第四章 死者からのメッセージ
母に捨てられた子
東野正一とのインタビューを終えて農協を出ると、はたと行く先に困った。
後、話を聞きたいのは後藤と弘中親子だが、インタビューを申し込んで断られている。
「後藤さんからは美嶽家で話を聞くしかないでしょう。美嶽家に着いた時に顔を見ただけで、全く出て来ませんが、我々で何とかするしかなさそうですね」
西脇の言う通りだ。警戒されているのか後藤と話をする機会がなかった。
突然、西脇が「ちょっと、そこの君!」と叫んだ。自転車に乗った若者が西脇たちの様子を見守っていた。西脇に声をかけられて、若者は逃げ出そうとした。
「待ってよ。逃げないで。ちょっと話を聞かせてもらうだけだから~」
西脇に呼び止められて、若者はぺダルを漕ごうとしていた足を止めた。若者を取り囲む格好になった。
「君、この町の子だよね?」
「はい。テレビ局の人が来ていると聞いて見に来てしまいました。御免なさい」野次馬だ。若者は高村と名乗った。大人に囲まれ、おどおどいている。
「高村君。別に謝る必要なんて無いよ~君、大学生?」
「この春に大学を卒業します」大学の卒業が決まり実家に戻って来たのだろう。就職が決まっていれば暇な時期だ。
「じゃあ、美嶽奈保子さんと同い年だね」
「はい。ナオちゃんとは高校まで一緒でした」
狭い町だ。町の子は小学校まで中学校まで同じ学校に通う。高校進学で初めて進路が分かれる。
「殺された碇屋恭一さん、東野正純さんと親しかった?」
「碇屋恭一さんとは年が離れていますので、よく知りません。弟の象二郎さんと兄弟そろって喧嘩ばかりしていたイメージですね。東野正純さんは象二郎さんと同い年、僕にとっては小学校から高校まで一緒の二つ上の先輩になります」
「じゃあさあ~弘中俊文さんって知っている?」
「東野正純さんに虐められていた人ですよね。それで不登校になったと聞きました。ひとつ上だったのですが、一年、留年しているので高校三年の時、一緒でした」
「へえ~東野正純さんって、どんな人だった?」
「悪夢のような存在でしたね」
「君も虐められていたの?」
「碇屋象二郎さんとは高校が違うのですが、東野さんは碇屋さんの腰巾着のような存在でした。碇屋さんは僕らのような学生は相手にしません。不良相手の喧嘩に明け暮れていました。東野さんは碇屋さんと幼馴染であることを良いことに、弘中さんのような気の弱い生徒を虐めていました。虎の威を借る狐ですね。僕も何度かやられましたね。殴られたことがありますし、金を巻き上げられたこともあります」
「随分、悪い奴だったのだね」
「小ズルいと言った方が良いかもしれません。東野さんに虐められている時、よく宝来さんが助けてくれました」
「宝来さんと言うと――」
「宝来直樹さんです。碇屋象二郎さん、東野正純さんと同い年で高校も一緒でした。イケメンでスタイルが良くてファッション雑誌から抜け出して来たみたいな人でした。正義感が強くて、スポーツ万能で成績もトップクラス、スーパーマンみたいな憧れの先輩でした。東野さんに虐められていた時、何度か宝来さんに救ってもらいました。東野さんに虐められていると、何処からともなく宝来さんが現れて間に入ってくれました。東野さんは宝来さん相手だと分が悪いことが分かっていたようで、何時も、覚えていろよとか悪態をついていなくなるのです。宝来さん、格好良かったですね~」
「宝来直樹さんと親しかったの?」
「親しいだなんて、そんな。高校は隣町ですから、バス通学でした。虐めから守ってもらった後、町まで一緒にバスで帰ったことがあって、その時、たくさん話をしました。久しぶりに町に戻ってみると、宝来さんがいなくなっていました。宝来さん、成績、良かったのに、お父さんの面倒を見るために、地元の大学に進学して、大学を卒業すると町役場に就職しました。あんな、ろくでなしのお父さんの面倒なんて見る必要ないのに。お父さんを捨てて町を出たと聞いて、やっと決心したのだと思いました。遅過ぎたくらいです。今、何処で何をしているのか知りませんが、宝来さんならきっと大丈夫です」
「殺された宝来宗治さんですね。噂は色々、聞いています」
「宝来さん、子供の頃にお母さんが家を出て行ってしまった。妹さんだけを連れて。そのことがショックだったのでしょうね。僕は母に捨てられた子だと言っていました」
