第三章 動機なき殺人

長福寺

 何の因果か事情聴取の終わった碇屋象二郎を自宅まで送って行くことになった。

 あれこれ会議室で話をしていても意味がない。折角、取材に来たのだから町に出ようということになって、圭亮が港を見たいと言うので出かけることにした。

 すると、玄関先でちょっとした騒ぎになっていた。

 生長たちは事情聴取を終えた碇屋象二郎を送って行こうとしたのだが、象二郎が「サツに送ってもらうなんて御免だ。俺に構うな。歩いて帰る」とゴネていたのだ。

 赤く染めた髪、細い眉毛、黒で統一された服、ヤンチャに見えるが、細面でスタイルが良く、なかなかのイケメンだ。髪を黒く染めて背広を着せれば、やり手の営業マンに見えるだろう。

 騒ぎを聞きつけた圭亮が「じゃあ、我々が送って行きます。良いでしょう? 碇屋さん」と申し出た。

「誰だ?」と聞くので「テレビ局のものです」と西脇が答えると、碇屋象二郎は興味を持った様子だった。「では、鬼牟田さん。よろしくお願いします」と生長たちはさっさと会議室に引き上げて行った。

 車に乗り込む。圭亮の隣に象二郎が腰を降ろした。

「あんた、さっき、あの部屋にいたよな」と象二郎が圭亮に言った。圭亮の体だ。直ぐに目を引く。「俺もデカイ方だが、あんたのデカさは異常だな」と言った。

「はい、いました。ニュース番組のコメンテーターをやっていますが、警察の顧問のような仕事もしています」

「ふん。サツの回し者か。どうせ俺のこと、犯人扱いするんだろう」

「現時点ではまだ、あなたが犯人であると思ってはいません。あなたが犯人であることを示す証拠が出てくれば別ですが」

「指紋や足跡があるだろうが」随分、自虐的だ。

「あれは~庭とガラス戸についていたものでしょう。あなたが部屋の中を覗き込んだことを証明しているだけで、あなたが犯人であることを示している訳ではありません。庭には他にも長靴の足跡があったそうです。東野正純さんの遺体発見現場でも同様の長靴の足跡が見つかっています。犯人は長靴を履いていた人物なのでしょう」

「そうなのか?」

 圭亮の言葉が意外だったのか、子供っぽい顔をする。強面を装っているが、根は素直な若者なのかもしれない。

「部屋の中を覗き込んだ時、何か変わったものが見えませんでしたか? 時間的に犯人と鉢合わせた可能性があります」

 圭亮の話では宝来宗治は寝室の壁に串刺しになっていた。廊下側の壁から槍を突き刺し、寝室の壁の前に立っていた宗治の胸を貫いた。状況から見て部屋中を逃げ回っていて、壁沿いに隠れ息をひそめていたところ、なんと壁越しに槍で串刺しになったと考えられている。

「そうなのか?」と繰り返した後、「あの時、犯人が中にいると分かっていればガラス戸をぶち破って、犯人を捕まえたんだけどな」若者らしく、威勢の良いことを言った。

「人間を槍で串刺しにするような犯人です。無茶なことは止めておいた方が良いと思います」

 象二郎は「ふん」と鼻を鳴らした。

 碇屋象二郎は宝来宗治の死亡推定時刻に宝来家を訪ねている。象二郎が犯人でないとするなら、犯人を目撃した可能性があった。

 圭亮が話を続けようとすると、それを遮るかのように象二郎が「長福寺に行ってくれ」と言った。長福寺は海の守護仏として漁師を初め地元民から広い信仰を集めてきた寺だ。

「長福寺?」

「港にある寺だ。家の近所だ。うちの庭みたいなものだ。そこで降ろしてくれ」

 狭い町だ。車は町を横切ると直ぐに港に着く。海岸沿いの道が参道になっており、長福寺までは一本道だ。ひと際大きな碇屋家を通り過ぎると長福寺は目の前だ。

「ありがとうよ」象二郎が車を降りる。

「僕も参拝させてもらいます」圭亮が後に続いた。

 象二郎は何も言わずに、歩き出した。圭亮が横に並ぶ。

 西脇たちも車を降りると、二人の後を追った。二人、無言で歩いて行く。巨大な山門が参拝客を迎えてくれる。二メートル近い阿吽の像が左右に配置されている。なかなかの出来栄えだ。山門横に建てられた看板によると、寺の創建は平安時代に遡るようだ。

 広々とした境内に着いた。祭りが近いというのに、人気がなかった。祭りに使うのだろう、櫓の足場が組まれていた。町の青年団が組んだものだ。垂れ幕を張ってあり、設営は始まったばかりのようだ。

