第15話 私にとって

水曜日の夜。望くんは夜になっても帰ってこなかった。


お母さんは、「映茉ちゃんを悲しませたくなかったのよ」って言っていたけれど、それなら、せめてちゃんとお礼くらいは言いたかった。それと、お別れ。


でも同じ学校で同じクラスなのに、お別れはおかしいかな。



私はまだ少し熱い額を抑えながら、ふとんにもぐる。

夏のはずなのに、寒くて、心臓が冷たい。

あのときみたいに探しに行きたい。だけど、お母さんはそれを許してくれないだろうし探すのは望くんの迷惑になるかもしれない。


でも明日になったら、帰ってくるかもしれない。



わずかな希望を持って明けた朝。木曜日も、結局帰ってこなかった。

この家にその存在がないことが信じられなくて、寂しい。


夜。私は眠れなくて真夜中にこっそりと、いまだに『ゆうたろー』と書かれたプレートの掛かる部屋のドアをゆっくりと開けた。


部屋の中は、きれいに片付いていた。

望くんのものは、何一つ残っていなかった。


あの日、最後に挨拶を交わした水曜日の朝。あのとき、特に荷物が多そうだなとは思わなかった気がする。

たしかに、望くん、荷物少なそうだもんな。余計なものとか、持ってなさそう。


ベッドときれいなちゃぶ台。中にあるのはそれだけなのに、ベッドのシーツが少しよれてたりとか、ちゃぶ台に消しかすが残っていたりとか。

そんなちょっとしたところに望くんの気配を感じる。


ああ、いたんだなって。



こんなこと思って、私、気持ち悪い。

だけど、だけど。


「……どうしよう。寂しい。寂しいよ、望くん……!」



だけど、胸の奥底から悲しい気持ちと会いたい気持ちがこみ上げてきて、床に膝をついて顔をそのまま突っ伏す。

泣いたって、“寂しい”って言ったって、望くんは帰ってこない。


隣にいない。触れられない。

そう思うのは、甘えなのかもしれないけど。

でも、気持ちは抑えられなくて。


私は、望くんに出会ってから、どこかおかしい。そう思っていた。

でも、おかしくなんてなかった。

今の私も、本当の私。



———望くんのことが好きな、意外に寂しがりやな私。





 金曜日。熱もだいぶ下がってきて、家の中なら歩き回れるようになった。

これなら、探しに行けるかも。見つかるなんて保証は、どこにもないけど……。

でもこのまま家にいても、望くんは帰ってこない気がするし、もう二度と会えないかもしれない。


そして私は、みんなが出かけている午後3時過ぎにこっそり家を出た。

私のわがままだって分かってるけど……会いたいって気持ちにうそをつけなくて。


ごめんなさい。……ごめんなさい。



私は太陽の照るこの真夏に薄いカーディガンを羽織って外に出た。

この時間なら、学校にいるのかな。

私はそう思って、あの細い裏路地を抜けて学校へ向かった。


でも、いつまで経っても望くんは校門に現れなかった。

どうしてだろう。学校、来てないのかな。

私が知らないうちに見逃しちゃったかな。


横を通り過ぎるのは、望くん以外の生徒。

私服で、しかも3日も来ていないと、なんだか不思議な気分だ。

まるで、別の学校に来たみたいな。


近くにある公園の時計が4時を指し、家を出てから一時間経っていることを知らせる。

……もうちょっと。あと15分、待ってみよう。

カーディガンの裾を両手でぎゅっと握りしめながら、そう決意したとき。



「……もしかして、あなた」



ふいに、どこからか声が聞こえてきた。

俯いていた顔を反射的にあげると、そこには見知らぬ男子高校生が立っていた。


「……えっ」


男子高校生は四角いレンズ越しにまっすぐこちらを見つめてくる。

私はびっくりして、思わず小さく声をあげた。

見たことのない制服。知り合いでもなければどこかで見かけた覚えもない。


しばらくそのまま動かなかったため、まさかと思い勇気を出して話しかけてみた。


「あ、あの、も、もしかして。私……ですか?」


間違っていたら恥ずかしいなと思ったけれど、男子高校生は頷いた。


「はい。……あの誤解だったら、無視していただいてもいいです」


柔らかな風に吹かれながら、男子高校生は一呼吸おく。

そして、口を開いた。



「……白岩望を、知っていますか」


「え……」



驚いて、思わず声が漏れる。

だって……。



「……やっぱり、僕の勘違いだったみたいです。ごめんなさい。では、これで」


男子高校生はぺこりとお辞儀をして行ってしまう。

あの人……望くんのことを知っていた。

どういうことかは分からない。けど……。


「あ、あのっ!」


風邪でかすれた声で精一杯叫ぶ。

こちらに向けられる視線は気にならなかった。

男子高校生が立ち止まって振り返る。


「あの、私、知ってます!」



もう一度思いっきり叫んだら、男子高校生が私のほうへ戻ってきた。

呼吸が、乱れる。


「ほんと、ですか」


驚いたように、でも確信したようにそう問われる。

私は、ゆっくりと頷いた。


「とりあえず、あの公園に入りましょう」


男子高校生が指差した先は、学校の目の前にある大きな公園。

私たちは奥のほうまで入り、川の近くのベンチに並んで座った。


……この人は、望くんと、どういう関係なんだろう。

話は私から切り出したほうがいいのかななんて思い口を開こうとすると、相手が話し始めた。



「自己紹介が遅れました。僕は、竹林渉たけばやしわたるです。望の小中学時代の同級生で友人でした」

「え、えっと、鳥越映茉です。望くんとは、同級生、です」



自己紹介を先にしてくれたので、私も続けてする。

望くんとの関係は言葉では表しにくくて、無難に同級生と言った。


「同級生……ですか」