「弘中俊文さんとは高校三年が一緒だったのでしょう。同じように東野正純さんから虐めを受けていた。話をしたことがありませんか?」
「弘中さんは一年、ダブっていますからね。同級生と言ってもひとつ上、気軽に話しかけ難いところがあります。学校ではほとんど話をしたことがありません。でも、みんなバス通学ですからね。町の子は大抵、バスで一緒になります。僕はナオちゃんや美羽ちゃんと何時も一緒でした。美羽ちゃんは碇屋さんの末の妹です。弘中さんともほぼ毎朝、同じバスでした。帰りはばらばらなのですが、帰りのバスで一緒になった時に話をしたことがあります」
「どんな話をしましたか?」
「宝来直樹さんの話です。僕と同じように東野正純さんに虐められている時に助けてもらっていたみたいです。宝来さんは天狗だと、弘中さんは言っていました」
「天狗?」弘中俊文は天狗に心酔しており、天狗少年と呼ばれていた。
「普通、天狗と言うと、得体の知れない妖怪をイメージするのですが、弘中さんにとって天狗はヒーローみたいな存在でした。宝来さんは天狗だ。天狗は神通力を持っている。好きな場所に瞬時に移動することができるし、遠くから、人の心の叫びを聞くこともできる。宝来さんもそんな神通力を持っていると言っていました」
天狗は六神通という超人的な能力を有していると言われている。どこにでも行くことができる神足通、何でも見通すことができる天眼通、何でも聞き取ることのできる天耳通、人の心を読むことのできる他心通、過去を知ることができる宿命通、煩悩のけがれを確認することができる漏尽通の六つを六通神と言う。
「宝来さんが神通力を持っている?」
「弘中さんが困っている時、どこからともなく現れて、助けてくれるからだそうです」
宝来直樹は弱きを助け、強きを挫く身近なヒーローだったようだ。
「宝来直樹さんは――」と西脇が何か言いかけた時、圭亮の携帯電話が鳴った。
美嶽セメントに急いでいた。
電話は美嶽貴広からだった。「後藤さんが警察に連れて行かれました。話を聞くだけだと刑事さんは言っていましたが、後藤さんが犯人であることを示す有力な証拠が見つかったようです。鬼牟田先生。きっと何かの間違いです。どうすれば良いでしょうか?」
「分かりました。会社に戻って、生長さんに確認してみまし」そう言って圭亮は貴広をなだめた。
こうして急遽、美嶽セメントに戻ることになった。
「先生。動きがあったみたいですね」と西脇。興奮している。
「はい。これで停滞していた事件が一気に動き始めるかもしれません」
「後藤が犯人なのでしょうか?」
「分かりません。ですが、前にも言った通り後藤さんには三人を殺さなければならない理由がありません。動機がないのです」
「そうでした。この事件、誰が犯人かより、動機が何なのかを探り出す方が難しいのかもしれませんね」
「そうですね。西脇さんの予言は当たるから怖いです。何せイタコの末裔ですから」
「止めて下さい」
美嶽セメントに到着すると、圭亮は捜査本部が置かれている会議室へと向かった。残された西脇たちは会議室で圭亮の帰りを待った。だが、なかなか戻って来なかった。会話が弾まない。じりじりしながら圭亮の帰りを待った。
うろうろと会議室を歩き回る西脇に藤代が声をかけた。「鬼牟田先生、戻って来ませんね」
「後藤の事情聴取に立ち会っているのでしょう」
こんこんとドアをノックする音が聞こえた。誰か来たようだ。圭亮ならドアをノックしたりしない。「はい。どうぞ」と西脇が答えると、「鬼牟田先生はいらっしゃいますか?」と美嶽貴広が顔を出した。
白板の容疑者リストには美嶽貴広の名前が載ったままだ。いち早くそのことに気が付いた藤代がさっと立ち上がって白板の前に立ち塞がった。
「いえ、今、刑事さんたちのところへ行っています」
「そうですか。何故、後藤さんが連れて行かれたのか分かりましたか?」
貴広が会議室に入って来る。貴広から見えないように、さりげなく藤代が白板を動かした。
「すいません。こちらもまだ情報がなくて分からないのです。鬼牟田先生が帰ってくると、何か分かると思うのですが」
貴広は心配顔だった。暫く、西脇たちと一緒に圭亮の帰りを待っていたが、圭亮が戻って来ないので、「仕事がありますから」と諦めて会議室を出て行った。
