第2話 ひねられない気持ち

「ちょっと、映茉ちゃん!ずぶ濡れじゃない!」



やっとのことで家につくと、お母さんに出迎えられた。いつも元気に上がっている眉が、下がり気味になっている。

私は申し訳なくなって、とっさに謝った。


「傘、忘れちゃったの?あと、その人は?」


お母さんの視線の先には、私の肩に背負われている彼の姿。


「えっと、帰ってる途中で倒れてるのを見つけて……。それで、そのままにしておくわけにもいかずに……」


心配をかけておきながら見知らぬ人を家まで連れてきてしまった。お母さんに、少し罪悪感が……。いや、そんなことは嘘でも言っちゃだめだ。この人に失礼になる。

少しうつむきながら事情を説明すると、後ろで玄関の扉が閉まる音がした。


「とりあえず家に上がって。お風呂に入って、話はそれからだよ」


お母さんは、優しく微笑む。

私はお礼をいって、まだ意識のない彼と家に上がった。





とりあえず私の部屋に布団をしき、その上に濡れないようタオルを敷いて、彼を寝かせた。

私はその間に湧いたお風呂に入る。

熱いシャワーが身体を芯から温めていく。湯船にはいつもより長めに浸かった。


……どうしよう。お母さん、内心ではよく思ってないかもしれない。

私のお母さんはいつもパワフルで、人と関わるの好きだ。だけど今日はとても心配をかけてしまったし。……あとでちゃんと、もう一度謝らないと。


そんなことを考えながらお風呂から上がり、少し早いけどパジャマを着て、洗面台の前でセミロングくらいの長さの髪を乾かし、ゆるく下の方で二つに結ぶ。



脱衣所から出ると、リビングにお母さんの姿はなかった。時刻は午後5時20分。買い物に行ったのかな。

この時間にリビングに誰もいないのは珍しいことじゃない。私は二階に通じる階段を上り、自分の部屋に向かった。


部屋に入って様子を見るけど、まだ目を覚ましていない様子。静かな空間に、ただその姿があった。

私はベッドに腰掛ける。耳をすますと、かすかな寝息が聞こえてきた。

寝てる、のかな。とりあえず意識は戻ったみたいだから安心だ。


ぼーっとしながら、なんとなくその寝顔を見てしまう。あのときは必死で気づかなかったけど、とてもきれいな顔立ちをしている。すっと通った鼻筋に、形のいい薄めの唇。

まぶたにかかる湿った金色の前髪が、まっすぐ伸びている。


というか、私は何を見てるの、失礼だよっ。

正気に戻すように頬をパチンと叩く。


「うう、いた〜い」


自分で叩いておきながら痛くて手で両頬を押さえる。

と、その瞬間、彼が寝返りを打った。同時に、少し声を漏らす。



「んん……」


ぎゅっと目をつむった後、それはゆっくりと開いた。

お、起きた……?

