第22話

 目を覚ますと、私は泣いていた。夢は、見た記憶はない。悲しみが想起されることはなかった。なぜ、泣いていたのか、理由は判然としなかった。

時計を見るとアラームまで十分ほどあった。手で閉じた瞼を拭った。ため息にも似た、あるいは起きたばかりの深呼吸のようなそんな大きな息をした。

 四畳半の部屋を出た。洗面所で顔を洗って口をゆすいだ。リビングでチェアの背にかけておいたポロシャツと半ズボンに着替えた。トイレに行って、キッチンで一口水を飲んだ。それから仏間に行った。ろうそくに火をつけた。そこに線香の先をかざす。火のついた線香を立てて、合掌をした。遺影がこちらを見ていた。再び私はため息にもならないような息を吐いて、すくっと立ち上がった。

 リビングに戻って、冷蔵庫からコーヒーのペットボトルを取り出しタンブラーに注ぎ、それから牛乳を注いだ。テレビの電源を入れてからチェアに座ってタンブラーに一口つけた。また涙が溢れそうになった。ティッシュをすぐにとって目のあたりを拭いて、それから鼻をかんだ。朝食らしい朝食などない。昨日は買い物にも行かなかったし、そもそも朝は食欲がわかないから食べても食べなくてもよかった。と言うよりも食べない日の方が多かった。食べるとしたらパンだけれども、昨日は何も買いに行く気分ではなかった。今日はカタログギフトを叔母さんたちに持って行く。それだけは予定として決めていた。その動線や、それから気晴らしに買い物でもしようかなどと考えながらタンブラーを傾けていた。昨晩は寝室で酎ハイを飲みながら、B’zの「ALONE」をYouTubeで見、聞いていた。

「祥子に、暁斗、か」

 私はつぶやいた。そんな家族がいてくれたら、私が度々むせぶようなことはなかったのかもしれない。昨日、介護用ベッドの片づけを見ながら、なんだかやるせない気分になって、どうしようもなくあふれ出しそうな涙を必死にこらえていた。もうここに家主はいない。それなのに、一人でいると父は本当に亡くなったのか、疑問に感じる瞬間がある。葬儀までしたのに、まだ父がどこかにいるような。ぼんやりとしてぽかんとした空白の感じ。介護をしていたから、燃え尽き症候群とかと言うのだろうか。姉にも兄にも姪にもいるように、私にも家族がいてくれていたら、ここまで思い浮かべたような言動をきっとしていたに違いない。願望。切望。希望。

 朝食代わりのカフェオレを飲んだ後、歯磨きをした。洗面所の鏡には来年五十になる男が映っていた。こんな面の奴が泣くなんて、格好悪いというか無様というか。情けないとも思わなくはない。自分だって思っているのだ、父が亡くなってこんなに泣くような回数があるなんてどうしてなのだろうか、と。歯磨きを終え、リビングでしばらくワイドショーを見てからカタログギフトが入った三つの袋を手にして、自動車に乗り込んだ。一番近い叔母さんの家にはすぐに着いて渡した。それから二軒巡った。ハンドル握りながら、また目が潤み始めて来た。どうしようもない。家に戻って来ても「ただいま」の一言も言わなかった。行ったところで「お帰りなさい」と言ってくれる妻もいないのだ。鏡に映ったアラフィフの男の通り仏頂面がそこにあるのだ。テレビの電源を入れて、冷蔵庫からアイスコーヒーを出した。心臓よりも真ん中のあたりがぎゅっと握られて、ただそれだけのことなのに、胸が熱くなってしまう。それでもやらなければならないことはまだまだあるのだ。水道やガスや電気や電話の名義変更や、市役所に行って介護保険とか年金の手続き、思いつくだけでもこれだけあるのだから、思いがけず直面する後始末は続々と出て来るのだろう。それに取り組まなければならないのは他でもない私一人なのだ。

 タンブラーに注いだアイスコーヒーをあおって、テレビに注意をできるかぎり傾けた。

 父が死の直前どんなことを思っていたのか、考えていたのか今更聞けるものではない。それどころか、例えば葬儀もどのような形式が望みだったのか、聞くこともなかった。連絡はどこまでして参列には誰それさんを呼んでなど聞く機会はなかった。親戚の伯父さんは亡くなる前にはそういう段取りをしていたと聞いたことがある。もともと寡黙だったとはいえ、それくらいのことは言ってくれていたもよかったのではないかと、思わなくもない。けれども、一応檀家である我が家においては父が極楽とやらに行けるのは望まないわけはない。二十年前に他界した母が先導して連れて行ってもらいたいとは何の形而上学的あるいは哲学的議論をカッコに入れて、純朴に願うことである。

 そういえばと思い出して、寝室にあるデスクの本立てを漁った。保険屋をしている姪が持ってきていたはずで、そこは本を立てると言うよりも冊子やプリントなんかを立てていたのだが、探してみるとファイルに挟まっていた。終活ノートである。書ける所だけでも書き始めようと思ったのである。すると不思議な感傷、いや感情が胸の中にわいてきた。悲しみの、わびしさの、孤独のそれではない。むしろ、一人であろうが、泣こうが、むせびようが、生きると言う、そう灯火のように思えたのである。

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灯火 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

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