仕組まれた婚約(1)




 ユフィリアは思う、どこか爽やかさをまとった「青年」という響きすら、この胡散な「男」には不似合いだと。


 昨夜見たままのくたびれた職服に、今にも破れそうなマントを肩から重そうに垂らしている。背まで伸びた黒灰色の髪を無造作に後ろに括り、前髪はやはり伸びきっていて、男の顔の半分を隠していた。


 ——けっこう綺麗な顔をしてるのに、これじゃ台無しね。


「ったく……どんだけ待たせるんだ」

「は?! 待たせるもなにも、あんたが勝手に待ってたんでしょ……!」


「婚約した者同士は二人揃って礼拝に出るって決まりを忘れたのか」

「昨日も言ったけど。私、あんたと婚約した覚えはないし、この先一生するつもりもないのですが」


「おまえと私に拒否権は無いと言ったはずだが?」

「いくら教会が決めたことでも、嫌なものは嫌なのよ」


「いつまで拒否っていられるかな。相当な遅刻だが、礼拝に出る気で来たのだろう?」

「それは、そうだけど。だから何っ」


「なら歩け」


 男が大聖堂に向かって歩き始めたので、ユフィリアは仕方なく、すぐ後ろをついていくような格好になった。


「そもそもなんで、無理やり私が婚約させられるのよ? 他に候補者いるでしょ……っ」

「おまえが聖女として無能だからじゃないのか」

「っ、どういう意味よ」


 男は、そんなことも知らないのかと言いたげだ。

「聖女が結婚して夫と交われば、神聖力が格段に増すというからな」

 

 一瞬だけ振り返った黒騎士が、肩越しにユフィリアを一瞥する。黄金色きんいろの瞳が意味ありげにすがめられ、形良い薄い唇がわずかに弧をえがく。


「ちょっ……卑猥な妄想、勝手に膨らまさないで……!」


 ユフィリアの白晳はくせきの頬がほのかに赤く染まったの見て、男はふ、と微笑わらった。無愛想を貫いていた黒騎士が初めて頬を緩めたことに驚いて、ユフィリアは絶句する。


 ——黒騎士は色ぼけた野蛮なやつばかりだって聞いてたけど、どうやら正しいようね。


「……ていうか、待ってたっていつから?」


 ユフィリアの言葉には応えず、ユフィリアを見もせずに、男は歩みを早めた。とにかく両脚のコンパスの長さに差がありすぎるので、ユフィリアは必死で歩かなければ追いつけない。


「も、もうちょっとゆっくり歩いてっ。待ってたくせに置いてくの?」

「…………」


「無視する気?」

うるさい、黙って歩け。礼拝が始まってるんだ」


 男の威圧的な物言いに辟易してしまう。

 ユフィリアが礼拝に遅れようが遅れまいがこの男には関係ない。

 そもそも、穢れを帯びた黒騎士を伴って神聖な教会の廊下を歩く日が来るなんて、想像もしていなかった。


「ねぇ」

「…………なんだ」

「あんたも没落貴族出身者なの?」

「何の話だ」

「黒騎士と話した事なかったから、ちょと興味あって」


 黒騎士の多くは没落貴族出身で、《魔力》を持つ。

 多額の報酬を得られるため、教会からの要請を受け、各地に生息する魔獣の討伐を生業にしている。

 聖人の護衛として公衆の面前に立つ花形の聖騎士とは違い、魔獣との戦闘は命懸けのため、荒くれた見た目の者がほとんど。

 魔獣の血肉を浴びる、すなわち『穢れを帯びる』存在として蔑視される——それが、ユフィリアが知る黒騎士のすべてだ。


「話す間があるならさっさと歩け」


 遅れているのだから急がねばならないのはわかっている。にしても、この男の傲岸不遜な物言いは。


 ——なんかほんと、いけすかない……っ

 頬を膨らませ、ユフィリアは地味に舌打ちをした。




 大聖堂を囲む壁の前方に向かおうとする黒騎士を、『そっちはだめ!』と無言で制し、ユフィリアはいちばん後方の双扉を選んで片方をそうっと押し開ける。

 ユフィリアは遅刻の常習犯なので、この扉を開けても音がしないのはすでに確認済みなのだった。


 やはり朝の礼拝は始まっていて、聖書を読み聴かせてくださる大司教、セントルグリエット様の好い声が、ステンドグラスを張り巡らせた荘厳な空間を満たしていた。


 ——ああっ……癒される……


 恍惚と頬を緩めるユフィリアだが、今はうっとり美声に聴き入っている場合ではない。


『ほら、こっち!』


 黒騎士の腕を引っ張りながら、いつものように後方に並ぶ若い神官たちをかき分けて、聖女見習いの少女たちの後ろにそうっと立った……つもりだった。


『うわ?!』


 ユフィリア一人なら、いつも通りしれっと入りこめたはずだ。

 けれど今朝は無駄に図体のでかい男を連れている……それも、黒騎士を。


 ——目立ってる!?


 若い神官たちが輝くような純白の聖衣を身につけている中に、くたびれたローブを纏った黒騎士が平然と混ざれるはずもなかった。





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