 象二郎が足を止めた。西脇は少し離れた場所で二人の様子を見守った。

 圭亮が話しかける。「ぼちぼちお祭りの季節ですね」

 東野正純は青年団主催の催しの寄付を求めに美嶽家を訪問した後、行方不明となった。間もなく長福寺名物の振袖祭りが開かれる。祭りになると、長福寺の参道に夜店がずらりと軒を連ねる。夜になると裸電球が延々と参道を彩る幻想的な光景が見られた。

「子供の頃、にあの櫓から蹴落とされて、死にかけたことがあった」象二郎が呟いた。

「オニ?」

「恭一のことだ。おにいちゃんの、鬼みたいなやつだったしな」象二郎が苦笑いする。

「あの櫓から落ちたのですか⁉」

「背中から落ちた。息ができなかった。死ぬかと思った」

「喧嘩でもしたのですか?」

「忘れた。何か気に入らないことがあると、直ぐに手が出るやつだったからな。子供の頃は、それこそ殴り合いの喧嘩をよくした。俺の方が小さかったから、何時も一方的にやられるだけだった。大きくなって、対等に相手が出来るようになってからは、殴り合いの喧嘩はしなくなった。あいつ、俺に負けるのが怖かったんだ」

 悪態をついているが寂しそうだ。

「兄弟喧嘩なんて、そんなものじゃないでしょうか」

「重たいんだよね」と象二郎が言う。

「重たい?」

「色々とね。責任感って言うのか。が死んでから、今まで巨大な壁のように立ち塞がっていた親父が一気に老け込んじまった。一日中、座ったままぼうっとしている。お袋は泣いてばかりで、家全体の空気が重たいし、俺がもう少し、しっかりしなきゃあと思う。そんな感じで何か重たい。最近、今まで下げたことがない頭を下げてばっかりだ」

「お兄さんにはお兄さんなりのプレッシャーがあったのではないでしょうか」と圭亮が言うと「ふん」と象二郎はまた、鼻を鳴らした。

「あの日、港で不審な人物を見たとか?」

 碇屋恭一が殺害された日の夕刻、象二郎は港で恭一と話しこんでいた見慣れぬ人物を目撃している。

「俺が見たのは後姿だけだ。がっしりとした体格の男だった。後ろで髪を束ねているように見えた。だとしたら、かなりの長髪だ。夕暮れ時で、はっきりと見えなかったが黒っぽい服装だった。革ジャンにジーンズだったんじゃないか」

 よく観察している。粗野に見えて、頭が切れる男なのかもしれない。「あれは宝来の親父だったんじゃないかと思っている」

「宝来宗治さんだったと言うのですか⁉」

「美嶽の娘は知っているか?」

「奈保子さんですね。妹さんの親友だそうですね。先ほど、あなたのことを心配して、妹さんが会いに来ました。奈保子さんが連れて来たのです」

「美羽が・・・そうだったのか・・・俺のことを心配して・・・美嶽奈保子の花婿の座を巡って三人の男が争っていた。と正純、それに直樹の三人だ」

「聞きました」

「なら話が早い。うちも楽ではないが、宝来家は落ちぶれて見る影もない。家柄的には東屋の正純が最も釣り合っている。だが、肝心の正純があの有様だ。得意なことは弱いもの虐め程度の最低のやつだ。あんなやつ、美嶽の婿に相応しくない。の競争相手にはならない。だが、直樹は違う。三家で一番、貧しいが、イケメンで男気のあるやつだ。美嶽のお嬢が気に入らない訳がない。がライバル視していたのが直樹だった」

 奈保子と直樹が仲良く話しをしている現場を目撃しようものなら文字通り地団駄を踏んで「あの野郎、殺してやる」と悔しがった。象二郎は何時か恭一がよからぬことをしでかすのではないかと心配していた。

「直樹がいなくなったと聞いて、最初に考えたのはが何かしたんじゃないかってことだ。後になって、直樹があのクソ親父にメールを書いたことを知ってほっとした。あんな親父じゃ、誰だって家出する」

「だから宝来宗治さんを訪ねて行った訳ですか」

「あの酔っ払いにの首を刎ねるなどという芸当ができたとは思えない。最初、そうは思ったのだが段々、気になって来た。子供の頃、チャンバラごっこに夢中になっていた時に、直樹から家に本物の刀と槍があるって聞いたことを思い出した」