「今晩は遅くなりそうですので、夕食は結構です。その代わりに社員食堂を使わせて下さい」西脇が言うと、「分かりました。社員食堂は自由に使って頂いて結構です。夕食の件、家内に伝えておきます。食事の支度どころではないでしょうから助かります。楽しみにしておりましたが残念です。お気遣いありがとうございました」と貴広に礼を言われてしまった。
「ブチ危なかったですね」藤代はなんとか貴広の視界から白板を隠し通した。
「ご苦労様です。先生、まだかかりそうですから、取り敢えず食事を済ませましょう」
社員食堂で食事を済ませ会議室に戻ると、圭亮が戻って来た。「食事休憩です」と言うので、話を聞きたかったが「先生、早く行かないと社員食堂が閉まってしまいますよ」と会議室から送り出した。
社員食堂なので食事を供給する時間が限られている。
圭亮が食事を終わるまで待たされた。会議室に戻って来ると圭亮が西脇に言った。「相談があります」食事休憩の後、直ぐに事情聴取を再開するということで「すいません。時間がありません。西脇さん。生長さんからひとつ頼まれごとがありました。西脇さんと相談して返事をすると答えてあります」と切迫した表情だ。
「何ですか?鬼牟田先生」
「東京への帰路、大阪に立ち寄って
「木村由希子って誰ですか?」
「宝来宗治さんの別れた奥さんです。木村さんは現在、大阪府吹田市に住んでおり、浅井さんが電話をかけて話を聞いたところ、今井町にはもう十年以上、帰っていない。宝来宗治とも会っていないし、話をしたこともないと答えたそうです」
「事件とは無関係のようですね」
「凶器となった槍についても聞いてみたそうですが、そういうものが家にあったとは知りませんでしたという答えだったそうです」
「益々、関係が無さそうですね。何故、分かれた奥さんに話を聞きに行くのですか?」
「それが上手く言えないのですが、木村さん、何か言いたいことがあるようま感じだったと浅井さんが言うのです。テレビでニュースを見てびっくりした。いつかはバチがあたると思っていたとか、そんなことを言ったそうです。それを聞いて浅井さんは木村さんが何か隠していると直感したそうです。刑事の感ってやつです」
「バチが当たる?宝来宗治はバチが当たるようなことをしていたのですか?」
「浅井さんも同じことを尋ねたそうです。木村さんは、それくらいロクデナシだったという意味ですと誤魔化したそうです。子供の頃に別れたとは言え、木村さんは直樹さんの母親です。直樹さんを匿っていたとしても不思議ではない。生長さんはそう考えたみたいです。とは言え、刑事の感で捜査員を大阪に派遣する訳には行きません。直樹さんは事件の関係者の一人ですが容疑者ではありませんから。そこで僕らに白羽の矢が立ったという訳です」
「大阪で木村さんに会って探って来て欲しいということですか?」
「帰り道ですから、ちょっと立ち寄るだけです。どうでしょうか? 勿論、西脇さんの意見次第です。そんなの冗談じゃないということなら断っても構いません」
「取材先も無くなって来ましたから、このままここにいても仕方がないと考えていたところでした。先生。大阪に行きましょう。行って木村さんから話を聞いてみましょう」
「ありがとうございます」圭亮はぺこりと西脇に頭を下げた。
「行くとなったら早い方が良い。明日、木村さんに会えるのなら、朝一番でここを出ましょう」
「分かりました。生長さんに報告しておきます」
圭亮が会議室を出て行こうしたので西脇が慌てて声をかけた。「ちょっと待って下さい。後藤は何故、事情聴取に呼ばれたのですか⁉」
「石突です。槍の石突から指紋が見つかったのです。西脇さんの予知夢のお陰です。石突の表面は綺麗に拭き清められていて指紋は残っていませんでした。ところが、石突きの鉄製の金具を取り外して内側を調べたところ部分指紋が出たのです。恐らく、金具を外して槍の手入れしている時についたものでしょう。鑑識によれば、明治維新の頃に造られた槍を丹念に手間暇かけて修復してあるということで状態が良く、大事に保存、管理されていたことが分かるということです。見つかったのは部分指紋でしたので照合に時間がかかりましたが、後藤さんの場合、服役していますから指紋データが残っていました。そこで話を聞いている訳です。石突の金具は後藤さんの自家製のようです。すいません。後で詳しく説明します」
それだけ言い残すと圭亮は会議室を出て行った。
