古の刀と槍

 一旦、美嶽セメントに戻ることになった。

 冬の日暮れは早い。碇屋象二郎から聞いた東尾正純に恋人がいたという話と松尾から聞いた宝来宗治と碇屋信雄のトラブルは生長に報告しておいた方が良いと圭亮が主張したからだ。

 車に乗り込むと西脇が言った。「今の松尾っていう男も怪しいのではありませんか?少なくとも宝来宗治との間でトラブルを抱えていた過去がある。容疑者リストに加えておいてはどうですか?」

 圭亮は「そうですね」と頷くと「松尾さんの話を聞いていて思ったのですが、宝来さんの別れた奥さんは何故、直樹さんを残して家を出たのでしょうか?宝来さんに子育ては無理なことは分かっていたはずです。金銭的に余裕があった訳でもなさそうだ。普通、幼い子供は母親が親権を持つことが多い。何故、奥さんは娘さんだけ引き取って、直樹さんを引き取らなかったのでしょう」と呟いた。

「さあ~?」誰も圭亮の疑問に答えられなかった。

「宝来家について、もう少し調べてみる必要がありますね」

 美嶽セメントに到着すると、圭亮は報告の為に会議室を出て行った。西脇は無言で白板に歩み寄ると、さらさらと容疑者リストに書き加え始めた。


 容疑者リスト

●美嶽貴広~振袖村の伝説を知っていた。

●碇屋象二郎~力の誇示という意味ではぴったりだが兄を殺したとは思えない。特に首を切り落とす必要はないはず。

●後藤猛~力の誇示という意味ではぴったりだが動機がない。

●弘中俊文~動機はあるが力の誇示というイメージに合わない。

●弘中俊文の父親~人物像を確かめる必要がある。

●宝来直樹~行方不明。父親を殺す必要がない。力の誇示というイメージに合わない。

●東野正一~花婿候補の競争相手を殺害したか?

●松尾恒夫~碇屋宗治とトラブルになっていた。


「コーヒーを煎れて来ます。砂糖とミルク、要りますか?」と言って会議室を出て行こうとする菊本に「悪いね。両方お願い」と言いながら、「段々、絞れて来たと言いたいところですが、逆にブチ増えましたね」と藤代が言った。

「僕もお願い。ブラックで。色々、考えたのですが、もう一人、追加しておきたいと思います」

「誰ですか?」

 菊本が会議室を出て行く。無口だが気の利く若者だ。

「ほら、碇屋恭一が港で会っていたという謎の男ですよ。ダメですかね?」

「ダメではないですけど、鬼牟田さんの意見を聞いてみてはどうです?」

「ああ、そうですね」直ぐに西脇は持論を引っ込めた。

 菊本がコーヒーを持って戻って来た。

「菊本君。何か新しい情報は無いかい?」

 今日は一日、車の運転にカメラマンをやっていた。情報収集をしている暇なんて無かったはずだが、「はい。神社で目撃された軽トラックについて情報がありました」と答えた。時間を見つけて友人と連絡を取り合っていたようだ。

「碇屋恭一はワゴン車を持っていますが、最近はもっぱら漁協の軽トラを乗り回していました。漁協の代表者になったつもりだったようです」

 神社で現場検証をした際、生長が圭亮に言っていた。碇屋恭一が乗って来た車が境内に駐車してあったと。それが漁協の軽トラックだったようだ。

 西脇は椅子をふたつ、向かい合わせで並べておくと、ひとつに腰を掛け、もうひとつに足を乗せた。「犯人はどうやって碇屋恭一の胴体を持ち去ったのだろう?軽トラで運べば楽だと思うけど」

「犯人も車に乗って来たのかもしれません」

「ああ、なるほど」西脇が頷いた時、圭亮が戻って来た。片手にコーヒーを持っている。「おや。セルフサービスですか。コーヒー好きの先生らしい」

「セルフでど~です?よ~がす、なんて。すいません。駄洒落にもなっていませんね」

 圭亮の発言を無視して、西脇がざっと圭亮がいない間の会話を再現して意見を求めた。「先生はどう思います?」

「神社に駐車してあった軽トラックについては警察も捜査しており、碇屋恭一氏が乗り回していたもので間違いないようです。鍵は見つかっていません。遺体のポケットにあったか、発見されていない胴体部分と一緒なのでしょう」

