第1章
黒騎士
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「だから、今日は
広々とした空間に響く声は、穏やかではなかった。
大聖堂の真ん中で声高に叫ぶのはユフィリア・ダルテ。
天まで届きそうなガラス張りの天井や壁にところ狭しと貼られた、煌びやかなステンドグラスが七色の光を放っている。
ゆるく巻いた銀糸を束ねたような髪が、くるんと胸元で弾む。両耳の上に括られたボリュームのあるツインテールは人目を引く華やかさだ。
足早に逃げ出した聖女をあたふた追いかけるのは、この巨大な教会——聖都・中央大聖堂——に出仕する若い下っぱ神官だ。
「しかし聖女ユフィリア様、グロッケン伯爵は心の病に侵されているのです。精神の治療はあなたでなければ……っ」
今にも泣き出しそうな神官の腕を振り払い、ユフィリアはくるりと背中を向けた。
——精神の病って、あの人の場合はただの寝不足なのに大袈裟よ。
「だから嫌だと言ってるでしょう!」
本当に心の病を患っていればユフィリアだって放っておかない、けれど。
——数日眠れない程度なんて病気でもなんでもない。
それより、さっき追い出されたご老人が心配。
吐きくだしが続いてるって、苦しそうだったから。
聖都の夜道をここまで歩いて来るだけでも辛かったでしょうに。
あの老女はどうなっただろう。
追い返されたりしていないだろうか。
失望と落胆に顔を歪ませた老女が、おぼつかない足取りで帰路につく姿を想像すればいたたまれなくなって、ユフィリアは眉根を寄せる。
他の聖女が対応できていれば良いが、昼間に聖女の力を消耗している者が殆どだ。夜間は……特に、裕福ではない平民への対応が遅れることは常であった。
そもそも全てがおかしい。
聖女という存在は貴族も平民も分け隔てなく、聖なる力を全ての民衆に与えるもののはずだ。
なのに筆頭司祭レイモンド卿が金儲けのために貴族を優先することをユフィリアは知っている。
どんな重篤な患者が命の危機にさらされていたとしても、だ。
さっさと大聖堂を出ようと急ぐユフィリアの視界に、開け放たれた扉の中央に立つ黒い人影が飛び込んできた。
マントを羽織っているせいでもあるが、人影は入り口を塞ぐほどに大きい。
廊下の光が逆光になっていて顔はよく見えなかった。
構わずに歩むと、黒い影がユフィリアに向かって悠然と歩き出した。
コツン、コツン……いかにも重そうな靴音を響かせながらユフィリアに近づいてくる。
——誰……?
よどみなく続く靴音と見えない人影に、さすがのユフィリアも怯んでしまう。
洋燈の明るみの下に差し掛かれば、黒い影が一転してその姿を鮮明にした。
背まで伸ばした
伸びた前髪に隠れた双眸はくすんだ
「私に何かご用かしら?」
いつものように去勢を張り、ユフィリアは負けじと男の双眸を睨みつけた。
「
「そんなの私の勝手でしょ、あなたには関係ない」
そのまま去ろうとすれば、ぐい! と音がしそうなほど強引にユフィリアの華奢な腕が男の手でつかまれた。
「っ、何するの?!」
「助けを求める者が目の前にいるのに、見捨てるのか」
「痛いわ、離して……! 離さないとぶつわよっ」
力任せに振り払おうとする。
けれど抵抗するほどに男の指がぎりぎりと手首を締め上げるので、痛みに耐えかねたユフィリアの唇がウッと小さな声を漏らした。
「なるほど、相当なじゃじゃ馬だ」
この教会では聞かない声だった。
こんな男、
ユフィリアは痛みに耐えながら男の顔を確かめようと目をすがめる。
「何者…………ッ」
黒地の職服は色褪せていて、足元に垂れる重厚なローブはまるで戦争から戻ったばかりのように汚れ、くたびれている。
ローブで隠れているが、腰元に携えた革製の頑丈そうな剣の鞘が見える。男の瞳と同じ色のブローチがローブの胸元できらりとかがやいた。
——黒騎士の紋章……! でも、どうして
穢れた存在の黒騎士が、神聖な場所になぜ堂々と立てるのだろう。
神への冒涜にあたるのではないかとユフィリアは訝った。
前髪の奥にひそむ野獣のように鋭い眼光が、半眼でユフィリアを見下ろしている。
男の口元が緩やかな弧を描くと、冷たいほどに美しく微笑んだ。
「私は今日からおまえの婚約者となった黒騎士、レオヴァルトだ」
戸惑いと嫌悪の眼差しを向けるユフィリアだが、得体の知れないこの——黒騎士は動じない。
もう一度ユフィリアの手首を握り直すと、抑揚もなく淡々と言い放った。
「これは教会の決定事項だ。よって、おまえと私に拒否権はない」
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