圭亮が出て行ってしまうと、途端に暇になった。西脇は会議室を出ると、給湯室にコーヒーを煎れに行き、途中、受付を通った。気が付かなかったが、会社のロビーの隅に本棚があった。本棚を覗いてみると、立派な金文字の表装で背表紙に「今井町の歴史」と書かれた本があった。著者名は美嶽貴広になっていた。
貴広は自費で出版している郷土史の本だ。
受付の女性に「ちょっと拝借します」と言って借りて、会議室に持って帰って読んだ。確かに源平の事件についての記述があった。しかも、かなりのページが割かれている。貴広から聞いた通り、今回の一連の殺人事件と瓜二つの内容だった。
熱心に本を読んでいると、藤代から「西脇さん、ちょっと良いですか?」と声をかけられた。
「何でしょう?」
「昼間、ほら、高村君と言いましたか、彼と話をしていて、ふと思ったのですが、宝来直樹という若者は、弱きを助け、強きを挫く、ブチ正義感の強い人間だったようです。随分、熱心な支持者がいたようです。高村君もそうですし、弘中俊文も彼に助けられたことがあると言っていました」
「ええ、確かに」
「ろくでなしの父親を捨て、町を出たことになっていますが、今、彼が町に舞い戻ってくるとどうでしょうね?」
「どうって言われても――」
「ほら。邪魔者だった碇屋恭一と東野正純は既に亡く、厄介者の父親も居なくなっている。彼にとって良いことだらけだと思いませんか?」
「ああ、そうか。実の父親を殺害する必要が無いと言うのが、宝来直樹犯人説の弱点でしたが、彼の支持者が犯人だとすると、全て説明が出来てしまう訳ですね。宝来直樹犯人説の改訂版といったところでしょうか。藤代さん。考えましたね~」
「弘中俊文にとっては、碇屋恭一、東野正純、宝来宗治を殺害することは、恨みを晴らし、敬愛する宝来直樹の恩に報いることになります。いや、高村君だってそうだ。彼だって容疑者の一人だと言えます。二人に限らなくても、他にもっといるのかもしれませんよ。宝来直樹の熱烈な信者が」
「確かに~確かに~」
「我々に宝来直樹の関係者、全てを当たることは出来ませんから、後は警察に調べてもらうしかありません。宝来直樹犯人説の改訂版、鬼牟田先生から警察に伝えてもらった方が良いのではないでしょうか?」
「鬼牟田先生が戻って来たら相談してみましょう」
西脇の言葉に、藤代は「ええ」と嬉しそうに頷いた。
いかつい男が目の前にいた。
どうやら怒っているようだ。真っ赤な顔をして何か叫んでいる。まるで赤鬼だ。だが赤鬼の怒鳴り声は聞こえなかった。音の無い世界にいるようだ。
赤鬼の背後に、ネズミのような顔をした男がいた。係わり合いを恐れているのか、じりじりと後退している。赤鬼が怒鳴る度に、ネズミ男がひっと肩をすくませる。気の小さな男のようだ。
――どうせ、結婚なんてできない。
唐突にそう声がした。誰が言ったのか。自分か? 自分が言ったのだ。誰が誰と結婚できないのだろう?
赤鬼がそれを聞いて、地団太を踏んで悔しがった。赤鬼よ。お前なんて、どうせ結婚できない。そう聞こえたのだろう。少なくとも赤鬼はそう解釈したようだ。怒りを爆発させる。「ふざけるなあ~!」と大きく口を動かすと、右の拳が飛んで来た。
顔面にヒットした。だが、痛さは感じなかった。次は左、そして右と赤鬼が次々に拳を繰り出してくる。それを何故が正面から受け続けた。何度目かの拳が顔面をとらえた後、大きくのけ反って倒れた。
視界の隅でネズミ男が小さくなって震えているのが見えた。
寝ていれば良いのに、もぞもぞと動き出す。ふらふらだ。足元が覚束ない。それでも立ち上がろうとする。
それが火に油を注いだようだ。赤鬼の怒りが爆発する。
何とか起き上がろうと四つん這いになったところに、赤鬼が何かを振り下ろした。金属製の固いものだ。頭を嫌というほど殴打された。
その場に崩れ落ちた。
そこで目が覚めた。
気が付けば布団を跳ねのけ、ベッドから飛び起きて、床の上に裸足で立っていた。夢だ。また夢を見たのだ。
西脇はペロリと顔を撫でる。
この町に来てから毎晩のように悪夢にうなされている。明らかに異常だ。死者が夢を通して何かを必死に訴えかけて来ている?
そんな馬鹿なと西脇は一人、呟いた。
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