男子高校生———竹林さんは意味深にそうつぶやく。

小中学校時代の同級生……ということは、昔の望くんのことも知っているのかな。

私がずっと聞けなかった、望くんの生い立ち。怪我の原因は喧嘩だって分かったけど、喧嘩をする詳しい理由は分からない。



「あの、どうして私のこと……」


私はとりあえず疑問に思っていたことを口にする。

竹林さんがもし望くんを探していたのだとしたら、片っ端から声をかけているはず。なのに、私が知り合いかと聞かれて一度黙ってしまったとき、帰ろうとしていた。


だから、すでに竹林さんは私を知っていたことになるけど。一度も会ったことないのに、そんなことあるのかな。



「ちょうど一か月前に、ここのあたりで治谷祭りがありましたよね。僕は隣の市に住んでいるんですけど、たまたま来ていて。そこで、望と……鳥越さんを見かけたんです」



治谷祭りといえば、あのとき私は迷子になって、望くんに迷惑をかけちゃって……。

でもその前もその後も、望くんと二人で回っていたから見かけていても不思議じゃないよね。人も多かったし。


「望のことはわかったんですけど、隣にいる女性は見たことがなくて。僕、人の顔を覚えるのが得意なので」



“人の顔を覚えるのが得意”って言っても、私の顔なんて特別可愛いわけでも華やかで美人なわけでもないし、なんなら人に覚えてもらえなさそうな地味な顔なのに。

でも、それなら私のことを知っていても納得出来る気がする。


すると、竹林さんは少し視線を落とした。



「……実は、公立高校の試験日から望とは一切連絡が取れなくて。学校にも来ないし。北田高校が受験候補の一つに入っていることは本人から聞いていたのですが、どこに受かったのかとか、はたまた本当に北田高校を受けたのかさえ分からなくて」



この様子を見ていると、そうだったんですか。なんて気楽に言えるはずもなく、ただ話に耳を傾ける。



「そして、先週あたりにたまたま北田高校の制服を着た鳥越さんを見かけて。まさかとは思ったんです。ごめんなさい、僕、ストーカーみたいで」


「いえ、そんな」



今度はしょんぼりと頭を垂れたので、声をかける。

竹林さんの話を聞きながら、あれと思う。

先週はテスト期間で帰りが早かった。4日間あって、全て午前中帰り。


私が下校している間竹林さんは学校だったわけで、見かけることは不可能なはず。

登校中かと思ったけど、下校より可能性が低い。


……もしかして。



「あの、私のことを見かけたのって……。病院だったり、しますか?」



おそるおそる言ってみると、竹林さんは驚いた顔をした。



「……そうです。よくわかりましたね。実は、この近くにある大城病院に父が骨折で入院していまして。お見舞いの帰りに、院内の病棟で見かけたんです」



……大城病院。望くんが怪我をしたときに入院していた、この辺では一番大きな病院だ。

望くんと同級生なら竹林さんが住んでいるのもたぶん藤咲市。隣の市なら、ここにある大城病院に入院していても納得できる。


なら、竹林さんが見かけたのは、望くんのお見舞いに行ったときの私。お見舞いは、いつも夕方に行っていたから。



「……病棟に居たってことは、誰か知り合いが入院を……。いえ、踏み込みすぎた質問でした」


「……望くんが、入院していたんです」


私は答える。


「望くん、喧嘩に巻き込まれて。それで……」

「そう、だったんですか」


竹林さんは私の言葉に返事をすると、驚きもせずゆっくりと前を向いた。

まるで、喧嘩に巻き込まれるのが日常茶飯事だったみたいに。

もしかしたら、竹林さんなら望くんの喧嘩の理由を知っているかもしれない。


でも、望くんの知らないところで聞くのは申し訳ない。

それに、望くんにはもう二度と会えないかもしれない。もし望くんが、私のことを避けているのなら。


「望にとって、鳥越さんは、大切な人なんでしょう」


「……え?」



一分くらい沈黙が続いた後、竹林さんが独り言のようにつぶやいた。

私も問いただすつもりはなく独り言のようにそう言う。


……私が、望くんにとって大切な人。

なんて、ありえるのかな。

だって、私と望くんはたった一か月一緒にいただけの関係で。それがなければ、一生他人同士のただのクラスメイトだったかもしれない。


そして私は、望くんのことを知らないままだったはず。



望くんにとって私がどういう存在かなんて、考えたことがなかった。

逆は考えたことがあったけど。


……私にとって望くんは、好きな人で、でもそれ以前にとても大切な人。かっこよくて、あんまり口数が多いほうではないけど、でも言葉には優しさがあって。

嫌いなところがあって自分に自信がない私のことを、肯定してくれて。それが、なんだかくすぐったいような暖かい気持ちになって。


……望くんのことを考えると、会いたくなってたまらなくなる。

寂しくなって、涙が出てきそうなった。


私はこらえようと必死にスカートを握ってうつむく。


そんな私に気づいていないのか、はたまた気づかないふりをしてくれているのか、竹林さんは話を続けた。


「治谷祭りで見かけたとき、望の鳥越さんを見つめる目が、優しかったから。僕の憶測にすぎませんが、たぶん合ってると思います。……望はあなたを、大切に想っていること」


私はゆっくりと顔をあげながら右隣を見ると、竹林さんと目が合う。

竹林さんは、優しく微笑んでいた。


「鳥越さん」

「……はい」


真剣なその声色に私は姿勢を正し、まっすぐ竹林さんのほうを見る。



「望に昔何があったのか、話しましょう」



私の目と合ったレンズ越しの瞳は、暖かな色をしていた。

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