 宝来直樹と碇屋象二郎は同い年だ。幼馴染だ。仲が良かったのだろうか。

「子供の頃は、そのことが羨ましくて仕方なかった。本物の刀を見せて欲しいと直樹に頼んだ。秘密なので他人には見せられないって断られた。がっかりしたよ。高校の時に、直樹に刀と槍のことを確かめたことがあった。今は無いと直樹は答えた」

「今は無いということは、昔はあったということですね」

「直樹が言っていた。明治維新の頃、宝来家の当主が尊皇攘夷の思想にかぶれ奇兵隊に参加しようとした。そこで立派な刀と槍を拵えた。だけど、結局、奇兵隊に参加する前に明治維新を迎えてしまった。新政府が奇兵隊の弾圧を始めたので、慌てて刀と槍を蔵の奥深くに仕舞い込んだそうだ。その後、刀も槍も、いつの間にか無くなっていた。の首は太刀のような長い刃物で切り落とされた。その話を聞いて刀のことを思い出した。あのクソ親父相手だとは油断していただろうから、だまし討ちにして殺すことが出来たかもしれない。だから、それを確かめに行った」

「そうだったのですね」

「大体、俺が犯人だと言うのなら、東屋の正一だって怪しいものだぜ」

「東屋の正一さんと言うと、正純さんのお兄さんですね」

「正純には女がいた。大学生だった時に深い仲になった女だ。美嶽のお嬢の花婿候補になっても別れていなかった。正一しょういちは美嶽家に知られる前に別れろとうるさかったようだ。それでも未練たらたらで関係を続けていた。良い年をして働きもせずに家でぶらぶらしているようなやつだ。正一はあいつのこと持て余していた。美嶽の婿になれないなら死んでくれと思っていただろうよ。直樹がいなくなって、後はだけと思ったはずだ。それでを殺したが、正純は女と別れない。かっとして正純も殺した」

「残念ですが、それは違います。正純さんの遺体は恭一さんより後に発見されましたが、殺されたのは正純さんの方が先です」

「そうなのか⁉」

「正一さんが正純さんを殺害したのであれば、恭一さんを殺す必要はなかったことになります」

「ふん。まあ、他に理由があったんだろう。その辺は、あんたたちが調べてくれ。なあ、あんた。あんた物知りなんだろう? だったら教えてくれよ。胸のここが、こうきゅっと苦しいんだ。どうしたら良い? どうしたら、この苦しみが和らぐんだ?」

 圭亮はにっこり微笑むと言った。「みんな、あなたを待っていますよ」

「俺を待っている?」

「はい。妹さんやあなたのご両親は、あなたが帰って来るのを待っています。漁協の人たちだって組合長を失って困っています。皆、あなたを待っているのです。奈保子さんだって、そうかもしれませんよ。この町で彼女を守れるのは、もうあなただけじゃありませんか?」

「俺?」象二郎は驚いた顔をした後で、「ああ、そうか。そうだな」とひとつ頷くと「ありがとよ。俺、帰るわ」と言って踵を返すと西脇の横をすり抜けて歩いて行った。


「また一人、容疑者が増えましたね」

 背後から声をかけると、圭亮がゆっくりと振り返った。「西脇さん。聞いていたのですか?」

「東野正一。例えば弟に代わって、彼が奈保子さんの花婿候補になりたかったのだとしたらどうです? 何時までも昔の女と別れない。このままでは美嶽家の婿は碇屋恭一で決まってしまう。カッとして弟を殺してしまった。そして、弟の代わりに自分が美嶽家の婿になろうと思い、碇屋恭一を殺した。その際、何かを見られたので宝来宗治を殺した」

「ああ、なるほど。でも、首を切り落としたり、槍で串刺しにしたりする必要はなかったのではないでしょうか?」

「それは生首伝説に沿って殺人が行われていることを印象付けるためです。そう考えると、碇屋象二郎だって怪しい。自分が奈保子さんの花婿候補になりたかったのでは?」

「そうですね~そもそも東野正一さんは独身なのでしょうか?」

「ああ、そうか。正純とは年が離れているようなので、結婚しているかもしれませんね。じゃあ、ダメかな」

 二人のもとに藤代がやって来た。「さて、どうしましょう。狭い町ですから、見て回るところもありませんし。生首の第一発見者だったら、取材したことがあるので連絡先が分かりますよ。会って話を聞いてみますか?」

 他に行くあてがない。生首の第一発見者に会うことになった。

 山申神社の鳥居の前で、兼清と福田という二人の老人を落ち合った。同じように白髪で皺だらけ、老人の年は分かりにくい。同年代に見えた。肉付きの良い方が兼清で痩せてガリガリな方が福田だ。

