第13話 私の想い

「え、す、すごいっ!」



その日の夜。望くんはさっそく試験対策のための勉強をしていた。

今度は私が!と思い、冷たいお茶を持って元優太郎くんで現望くんのになっている部屋に入った。

なんとなく目に入った問題を解いたであろうノートは、丸ばかり。


「教科書と問題集、ありがと。あとお茶も」

「ううん、それは全然いいんだけど……。もしかして望くん、中学のころ成績良かったの?」


じゃなきゃ、やってないはずの高校の範囲をこんなに簡単に理解するなんてできないと思う。

というか、授業を受けているはずの私とは比べ物にならないくらい出来てる……。


「……それは、まあまあっつうか。てかあんま、覚えてない」


望くん、これは“覚えてない”じゃ説明できないよ。

でもこのままいけば、普通に平均点以上は取れちゃうんじゃないかな。


「とりあえず、今日含めてあと6日間。頑張ろうね!私も、頑張るよ」

「ああ」


望くんの返事を聞いて、私もやる気が出てくる。

大きなテストは進路にかかわってくるから、今回はせめて全教科平均は取りたいけど。

無理な気がするのは、なぜでしょうか。


いつもどおり生物はバッチリなんだけど、英語や数学があやうい……。

でも、望くんも頑張っているし、応援している私ができないのはおかしいもんね。

よし、このあともやろう。


私はあいさつしてから望くんの部屋を出て、自分の部屋へ勉強の続きをしに戻った。





そしてテスト前日の日曜日、午後9時半のこと。


「あれ、望くん、まだ帰ってきてない?」


私は勉強を中断して一階に降り、キッチンで洗い物をしていたお母さんにそう問う。

実は、8時半過ぎくらいにコンビニへ行くと言って家を出て行った望くんが、まだ帰ってきていなかった。

お母さんは顔をあげる。


「帰ってきてないよ。お母さん、出かけるところは見たけど」


う〜んとうなるお母さんを横目に、私はどきりとする。

……なんだか、嫌な予感がする。

だって、家を出てから1時間も経っている。どう考えてもおかしい。


「わ、私もちょっとコンビニ行ってくるねっ!」

「あっ、ちょっと、映茉ちゃん!」


お母さんの止める声を振り切って、私は玄関へ向かい靴を履いて家を出た。


……こんなこと、初めてだ。

一人で、しかも夜の街なんて。

初めてお母さんに反抗してしまった。

これが反抗っていうのかは、分からないけど。でも。


“望くんが心配だから”


たった一つの理由で、私はこんなにも大胆になれるんだって初めて気が付いた。

とりあえず、家から一番近いコンビニまで走っていく。

いつの間にか夏になってしまった夜の空には、星が瞬いていた。




とりあえず例のコンビニに入ってみたけど、望くんの姿は見当たらない。

よくよく考えてみれば、一時間も家の近くのコンビニで時間つぶしてるわけないか……。

あと、望くんの行きそうなところといえば。


考えてみるけど、なかなか思いつかない。

……私、望くんのこと、何にも知らないんだ。

なのに、望くんのことが大切な人だって思ってて。自分が恥ずかしい。


……とりあえず、学校。学校に、行ってみよう。

ここからならいつもの通学路じゃなくて別の道からのほうが近い。

私はそう思い、止めていた足をまた動かした。


「……いない、かあ」


学校の正門まで来てみたけど、誰もいない。

というか、人がいるかいないかも判別できないくらい暗い。

街灯と足音でなんとか分かるほどに。


普段走らないからか、息切れがすごくて呼吸がうまくできない。

でもここにいないのなら、望くんはどこにいるだろう。


……もしかして、藤咲ふじさき市?

私はふと思いついた。

藤咲市は、望くんの出身中学があるところ。

公立校なら、きっと望くんの家もそこにあるはず。


でも、望くんの荷物はほとんど私の家においたまま。だから、たぶん違う気がする。

……いったん、家に帰って頭を冷やそう。

意外に家に帰ったら、望くんがいるかもしれない。


というかむしろ、そうであってほしい。



私はその場で十分に息を整えてから、今度は歩き出した。

帰りはいつもの通学路を通っていこう。


歩きながら、思い出す。

望くんと、初めてあった日のこと。

ちょうど目の前に、あの日に行ったコンビニが現れた。

ここで買った絆創膏の箱、結局雨でびしょびしょになってたけど。


それで、この先の細い裏路地に望くんがいて———。



ダンッ!



