第17話 あの場所で
私は竹林さんに、望くんについての話を聞いた。
望くんは三人兄弟のまんなかで、一番上のお兄さんは事故で今も意識不明であること。
ご両親が離婚されていること。
今年の1月から喧嘩をしていること。
「去年の11月くらいでしょうか。学校で、望の両親についてのうわさが広まりました。望本人が知っているかどうかは分かりませんが、真実とはだいぶ異なるうわさで。……それを、望が知らなくとも気にしなくとも、僕は許せなかったのを覚えています」
許せなかった、という竹林さんの表情は、どこか寂しい。
私は、胸が苦しくなった。
「喧嘩の理由は、残念ながら分かりません。望の喧嘩の件については瞬く間に学校中に広まりましたが、うわさは全て否定せず、そのまま学校には来なくなりました。何度も電話や連絡をしましたが、連絡は全て無視。電話も一度しか出てもらえませんでした」
「その……一度だけ出てもらえたときは、お話しできたんでしょうか」
心苦しいと思いながらも、私は聞いてしまう。
その問いに、竹林さんはふんわりと頷いた。
「……はい。といっても、一方的ですけど。“渉には関係ない”とだけ言われて切られてしまいました。最初は怒りが湧いてきたんですけど、今考えれば望なりの優しさだったんだと思います。望は、どうしても不器用なところがあるから」
……もし、望くんにとって私が大切であるなら。それは竹林さんだって言えること。
だから。
「あの、竹林さん。ご相談があるのですが」
私は、思い切って言ってみる。
竹林さんは私のほうを向いて「なんでしょう」と首をかしげた。
私は今まであったことを簡潔に話す。そして、ある一つの提案をした。
「……望くんのこと、一緒に探していただけませんでしょうか。あ、厚かましいってことは重々承知の上なんです。でも……」
大切な人に会いたい。その気持ちは、何にも代えられないから。
それに、話によれば竹林さんが望くんと直接会ったのはもう半年以上も前になる。友達にそれだけ会えない気持ちは、私には分からないけど。
でも、“会いたい気持ち”は一緒だと思うから。
「……分かりました。でも、もし会えたときは、まずは鳥越さんが望のもとへ行ってあげてください。僕は友人として二人の幸せを願っていますから」
すると、竹林さんは穏やかに笑った。
私も笑って返事をする。
「はい。……ありがとうございます」
そうして、私たちは望くんを探し始めた。
竹林さんの提案で、私は治谷市内、竹林さんは藤咲市内で心当たりのあるところに行ってみようとなった。
竹林さんには先に行ってもらって、私はそのままベンチに座って考える。
治谷市内で、望くんの行きそうなところ。
……この時間じゃいるか分からないけど、とりあえずネットカフェとかに当たってみよう。
そう思い立った私は思いきりベンチから立ち上がる。
すると、その衝撃でくらっとめまいがした。
あわてて足に体重をかけて、倒れるのを阻止する。
そういえば、私風邪引いてたんだっけ。すっかり忘れてた。
でも家で測ったときは、熱あんまり高くなかったし大丈夫だと思う。
それに、スタート時点で立ち止まっているわけにもいかない。
竹林さんにも協力してもらっているんだし、頑張らなきゃ。
私は気合を入れるように右手拳で胸を軽くたたく。
よし。
まずは、スマホでネットカフェのある場所を探さなきゃ。
私は公園を出て、スマホで『治谷市 ネットカフェ』と検索をかけた。
一件目に行って、気づく。
お店側が、利用している人の個人情報を教えてくれるわけないよね……。
頭が少しぼんやりとしている上に交渉力など持ち合わせていない私は、店員さんにあっさりと追い出されてしまった。
ど、どうしよう……。
あとは、公園とかかな。昼間だから、カフェとかにいるかも。
私は力強く足を踏み出す。
でも、足元がふわふわして歩いている感覚がない。
どうして、こんなときにって思う。
私、頑張らないといけなくて。こんなところでふらふらしている場合じゃないのに。
ぎゅっと踏みしめたはずの足が地面の上で滑った感覚がする。
あ、待って、倒れる。
一回しゃがもう。そうしたら、少し落ち着くはず。
頭では分かっているのに身体がうまく言うことを聞かない。
このままじゃ、真夏の熱いコンクリートに身体を打ちつけることになる。
なのに、隙を狙ったみたいに一瞬意識を手放してしまった。
「っおっと」
倒れる、と思ったはずなのに、身体に強い衝撃も痛みも感じない。なにかに、支えられる感覚。
私、どうしちゃったんだろう……。
そうして何気なく上を見上げてみれば、至近距離で誰かと目が合った。
ぼやけた視界のまま見つめるのは、見たことのある顔。
「のぞむ、くん……?」
「は?」
でも、返ってきた声はいつもの望くんの声よりちょっと高い気がした。
顔は望くんなのに。なんだかおかしい。
「あんた......誰。望の知り合い?」
「……え?」
あれ、もしかして目の前にいるのは、望くんじゃないのかな?
