第1話 雨滴る金色

「じゃあ、また明日なー」


担任の山川先生の声とともに終礼が終わり、教室が騒がしくなる。


「うっわー、部活だる」

「このあとカフェ行かなーい?」


クラスメイト達が放課後の予定を口にする中、私は教室を出て外用のほうきを取りに行った。

今週一週間は、裏庭の掃除当番。

この前散り終わった桜の花びらを集めに行くんだ。

もう6月だけど私の住んでる地域は寒いから、桜が咲くのも散るのも遅い。


「あ、鳥越とりごえさーん」


廊下で、クラスメイトの女の子に話しかけられる。

そして、申し訳なさそうな表情でパンッと手を合わせた。


「ごめん。これから予定あるんだ。あたしの分までやっといてくんない?」


私は迷わず頷く。


「うん。分かったよ」

「ありがとー!」



女の子はお礼を言って階段のほうへ駆けていく。

……私も予定、あったのになあ。まあ、ほんとに、ほんとに大したことじゃないから全然大丈夫なんだけど。

ぽっと浮かんだ考えを慌てて消すように頭を振る。


……掃除、しなきゃ。

一階におりて、昇降口を開ける。


私の通うここ、北田きただ高校の裏庭は並木道みたいになっていて、そこに桜の木が植えられている。

地面がコンクリートだから花弁はうまく土に還らない。だから、集めて掃除しないといけないんだ。


何気なく見上げてみると、空は夜なんじゃないかってくらい真っ暗だった。あたりには薄い霧も出始めている。朝からずっとこんな天気だ。

私は掃除を終わらせて校舎内へ入る。

用具を片づけてから、下駄箱に置いてあったカバンを肩にかけ、学校を出た。




……こんな天気だと、下校がつまらなく感じる。

霧がかかって視界が開けないので景色がなにも見えなくて、少し退屈なのだ。

私は途中でコンビニに寄り、絆創膏を買った。

自動ドアが開き、私はお店を後にする。


「うっ……」


外に出た瞬間、6月の生ぬるい風がすぐそばを通り、店内との温度差に私は声を上げる。

朝、下校途中にお母さんから絆創膏を買ってきてと頼まれたんだ。これが、さっき言ってた“予定”なんだけど……しょぼすぎて予定じゃない。ただ買い物をしただけだ。


外の霧はさっきよりもずいぶんと濃くなってきて、今にも雨が降り出しそう。

傘は持っていないし、余計なこと考えてないで早く帰らなきゃ。

私は絆創膏を通学バッグにしまって、家の方角へ足を動かす。


「早く家に着かないかな……」


思わず、そんなことをポツリとつぶやいた。

車がシャーと音を立てながらすぐそばを通過する。ほんとに、霧が濃い。

あのコンビニからこっちのほうは人通りが少ないから、こんな狭まれた視界でも事故に合う可能性は低いんだけど、でも少し怖いなあと感じる。



私は住宅街へつながる細い裏路地に入った。

車さえ一台通るのがギリギリな細い道で、高くそびえ立つコンクリートの壁が更に圧迫感を感じさせる。


「う……」


入ってから数メートル進んだところで、苦しげな唸り声が聞こえてきた。

な、なんだろう……。

びっくりして思わず立ち止まってしまった私は、あたりをキョロキョロと確認する。

けれど、霧のせいでうまく見えない。


でも、確かに聞こえた。うん、絶対。

バッグの取手をギュッと握りしめ、足元に注意しながら一歩一歩ゆっくりと歩いてみる。

これはたぶん、動物の鳴き声じゃないかな。もしかして、犬や猫が怪我をして動けなくなってしまったのかも。


それなら大変。見つけ出さなければ。

首輪なんかがついていたら、飼い主さんを探してあげなきゃ。

さらに足元へ目を凝らすけど、さっきよりも霧が濃くなって見えない。

するとまたさっきと同じ唸り声が聞こえた。今度は、すごく近くに。


ここが人はめったに通らない道だというのをいいことに、脇にカバンを置いて地面に四つん這いになる。

少しずつ進んでいくとやっと見えた。


「……え、人?」


目の前には動物じゃなく、怪我をして倒れている人の姿があった。

予想外の展開に私は言葉を失ってしまう。

と、そこで身体に冷たい感覚がした。


あ。


そう思った瞬間、バケツをひっくり返したような大雨が降り注いだ。


「わっ!」


身体に、大量の雨が当たる。もちろん、目の前に“人”にも。

倒れているのは、男性。高校生くらいだろうか。苦しそうに顔を歪ませている。


ど、どうしよう……!


助けてあげたい。こんな大雨の中放って自分だけが帰るなんてとてもできる状況じゃない。

ここでそんなことしたら、きっと一生後悔してしまう。

動物だったらなんとかできた。抱えて、家に持ち帰れる。


でも相手は男性。私には、とても運ぶなんてできない。背負うことさえできない。

もう初夏だというのに、身体が冷たい。足に直接雨粒が当たって痛い。

家族に電話したかったけど、スマホの入ったバッグはちょっと前に置いてきてしまった。なんで置いてきちゃったんだろうと、今更ながら後悔する。

戻っても、今度こそ塞がれる視界の中間違えて踏んでしまうかもしれない。


男性の髪は、金髪だった。雨粒でより光って見える。

私じゃ、どうすることもできない。私の力じゃ人一人運ぶことはできなくて、助けられない。救えない。


……私は結局、なにも持ってない。なにもできない。

彼の顔には私の頭が覆いかぶさって、直接雨粒が当たることはない。


「うっ」


嗚咽が雨音にかき消されて、男性の顔へぽたりと雨と一緒になって涙が落ちた。

6月の大雨だ。このままいたら風邪を引いてしまう。

もし風邪を引いたのなら、それは私のせい。だから、仕方ないと思える。


じゃあ、彼は?この男性は、助けてもらえるはずだったのに、見つかったのが運悪く私だったせいで、死んでしまうかもしれない。そうなれば、この男性の周りの人はきっと悲しむだろう。


雨脚が、強くなる。諦めてしまいたい。でも、そうすればたくさんの人を不幸にしてしまうかもしれない。


「どうしたらいいの、私……!」


そう呟いた瞬間、頬に何かが触れた。



「泣かないで……。泣いたら、その、かわいい顔が台無しだ……」


「え……」


触れたのは、彼の右手。目をかすかに開かせ、こちらをじっと見つめていた。

優しく、そっと撫でられる。


「私は、かわいくなんか、ないですよ……」


びっくりしながらも、とっさにそう答える。

……そうだ、泣いてなんか、いられないんだ。

私は、このままでいたくない。


冷たい雨で芯から身体が冷える。体力が、なくなっていく。

もう一度呼びかける声は、もう出なかった。

彼の上半身を力いっぱい持ち上げた。

さっきのことが嘘みたいに、そのまぶたは固く閉じられている。


私はまた泣きそうになるのをじっとこらえながら、どうにか長い時間をかけて、立ち上がらせ、自分の肩に背負わせた。


「……家に、帰ろう」


私は戻るときにバッグを見つけて右肩にかける。

そしてゆっくりと、少しずつ歩いていった。

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