第4話 責任の夜

夕飯を食べ終わって、私は白岩くんに家を案内することにした。

白岩くんは一人で暮らしているみたいで、それならなおさら心配ということになり、とりあえず三週間はうちで暮らすことになった。

気持ちよく生活してもらうために私もできることはやりたい。

といっても、これくらいしかできることなんてないけど。


まずは一階のリビングとダイニング、キッチン、和室と客間、お手洗いを簡単に紹介してみる。

うちはリビングとダイニングとキッチンが同じ部屋にある1LDKで、一通り見渡せば大体は配置がわかる。


玄関から廊下が伸びていて、その途中に和室と客間、お風呂とお手洗いがある。そしてその突き当たりにあるのが1LDKのお部屋。


その部屋のドアの前に二階にあがる階段があるのだ。

私たちはその階段をのぼって、白岩くんの泊まるお部屋まで案内する。右側、階段手前から三つ目。


「ここです。あの、入ってみましょう」


ドアには、『ゆうたろーのへや』と書かれたプレートがかかっている。

ほんとうにそのままなんだな、と思いながら私はドアノブに手をかけた。


「……え」


触った瞬間ふわっとした感触がして右の手のひらを見てみると、見事にほこりがたっぷりとついていた。

じっと、後ろから視線を感じる。

そして今まさに、手のひらを見られているような気がしてならない。

こんなほこりだらけの部屋に泊まらせるのかって、絶対思われてる……!


たちまち背中に冷や汗が流れる。


「この部屋は、もう何年も使われていなくてっ……!」


必死に弁解しようとするけど、言ってる途中で、その言葉が火に油を注ぐような行為だって気づいてしまった。


後ろで、微かに息を吸う音がした。絶対何か言われる。こんなことなら、日ごろから部屋を掃除しておけばよかった。

なんて考えても遅く、私は次の言葉に身構えるしかない。


「優太郎って、誰」


……しかし、白岩くんから出てきたのは、予想外の言葉だった。

え、優太郎は誰って……。


「え、あ、優太郎くん、ですか?」

「だから、そうだけど」


おそるおそる後ろを振り返ると、白岩くんは表情筋を一切動かす気配もなく私を見ていた。

そのきれいな瞳に見つめられていると、なんだか恥ずかしい気持ちになってくる。


「えっと、優太郎くんは、私の叔父に当たる人です。六年ほど前までここに住んでいたんですけど大学を卒業してからここを出て、今は社会人です」



えっと、一応詳しく説明しておくと……。

鳥越祥太郎とりごえしょうたろう。これが、お父さんの名前。晃成くんはお父さんの弟で、優太郎くんもお父さんの弟。

正確には、お父さん(祥太郎)が長男、優太郎くんが三男、晃成くんが四男、つまり末っ子となる。

本当はちゃんと次男もいるけれど、今は省かせてください。


優太郎くんは現在28歳。大学を卒業するまではこの家に住んでいたけれど、在学中に就職先を見つけて卒業と同時に家を出てしまった。何回かは会っているけれど、仕事が忙しいみたいでここに泊まることはなく、部屋もそのままというわけだ。


もう一人、晃成くん。晃成くんは現在21歳で大学三年生。今ここに住んでいて、昔から私はよく遊んでもらっていて、お兄ちゃんみたいな存在。……実際は、叔父なのだけれど。


「叔父は、あの晃成って人じゃないのか」

「こ、晃成くんも、優太郎くんも私の叔父になります。話がわかりにくくてすみません。自分でもそう思います……」



うまく説明できている気がしなくて、思わず下を向いてしまう。まさか、こんなところで今まで放っておいたコミュニケ―ション能力が必要になるなんて。

ちゃんと、もっと人と話せるように練習しておけばよかった……。


少し落ち込む私の気持ちを知ってか知らずか、特になにも触れることはなく白岩くんはガチャリとドアを開けてしまった。


「うっ……」



その瞬間、私は思わずうろたえてしまう。

これ、ほんとに掃除してない……!