「てか、熱やば……。絶対家帰ったほうがいいけど」
望くんに似てる男の子は、私の前髪をよけておでこに手をあてた。
……というか、よく見たら顔も、望くんより少し幼いかも。目線も、いつもより少し近い気がする。
じゃあ、まったくの別人……?
そしたら、急に目が覚めたように頭が回転し始めた。
「わっ、ご、ごめんなさいっ!」
「なっ、あんた手離すなよっ!」
支えてもらっていることに今更気が付き、ぎゅっと強く握っていた腕からあわてて離れるとまたふらっとする感覚がして、両肩を掴まれる。
意識がだんだんはっきりしてきて、視界も開ける。
すると目の前に現れたのは、望くん———じゃなくて。
やっぱり、望くんに似た別人だ。
そして、その望くんに似た別人の方は真剣な表情でこちらを見てくる。
望くんに似ているってことは美形なわけで、ほっと顔がほんのり熱くなる感覚がした。
これがアイドルとか、芸能人に見つめられるみたいな感覚なのかな……。
「あの、お名前。教えていただいてもよろしいでしょうか」
思わず勢いで私はそう聞いてしまう。
すると男の子は怪訝そうに眉をひそめた。
「は?他人に個人情報なんて教えるわけないだろ。聞くならまずそっちが名乗れよ」
「あ、そうですよね……。すみません」
そりゃそうだよね。当然のことだ。
でも、男の子は口調こそ冷たいものの、まだ私のことを支えてくれている。
「わ、私は、鳥越映茉。高校一年生です……」
軽く頭を下げながら自己紹介する。
「……聞いたことのない名前だな。でも、知り合いなんだろあんた。しかも高一だし」
「知り合いって……望くんと?」
根拠はないけどとりあえず聞いてみた。すると、「ああ」と返事が返ってくる。
「あんたの言ってる“望”って、“白岩望”のことだよな?」
「あ……はい!」
じゃあやっぱり、この人は別人なんだよね。
なんだか、さっきよりも体調がちょっとよくなってきた気がする。
私、望くんを探さなくちゃならない。
たとえ望くんが、ここよりももっと遠い場所にいても。
私はもう一度足に力を入れて自分で立つ。
なんだか、やる気が満ちてくるようだった。
「ありがとうございました。私、頑張ります」
「は?あんた、この状態で自力で歩くわけ?どこ行くの」
「望くんのところです」
私がそう答えると、男の子は、心底ありえないみたいな顔をした。
「絶対家で休んだほうがいいって。てか望のところに行くって、どういうことだよ」
「……そのまんまの意味、でしょうか。私、こんなだけど、望くんに会わないと帰れません」
望くんに会う前と比べると、ずいぶん意思が強くなった気がする。
……自分の足で行かないと、意味がない。
「ごめんなさい。……ありがとうございます。本当に」
「…………そうかよ。まあそもそも、俺らは他人なわけだし、変なお節介焼くのもおかしいよな。また倒れるんじゃねーぞ」
男の子はそう言って、追い越して私の歩いてきた方向へ行ってしまった。
私は振り返り、謝罪と感謝を込めてゆっくりと頭を下げる。
もしあの男の子がこの治谷市に住んでいるのだとしたら、また会えるかもしれない。
いい人だったな、と思いながら考える。“また会えるかも”じゃなくて、“また会いたい”と。
そのときは、ちゃんと改めてお礼を言いたい。
—――望くん。私はそう、語りかけてみる。
出会ったときは、あなたのことが怖かった。金髪にピアスをしていて。今まで出会ったことのないような人だったから。
だけど降りしきる雨の中その存在を見て見ぬふりするなんてできなくて、泣きながら力をふり絞って担ぎ、家まで帰ったな。
今思い出すと、いろんなことが不思議だった。
まず、風邪を引かなかったこと。望くんはもう知っているかもしれないけど、私は昔からあんまり身体が強くないんだ。
あんなに雨に濡れたのに風邪一つ引かなかったなんて、すごいよね。あとは、望くんを背負って家まで帰れたこと。
力なんて消耗しているはずなのにまるで私じゃないみたいだった。あの日は濃い霧がかかっていたから、不思議な魔法にでもかかったのかな。
初めて“望くん”って呼んだ夏祭りの夜。きれいな花火。あの光景を隣で見れたこと、忘れないと思う。
あとは、テスト。二人で頑張ったな。望くんってすごく頭がよくて、新たな一面を知れたことがうれしかった。
