第10話 期末テスト

「さあ、今日から一学期期末考査二週間前になるな。決してさぼったりしないように!赤点対象者はテスト後補修があるぞー」


先生が大きな声で言うと、教室中が騒がしくなった。


「テストやだー」

「俺もう諦めたー」

「やりたくねー」


この土日が終わったらテスト期間に入ることを、私はすっかり忘れていた。


いろいろあってなんだか夢の中の出来事みたいだったあの土曜日があっても、過ぎてしまえば思い出となってしまう。

望んでいなくても、現実はやってきてしまうのだ。


学校では、中間テストの範囲の紙が配られた。なかなかに広い。これはちゃんとやらないとだめなやつだ……。


私は頭がいいほうではないけど、毎回赤点ギリギリってわけでもない。

好きだからか生物の勉強はすごくやる気が出るのに、他の教科はもちろん同じ理科でも今回範囲の科学は全然だめだと思うし。中学生のころからテスト期間はいつも憂鬱だ。


「やだー。だりいよ」


隣の席の男の子が愚痴をこぼしながら、椅子を揺らして天井を見上げている。

その前の男の子がその姿勢を面白がって、お腹にシャーペンの芯を差す。


「いってえ!」

「こら、静かにしろっ!」


こっちに向かって大声を出したのは担任の山川先生。厳しいし豪快なところがあるけど、情に厚い。


「こいつがいたずらしてきたんだよ!」

「大声を出したのはお前だろう!」


先生がそう言うと、クラス中が笑い出した。


……こういうのだったら全然大丈夫なのに、誰かと面と向かって話すとなると口ごもってしまう。もうこれは昔からの癖になってしまった。

でもせめて、自分に嘘はつきたくない。



その日帰ってから、私は机の上にテキストと教科書を広げた。

今日は徹底的に数学Ⅰの勉強だ。二時間やったら、次は地理の勉強。

昔、勉強するなら理数系と文系を交互にやったほうがいいって。勉強する要素が少しでも変われば、同じ勉強でも気分転換になったりするらしい。

でも勉強の気分転換を勉強っていうのはなんだかなあと思いながら、シャーペンを手に取った。



夜の11時くらいには今日分のテスト勉強が終わり、ほっと溜息をつく。

全力でやらないとまずいって訳ではないけれど、テスト期間ってなると急に焦りだしてやってしまう。

勉強することは別に悪いことじゃないから罪悪感とかはないけれど、なんだかいやな気持ちでやってもなあと思う。


今さっきまで時間も気にせずやっていたというのに、終わった瞬間急に勉強がつまらなく思えてきてしまった。

自分のことを飽きっぽい性格だなとまでは思わないけれど、なんとなくそういう所はあるのかもしれない。


そういえば、望くんのところはテストがあったりするんだろうか。

テストがない高校なんてありえないだろうし、多分あるのだろうけれど。

望くんのことについて、私はまだなにも聞けていない。


漫画やドラマの登場人物みたいに「ほら、まったく知らない人に話すといいっていうでしょ」なんて気軽に言えたらいいんだろうけど。

実際、現実ではそんなにうまく事は運ばない。

というかそのセリフ、この世界で通用するのだろうか。


大抵は悪用して、人の悩みを聞き出すのがばれて終わりではないかと思う。

私はあんまり深く物事を考えずにその言葉を使いたい。

それに、望くんについて知りたいのは彼自身の悩みじゃなくて、生い立ち……というか、そういうものだ。


生い立ちと言えば、ちょっと違うけれど。いわば、どこに住んでいるかとか、家族はいるのかとか、どこの学校に通っているのかとかだ。


あとは……。



なんであのとき、怪我をしていたのかとか。




その理由を、望くんは聞かせてくれない。直接聞いたわけじゃないからなんとも言えないけれど、理由を教えるのを遠ざけているように思う。

ただ私が自意識過剰になって、そう思っているだけなのかもしれないけど。

だから、話してくれるまで待ってみようと思う。……話してくれる日がこないまま、お別れになる可能性もあるけれど。


そこまで考えたとき、部屋のドアを叩く音がした。返事をすると、開けて入ってくる。

……まさかの、本人登場となってしまった。


「どうしたの?望くん」

「いや、これ、渡してくれって言われたから。持ってきた」


望くんはドアを閉めてから、テーブルの前に座った。

そして、片手で持てる程度の小さなおぼんをテーブルの上に置く。

おぼんには、小さめのおにぎりがラップに包まれて二個乗っていた。


「ごめんね、ありがとう望くん」

「……ああ」


望くんが「渡してくれ」と言っていたあたり、多分お母さんが作って私に渡すよう望くんに頼んだのだろう。

初日から張り切って勉強しすぎて疲れていたので、そのおいしそうな見た目に空腹が刺激されるのが分かる。

遠慮するのは、作ってくれたお母さんにも、それを持ってきてくれた望くんにも申し訳ない。


ということで、私はいただくことにした。

ラップの包みを取り、さっそく口に入れてみる。


「おいしい~」


疲れた脳にちょうどいい塩気が染みて、とっても美味しい。


……でも、食べている様子を望くんに見られているのは、なかなかに恥ずかしい。

はむはむと口を上下させながら二個目を食べ終わって、丸めたラップをおぼんの上に置く。


「ごめんね、望くん。もう夜遅いのに」


私がそう言うと、望くんは首を振った。


「いや。……テスト勉強で疲れてるだろ、映茉。世話になってる身としては、これくらいのこと、別に」


照れているのか、視線をそらして恥ずかしそうにする。そんな様子が、ちょっと可愛く見えてしまった。