「謎の男を容疑者リストに入れることについてはどうです?」

「警察の捜査でも分かっていないことがあります。碇屋恭一さんは何故、夜中に神社に行ったのか?信心深い人間ではなかったので、当然、呼び出されたのでしょう。携帯電話が見つかっていません。誰に、どんな用事で呼び出されたのか分かっていません。ひょっとしたら、謎の男に呼び出されたのかもしれませんね」

「じゃあ、謎の男を容疑者リストに加えておきますね」

 西脇が足を乗せていた椅子を蹴飛ばしながら立ち上がった。

 白板の容疑者リストの最後に、


●謎の男~碇屋恭一殺害日に港で会っていた。


とさらさらと書き加えた。

「先生。何か情報はありましたか?容疑者リストにある弘中父子に関しては、取材の申し込みを断られてしまい、打つ手がありません。彼らの情報はありませんか?」と藤代。

 弘中父子と連絡を取ってくれていたようだ。頼りになる。圭亮と西脇の今回の取材旅行を成功させようと一生懸命になってくれている。頭が下がる思いだった。

「弘中父子ですか・・・実は――」と圭亮はたった今、生長から仕入れた情報を話し始めた。「父親の弘中俊哉さんは町の水道組合に勤務しています。真面目な人物のようです。東野正純さん、碇屋恭一さんの死亡推定時刻のアリバイについては家にいたということでした。どちらも奥さんが証人ですから、信憑性に欠けると言えるでしょう。宝来宗治さんの死亡推定時刻のアリバイについては仕事をしていたということですが、一人で外出していたそうで、証人はいません」

「息子の俊文さんについては、部屋に引き籠っている訳ですから、アリバイはあってないようなものです。部屋の窓の下に駐車場の屋根があって、抜け出そうと思えば簡単に抜け出すことができたそうです。実際、ベッドの下にスニーカーが隠してありました。両親に気付かれずに部屋を抜け出していたのかもしれません」

「弘中俊文から事情聴取が行われたのですか?」

「刑事さんが出向いて話を聞きました。話を聞くのに随分、苦労したそうですが、両親の話では、碇屋恭一さん、東野正純さんが亡くなったと聞いてから、以前のような頑なさが薄らいできているようです。刑事さんが話を聞くと、宝来宗治さんが殺害された時刻には、部屋を抜け出して山に行ったと証言したそうです」

「山に行った? 何故、山に行ったのです?」

「天狗になりたかった。そう言ったと聞きました。毎日、思考が停止したまま死んだようにベッドに横たわっていたようですが、ある日、当然、天狗になりたいと思った。そう思い始めると居ても立ってもいられなくなり、山に行って天狗になりたい。そう思い始めたそうです」

 ずっと寝たきりだったので山に辿り着いた頃には息が切れた。それでも天狗になりたい一心で、弘中俊文は山を登って行った。やがて、足が動かなくなり雑草の中に倒れこんだ。天狗になるなんて無理だ。このまま死んでしまおう。夜になれば冷たい夜気が体力を奪い去ってくれる。そう思い目を閉じた。

「そして、俊文さんは天狗に会ったと言うのです」

「天狗に会った⁉」

「そうです」天狗は山を飛ぶように駆けて来た。俊文が雑草の中に横たわっているのに気がつかなかったようだ。「はっはっ!」と低いうなり声を上げながら、風のように通り過ぎて行った。上半身を起こした時には、すでに天狗の後姿がはるか彼方に見えただけだった。

「天狗は長い棒のようなものを持っていたそうです」

「それは、ひょっとして宝来宗治を殺しに行く真犯人の姿を目撃したということなのでしょうか?」

「時間的に見て、その可能性が高いような気がします。自らの犯行を隠す為に、俊文さんが作り話をしているとは思えません。彼には宝来宗治さんを殺害する動機もありませんし。それに、作り話にしては――」

 圭亮が言葉を切ったので、西脇が続けて言った。「あまりにくだらない。嘘をつくにしても、もう少しましな嘘をついた方が良い。天狗に会ったなんて話、誰が信じるのかってことでしょう?」

「そうなのです。捜査本部も俊文さんの証言をどう扱って良いか困っている感じでした。でも、僕は俊文さんの話を信じてみたい気がします。彼は山で天狗にあった。いや、槍を持った殺人鬼と出くわした」