 録画の許可をもらいインタビューが始まる。藤代がマイクを握る。

 二人は早朝の山歩きを日課にしていると言う。六時にここ、山申神社の鳥居の前で落ち合い、神社にお参りをしてから境内で準備運動をする。体をほぐし終わると、参道から大笠山に続く山道を、ゆっくりと時間をかけて登って行く。

「今の時期なら、三本松に着く頃に大笠山の背後から朝陽が登って来る。朝日を拝んで下山するのが、わしらのローテンじゃ」ルーティーンのことだろう。日課だと言いたいのだ。

「まだまだ日の出が遅くて、辺りは真っ暗じゃった。吐く息が白くてな、今日は良い天気になりそうじゃと言っておった」

「途中、坂のきついところがあるが、大笠山はなだらかな山じゃ。道路が舗装されていて、年寄りの足でも無理なく登り降りすることができる」

 二人交互に脈絡のない話を続ける。「それで、神社の境内で生首を発見したのですね?」

「見た」、「えらいことじゃった」

「詳しく教えて頂けませんか?」

「朝、ここで会うて、おはようさん。えらく冷えますなあ。今日は良い天気になりそうでと挨拶を交わしてから、神社の階段を登って行った。山歩きの一番の難所はこの神社の階段かもしれん。他に、この階段より息が切れる場所はない」

 よくしゃべる。似たような老人だ。どちらが兼清で、どちらが福田か分からなくなってきた。

「階段を登ると境内で息を整えた。先ずはお参りじゃ。お参りをしてから準備体操じゃ。境内は真っ暗じゃった」

「今日は良い朝陽が拝めそうじゃと言っとった」

「拝殿に近づいて行った。最初は暗おうて気が付かなんだ。賽銭箱の手前に供え物がしてあるのが見えた。最近は、信心深いものが減ったからな。お参りの人間なんて減る一方じゃ。供え物を見ることなどほとんどない。お供え物とは珍しいと思った」

「スイカに見えた。冬場にスイカは変じゃけど」

「よく見ると人の生首じゃった。驚いて腰を抜かした」

「福さんの悲鳴で、わしもびっくりした」

「本当に腰が抜けるもんだな。腰に力が入らなくて、へたりこんだ」

「福さん。這って逃げたな」

「清さんだって、走って逃げたじゃないか。わしを置いて」

「はは。家まで逃げて警察に電話した」

「生首が碇屋恭一さんのものだと気が付きましたか?」

「そんな、じっくり見ている余裕なんてなかった」

「うん。暫く飯が喉を通らんかった」

 生首発見の様子については、特に目新しい情報は無かった。ただ「神社の境内で何時もと変わったところはありませんでしたか?」という質問に兼清が「変わったところ? う~ん。あっ!車、軽トラックが停まっとった」と答えた。

「軽トラック?」

「今井漁業共同組合の軽トラックよ。車が停まっていることなんて珍しいから、こんな早から誰か来とると思った」

 碇屋恭一が乗ってきたものだ。

 他に情報が無さそうだったので、二人に丁寧に礼を言って別れた。

「特に新しい情報はありませんでしたね」藤代が申し訳なさそうに言った。

「いえいえ。東野正純さんの遺体の第一発見者は山狩りに参加したボランティアだと聞きました。その方にも会って話を聞いてみたいのですが、会えますか?」

「調べます」菊本の出番だ。携帯で何処かに電話をする。例の友人だろう。ボランティアの正体は直ぐに判明した。ご当人が東野正純の遺体を発見したと触れ回っており、町中の人間が知っているということだった。

 意外なことに東野正純の第一発見者は碇屋家の関係者だった。漁師の一人、松尾恒夫。

「最近は船に乗っていない」と言うことで自宅にいた。話を聞きたいと言うと、「いくらかもらえるのか?」と聞き返された。

「金に困っているようです」

 僅かばかりの謝礼で松尾は会ってくれることになった。

 海岸沿いを国道が走っているが、港を過ぎた辺りにドライブインがある。待ち合わせ場所としてドライブインのレストランを指定された。

 車を飛ばしてドライブインに行くと、松尾が来て待っていた。四十代だろう。日に焼けた漁師を想像していたのだが、無精髭を伸ばし、小太りで赤ら顔の中年男性だった。体格は良い。酒屋の親父といった感じだ。