私はそっと顔を覗き込む。


「ん……」


突然目に入った電気の光が眩しいのか、その瞳を細める。

様子からするに、今まで一度も目を覚ましていないみたいだった。

……じゃあ、あのときの言葉や行動は、全部無意識なのかな。私の幻聴、幻覚の可能性もあるけれど。



「お、おはようございます。あ、夜なのにそれはおかしいか……。えっと、はじめまして」


そう挨拶すれば、傷だらけの身体を起こして、少しばかり顔を歪めた。


「ここは、私の家なんです。下校中、あなたが道端に倒れているのを見つけて……。それで、連れてきてしまいました。あの、謝ります。大変申し訳ございません」



ベッドから降り、わけもわからず、けどもう全力で土下座をする。

これほどまでに誠心誠意込めて丁寧に土下座したことはないってくらい。

顔を上げると、まだぼーっとしている瞳と視線がぶつかった。



「……俺のこと、助けてくれたのか」

「えっと、言い方を変えればそういうことになります……」


自分で言ってて恥ずかしくなってきた。


「えっと、とりあえずお風呂に入りませんか!?温かいお湯を張っていますので!」


ごまかすように私はそう言った。

うちは旅館かなにかか。といつもだったら家族に総ツッコミされそう。

すると、彼はうつむきがちになりながら、小さく口を開いた。


「……ありがとう」

「……いえ」

「でも、ごめん。俺、帰るから」

「え、帰るって……」


立ち上がった瞬間、上にかかっていた毛布がはらりと落ちた。

破れかかったTシャツや短パンから、赤い傷が見える。


「……助けてくれて、ありがと」


そのまま立ち上がり、ドアのあるほうへ歩いて行った。

ガチャリと、ドアノブを回す音が耳に入る。



「だ、だめです!」


気がつけば、ドアノブにかけられた手に、右手を覆いかぶせていた。

びっくりしたように、こちら側を振り返り見下ろす。

心臓が、どきどき鳴っている。


「そんなにひどい怪我で、外に出るなんて……。どこに行くとしても、だ、だめです」


季節は初夏のはずなのに、彼の手は、とても冷たかった。それは、氷みたいに。

私は扉の真ん中のただ一点だけを見つめる。


「たった一人、雨に打たれて……。傷にしみてしまいます。痛いです。身体も、心も」


手に、力を込めた。水が床に落ちる音がする。

怖いなんて感情はもう、どこにもなかった。



「……分かった。とりあえずは、出ていかねえから」


さっきまで冷たかった心は、ゆっくりと小さな火を取り戻していく。

私は、ドアノブから手を離した。


「よかった。……ありがとうございます」




とりあえずお風呂には早急に入ってもらった。

服は、前に家族に借りてそのままになっていたTシャツと膝丈の短パンを渡した。


私はその帰りを待ちながら、いつものようにベッドに横になる。けれど、なんだかそわそわして落ち着かない気分。

自分の家に誰か家族以外の人がいるって、不思議な感覚だ。

なにかすれば落ち着くかも。


そういえば布団を片付けていないなと思い、畳もうとその場にしゃがむ。

というところで、ガチャリとドアの開く音がした。


「風呂……ありがとう」


彼は照れたようにこちらから目をそらす。そんな反応をされるもんだから、私も恥ずかしくなってしまった。

少しばかり気まずい空気がこの狭い空間に流れる。

だって、まだ会って一時間か二時間かそこらしか経っていないのに、自分の家にいて、お風呂に入ってて……。

ああ、だめだめ。余計なことは考えないよ!


特に話題を振ってくることもなかったので、ここは私から話しかけることにした。



「えっと、あの、急にで……、戸惑いますよね。わ、私は決して怪しいものではありませんので。ただの、一般人です」

「ああ、どうも……。名前、聞いてもいいか?」

「え、名前?」


思わぬ返答に首をかしげる。あれ、もしかして私、自己紹介してなかった!?

やってしまった〜!これじゃ私、ただの不審者だよ!



「名前、ええと。と、鳥越映茉とりごええま、16しゃいでふっ」


ちゃんと自己紹介したつもりだったのに、最後のほうを思いっきり噛んでしまった。

恥ずかしくて顔が赤くなったのを感じる。

そのまま膝の力が抜け、床に座り込んでしまった。


「お、おい。大丈夫か」

「だ、大丈夫です〜」


目の前にすっと手を差し出され、お言葉に甘えてその手を取ろうとする。

……え。

手のひらは傷だらけで、赤く染まっていた。

思わずまじまじと見つめてしまい、慌てて両手を左右に振った。


「ご、ごめんなさい。私、傷のこと、気づかなくて……」


そういうと、手は引っ込まれてしまった。


「いや、大丈夫だから。このくらい、いつものことだし」

「そ、そう、ですか……」


いつものこと。この人は、いつもこんな怪我をしているっていうことなのかな。

手当、するのだろうか。

そこまで考えたけど、嫌がってるわけだし変に干渉するのもよくないなと思い、私は自分で立ち上がった。


「ごめんなさい。ところで、あなたのお名前は……」

「……白岩しらいわ。白岩、のぞむ


……しらいわ、……のぞむ。

私はなぜかその名前に引っ掛かりを覚える。

……どこかで聞いたことのある。一体、どこだろう。

私の勘違い?


でも、名前を知っているくらいの知り合いなら、顔くらい覚えていそうだ。

それに、こんなに整った顔にきれいな金髪。忘れようとしても忘れられないと思う。


「俺のことは、なんて呼んでくれてもいい。こっちは、なんて呼んだらいいか」

「えっ、えっと……。私もお好きなように!」

「なら……映茉」

「はい。……白岩くん」


すると、白岩くんはなんだか少しむっとした表情を見せた。

だ、だめだったかな。聞き間違いとかしてないよね?


でもそれは一瞬だったみたいで、無意識にした瞬きの後にはもう元の表情に戻っていた。

どうやら、気のせいだったみたい。

私は、ほっとため息をつく。



「私は高校一年生で、誕生日が3月14日なのでまだ全然15歳なんですけど、白岩くんは何歳でいらっしゃいますか?」

「……俺は、16歳。でも、高一」



白岩くんの言葉に私は驚く。

白岩くんは大人っぽく見えて、いくつか年上だと思っていたのに。まさか同い年だなんて。


それから私たちは、いくつかの話をした。

白岩くんの誕生日は6月6日。身長は高いとは思っていたけれど、178センチもあるなんてびっくりだ。

155センチくらいの私とじゃ、頭一個分も違う。

出身中学は、ここから少し離れた場所にあるみたい。市外らしく、聞いたことのない学校名だった。


「私の出身中学は市内にあるんです。高校とも近いんですよ。あ、そういえば、白岩くんの通っている高校って……」


私がそう言おうとしたとき、言葉をさえぎるように一階のほうから大きな声が聞こえてきた。


「えーまーちゃーん!」


この声は、お母さんだ。


「とりあえず、一階に降りてもいいですか?」


私が聞くと、白岩くんは「ああ」と一言つぶやいた。

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