Prologue(3)➕



「れっ、レオ……?」


 胸元を掻き抱いて夫を見上げるが、蜂蜜色の瞳は意図してユフィリアから目を逸れせる。


「触れてしまってすまなかった。あなたを抱くことは無いと言ったのに、不覚にも邪念に溺れた私を許して欲しい」

「邪念だなんて、そんな……っ。だって私が許したんだもん、レオが謝る事じゃない」

「身体に触れられて、怖かったろう?」


 少しも怖くなかったと言えば嘘になる。

 けれどその怖さは戦場で味わう恐怖心や、レオヴァルト以外の男に触れられる恐ろしさとは全く違うものだ。秘密の扉を初めて開くような……畏怖に近い恐れだ。


「うっ、ううん、平気よ……? だから……っ」


 そんなに悲しそうな顔をしないで欲しいと、ユフィリアも泣きたいような気持ちになってしまう。


「ねぇ、レオ……」


 手を伸ばして、斜め後ろに視線を向けてしまったレオヴァルトの頬を両手で包み、こちらを向かせる。目の前の美丈夫は長身なので、自然と彼を見上げるような格好になった。

 ユフィリアは目を細めて若草色の瞳を潤ませる。

 レオヴァルトが《こんな自分》を、どれほどに気遣い労わってくれているのか、痛いほどに知っていた。


「レオは気遣って、私が傷つくんじゃないかって黙っててくれたんだろうけど……私、理解わかってるんだよ? 今の私の神聖力ちからじゃとても足りないって。このままじゃ力不足で、アルハンメルを勝利に導くことは出来ないって」


「ッ…………」


「私は聖女として軍神レオヴァルトの片腕になるべく、このアルハンメルに召された。戦場に赴き、あなたと一緒に国のために戦う……あなたは魔力、私は治癒という力で。でも大国アルハンメルの兵力は想像以上に大きくて、私には歯が立たない……数多の救える命があったのに、失わせてしまった。どんな時でもレオは私を守ってくれようとする。グラシアの力が足りない私をいつも気遣って……。今のままじゃレオの片腕どころか、足手纏いになってるだけだって」


 見開かれた黄金の瞳は、物哀しい色を帯びたままだ。


「……私も、望んでいるよ? あなたと同じことを望んでる。私だって力がもっと欲しい。治癒力グラシアを強大化させたい。だから……レオと《交わる》こと、嫌じゃない。レオと交わって、この力を強大化、させたい」


 ──そう思えたのは、レオと、だから……!


 熱の籠った瞳を潤ませたまま、蜂蜜色の宝石の瞳をじっと見つめ返す。

 聖女が持つ神聖力グラシアは、夫婦となった異性との《交わり》によってその力が強大化することが知られていた。

 レオヴァルトとて、初めからそれを望んだって良かったのだ。子を成すことを目的としなくとも、ユフィリアを抱く理由は幾らでもあったはずだ。

 けれどそれは互いに望まぬ婚姻関係を結び、嫌がる相手を強引に組み敷く事を嫌悪する、彼なりの優しさだったに違いない。

 

「……本当に、いいのか?」


 薔薇色に頬を染め、ユフィリアがこくんと頷く。

 途端、堪えていたものを解放させたように、レオヴァルトが熱い吐息を喉元から搾り出す。


 ──心臓から手が伸びそうなほど、今、あなたを欲している。

 

 レオヴァルトが同じ気持ちだといい、心からそう思った。

 少なくともユフィリアはそうだった。


「……すまない」

 

 壊れ物を扱うように触れた手が頬を撫で、ユフィリアの顔をそっと持ち上げた。

 こんなふうにレオヴァルトが見つめるのは、恐らくこの広い世界で自分だけだ……そう思うと、痺れるような幸福感が押し寄せて身体が震える。


「ねぇ、謝らないで?」


 ──私は、嬉しいの。


 吐息を感じる距離になって、幸せな気持ちのままゆっくりと瞼を閉じた。


「ふ……」


 唇が柔らかいもので塞がれた。途端、全身に甘い痺れが駆け抜ける。

 ちゅ、ちゅ、と何度か表面を啄まれたあと、何か生ぬるいものが唇を這い、口腔内に侵入してきた。

 口内を探る柔らかいものは徐々に湿度を増していく。ただ唇を重ねているだけだというのに背中が痺れたようになる──深い口付けとは、これほど甘くとろけるものなのか。


 ──レ……オ……!