 そうこうしている内に、退社時間を迎えたようで、美嶽貴広が「どうです。今日は成果がありましたか?」と会議室にやって来た。


 楽しい夕食だった。

「田舎なもので何もありませんが」と昨日と同じ台詞だったが、美嶽瑠璃子が腕を振るった料理は今日も美味しかった。肉料理が中心で「今日は肉なのですね!」と圭亮が歓声を上げると「あら、こんなところでもお肉くらいありましてよ」と瑠璃子に詰られた。

「す、すいません!決してそんな意味ではありません」圭亮の悲鳴でどっと沸いた。

 宴席では西脇が主役だ。話題が多岐にわたり、しかも面白い。特に奈保子は西脇の話を聞くのを楽しみにしている。「毎日、夕食が楽しみです。西脇さんの話を聞くのが。西脇さん。何時までこちらにいらっしゃるのですか?暫く滞在して頂けるのでしょう?」と圭亮が気になっていたであろうことを聞いてくれた。

「取材が終われば帰ります。後、一晩、いや二晩くらいですかね。美嶽さん。毎晩、ご馳走になる訳には参りません。滞在費用をご請求頂けませんか?」

 西脇は如才がない。貴広が「そんなご遠慮なさらず。うちに泊まってはと申し出たのは私どもですから。鬼牟田先生、町の人間は皆、不安がっています。一刻も早く事件を解決して下さい」と言うと、瑠璃子が「ご遠慮など無用です。自分の家だと思って、何でも言って下さい」と言葉を添えた。

「この町で、こんな事件が起きるなんて信じられません。歴史のある町で、住人は皆、素朴で温和な人ばかりなのに・・・」貴広が困惑する。

「本当に恐ろしいことですわ。全く・・・あの子があんなことにならなければ・・・」瑠璃子も眉をひそめた。

「さあ、暗い話は無しにして、鬼牟田さん、西脇さん。食事が終わったら、また書斎で一杯やりませんか?」と貴広が誘ってきた。

 圭亮は酒がダメだ。体質的にアルコールが合わない。深酒して記憶を無くした経験がなかった。飲み過ぎると目を回して、気分が悪くなるだけだった。酒は嗜む程度だ。昨晩も誘われたが、ビールを一杯、飲んだだけで、もっぱら話に夢中になっていた。

 貴広と歴史談義をするのが楽しかった。

 昨晩は邪馬台国が何処にあったのかについて激論を交わした。貴広は九州説、圭亮は「邪馬台国とヤマタイ国と発音するのは間違いだと思います。ほら、卑弥呼の後の女王は台与ですよね。トヨと発音します。台はトという発音だとしたら、ヤマト国になるでしょう。邪馬台国は畿内にあったヤマト政権の前身なのですよ」と畿内説を唱えた。

 こうして結論の出ない論争を延々と続けた。

 酒の相手をするのは西脇だ。西脇は酒豪と言って良い。いくら飲んでも酔わないと豪語している。「良いですね~」と直ぐに反応した。

「あら、もういっちゃうの」

「悪いね。鬼牟田先生たちを借りるよ。ここからは大人の時間だ」

 話し足りなそうな奈保子を残して書斎に移動した。貴広の書斎は広々としていることを除けば書斎らしい書斎だ。マホガニー製の書斎机が部屋の中央に据えられ、壁が一面本棚になっている。本棚には郷土史に関する資料や本がぎっしり並んでいる。机の上にも、ところ狭しと資料や本が山積みになっている。机の前に立派な応接セットが据えられているが、テーブルの上にも資料が山積みだった。

 貴広の唯一と言ってよい趣味が、郷土史の研究である。

 小倉の出身の貴広はここでは余所者だが、返ってこの地の歴史が新鮮で面白いようだ。もともと歴史に興味があったが、こんな小さな町に源平の昔から連綿と続く歴史があり、しかも婿入りした家が悠久の歴史を誇る旧家だとあって、郷土史を調べれば調べるほど熱中してしまった。

 瑠璃子はまるで興味がない。結婚当初はお伽噺のように教えられた郷土の歴史を話して聞かせてくれたことがあったが、最近では「もう、お話するようなことなど、何もありません」とけんもほろろだ。

