第19話 折れた翼で、何度でも
夏休みに入る直前の7月21日。
望くんと流星くん、望くんのお父さんと私とで、白岩翼さんのお見舞いへ大城病院へ行った。
この日は白岩翼さんが事故にあった日だと、話を聞いた。
私は部外者なのに行ってもいいのかなって思ったけれど、流星くんに説得されて着いていくことにした。
病室に入るなり、望くんのお父さんがベッドに駆け寄る。
「……翼、翼……っ!ごめんな、今まで来れなくて」
望くんのお父さんはそばに跪き、ベッドに突っ伏す。
離婚されてから、翼さんのお見舞いには来ていないと言っていた。「翼に合わせる顔がない」と。
流星くんは毎週末に一度来ていたとも、言っていた。
望くんは、翼さんが事故にあった日からは一度も、会っていないと。最後に見たのは、翼さんが朝家を出る姿だって。
望くんのお父さんの嗚咽が、ベッドの一つしかない大部屋にぼんやりと響く。
……この空間に私は邪魔かな。そう思い扉を開けて部屋を出ようすれば、立っていた望くんに左手を掴まれた。
「……映茉、ここにいろ。……いや、いてほしい」
一瞬迷ったけど、私は数秒してから扉を閉めた。
望くんの隣、元の位置に戻る。
「ごめん、ありがと」
「ううん」
望くんの私を掴む手は、震えていた。
私はそっと、握り返してみる。
私に出来ることがこれなら。
そういえば、望くんは無事に一学期期末考査全教科90点以上というラインを見事達成した。話にあった通り、留年の話は免除。
この結果には山川先生だけでなく他の先生も驚いていて、クラスだけでなく学年で話題となった。
好奇の視線を向けられることもだいぶ少なくなったけど、無くなったわけではなくて。
でも、望くんは別に気にしていないらしい。クラスにもちょっとずつ馴染んできているみたい。
人間関係を築くのは苦手分野だって言っていたけど、私より全然上手だよ。でも、私じゃ比べる対象にならないか。あはは。
あと、望くんはあのことについても話してくれた。
望くんが、いなくなってしまったときのこと。
私、知らないうちに望くんに負担かけちゃってたんだなって反省した。
でもちょっと、ほんのちょっとだけ、うれしいって思ってしまったのはないしょ。それに私は、うわさなんて怖くないよ。望くんがいてくれたら。でももし望くんの傷つくことがあったら、全力で守りたい。
竹林さんにも、夏休みに一度望くんと会いに行った。
竹林さんのあのとき着ていたのは藤咲高校の制服だったみたい。
望くんが見つかったときに一度連絡はしたけど、直接はお礼を言えていなかったから会えてよかった。
二人の誤解も解けたみたいで、私もうれしい気持ちになる。
「ありがとう、鳥越さん。またこうやって望と話すことが出来たのは、鳥越さんのおかけだよ」
そう言って竹林さんはほほえんでいた。
私のおかげなんて少し大げさな気もするけど、「ありがとうございます」とお礼を言っておいた。
そういえば、望くんは、流星くんたちと一緒に住むことになったんだ。
あの家はもともと望くんたちの父方の祖父母に当たる人のお家みたいで、離婚されてからは流星くんは四人で住んでいたみたい。
望くんがあの家に行ったことがなかったのは、望くんのお母さんが望くんのお父さんと結婚するときに、祖父母の方と言い争いをして不仲になってしまったからだという話だ。
もう一緒には住めないけど、遠くにいるわけじゃないし、行方が分からないわけでもない。
そう思うと、心が少し軽くなる。
でもやっぱり、寂しい気持ちはほんのちょっとだけあるけど。
藤咲市にある望くんのアパートは、売り払わずそのままにしておくことになったみたいと望くんから聞いた。
「翼と母さんが、いつでも帰ってこれるように」と。
だから私たちは二人で毎週末藤咲市のアパートに行って、荷物の整理をしたり片付けをしたりしている。
このことは、私からやりたいと申し出たことだった。
望くんはあっさりと承諾してくれ、私にとって藤咲市に行くのは小さな楽しみだったりする。
小さいころの望くんの写真とかも見れて、新鮮な気持ちだ。
友達作りは苦手なはずなのに流星くんとはけっこう話すことができてうれしい。そうして、月日は流れていき—―—。
1月14日。
積もらないほどのさらさらとした雪の降る、寒い夕方のことだった。
望くんと下校していたとき。
望くんのもとへ、一本の電話が入った。
電話に出た望くんの顔は、一瞬にして驚きに変わる。
どうしたんだろう。なにか、あったのかな。
そう思っていると、ずいぶん早く電話が切れた。
望くんが、小さな声でつぶやく。
「……翼の意識が、回復したって。今、父さんから電話が」