 レオヴァルトの舌が歯列や頬の内側を丁寧になぞり、今度は舌に絡みついて吸い上げられる。


「んぅ……!」


 不慣れな息苦しさに薄く目を開けてしまう。視界にあるのは、静かに閉じられた翼の睫毛だ。

 舌先を貪られながらそのまま組み敷かれ、マットレスに沈み込みながらレオヴァルトの硬く大きな手のひらが柔い胸の膨らみを翻弄する。


 濃厚な口付けによってスイッチが入ってしまったのか、その欲情は先ほどのやんわりとした触れかたに留まらない。

 片方の胸の敏感な部分に触れられ、身体にビリリと強い刺激が走る。思わず喉を反らし、小さく悲鳴をあげる。互いの唇が銀の糸を引きながら離れた。


「ぁ……っ」

「すまない、痛かったか?」


 形良い唇が優しい愛を囁く。もうすっかり熱を帯びた吐息が耳朶にかかり、肩がふるえた。


「痛くは、ないけど……っ、レオに触られるの、恥ずかしくて……」

「そうか。ふっ、私のユフィリアは可愛いな」


 寝衣の上からさするように胸に触れていた手のひらが動いて、邪魔だとばかりに腰元の帯を解き、頬から顎、首筋へと唇と滑らせながら寝衣を剥がしていく。


「滑らかで綺麗な肌だ」

「恥ずかしいの……っ、そんなふうに、見ないで……?!」


 肩から寝衣をはだけさせると、乳白色の素肌が胸元まで露になった。

 張りのある胸がふるんと揺れ、雄の欲情を掻き立てる。けれどレオヴァルトの愛撫にいちいち身体をしならせる愛らしい妻は、何せなのだ。


 愛らしい花弁の唇から漏れる吐息は熱っぽく掠れていて、こちらの欲を煽り立てるような艶を帯びている。

 十八歳の成人を迎えたばかりの、溌剌と元気な彼女の姿の奥にこんな色香を隠しているなんて。私の妻はどこまで愛らしいのだと、レオヴァルトは内心で冷や汗を流した。


「ふっ……」


 ユフィリアは懸命に声を殺そうとしているが、完全に失敗している。短い声をあげ、無意識だろうが口元を両手で覆った。

 初めての刺激をやり過ごそうとするように、しなやかな肢体がくねる。

 その様がひどく可愛く思え、小さな唇から漏れる愛らしい嬌声がもっと聴きたくなってしまう。


 レオヴァルトは身体を起こしてもう一方の手で細い顎を持ち上げると、引き結んで耐える唇をそっと喰んだ。

 舌先で隙間を押し割って愛らしい口の中に肉厚の舌を滑り込ませる。反射的に逃げようとするユフィリアの舌を捉えて、労わるように絡め取る。

 突然の口付けに驚いたのだろう。途端、硬直していたユフィリアの身体の緊張がすっとほぐれた。


「なんで……レオってば、そんなに詳しいの……。女の身体に触れたの、初めてじゃない……の……?」


 レオヴァルトは熟知している。どう考えても初心の愛撫の仕方ではない事くらい、全くの初心であるユフィリアにだってわかる。


「仮にも私は王族だ。子を成す程度の教育くらいは受けているさ」

「そ、そんな教育、どうやって受けるのよ……あ、相手は……?!」

「そういう事を専門にする者たちがいる」

「それって……ちょっと悔しい」

「何故?」


 お互いに初めてだと思っていたのに……なんて答える余裕はなかった。

 高まり続ける熱に自分がどうなってしまうのか解らず、怖さと悦びとがないまぜになる。自分ではどうしようもなく感情が昂り、目尻に涙が滲んだ。


「れっ……レオ……?」

「あなたのグラシアを強大化させるためだ……許してほしい」


 掠れた声で名を呼べば、するりと腕が伸びて頬に落ちた髪をそっと梳いてくれる。

 そして落とされる、今度はとても柔らかで優しい口付けに、身も心もとろとろに融かされてしまう。


「ぅん……いいよ。特別に許す」


 そのためにしなければならない事、レオヴァルトに今から何をされるのかも、本能的に大体の予想はついている。


 これまでの出来事が走馬灯のように眼裏に駆け巡る。

 ずっと前から気付いていた。

 互いに《弱者を守りたい》という信念の部分で目指すものが一致している。二人で同じ夢を見て、同じ未来を目指すのだと。


 グラシアを強大化をさせるさせないに関わらず、遅かれ早かれ──きっとこんなふうに熱く結ばれていた。


 けれど、どんな理由をつけてでも、今ここでレオヴァルトに認められたかった。

 立派に役目を果たすあなたの妃だと。


 ──私は、役立たずの聖女なんかじゃないって。


 その後の躍動の激しさと痛みとで朦朧としながらも、何度もその名を呼ばすにはいられなかった。

 レオヴァルトもまたユフィリアの名を何度も呼び、凛々しい腕に抱きながら愛おしそうに唇を重ねるのだった。


「レオ……ああ、レオ……。あなたが、好き……!」


 そんな幸せの絶頂をようやく迎える事ができた、数日後のことだった。

 義理の兄である王太子に刃を向けられたユフィリアを庇い、最愛の夫、レオヴァルトが死んだのは。





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