「ちょっと待って下さい」貴広は嬉々として本棚から高級そうなウイスキーとグラスを三つ持ち出してテーブルに並べた。

 書斎には家庭用の製氷機まである。貴広は製氷機からアイスペールに氷を移し、テーブルに持ってくると、手馴れた所作で水割りを作った。

 貴広は酒好きだが酒豪とまでは言えない。ちびちびと嗜むタイプだ。

「ここで郷土史の研究に勤しんでいると言えば聞こえは良いのですが、実際は家内の目を盗んで一杯やっている時間の方が長かったりします。ははは」

 貴広はぐいと一口、水割りを喉に流し込んだ。

 今晩は客と一緒とあって、瑠璃子が酒の肴を準備してくれていた。「飲み過ぎないで下さいな」と言われていたが、ある意味、瑠璃子公認で酒を飲める貴重な席だ。西脇たちに一日でも長くいてもらいたいというのは貴広の本音だろう。

「いえいえ、この膨大な資料の量を見れば、美嶽さんがいかに真摯に郷土史の研究に向き合い、研鑽を積まれてきたのか分かります」

「いや~」貴広は恥ずかしそうに顔の前で手を振った。

「ところで、美嶽さん。碇屋象二郎さんが、宝来家に明治維新の頃に拵えた日本刀と槍があったと証言しています。美嶽さんなら何かご存じではないでしょうか?」

「宝来家に刀と槍ですか? う~ん」貴広は腕を組んで記憶の糸を弄った。

「宝来家の当時の当主が奇兵隊に参加するために拵えたものだそうです。廃刀令が出た後も、こっそり隠し持っていたようです」

「幕末の第二次長州征伐の時に、この少し先にある大島が大島口として幕府軍の上陸拠点となりました。幕府方の軍艦を高杉晋作が丙寅丸という小さな軍艦で散々に打ち負かした戦として有名です。その時に奇兵隊が大島に派遣されています。この辺りの村々からも藩の一大事と奇兵隊に馳せ参じた者が少なからずいたことでしょう。ただ、残念ながら宝来家の人間が日本刀や槍を拵えて奇兵隊に参加したという話は聞いたことがありません」

「そうですか」

「申し訳ありません」

「別に美嶽さんに謝って頂くような――」

 圭亮の言葉を遮るようにして貴広がぱんと手を叩いた。「あっ、そうだ。そう言えば、先代がまだ健在の頃、山申神社で千年祭が行われたのですが、その時に、東屋や碇屋から奉納金を拝領しました。その時、宝来からも何か出してもらうこというになりました。由緒ある町の名家ですからね。そしたら宗治さん、金は無いということで、代わりに父祖伝来の刀だったか、槍だったかを奉納するみたいなことを言っていました。結局、何も出してはくれませんでしたけど」

「宝来家に日本刀や槍があった可能性があるということですね?」

「隠し持っていたものなら、堂々と奉納することはできなかったでしょうね。神社に奉納されていれば、記録にも記憶にも残ってしまいます。それで、奉納を取りやめたのかもしれません」

「宗治さんが殺され、直樹さんは行方不明。宝来家にはもう誰もいなくなってしまいました。日本刀と槍があったとしても、それがどうなったか知っている人がいなくなってしまいました」

「確か、宗治さんの叔母に当たる人がご健在で、この町に住んでいます。その方に聞けば何か分かるかもしれません。それに、宗治さんの別れた奥さんが、再婚されて神戸にいると伺ったことがあります。もしかしたら、前の奥さんなら何か知っているかもしれません」

「話を聞いてみたいですね」

 ちびちびと傾けていた貴広のグラスが空になった。貴広は圭亮のグラスがあまり減っていないのを見て「先生、お酒、お気に召しませんか?」と心配顔で尋ねた。

「すいません。下戸なので。ちびちびやっていますので、どうぞ、お気遣いなく」

 西脇のグラスは空になっている。

「そうですか、では、西脇さん、もう一杯、良いでしょう?」

「勿論です」西脇が応じる。

 貴広が二杯目のグラスを作りながら言った。「刀と言えば、高杉晋作は小柄だったので、刀を引きずるように腰に差していたという話はご存知ですか? 幕末に志士の間で流行った勤皇刀は普通の刀よりやや長めだったそうです。高杉晋作も長めの刀を差していたのでしょう」

 歴史の薀蓄は圭亮の大好物だ。「いえ。知りませんでした」とノリノリだ。

「美嶽社長。今井町の歴史について本を出されているとお聞きしましたが」

 西脇の言葉に、貴広は「はは」と笑うと、机の中から一冊の本を取り出した。

「これが自費で出版した今井町史の本です。他に、郷土史をまとめたパンフレットを町役場に置いてもらっています」

 今井町史は役場の図書館に一冊、寄贈してあり、会社の受け付けにも置いてあるそうだ。「町の旧家を回って、古文書があればそれをもらい受けて来て研究しており、いずれは改稿して版を重ねたいと思っています」

