちろん断らないわよね?」
ユフィリアはきゅっ、と唇を一文字に引き結ぶ。
イザベラに寝返ったルグランが今更なんだと言うのか。
イザベラが嫌がらせでルグランを焚き付けた……差し詰めそんなところだろう。
「あの黒騎士、そう、レオヴァルトとか言ったわね。彼は見かけによらず優男そうだから、思うところがあっても言い出せないでしょうけれど。なんなら、このわたくしからあの黒騎士に伝えてあげましょうか? ユフィリアがお別れしたがっているって」
やはりイザベラはユフィリアに嫉妬している。
人気者のルグランを手に入れたものの、ユフィリアが次に婚約したのは存外に顔が良く、聖女たちからの人気を急上昇させているレオヴァルト。
《薄汚れた黒騎士》が穢れを祓い、見違えた風貌で現れた。更には聖騎士ルグランを凌ぐほど、レオヴァルトが周囲の聖女たちの黄色い声の的になっているのだ。
こうなればイザベラは、どんな汚い手を使ってでもユフィリアとレオヴァルトを別れさせようとしてくるだろう。
あわよくば「自分が後がまに」と考えているはずだ。聖騎士ルグランをユフィリアから奪い取ったのと同じに。そうなればルグランは用済みの箱のようにグシャリと潰されて捨てられるのだろう。
——レオヴァルトと別れるのは別にいい、むしろ好都合。
でも……っ、イザベラの思い通りにまた事が運ぶのはいやだ、どうしても……!
ユフィリアは煮えるような感情を表には出さずに仕舞い込み、ただ静かにイザベラを見つめた。思いがけない言葉が口を突いて出てしまう。
「イザベラ。あなたの申し出はありがたく受け取っておく。でも残念だわ〜! 私とレオヴァルトは想い合ってる。あなたがどんなに挑発したって、レオヴァルトはきっと折れない」
——いやいや、簡単に折れるかも知れないけどさ。
それに想い合ってるだなんて何言っちゃってるのよ、私は!
咄嗟に出てしまった嘘偽りに薄ら寒くなったが、いつもなら何を言われても反応を示さない無能聖女の思いがけない反論に、取り巻きの聖女たちは怯んだようだ。
イザベラはびくりともせずに続ける。
「まあ……随分と自信満々なのね、微笑ましいこと! でも彼のあの眼差しがもしも他の誰かを映すような事があったら。あなたはまた信頼していた男性に裏切られることになるのよ? そんな辛い想い、私だって何度もさせたくないもの。だからそうなる前に、自分からさっさとお別れしたほうが身のためだと言っているの」
まるでレオヴァルトがイザベラに惹かれるとでも、自ら宣言するような言いぶりだった。ユフィリアも負けずに皮肉を込めて言う。
「イザベラは本当に優しいのね。でも意外だわ……教会の誰もが一目を置く筆頭聖女様が、《不粋で身体が大きいだけの男》の気を惹きたいなんて」
「わっ、わたくしがあの黒騎士の気を惹きたいですって?!」
「誰も黒騎士だなんて言ってないけど」
「か、勘違いをしないで頂戴。わたくしはただ、哀れなあなたの事を心配しているだけよ」
イザベラのアメジストの瞳が揺らぎを見せたのを、ユフィリアは見逃さなかった。
「それに……イザベラなら知ってるかしら? 私がルグランと一緒にいた頃、レイモンド卿がルグランに持ちかけた滞在所設営の話よ」
「何のことかしら。さっぱりわからないわ」
「伯父であるレイモンド卿に頼んで、モロー伯爵家の領地内に聖女の一時滞在所を設営するって約束させたのは、イザベラ、あなたよね。モロー伯爵領にはルグランの生家がある。そこにはルグランの病弱なお母様も。滞在所に聖女を置いておけば、いつでもお母様は病の治療ができる」
取り巻きの聖女たちが一斉に顔を見合わせる。しかし所詮はイザベラの崇拝者たちである。驚いて顔色を変えても、イザベラに不審な目を向ける者はいない。
ユフィリアとて、過去の事を今更とやかく問い詰める気はない。ただ、一刻も早くこの不愉快で不毛なやり取りを終わらせて、この場を去りたかった。
「……知らないわ」
「そう? ならいいけど。美しく聡明だと名高い筆頭聖女に見初められたうえに美味しい餌を目の前に吊るされたのだから、ルグランはもう断る理由がないわね。完全なるあなたの勝利よ。さあ、これで気が済んだでしょう、もう行くわ」
きびすを返したユフィリアの背中に、くくっ、と小さな笑い声が届く。
「そうだ、ユフィリア。もう一つ伝えたいことがあったのよ。あなたという人は、今度は何をしでかしてくれたの? レイモンド叔父様、もうかんかんでしたわよ」
「何をって、なに?」
「まさか自分がやった事さえ覚えていないとか?」
「もともとオツムが弱いとは思っていたけど、カビでも生え始めたのかしらね」
別の聖女が次々と嫌味を盛りつける。そんなものには少しも動じないユフィリアだが、イザベラが放った次の言葉に絶句する。
「教会の目を盗んで《悪鬼付き》の貴族様に精神治療を施し、金銭を受け取った」
「えっ?」
もちろん、ユフィリアの記憶に無いことだ。
「私、してない……そんな事……!」
「してないって言っても《事実》だもの。だってわたくしがこの目で見ていたんだから」
——嘘だ。イザベラは嘘をでっち上げている……!
「イザベラ、あなた」
「ふふ、わたくしはただ叔父様に《事実》をお伝えしたただけ。ああ、そういえば」
信じられない、と呟く取り巻きたちのなか、アメジストの双眸を眇めたイザベラが続ける。
「叔父様のあのお怒りようだと『懲罰室行き』はどうやら免れなさそうね。気の毒だけれど!」
気の毒だと言っておきながら、イザベラの薔薇の唇には明かな微笑みが浮かんでいる。『懲罰室』と聞いた周囲の聖女たちが怯えたふうに目を見開き、恐々とユフィリアを見遣った。
「……懲罰、室」
一瞬にして頬が蒼白となったフィリアが、ごくりと喉を鳴らす。背中が冷たくなって、額にじゅわりと厭な汗が滲んだ。
*┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*
時はこの日の明け方にまで遡る。
自室に戻ると、レオヴァルトは部屋の広さにしてはやたら小さなスツールに腰をはめ込むようにして座った。額に手をやって項垂れると、大きな吐息がほうっ、とひとつ吐き出される。
「……いったいどういう事なんだ」
——私が見た《月の女神》は、確かにユフィリアだった。
昨夜も従者たちの居場所を探して教会の敷地を探っていたレオヴァルトだが、ネズミ一匹いないはずの裏庭に不審な影を見た。
気になってあとをつけると、黒いローブを羽織った人影は幾重にも折り重なった低木の茂みの中に入っていく。
距離を取りながら、息を殺して追っていく。しばらく行くと根元が微かに光る巨木があり、影はその手前で立ち止まった。
巨木の後方は堅牢な教会の塀が続き、この場所には四六時中、魔獣除けの結界が張られている。魔獣はもちろん人が通り抜けることもできない。
どうするつもりかと眺めていると、影はチラと周囲を見回してから、ローブのフードを下ろした。
——あれは……
派手なツインテール姿ではなかった。
おろした長い髪はたっぷりと長く、月光ともみまごうような美しい銀髪だ。
——ユフィリア……?
(続・2)
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