……なに、今の音。

裏路地の方から、確かに音が聞こえた。

なにか、あったのかな。


ひっぱられるかのように無意識に走り出した。

裏路地に入り、息を整えながら歩く。


…………え。


10mほど歩いたところで、思わず私は足を止める。


狭くても、暗くても街灯がなくても、分かる。



「の、ぞむ、くん……!」



私は絞り出すように声をあげる。

高い塀にうなだれてもたれるように座り込んでいたのは、まぎれもなく望くんだった。気絶してるみたい。

私はそばにしゃがみ込む。俯いていて、どんな顔をしているかまでは分からない。だけど。


……望くんは、怪我をしていた。


でも、転んだとかそんな軽いものじゃなくて。あの日と———。いやあの日よりもずっとひどい怪我だ。



「どうして、こんな……」



なんだか、泣いてしまいそうだった。

泣いてる場合じゃ、ないのに。



「なんだよお前。そいつの彼女?」


とつぜん、近くからそんな声が聞こえてきた。

声色がするどくて、思わず身体が震える。


声のするほうへ向くと、高校生くらいの男の子が五人ほどいて、こちらを見下ろしていた。

その視線が怖くて、びくっと震える。なんだろう、この人たち……。



「ふーん。じゃ、そこの彼女ちゃん。……そのまま、黙って見てなよ」



五人のうち一人がそう言い、一歩前に出る。

“見てなよ”って、まさか。

また、嫌な予感がした。この人たち、望くんになにを—————。


するりとさっきの人がまた近づいたかと思うと。



ドンッ!!