ほこりのかび臭い匂いが部屋に充満しきっていて、目は今にも乾いてしまいそうだ。


「とりあえず、電気つけるぞ」


暗い中、白岩くんが手探りで電気のスイッチを探してくれ、すぐにパチッと音がした。

反射的につぶっていた目を開けてみる。



「あ……」


驚きのあまり声を漏らす。

だって、あるはずのベッドや机がないんだもの。

いや、正確には、見えないというか……。


「部屋、なのか、ここ」

「た、多分……」


白岩くんに、とても申し訳ない気持ちがわいてくる。



元・優太郎くんの部屋は、乱雑に置かれたもので溢れかえっていた。

古びれた大量の服や木が腐ってしまっている棚、壊れかけたゴルフクラブなどなど……。ゴミとか細かいものはなにもないみたいだけど、ざっと見渡すとそんな感じだ。


というかお母さん、優太郎くんが出て行ったときのままにしてあるって言ってなかったっけ?



「映茉、俺……」

「わっ、私、ちょっとお母さんに聞いてきます!白岩くんは私の部屋で待っていてくださいっ!」


電気をつけたまま私は部屋を後にし、急いで階段を降りる。

白岩くんを一人にしてきて、胸に罪悪感がわく。


……一緒に暮らすのは私が決めたことだから。

私が、どうにかしなきゃならない。



今まで責任とは無縁に生きてきた。

昔から人付き合いが苦手で、誰かと関わることで相手も私も苦しくなってしまうのならって遠ざけてきた。


わかってる。……ずっと前から、私はそんな自分が嫌いなんだ。






一階に降りてみるとお母さんはいなくて、ソファに寝っ転がってスマホを見ていた晃成くんがいた。

邪魔して申し訳ない気持ちを抱えつつも、とりあえず晃成くんに話しかけ、簡潔に事情を説明する。

そしたら晃成くんは身体を起こして座り直してから、思いがけない言葉を口にした。


「それ、いろいろ置いたの兄貴だよ。ひかるのほう」

「え?」



光さんが、あの部屋に荷物を置いたってこと?

光さんは、言う通り晃成くんのお兄さん。つまり私の叔父。

今はたしか36歳で、男女一人ずつ幼稚園児のお子さんがいた気がする。

でも光さんたち家族はここに住んでいるわけではなく、隣の市に住んでるけど……。



「光兄ちゃんって昔から収集癖っつうか、ものとか捨てらんない人なんだよねー。そんで、自分たちの住んでるマンションの物置に入らなくなったから空いてる優太郎の部屋に置かせてほしいって言ってきたんだよ」



それなら納得……とは、ならないような気もするけれど……。

とりあえず、原因が分かってよかった。


「物置にしてんのバレたくないからって、外出中狙って置きに来たらしくて。例えば、映茉たちが旅行行ってるときとかさ。最後に来たのは半年前とかだったか」

「そう、なんだ……。あの部屋って、勝手に片づけちゃだめだよね。やっぱり」


光さんのものとなると、勝手に捨てるわけにいかなくなる。本人には今すぐ会えるわけじゃないし……。

でもそうすると、白岩くんの泊まる部屋がなくなってしまう。

白岩くんが夕飯前に寝ていた布団だけでなく、来客用の寝泊りセットくらいはいくつかある。


だけど私たちのような一般家庭の家に来客部屋は当然ながら、ない。

というか、どこの家もないんじゃないかな。


ど、どうしよう……!


頭を抱えながらしばらく考え込んでいると、後ろのほうから声が聞こえた。


「あれ、映茉ちゃんに晃成くん。なんの話してたの?」

「あ、お母さん」


短いショートの髪をタオルで拭きながら、パジャマ姿で脱衣所からお母さんが姿を表した。

どうやら、お風呂に入っていたみたい。


「いや、なんか、優太郎の部屋が汚いらしくてさ」


と、若干あきれたような様子で説明する晃成くん。

え、それ、光さんに黙っといてって言われてたんじゃないのかな?