何気ない日々が、私にとっては初めての経験で。毎日がチャレンジで。
望くんのおかげで、好きなことに好きだって胸を張れる感覚を思い出せた。
私は自分を信じて行動することを恐れなくなった。自分の信じたいものを、信じることができた。
もし会えるなら、会えたなら伝えたい。
ありがとうって。
見上げる夏の空は、どこまでも青くて広かった。
セミの鳴き声、ぼんやりと吹く柔らかい風。風船みたいに膨らんだ服。
一年前の私だったら、誰かを想って歩くなんてことはなかったかもしれない。
だけど、今は違うんだ。そうはっきり言える。
……そういえば、ここって、あそこに近い。
私はふと気が付く。
“あそこ”というのは、あの秘密の原っぱのこと。
今の時期なら、ひまわりが結構咲いてるかもしれない。
家には帰ることは出来ないけど、少し休憩くらいなら。
私はそのまま方向を変えずにゆっくりと歩く。
5分くらい歩くと、見えてきた。
まるでお城みたいに洋風なお屋敷が目印。その裏にあの原っぱを覆う森がある。
私は風で飛びそうなカーディガンを手で押さえながら木の間をかけ分けて歩いた。
この辺の道は、三年通い続けていて勝手に出来て行ったもの。
でも整備をしていないから木の枝が伸び放題なんだけれど。
私は服が例の木の枝に引っ掛かりそうになるのを取る。
すると、やっと開けた場所に出た。
いつもの、原っぱだ。
ううん。いつものじゃない。
背の高いひまわりが、まるで迷路のようにたくさん咲いていた。
その眺めを堪能するように見回すと、上半身がひまわりの陰に隠れて見えないけど、奥のほうに誰かいることに気が付いた。
今までここに誰かがいたことって、なかったのに。
数秒ぐらい考えて、あっと思った。
あれは、もしかして。
……もし、違っていたら。ううん、違っていてもいい。
「の……、望くんーっ!」
私はかすれて喉が痛そうになるのをこらえながら、大切な人の名前を精一杯叫ぶ。
気が付いてくれたのか、こっちに振り向くのが分かった。
今すぐ駆け出したい気持ちを抑えながら、ゆっくりとひまわり畑の中を歩く。
歩いて向かって来て、だんだんはっきりするその姿にほんとに望くんなんだなって分かって手が震える。
近くなり思い切って手を伸ばせば、掴んでくれた。
ここに、望くんはいる。そう実感できて、涙が出てきそうだった。
やっと、互いに目の前に来る。
すぐそばに望くんがいる。触れられる。
たった数日いなかっただけなのに、こんなに寂しいなんて思わなかった。
だからこうして、会えたことがうれしい。
「……映茉」
「望、くん」
望くんが、切なそうに見下ろす。
あ……とそこで私はこの一瞬で頭から抜け落ちていたことを思い出した。
そうだ。望くんは、自らこうしたんだから、私に探されて見つけられただけでもいい気はしないよね。
謝罪と感謝を伝えられたらって思ってたけど。もしかしたら、それは望くんにとって……。
あんなにさんざん大きな声で名前を呼んでおいて今更なんだって感じだけど、私、望くんの気持ちを全然考えられてなかったのかもしれない。
私は会えたうれしさと申し訳なさでごちゃごちゃになりそうな頭を必死に整理しながら、謝ろうと口を開いたとき。
「ごめん、映茉」
望くんが、私より先にそう言ってしまった。
……謝るのは私のはずなのに。望くんは謝る必要なんてないのに。
そう伝えると、望くんは首を振った。
「……映茉に、なにも伝えずに勝手に出て行ったのは、俺のほうだから。だから、ごめん」
「そ、そんな。私、望くんがいないくて寂しくて……あっ」
こんなこと言ったらだめだ。追い打ちをかけるようなこと。
それに、望くんとはこれで本当にお別れなのに。
少し俯くと、長袖のカーディガンが目に入った。そういえば、ちょっと暑いかも。
風邪を引いているとはいえ、今は夏なわけだし。
心の沈む感覚を覚えながら、袖に手をかけてそのままひっぱる。
両腕が晒されてさっきよりも涼しくなる。脱いだカーディガンを前へ持ってくると、望くんに「映茉」と呼ばれた。
「の、望くん?」
私が名前を呼んだ瞬間、とつぜん目の前が真っ暗になった。
そしてくちびるに、なにか柔らかいものが当たる感覚がする。