失礼かもしれないから、口に出しては言えないけど。


「じゃあな、おやすみ。映茉」

「……うん、おやすみ。望くん」


そのあいさつに、私も返す。

望くんは立ち上がってドアを開け、部屋を出ていった。






……あ、どうしよう。

その次の日のお昼。私は衝撃的なことに気づいてしまった。


体操服、忘れてしまった……。



普通なら誰かに貸してもらうとかすればいいんだろうけど、私にはそういう親しい関係の人はいない。

といっても、体育の先生はすごく厳しいので軽々しく“忘れ物をしました”なんて言えるはずもなくて。


体育の授業は六時間目。今は昼休みだし頑張れば家から取ってこれるかな。

……でも、私、50m11秒の鈍足だしなあ。


もんもんと考えていると、とつぜんばーんと勢いよく教室のドアが開いた。

開けた生徒は、走ってきたのか息を切らしている。


「どうしたんだー花田はなだ。そんなにあわてて」


誰かがそう声をかけると、その生徒———クラスメイトである花田さんは興奮したように口を開いた。


「校門のとこに、超絶イケメンが来てんのっ!それで……あ、鳥越さんっ!」


花田さんはこちらをまっすぐ見つめながら、歩いてくる。

そして、私の左手首を握った。


「それで、そのイケメンが鳥越さんに用があるんだって!一緒に行こ!」


「え、ええっ」


私はひっぱられるままに椅子から立ち上がり、その拍子に落ちてしまった通学かばんを拾う余裕もなく教室から出てしまった。


「イケメンだって~」

「見に行こー!」


ろうかにいた女の子たちからはちらほらそんな会話が聞こえた。

こんなに話題になるくらいかっこいい人が、私に用?

手を離さず、目の前を走る花田さんのゆらゆら揺れるポニーテールを眺めながら考える。


というか友達すらまともにいない私が、男の子の知り合いなんているはず……。

あ。待って。もしかして……。


ひとつ、思い当たる節がある。

まさか。




校舎を出ると、たしかに校門の周りに人だかりができている。

だんだん近づいてきて、わかる。女子生徒ばかりだ。

だけど、“私に用がある”という張本人の姿は見えない。


やっとのことで現場までたどり着き、手は離され、肩で息をしながら歩く。


「あっ」


人だかりの中から、低めの男性の声が聞こえた。

私に、気が付いたのかな。


そして、たくさんの女子生徒の後ろから現れたのは—————。




「お前、忘れてったろ」



—————なんと、晃成くんだった。



「こ、晃成くん、どうして」

「どうしてって言われてもな。ほら」


晃成くんは私の前に一歩出ると、手に持っていた布袋を渡してきた。

それは、まぎれもなく私の体操服袋。


「え、あ、ありがとう……!ごめんね、晃成くんだって忙しいのに」

「や、別に、そこは気にしなくていーよ。気づいたのは、俺じゃないし」

「え?」


「こらっ、なんの騒ぎ!?」



私が晃成くんの言動に引っ掛かりを覚えて声をあげると、どこからか女性教師と思われる怒声が飛んできた。


「やっべ。じゃあまたな、映茉」

「あっ、うん!ありがとう!」


手を振りながら、慌てた様子で走り去っていくその背中を見送る。


……なんで、私。



「ねー、今の鳥越さんの彼氏っ!?」

「えっ、ええっ!?」


今まで静かだった女子生徒たちがとたんに騒ぎはじめ、花田さんは目をキラキラさせながら私に詰め寄ってくる。

ど、どうしよう。ほんとのことを言えばいいんだろうけど……。



「えーなになに、今のイケメン、鳥越さんの彼氏なの?」

「まじで!?」


どうやら花田さん以外にもクラスメイトの女の子がいたらしく、質問攻めにされる。

果たして、晃成くんのことを実の叔父だといって信じてくれるのかな……。

だって、叔父にしては若すぎるから……。


うそをつくのもなんだか心苦しくて答えられないでいると、さっき叫んだと思われる教師がやってきた。



「こんなところにたかってどうしたの。もうすぐ始業時間ですよ」

「集るって、虫みたいに言わないでくださいー」

「ほんとですよー」



先生の登場で自然にバラバラになり、生徒たちがわらわらと校舎に戻って行く。

花田さんたちクラスメイトも興味を失ったのかあっさりとその場を離れていった。


ほんと、びっくりした。

私は突然起こった出来事が衝撃的で、足がうまく前に動かない。

先生も私のことに気づかないまま、とうとう一人になってしまった私は、しばらくして我に返った。



……私、どうして、ここにきたのが望くんだって思ったんだろう。


望くんは私の通っている高校については話していない気がするから知らないと思う。まずそこで、ありえない話なのに。

私のただの、想像であり、空想。


私、最近、なんだかおかしい。

土曜日のお祭りのときだって、男の人たちに話しかけられて怖いって思ってて、そんな場合じゃないのに望くんのことを考えていたし。

来たのが望くんだって思うのは、晃成くんに失礼だ。分かってる。


だけど、なんでこんな風に考えてしまうのかが分からなかった。どうしたらいいのかなんて、なおさら。

私は、結局、全然だめだ。

誰かにこれ以上、寄りかかってるわけにはいかないのに。甘えないって、決めたのに。


私は体操服の入った袋をぎゅっと抱いて、校舎へ向かって歩き出した。

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