 西脇たちが着いた時には、もう酒とつまみを注文して一杯やっていた。

 藤代がインタビューの様子を録画して良いか尋ねると、「勘定を持ってくれるなら良いよ」と応じてくれた。

「最近、船には乗っていない」と松尾は言った。

「海に出ていると陸が恋しくなるものだが、俺の場合は山だな。山が恋しくなる。山によく行くので山菜に詳しくなった。山菜採りが趣味でね。山に詳しい人間が必要だって聞いて、山狩りに参加した。弁当が出るって聞いたからな。七草粥は過ぎたけど、あの辺りはナズナが採れる場所だ。あそこへはよく行く。行ってみたら木の枝から妙なものがぶら下がっているじゃないか。東屋の三男坊だって気が付いたのは随分、後になってからだ」

 東野正純の遺体発見時の状況については目新しい話はなかった。だが、「碇屋の坊ちゃんが殺されて、宗治の仕業じゃないかと思っていたら、あいつまで殺されて、ざまあみろだ」と言い出した。西脇の目の色が変わった。

「宝来宗治さんと碇屋恭一さんの間で、何かトラブルがあったのですか?」

「いや。恭一坊ちゃんは関係ない。むしろ俺かな。宝来宗治とトラブルになっていたのは」

 宝来家と碇屋家は、代々、つかず離れずの関係を維持してきた。一方は農地を支配する富農として、また一方は漁師を束ねる網元として村の権益を守り続けてきた。利害が直接、対立することがなかったので、お互い干渉することがなかった。

「何があったのですか?」

「もう十年以上も前の話になる。嫁はんに逃げられてから、あのエロ親父、寂しくなったのか俺の妹に手を出しやがった」

 松尾の妹は港付近にある弁当屋に勤めていた。宗治に料理など出来ない。ほとんど毎日、弁当屋を利用していた。宅配などやっていないが、宝来家は町の名家だし、男やもめで子供を抱えて苦労していることが分かっていたので、特別に弁当を配達することにした。

 弁当を配達していたのが松尾の妹だった。

「弁当を届ける内に話くらいするようになった。あの野郎。それを気があるとでも思ったのか、弁当を持ってきた妹を手籠めにしやがった。妹から話を聞いて、あいつをぶっ殺してやると思った。宝来家に乗り込もうとしたが、仲間に止められた。まだ子供が小さかったからな。あんたが刑務所に入ったら、家族の面倒を誰が見るんだ。そう言われちまった」

 松尾はいかにも残念そうな顔をした。どうだろう。わざわざ周りに話したということは、止めてもらいたかったのかもしれない。

「信雄さんが騒ぎを聞きつけて――」信雄とは碇屋信雄のことだ。碇屋恭一、象二郎、美羽の父親だ。「最近はすっかり萎れてしまったが、当時は血気盛んな人でな。港の狂犬って呼ばれた。信雄さんは宝来家に乗り込むと、どう責任を取るんだって宗治に詰め寄った」

 宗治は双方合意の上だったと弁解したが、「あの子は無理矢理、犯されたと言っている! 慰謝料を払え!」と要求した。

「宝来宗治さんは慰謝料を払ったのですか?」

「あいつに慰謝料など払える訳がない。当時、宝来家が持っていた港近くの猫の額ほどの土地を格安で妹に売り払うことで決着がついた。信雄さんの仲裁だ。顔を立てて、こちらも幾らかは金を払って土地を買った。港に近いと言っても傾斜地で造成しないと耕地にも宅地にもならないような二束三文の土地だ。信雄さんの仲介じゃなきゃあ、欲しくもなかった。宗治にとっても文句はないはずだった」

 宝来家の土地は、ほとんどが美嶽家に買収されていた。港近くの土地は美嶽家が興味を示さず、宝来家の所有のままになっていたのだ。

「へえ~その土地はどうなったのです?」

「はは。それがここよ。運よくドライブインを作る話が持ち上がって、うちが持っていた土地と碇屋の持っていた土地を合わせて売った。信雄さんのお陰だ。あの時は儲かった。ここもオープン当初は結構、賑わったんだよ。国道を利用する人や町の人間も通って来た。それが今じゃあ、さっぱりよ。飽きられたみたいだ」

 確かに店は閑古鳥が鳴いていた。

 運よくこの土地が売れたとは信じられない。ドライブインの建設計画があることを知った碇屋信雄は松尾の妹を使い、色仕掛けで宝来宗治から土地をダタ同然の値段で巻き上げた。そして自分の土地と併せて売ったのではないだろうか。

 当然、宝来宗治は騙されたと思ったようだ。

「宗治のやつ、うちと碇屋の土地にドライブインが出来たことを知ってから、碇屋に分け前を寄こせとやって来た。勿論、門前払いだ。すると、あいつ、顔を真っ赤にして、覚えていろ! 何時か復讐してやると息巻いていた」

 松尾はケッケと笑った。

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