「え、ほ、本当に?」
とつぜんのことにびっくりして、心臓の音が速くなる。
望くんからは、もう翼さんの目覚める可能性は低いって聞いていた。
だけど。
「……走ってもいいか、映茉」
「……私も、行っていいのなら」
「むしろ、来てほしいくらい」
私は腕に抱えていたふわふわの白いマフラーをしっかりと巻く。落ちないようにと。
望くんが、私の右手をぎゅっと強く掴んだ。
離さないように。
「お、お願いします」
「分かった。ありがとう」
そう返事が返ってきた途端、足が勝手に動くみたいに走り出した。
私は、それはもうとんでもなく足が遅い。
だけど望くんと走れば、移り変わる風景は速くなる。
冬なのに握る手は暖かかった。
病院についたときにはもう、流星くんたち家族がいた。
息が切れ切れで辛い。望くんが背中をさすって心配してくれたけど、私は大丈夫だといった。
強がりじゃない。私なりの、意思だ。
その後、みんなで翼さんの病室に入った。
今は目を閉じていて、眠っているらしい。
ゆっくりと、流星くんがベッドに近づく。
「兄ちゃん、兄ちゃん……っ!」
流星くんは涙を含んだ声で小さく叫ぶ。
おそるおそるというふうに、翼さんの身体にそっと触れた。
「あっ……」
流星くんが小さく声を漏らす。
……翼さんが、目を開けたのだ。
「……うっ、兄ちゃん、兄ちゃん……!」
部屋の中では、流星くんの静かな泣き声と、流星くんのお父さんの鼻をすする音だけが聞こえる。
しばらく、五分くらいたったとき、翼さんの身体が動いた。
ゆっくりとその左手が持ち上げられ、翼さんをまっすぐ見つめる流星くんの頬に手のひらを当てる。
そして、かすれる声でこんなことを言った。
「泣かないで……。泣いたら、そのかわいい顔が台無しだよ……」
どこかで聞いたことのある言葉だった。思い出されるのは、望くんと出会ったあの日のこと。
泣いている私の頬に触れて望くんが呟いた言葉と同じだった。
ふいに、繋がれたままの右手が強く握られる。
見上げると、翼さんのほうを向きながら、望くんは涙を流していた。
私は視線を戻す。
「……翼、ごめん、ごめん……。でも…………ありがとう」
—――そして春。
無事に私たちは二年生へ進級できた。翼さんはリハビリが終わって退院し、学校にも4月から通いなおすらしい。でも復帰となるとやっぱり二年生からになってしまうみたいだけど。
流星くんも無事に受験に合格して、その高校がなんと……。
「同じ高校ですみませんね」
「流星くんも北田高校だったんだ……!」
目の前には、真新しい北田高校の制服を着る流星くんの姿。さっき入学式が終わったばかりで、胸元にはお花が付いている。入学式には私たち在校生も出席したんだ。
そして、流星くんの隣には……。
「君が、望の彼女さん?よろしくね!」
退院後の翼さんもいる。翼さんと話すのは初めてなんだけど、とてもフレンドリーで優しそうだった。
望くんの話に聞いていた通り。
私はちょっと引きで見てみるけど、3人並ぶと圧巻だ。さすが兄弟。こう見ると、翼さんと望くんは身長が同じくらいで、流星くんは二人よりも五センチくらい低い。新しい発見って、なんだかわくわくする。
「2年6組鳥越映茉です。よろしくお願いします」
「そんな、別に敬語じゃなくても。これから実質同い年?みたいなわけだし!気軽に頑張ろう!な、望!」
「……」
「望ー?」
翼さんが望くんの顔を覗き込む。さっきから望くんは機嫌が悪いみたい。なんかあったのかな、と心配していたんだけど。
「あー、たぶん気にしなくて良いと思う」
「え?」
流星くんがそんなことを言い出したので、私は首を傾げる。
「こいつ多分、あんたと同じクラスじゃなかったからショック受けてるとかそんな感じだろ」
「お前言うなよ」
気が付くと、いつのまにか望くんは流星くんのことを睨んでいた。
「しかも映茉、翼とクラス一緒だろ」
そういえば、そうだった気がする。
「私もクラスが離れて悲しいから、毎日遊びに行くよ。5組なら隣のクラスだし、近いね」
といえば、望くんは「そうだな」と返事をし、ふわっと微笑んだ。
1年前だったら、信じられない光景だ。
家族以外の親しい人ができて、こうやって今何気ない話をしていることが。
なにより、自分に自信が持てた。好きなことを認めてくれる人がいるから、“好き”だっていう気持ちをまた信じられるようになった。
校庭には、桜の花びらが舞っている。今年は暖かいから、開花が早かったみたいだ。
きらめく太陽の輝きと花びらが重なり、私たちを照らしてくれている。そんな気がした。
「映茉ー。白岩がきたぞー」
「はーい!」