 圭亮が「凄いですね~」と羨ましそうな声を上げた。


 暗闇にいた。

 辺り一面、真っ暗闇だ。右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、どちらを向いても漆黒の闇が広がるばかりだ。歩くとじゃりじゃりと音がする。砂利の上にいるようだ。

 暗闇を切り裂いて光が差す。

 最初はぽっと小さく浮かんだ光が徐々に大きくなって行く。光が大きくなるのに合わせて、じゃりじゃりと砂利を踏む音が大きくなってくる。大きくなった光に真正面から照らされた。眩しい。手を翳して光を遮った。

 静寂が再び辺りを包む。眩い光は顔に当たったままだ。

 光を背に人がやって来る。

 誰だ? 眩しくて顔が見えない。うん? 女性か? 女だ。女がこちらに向かって歩いて来る。女の顔を確かめようと目を細めた。

 細くスタイルの良い女が近づいて来る。近づくに従い、どんどん大きくなって行く。細かった足は太い幹のように太くなり、細かった腕は筋肉隆々で丸太のようになって行く。しかも服を着ていたはずなのに、ふさふさと全身、毛が生えている。背後から照らされる光を真っ白な毛が反射し、輪郭がぼやけて見えた。

 巨大な猿に見えた。真っ白な毛で覆われた巨大な猿だ。人の身の丈ほどある。

「寒い・・・・」身震いがする。さっきまで静寂の闇の中にいたはずなのに、気がついてみると周りをゴウゴウと音を立てて風が吹いている。

 竜巻のように渦を巻いて風が吹いていた。

 一瞬、真っ白な猿が縮こまる。次の瞬間、鞠のようにして弾け飛んで来た。

「なにくそ!」懐に飛び込んできた巨大な猿をがしりと受け止めた。

 闇の中で、桜の香りが舞った。

「あっ、痛ぅ!」苦痛に顔を歪める。胸に焼けるような痛みが広がった。

 懐に蠢く猿を地面に投げつけた。猿は目の前でごろりと転がった。胸を押さえると、ぬるりと湿った感触があった。

「こ、この野郎、ぶっ殺してやる・・・」語尾がかすれる。

 流れ出すように、体から生気が抜け落ちて行く。力が入らない。立っていられなかった。砂利の上に片膝をついた。

 目の前に転がった猿が、むくむと起き上がった。

 さっきまで人の身の丈ほどだった猿が今は見上げるほど大きい。猿が手を広げると、その手がどんどんと伸びて長くなった。

「やめろ、やめてくれ!」

 片膝をついたまま猿に向かって叫んだ。

「チェイエエエー!」

 怪鳥のような雄叫びが響き渡った。

 飛び起きた。

 また夢だ。この町に来てから、変な夢ばかり見る。西脇は呆然と天井を見上げていた。

 食卓で顔を合わせた圭亮に夢の話をした。

 朝食は断然、洋食派な圭亮に合わせてパンにスクランブルエッグ、ベーコン、オレンジジュース、コーヒーを美嶽家で用意してもらっている。屋敷は和式だが、キッチンやダイニングは様式に改装してあった。広い窓から朝日が差し込む明るいダイニングで、西脇と圭亮はテーブルを囲んでいた。

 適当に済ませるので気を使わないでくれと言っているのだが、貴広が和食派、奈保子が洋食派だそうで、「どのみち和食、洋食、どちらも準備するので、ついでです」と瑠璃子に言われ、その言葉に甘えてしまっている。

「西脇さんはイタコの末裔ですからね~」と聞き飽きた台詞の後に、「その夢、碇屋恭一さんの最後を現しているのかもしれません。殺された碇屋恭一さんが何か教えようとしている。ほら、最初に見た夢が東野正純さん。次は宝来宗治さんでしょう。殺された被害者たちが夢を通して西脇さんに何かを訴えようとしているのでしょう」と言った。

「馬鹿らしい」と答えたものの、そんな気がしてきた。

「さて、碇屋恭一さんは何を言いたかったのでしょうか?それを読み解く必要があります」

 圭亮が考え込む。

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