思わず、耳を両手で塞いで目を閉じる。



「の、望くんっ!」



一瞬のことで、分からなかった。

私は急いで駆け寄り、殴られた場所に触れる。


「ねえ、どうだった?今、君の“望くん”が傷付けられて、悲しいでしょ」


殴った人が私に顔を近づけて、にやりと笑う。私は反射的に視線を外す。

どうして、人を傷つけてそんなふうに楽しくいられるのだろう。


……ああ、分かった。


この人たちにとって、“白岩望”は大切じゃないから。気に食わないから。たぶんそんな理由。

でも、それなら傷つけていいってことになるのかな。……ううん、ならないと思う。



「無視すんじゃねえよ。あんたのことなんて、俺が一発やればどうにでもなっちまうぜ?」


「……それなら、そうしてください」



私は、下を向いていた顔をゆっくり上げる。暗闇にだんだん慣れてきた。

自分の声が、震えているのが分かる。


……望くんのことが大切だから。傷付けられるなら、私が代わりになる。



——————私は、望くんのことが好きだから。




「ふーん。生意気な野郎は彼女も生意気ってかよ」


今もまだ、望くんの様子は変わらない。


……本当は、すごく怖い。

恐怖で心臓がどきどきしててたまらない。

でも、これが望くんを守る方法なら。


私は、頑張れる。



「最初はおいしくいただいちゃおーかなって思ってたけど、変更。……仲良くそのまま、消えてくださーい」



ずっと立っていた他の四人もこちらに近づいてくる。

そのうち二人が私の後ろに回り込んだ。


お父さん、お母さん、おじいちゃんにおばあちゃん、晃成くんたち。

……ほんとうにごめんなさい。

私、みんなになにもできなかった。


あれ、これじゃ私ほんとに死んじゃうみたいだよ。でも実際、どうなっちゃうんだろう。


「ごめんねえ。だけど、逆らったほうが悪いから」


声が、脳に響く。

目の前で拳を握りしめるその音が、聞こえるようだった。

ああ、ほんとにやられちゃうんだ。そう思うと、急に冷静になって涙が出てきそうだった。


硬く握られた拳は、まるでスロー再生みたいにゆっくりと近づいて見える。

目は、閉じたほうがいいかな。そうしたほうが痛くなさそう。


私は覚悟して固く目を閉じる。




—————なのに、いつまで経っても身体のどこにも痛みはこない。



おかしい、そう思って怖くて震えるまぶたをおそるおそる持ち上げる。

すると、拳は目の前で止まっていた。いや、止められていた。


……傷だらけの、大きな手によって。



「…………映茉に指一本でも触れたら、死んでも俺が許さない」



聞きなれているはずなのに、いつもよりずっと低い声。

つ、と右目から、溢れないようにと溜めていた涙が零れ落ちた。


「は、なんだよお前。それでカッコつけてるつもりかよ。死ぬ間際のお前に去勢されるほど、俺は弱くないんですけど」


そう言う表情からはもうさっきの余裕の笑みはなかった。

すると、拳を下ろして望くんの胸倉を掴んだ。


「……っ!」


声にならない音が、夏の空気をかすめる。

望くんも手を下ろすけど、うつむいたまま抵抗しない。


もう、やめてほしい。これ以上、傷ついてほしくないよ。誰にも。



「お前のそのスカした態度。それが一番気に入らねーんだよ!」


さっきと同じ拳が望くんのお腹めがけて握られる。

このままじゃ、結局望くんのことを守れない。


体当たりでもすれば止まるだろうか。いや、するじゃない。やるんだ。

そう思ったとき。




「あれ、夜なのにずいぶん騒がしいなあ」



とつぜん、この狭い裏路地の入口のほうから声が聞こえてきた。

それも、聞きなれた声。


警戒したのか、全員の動きが止まる。

ぱっと、ずっと暗かったこの場所に明かりがさした。人工的な、光。


そして、その光の中から現れたのは。



「晃成、くん……」



全員がそちらに注目する。

ライトのついたスマホを胸元で掲げながら、声の主は余裕の笑みを浮かべた。


うそ、どうして、晃成くんがここに。

目の前にいるのは、まぎれもなく私の叔父だった。


「……あ?なんだよおにーさん。邪魔すんな」


興味が晃成くんに移ったのか、あっさりと望くんから手を離した。

私は急いで倒れそうになった望くんを支える。


「これ、暴力だよね。それで、このおにーさん、君たちのやってたこと、全部撮影してたんだけど」

「……っ」


殴ろうとしてた人が、息を飲むのが分かる。


晃成くんが、スマホの画面をこちらに向けた。

暗くてよく見えないけど、ちらちらとなにか動いているのが見える。

晃成くんはポケットにスマホをしまい、口を開いた。


「と、いうわけで、この動画を電子の海にばらまかれたくなかったら、正直に警察に引き渡されることだな。ちなみにもう、呼んであるから」

「……そんな、でたらめ、通用するわけないだろ」

「いや、でたらめじゃないんだよな。なんなら、もうすぐ着くんじゃないか?」


晃成くんがそう言った瞬間、たしかに遠くのほうでパトカーと救急車のサイレンが同時に聞こえてきた。

サイレンはだんだん近づいてきて、まるで本当にこっちに向かっているみたい。


「やばいんじゃないか、これ」

「おいお前ら、逃げるぞ!」


私の後ろにいた人たちがそう言って立ち上がり、五人はあわてたように走り出し、暗闇に消えていった。


……あれ、終わった?

とたんに力が抜けて、身体が重くなる。



「映茉……あとはよろしくな。救急車も呼んであるから」


晃成くんの優しさがうれしくて、胸にしみる。



「ごめんなさい。……それから、ありがとう」

「ああ」


晃成くんはそのまま走ってパトカーのサイレンが鳴るほうへ走って行ってしまった。

私はその背中を見届けてから、目の前にいる望くんへ向き直る。

ちゃんと見れば見るほど、本当にひどい怪我だ。


あの人たちの様子を見てみると、望くんはやり返したりはしてないみたい。


「望くん……」


私は少し戸惑いながら、傷ついたその身体を優しく抱きしめた。

……傷、触れても、痛くないかな。

意識を失っているのか、もたれる身体が重い。


「のぞむく、望くん……っ」


もう一度名前を呼んだとき、明るい光であたり一帯が照らされた。

晃成くんのスマホの光じゃなく、もっと大きくて赤い。


……救急車だ。



ざわざわと辺りが騒がしくなる。私は望くんの身体から離れた。

救急車から人が降りて、こっちに向かってくるのが分かる。


そしてあっという間に救急隊員によってストレッチャーに乗せられて、運ばれていった。

私はそのあとを邪魔にならないように追いかける。

足を止めた先は、救急車の目の前。


「知り合いですか。可能であれば同乗願います」


救急隊員の人が私のほうを見て尋ねる。

私は、望くんの家族でもなければ、友人かどうかも怪しい。

……だけど、大切だってことは嘘じゃないから。


「……はい、分かりました」


私は返事をして、救急車に乗り込む。

そのあと、バタンとバックドアが閉められた。

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