第2話

 二〇一一年四月、父は横紋筋融解症で倒れた。その退院後からデイサービスやヘルパーや施設のショートステイを利用するようになった。夏には尿路結石になって手術を受けた。担当医からは「お父さんは年齢プラス十歳の身体」と言われた。若い時には病気一つかからなかった父が五十を過ぎると耳下腺腫瘍になって放射線治療が長く入院したり、脳梗塞になったりと大病を繰り返すようになった。だから、ドクターからそう言われたのも無理はないことだった。

 このころだろう、私が実家にたびたび帰るようになったのは。それまではお盆や正月でも年によっては仕事の関係や休暇の短さを理由に帰らないこともあったと言うのに。一泊二日か、二泊三日か土日、祝日を利用して帰省して、家の掃除をしたり、在宅中はヘルパーを頼まずに食事の用意をしたり、ドライブに連れて行ったりした。日曜日はデイサービスと決まっていたので、ちょっとだけ肩の荷が下りた気がして、それでも週の中のヘルパーさんが作ってくれるもののために食材を購入するために買い物へ出かけなければならなかった。

 週末以外でも実家に帰らなければならないのは父の病院があったからだ。耳鼻科に兄が連れて行ってくれる時もあった。神経内科や内科には私が連れていくことが多かった。神経内科のドクターからはMRIや長谷川式認知症スケールを受けた結果からアルツハイマー型認知症と言われていた。内科は糖尿病・高血圧のための受診だった。毎回の血液検査や尿検査でドクターからはまだ血糖値が高めだとか言われるのだった。言われているのは父親本人のはずなのに、その当人はどこ吹く風と言った感じで、私の方がなんだか気が引けるような気がしていた。

 そんな生活をしていれば、私の家族とも口論ではないが、父の介護について話をすることが一度や二度ではなかった。

「お義父さんのこともわかるけれど、あなたこれからどうするのよ。こんなことしていたら、体持たないわよ」

 祥子が声高に言うのは決して怒っているからではないのはよくわかっていた。純粋に私を心配して言ってくれているのだ。

「放っておくことはできないだろ」

「そうだけど、ヘルパーさんやデイサービスやショートステイも使っているんでしょ? それならそれで良しとしておかないと」

「わかっているけど、気になるんだ」

「気になるって、だから制度があるんでしょ。それに任せているんだから。あなたにも仕事があるんだから」

「そうだけど」

 結局は私が劣勢になるのだ。祥子の御両親は健在だった。私の父のことを話したら、こちらのことは気にせずに父の介護をしたらいいとは言われていた。それは祥子も知っていることだった。祥子は帰るなとは決して言わない。けれども、その程度と言うか加減と言うかそういうものに意見があるのだった。暁斗は高校に入ったばかりだった。部活動には参加しないとのことで遠征とか試合とか合宿とか送り迎えとか出費に関して考える必要はなかった。息子自身が両親と祖父の在り方を目の当たりにして気を使っていた、と言うよりも暁斗自身別段運動部にも文化部にも興味がなかったと言えばそれまでだった。私自身はそれを良い言い訳にして実家にたびたび帰っていたのだったが、祥子にすれば不満がなくはないのだろう。彼女をなだめすかして帰省をするのも後ろ髪を引かれないなんてことはなかった。けれども、が続くのだった。

 結局折れたのは祥子だった。二〇一四年暁斗が専門学校へ進学するのを機に、帰郷をすることが決まった。

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