一階から晃成くんの声が聞こえ、返事をしながらあわてて階段を降りる。
「ありがとう、晃成くん」
「いいから。早く行ってやれよ」
インターホンの前に立っていた晃成くんは、パリッとした黒いスーツを着ている。
今年の春に大学四年生になった晃成くんは、本格的に就職活動をしているみたい。
「うん。ありがとう……!」
「ああ」
晃成くんに見送られながら、私は玄関のドアを開けた。
その瞬間、春の風が舞い込んでくる。
「……望くん」
扉の先には、私の大切で大好きな、望くんの姿があった。
「映茉、おはよ」
「お、おはようございます……」
付き合ってもうすぐ8か月ほどになるけど、いまだにこの望くんのまっすぐな視線には耐えられない。
頬がほんのり紅潮していくのがわかり、恥ずかしくなる。
すると右手をひっぱられながら、望くんによって扉が閉められてしまった。
「映茉、かわいい」
「へあ……っ。うむっ」
とたん甘く唇を押し当てられ、不可抗力で変な声が出る。
望くん、ここ家の前なのに。
と思ったのも一瞬で、気が付いたときには唇は離れていた。
「顔真っ赤」
「あの、あんまり指摘しないでいただけるとうれしく思います……」
顔を隠すように覆った両手をさらりと離され、そのまま左手をぎゅっと握られる。
「桜、見に行くんだろ」
「うん......!楽しみだなぁ」
中旬の4月15日。今日は、あの原っぱへ桜を見に行く約束をしていた。
望くんは原っぱから近いのにここまで私を迎えに来てくれる。
そんな、ささいなことが私にとってはうれしい。
淡いクリーム色のカーディガンを羽織って、望くんと歩き出す。
外は、春の気配でいっぱいだった。
柔らかく吹く暖かい風。さわさわと揺れる木々。優雅な鳥のさえずり。
「私、朝が好きなんだ。春も。新しいことや何かが始まる予感がして、わくわくするんだ」
「……俺も。映茉のおかげで、好きになれた」
「そっかぁ」
なんだか、心がぽかぽかする。
ちらりと横を見上げてみれば、望くんが微笑んでいた。
つられて、私も笑顔になる。
こんな毎日が、ずっと続いたらなと思う。
でも続けるには、その想いと努力が必要なんだって、私は知っている。
「わあっ、すごい!」
原っぱへ繋がる森に囲まれた細い道を抜けると、視界が開ける。
目の前には、たくさんの満開の桜があった。
いつもの緑の足元は、ピンク色でいっぱい。
まるで桜の雨みたいに、ひらひらと花びらが降ってくる。
「映茉、楽しそうだな」
「あはは。ごめんね、私ばっかりはしゃいじゃって……。というか、望くんは近くだからいつも見てるのに、さそっちゃったりして申し訳ないよ」
私が謝ると、望くんが私に近づいて優しく抱きしめてくれる。
「一人で見るのと映茉と一緒に見るのとじゃ、全然違うし」
「そうかなぁ。でも、私、望くんと見られてうれしいよ」
そっと望くんの腰に手を回す。
暖かくて、幸せだ。
「俺も。映茉と見られて、うれしい」
私たちはしばらくしてから、腰に手を回したままゆっくりと離れる。
大切で、大好きな人が隣にいてくれる。
それは奇跡。そしてこれ以上ないほどの幸せ。
「映茉」
「どうしたの?望くん」
「もし、俺たちに翼が生えてて、それが飛べないくらい折れていたとしたら。映茉ならどうするのか、聞きたいと思って」
真剣な色をした瞳が、私の目をまっすぐ見つめる。
……もし、翼が生えていて。
空も飛べないくらい、折れていたとしたら。
「……私なら、飛べるまで何度も挑戦するかな。たとえ飛べなくても、諦めずに頑張る。それに、私には望くんがいるから、どんなに不可能なことでも出来る気がするよ」
私は笑ってそう答える。
望くんは、私を何倍にも強くしてくれる。自分に、自信を持てる。
飛べるから飛ぶんじゃなくて、飛びたいから飛ぶ。
私はその強い意思を、望くんに教えてもらった。
「俺も、映茉がいたら、なんでも出来る気がする。どこにだって、行けると思う。だから、ずっと隣にいて」
「私で良ければ、もちろんだよ」
互いに視線が交わる。
望くんが、柔らかく目を細めて微笑んだ。
うれしくて、幸せで、自然と頬が緩む。
「映茉。好きだ」
「私も、望くんが好きだよ」
私たちはゆっくりと唇を重ねる。
優しくて、甘い。
愛しい、幸せ。
春の風が、私たちを包む。
桜の花びらが、まるで応援してくれているみたいだ。
望くんと、これからもずっと一緒に、幸せでいられますように。
その願いを叶えるために、私はどこまでも前に進みたい。
望くんの隣で、一緒に。
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