予想外の言葉に私はびっくりして思わず晃成くんを見てしまう。


すると、一瞬私と目が合った晃成くんは、ペロッと舌を出してみせた。

まるで、その様子を楽しんでるいたずらっ子みたいだ。


「えー、そうなの。それじゃあ、今夜は白岩くん泊まれないわねぇ」


そして次の瞬間、お母さんがまたまたとんでもないことを言い出した。


「それなら、映茉ちゃんの部屋に泊まってもらいましょう!」





お母さんの言っていた通り、白岩くんは掃除が終わるまで私の部屋に泊まることとなった。

お父さんにも事情を説明すると、怒った様子でその場で光さんに電話をかけて。

それでなんと、優太郎くんのお部屋にある光さんのものは全て処分が決定してしまった。


なんだか申し訳ない気持ちがわいてくる。だって、もともと秘密だって晃成くんに言っていたわけだし、だましていたような気持ちになるのだ。

会ったときにちゃんと謝ろう。電話じゃなくて直接。


とりあえず泊まるのは私の部屋ってことになったけど、掃除はなるべく早く終わらせておきたい。

だって、白岩くんに申し訳ない。私と一緒なんて。


「まだ、こんな時間……」


部屋の時計を見上げると、針は9時10分を指していた。

今日は先にお風呂に入ってしまったし、特にやることも思いつかない。

ちなみに今白岩くんはお手洗いに行っていて、ついでに歯磨きもしてくると言ってからまだ戻ってきていない。


こうも静かだと、チクタクと細かく秒針を刻む音が耳に入ってきて落ち着かない。

早く、帰ってこないかな……。

ベッドに腰をかけながら不覚にもそんなことを考えながらぼんやりしていると、コンコンとドアを叩く音がした。

白岩くんかな。はーいと返事をすると、ガチャリとドアノブが回る。


「入るね、映茉ちゃん」

「あ、お母さん……」


ドアからのぞいた顔は、白岩くんじゃなかった。

だけど、一人でこのままぼーっとしているのも退屈だったから来てくれてよかった。

お母さんは、私の制服を腕に抱えていた。


「ごめんね、お母さん」


立ち上がり、私は制服を受け取る。

実は、雨に濡れていた制服を乾かしていたのだ。元がびしょびしょだったからまだ少し湿っているけれど、明日には乾いているだろう。


「いいのよ。それより、白岩くんはどうしたの?」

「白岩くんは、今一階にいるの。多分洗面所で歯磨きしてる」


そう答えると、お母さんは困ったように眉をひそめた。

なにか、用事でもあったのかな。

制服をハンガーで壁にかけながら、聞いてみる。


「いや、用事があったっていうか。白岩くんのことで、ちょっと映茉ちゃんに話をしておきたくて」


「え、白岩くんのこと……?」



……やっぱり、よく思われてないのかな。

白岩くんのことは名前と年齢しか分からないし、家がどこにあるのかとか、一人暮らしといっても家族はどうしているのかとかがまったく分からない。

それに、どうしてあんなひどい怪我をしていたのかも。

白岩くん自身が話す気配もなかったし、なにより、話したくなさそうに見えた。


無理に深入りするのもよくないし……。

ぎゅっと、パジャマのズボンの生地を握りしめる。




「……お母さん、心配なのよ。白岩くんのことが」

「……え?」



お母さんから出てきたのは、まったく別のものだった。

白岩くんが……心配。そう、思ってたんだ。

手の力を緩めて、視線を少し上へ持っていく。



「高校生となると多感な時期だし、さっき出会ったばかりの赤の他人にあれこれ話せるわけでもないし。聞くべきじゃないって、お母さんも分かってるから」


私の頭を、そっと優しくなでてくれる。優しすぎて、逆に涙が出てきそうだった。


「……大丈夫。みんな、あれでもちゃんと解ってくれてるよ。もちろん、晃成くんだって。映茉ちゃんのことも白岩くんのことも、信頼してるのよ」


なでる手が、心地いい。暖かい気持ちだ。


お母さんやお父さん、おじいちゃんにおばあちゃん、晃成くん。

こんな私でも信じてくれている。事がうまく運ばなくたって、みんなが私を責めないことは分かっている。

だけど、それに甘えてちゃだめだってことも、分かってる。


だから、これからの約束された三週間。

私は、私らしく過ごすんだ。白岩くんと。



白岩くんはベッドに寝てもらおうかと思ったけど、断られてしまったので私がベッドに寝ることになった。

そのすぐ下に新しい来客用の布団を敷いてある。


「じゃあ、電気消しますね」


時刻は10時過ぎ。寝るにはまだ少し早い気もするけど、今日はたくさん雨に濡れたから、多く身体を休めないと。

私は少し落ち着かない気持ちのまま、眠りについた。

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