瞬きしたときには、望くんの顔がすぐ近くにあって。
一瞬の出来事で、理解が追いつかない。
今、私……。
「……やっば、ごめん。絶対順番、間違えた」
「……えっ」
視界が明るくなって分かる。望くんの顔が、ほんのり赤い。
私は確認するように、口元へ右手を持っていく。
どうしよう。頬だけじゃなくて、体中が熱い。でもこれは絶対、風邪のせいじゃない。
「映茉」
「え?」
「そのカーディガン、貸して」
「あ、うん……」
どきどきと高鳴る心臓を無視して、言われるがままに淡いクリーム色のカーディガンを渡す。
するとそれは手元で大きく広げられ、私の頭の後ろへ顔まで覆うようにかぶせられる。
そしてそのまま、もう一度唇が重なった。
カーディガンが全てを覆い被すように、一瞬の時は二人だけの空間となる。
ゆっくりと私から望くんは離れた。
「映茉」
「あえっ、はいっ」
びっくりしながらも返事をすると、間髪を入れずに息を小さく吸う音が聞こえて。
「好きだ」
望くんの瞳が、私を見つめる。
心臓の音が早くてどうにかなってしまいそうだ。
……あれ、というか今、望くんなんて言って……。
こ、こんなの都合のいい聞き間違いだよね。私、幻聴まで聞こえてくるようになっちゃったのかな。
望くんが、私のこと、好きだなんて。と思いながらも尋ねる。
「……そ、それは、その、友達?的な意味で……」
「そんなわけないだろ」
「じゃ、じゃあ、えっとあの敬愛?みたいな……。あでも私は全然尊敬できるようなところなんてないか……」
「そんなことはねぇけど。てか、全部違うし」
望くんは一瞬目を逸らす。
「俺は、映茉のこと恋愛的な意味で好きだっつったんだけど。……映茉は」
どうなの、と言いたげにまた私のほうをまっすぐ見る。
その視線が、どきどきしてたまらない。
……ここで気持ちを伝えてしまったら、望くんと別れるときもっと苦しくなってしまう。
だけど、想いが胸の中から溢れてきて、すぐそこまで来ている。
苦しくて、涙が出てきそうだった。
「……私も。私も、望くんが好きです……っ!」
たった一か月。そう言われればそうかもしれない。
だけど私にとってあの“一か月”は、とても特別なものだったから。
また、視界が真っ暗になる。
ふわりと、頭を抱えられて包まれる感覚。
望くんの優しい香りが鼻腔いっぱいになる。
ぎゅっと腰に腕を回されて、私も望くんの身体にそっと触れる。
あったかくて、安心する。
「俺も好きだ」
「……私も、好きだよ」
これで最後だって分かってるのに、うれしさで胸がいっぱいになって他のことは考えられない。
望くんを好きな気持ちに……嘘はつけない。
私たちはゆっくりと手を離す。
「もう、どこにも行かないから」
「うん。……えっ?」
望くんがなんてことないように言うから一瞬聞き逃しそうになった。
どこにも行かないって、また会えるってこと。なのかな。
でもだって、望くん……。
あれ、そういえば、私、なんで“もう会えない”って思っていたんだろう。
“もう会えない”なんて、望くんは一言も言ってないはず。
もしかして、私の勝手な思い込み……?
そう思うとなんだかどっと力が抜け、その場にぺたんと座り込む。
いつのまにか望くんの手元へ回収されていたカーディガンが、私の肩へかけられた。
「映茉、こんなときに悪いけど風邪は大丈夫なのかよ」
「の、望くんっ!」
「え、なんだ」
少し戸惑ったその表情を見ながら、私は口を開く。
「私、望くんの隣にいてもいいかな……」
すると、望くんもしゃがんで私のことをさっきよりも強く抱きしめた。
「俺こそ、映茉の隣にいていいのかって感じだけど」
そう言う声色は、少し切なさが含まれている。私は好きだって気持ちを込めて抱きしめ返した。
「もちろんだよ。むしろ、いてほしいです」
「……分かった。ずっと、隣にいる」
抱きしめる力がさらに強くなる。
「……私も。ずっと、いるよ」
私は望くんの肩にそっと自分の頭を預けた。
頭がふわふわする。
夏なのに感じる体温は心地よくて、暖かい。
ありがとう。好きだよ、望くん。
ひまわり畑に囲まれながら、私たちはしばらくそのままでいた。
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